文学警察

水原麻以

不人気な作者を叩きたがる風潮を危惧している。

不人気な作者を叩きたがる風潮を危惧している。その一言でタイムラインが荒れに荒れている。炎上のきっかけは某ライトノベル作家の公式アカウントだ。そのジャンルでは有名な迅雷社から何冊も著しているがことごとく初巻打ち切りの憂き目にあっている。「癒着や利権のせいで干されずに済むのでは?」という下衆の勘繰りが投稿された。出版社の見解は火に油を注いだ。公式が必死に否定するのだからなおさら怪しいという懸念が相次いだ。売れない作家を優遇する理由は節税目的か、などという露骨な中傷に作家本人が逆上した。「不人気な作者を叩きたがる風潮を危惧している」

感情で発した一言が「やっぱり図星か」と受け止められ絶賛炎上中である。

「やれやれ…」


無色作家の柿沼は液晶モニタの前で眉間にしわを寄せた。柿沼は生業でなく趣味で小説を書いている。読者は片手で数えられるほどしかいないが、投稿サイトに連載しているうちに釣り人的な喜びを得られるようになった。


柿沼が書く物語は不特定多数の心を掴む作品ではない。どちらかといえば読者を選ぶ。それが無色作家と呼ばれるゆえんだ。その投稿サイトでは読者の評価に応じて題名に色がつく。人気作品は赤に染まる。逆に寒色系は文字通り寒い作品と見なされる。


これを会員たちは極端に恐れている。なぜなら、緑や青のタイトルの作者は人格異常者だと唱える一団がいるからだ。もちろん、作品と作家本人の器質を同列に論じてはならないし、論じることは出来ない。しかし、閾値を超える意見があれば、それはローカルな常識になってしまう。

特に投稿サイトにおいては読者の意見は無視できない。


柿沼がホームグラウンドにしているサイトにはちょっとしたSNS機能が備わっていて、しょっちゅう炎上している。

その中に無視できない意見があった。

柿沼の目の前で今この瞬間も読者と主が激しくやりあっている。画面を更新するたびに長文のレスが増殖していく。

彼らの主張はおおむね「批判を気にしないからわざわざ発表するな。チラシの裏に書いてろ」というものだ。


「う~ん。それはちょっと違うんじゃないか」


柿沼は思わず口にした。


異世界転生や人気作品の二次創作を書いて高評価される事が当たり前になっている人にとっては努力しない人間が怠けている風に映るのだろう。


はっきり言って大きなお世話である。


確かに柿沼は読まれる事を前提に作品を公開している。心理学でいう承認欲求の充足だ。サイトのサーバー資源は限りがある。読まれもしない作品を放置する行為は無駄だ、すなわち悪である。エコ意識に毒された脳が断罪するのであろう。経済面で考えればそれは正しい。

だがちょっと待ってほしい。世の中にはその他大勢というか一般大衆が見向きもしないマイナージャンルが存在するのだ。

柿沼の趣味は庭いじりだ。それも世間一般でいう園芸からはかなりかけ離れていて、スコップで無為に土を掘り返すこと、本人に言わせれば土と戯れることを文章にしたためている。


湿った庭石の裏に蠢く昆虫のごとく、猫の額ほどの生態系にニッチな価値観がひしめいている。

それらの作者は端から評価や人気を期待していない。椰子の木を愛でながらあてどなく救出を待つ漂流者の気分で出会いの奇跡に感謝の祈りを捧げている。見返りなど無いも同然だ。それでも書き続ける理由はマイナーの灯をともしつづけることを至高の喜びとしているからだ。


柿沼はいま、バートランド・ラッセルの幸福論を読んでいるのだが、そこにどんぴしゃりな一文があった。

不人気に嘆き苦しむ作家に問う。貴方の作品は表現欲求に抗しきれず、やむにやまれぬ衝動に駆られて書いたものか、それとも、人目を気にして書いたものか。


柿沼はひとりごちた。

「どちらの道も間違いじゃないだろう」


そして、柿沼の思考が指先に宿った。思いの丈で機関銃のごとくコメント欄を埋めていく。


作家がただ、不幸を感じているのならば、どちらに軸足を置くかで幸福を求める道が決まってくる。


要するに幸福は人それぞれというわけだ。価値観の多様性を否定していては文化はやせ細る。


考えても見てほしい。皆が皆、同じ嗜好を求めれば、やがてどうなるか。

食傷気味という言葉がある。健全な向上心は常に変化をもとめる。どんなに美味しい料理も飽きられてしまう。


もし、受け皿となるジャンルが無ければ人々の読書熱は醒めてしまうだろう。

そこで進歩は止まってしまう。


柿沼がそこまでしたためた時、呼び鈴が鳴った。今朝注文した本が届いたのだ。

「チッ、もうすぐ送信できるのに」

舌打ちして文章をメモ帳にコピペする。

「柿沼さーん」

痺れをきらしたセールスドライバーが連呼している。彼らは気が短い。案の定、不在票にペンを走らせる音がした。


「はいはい」

柿沼は複雑な心境で廊下を駆けた。


かつては、どんな小さな町にも書店があり、散歩の途中でふらりと入った店で思いがけない書物に出会う楽しみがあった。アマゾンの台頭で目にする作品はリコメンドされるものばかりという環境は便利である反面、意外性を失わせる。


それは「チラシの裏に書いておけ」という暴論がまかり通る世界と似ている。

需要があろうがなかろうが多様性は担保されていなかればならない。いわば、保険のようなものだ。

文化の自己防衛反応と言い換えてもいい。表現したい欲求があり、それが表現場所の存続を脅かすものでなければ、存在を許される権利がある。


なのに、せっかちな短絡思考が単純明快な真理を正義に置き換えてしまう。


「廊下は走らない方がいいっすよ」


ドライバーが柿沼を制止した。


「せっかちか……」


柿沼は苦笑いを返した。

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