八話 侵攻する包囲

 哉嗚に辻からの呼び出しが掛かったのは会談が始まってから二時間ほど経ってからだった。リーフに対する抑止力であるはずの自分が出向くことへの懸念は当然口にしたが、軍のトップからの命令には最終的に逆らえなかった。


「大丈夫です哉嗚、いざという時は私があなただけでも守ります」

「そこは流石に元帥を優先してくれ…………」 


 哉嗚の代わりはいくらでもいるが、このタイミングでトップが消えればスヴァルトは大混乱におちいるだろう…………それは辻当人の考えとは異なっているが、大部分の軍人は哉嗚と同様に彼のリーダーシップに強い信頼を寄せており代わりはいないと考えている。


「…………一応持っていくか」


 備え付けの携帯用レーザーガンを手に取る。哉嗚はリーフを信じると決めたが、だからと言って何の備えもしないのは愚かなことだ…………もっとも彼女相手ではこんなもの気休めにもならないが。


「気を付けてください」

「わかってる」


 ユグドに答えて哉嗚はコクピットを出る。地面まで下りて軽く周囲を見回すと立ち並ぶ巨人機の中でヴェルグだけがこちらに視線を向けて軽く頭部を下げた…………後は任せろということだろう。本当に高島さんは過ぎた部下だと哉嗚は実感する。


「さて」


 何のための呼び出しなのやらと考えつつ、哉嗚は辻とリーフの元へと足を向けた。


                ◇


 部屋に入る前は少し身構えたが、中に入ってすぐに哉嗚は体の力を抜いた。リーフはソファの上でリスのように両手でコップを抱えてジュースを啜っていた。その向かい側では辻がいつも通りの引き締まった表情で見守るように彼女へと視線を向けている。


「ふむ、来たようだ」


 そしてその視線が哉嗚の方へと向けられた。


「!?」


 それに慌てたようにリーフも振り向き、その手のコップを取り落としそうになった。


「宮城哉嗚中尉、招集に応じて参りました」


 思わず苦笑しそうになるのを堪えつつ、哉嗚は敬礼をする。


「そう固くならなくてもいい、君も座りたまえ」

「はい」


 その言葉に従って哉嗚は二人の元へと歩み寄る。しかしソファは二人掛けが二組であり辻とリーフは対峙するようにして座っていた…………陣営を考えれば哉嗚は辻の隣に座るのが自然だろう。

 しかし中尉の身の上の自分が元帥の隣に座るというのも気が引ける。かといってリーフの隣に座るのは彼女について辻に対峙するように見えなくもない。


 逡巡していると辻が向かい側に座るよう目線で促した。それに哉嗚はほっとしてソファに腰かける。座りながら隣のリーフへ視線を送ると彼女はこちらを見ず、けれどどこか満足そうな様子に見えた…………交渉は上手くいったということなのだろうか。


「さて早速だが君を呼び出した理由だ」


 それを尋ねるべきか哉嗚が思考したところで辻が用件を切り出す。


「しかしそれを話す前に君も気になるであろうことを教えておこう…………まず講和と同盟の交渉だがそれは無事に成立した」

「っ、そうですか」


 半ば予想はしていたがそれでも答える言葉が僅かに詰まる。それくらいスヴァルトとアスガルドの間に和解などありえないという常識が哉嗚の中に根付いていたのだろう。


「わかっていると思うがこの件は公表に慎重を要する…………君に限ってはそんなことはないと思うが公言はしないように」

「わかっています」


 下手をすればクーデターの切っ掛けともなりうるような情報だ。この場に警備として集められた面々も含めて口の堅さは重視されているだろう。


「正式に決まったものではないがこれは彼女の名前にあやかってリーフ条約と名付けるつもりだ」

「恥ずかしい」


 割り込んでリーフが不満を述べる。


「そのようなものだと思って諦めたまえ」


 それを一言で辻は切り捨てる。彼女という偶像を利用するためにも必要な事だ。


「条約の仔細は公表された際に確認してもらいたいがムスペルを共通の敵対勢力とした一時的な休戦と共同戦線の構築が主な内容だ…………その期限はムスペルの首魁たるグエン・ソールを討ち取るまでとなっている」


 本来であればこれを機に恒久的な講和としたかったが国民は納得しないだろう。この条約はあくまでムスペルという脅威が存在するからこそ成立するものだ…………それにしたってかの国の脅威を存分に国民へと知らしめる必要がある。


「それでだ、公表されていないとはいえすでに条約は結ばれた…………つまり我々は条約に従って彼女らを支援する必要がある」

「ええと、いいんですか?」


 思わず哉嗚は尋ねてしまう。条約を公表すれば反発が予想されるのは難くない。その際にすでに条約に基づいた軍人行動が行われているというのは大きな批判対象となるだろう。


 政治に明るくない哉嗚でも現状のスヴァルトとアスガルドの立場の差は明らかだ。例えばその条約の履行を公表と同時というように条件を付けてもアスガルドは文句を言えないだろう。


「君の懸念はわかるが現実はこちらの都合を待ってくれないものだ」

「それは…………わかります」


 だからこそスヴァルトは勝てないとわかっている戦争を続けていた。


「国民の理解を待っている間に同盟相手がいなくなっては元も子もない…………これはそういう話なのだよ」

「つまりアスガルドにムスペルが迫っていると?」


 尋ねる哉嗚に辻はリーフへと視線を向けた。


「すでに一度討伐軍を撃退しているという話だったね?」

「うん」


 リーフは頷く。


「それで次は近いうちにもっと大規模で来るとキゼルヌは予想していた」


 それはつまり戦略魔攻士第三位に対抗できる規模で、ということだ。


「我々としてはその戦いに支援を送る必要がある」


 それは同盟相手を潰さないため、そして良好とは言えない両者の関係を改善する絶好の機会だからだ。スヴァルト国民はともかく劣勢に置かれた今のアスガルドの人々であれば恩は売りやすい…………長年の敵であっても天の助けのように感じられることだろう。


「だが君の懸念もあるように大部隊の派遣というわけにもいかない」


 大部隊ともなれば完全な情報統制も難しくなる。批判覚悟とは言え公式の発表前に情報が漏れるのはより不味い…………それは避けたいのだ。


「それで僕らですか」


 数が送れないなら質で…………そうなると当然ユグドとヴェルグは外せないだろう。


「そういうことだ。君にはリーフと共にアスガルドへ向かいそこで条約の履行を彼らへと示して欲しい」

「承知しました」


 哉嗚は頷き承諾する。命令であれば彼に断る理由はない。


「ですが可能性としてグエン・ソールが現れた場合はどうするのでしょうか?」


 だがそれはそれとして懸念を口にしないわけにもいかなかった。戦略魔攻士第三位の討伐ともなれば下手に軍勢を集めるより彼が直接出たほうがムスペルに被害は少ない。


「その場合は迷わず逃げたまえ」


 一も二もなく辻はそう答えた。


「まだ我々には彼と戦う準備は出来ていない」

「え、ですが…………」


 それはつまりアスガルドを見捨てるということになる。思わず横目でリーフを伺うと彼女はそれに頷いて見せた。


「逃げたほうがいい」


 続けて口にした言葉には確信が籠っている。それは彼女が戦略魔攻士第三位という肩書を持ちながら一位には絶対に敵わないと確信しているということだった。


「状況次第でしょうが、その場合は努力します」


 もっとも現状であれば逃げる方が哉嗚には至難の業に思える。無防備に背中を晒すより立ち向かった方がまだ活路は開けるんじゃないだろうか…………まあ、ほぼ間違い無く結果はどちらも変わらないのだろうが。


「まあ、情報を分析した限りでは彼が直接出向く可能性は低いだろう…………もっとも万が一の可能性がないわけでもないが」


 何事にも絶対はないのだから。


「正式な命令書は後日送ることになるがそれまでに心構えを作っておくことだ」

「はい」


 哉嗚は辻へと敬礼する。


「では本題に入るとしよう」

「はい……………え?」


 今の話が本題ではなかったのかと哉嗚は戸惑う。


「今の話が本題ならわざわざ君を呼び出す理由はないと思わんかね?」

「それは…………」


 確かにわざわざ哉嗚に先んじて話すような内容ではない。それこそ正式な命令書を発行して伝えても何の問題もないのだから。


「本題というのは彼女のことだ」

「…………リーフの、ですか?」


 それが自分と何の関係があるのかと哉嗚は怪訝な表情をする。


「今しがた説明した通り君には少数の部隊を率いて彼女らと共にムスペルからの討伐軍と戦ってもらうことになる」

「はい」

「その際には彼女と同行してアスガルドへ向かって貰いたいと思っている」

「それは、はい」


 その方が色々と都合がいいのは哉嗚にもわかる。彼女だけ一旦帰らせるより同行してもらった方がアスガルドに合流する際の揉め事は減るだろう。


「つまりは彼女にはしばらくスヴァルトに滞在してもらうことになる」

「そう……なりますね」


 それが自分にどう繋がるのか読めないまま哉嗚は頷く。同盟に基づく部隊の派遣を決めたと言っても今日明日で出撃できるものではない。作戦の発案からその準備までにそれなりの時間はかかる。

 ムスペルが討伐軍を派遣するまでに間に合わせるという制約があるから急がせるだろうが、それでも数日で済むようなことではないだろう。


「しかし、だ。彼女に軍施設に滞在してもらうのは色々と問題がある」


 同盟を結んだとは言え軍施設には軍事施設が多い…………そして何よりもそこで職務に就く軍人たちが問題だ。リーフの顔を知る者はそれほど多くはないだろうが皆無ではない。

 そして当然ながら彼女の顔を知る者のほとんどは彼女に対して恨みを持っている…………発覚すれば何が起こるかの想像は実に簡単だ。


「つまりリーフは基地ではなく街の方に滞在させると?」

「そのほうがむしろ安全だろう」

「…………そうですね」


 辻の提案は正しいように哉嗚にも思えたが、ここまで来るとさすがに彼にも呼び出された理由がおおむね理解できていた…………だが違っていて欲しいと心底願う。


「しかし街に滞在させるといっても警備が厳重では意味がない…………かといって警備を誰も付けないというわけにもいかないだろう」

「それは、わかりますが」

「君は他の者ほど彼女に敵意を向けていないし、この短期間で彼女と打ち解けたようだ」

「…………」


 否定はできなかった。上官に嘘など付けないし、そもそも隣にリーフがいるのにそれを否定できるわけもない。


「つまりだ、滞在中君に彼女の面倒を見てもらいたい」


 そして予想通りの言葉を辻が哉嗚へと告げた。


「滞在場所はこちらで見繕みつくろってもいいが、確か君はアパートを借りていたな?」

「ちょっと待ってください」


 流石にと哉嗚は止めた。


「アパートには僕だけではなく同居人もいますので」

「ふむ、彼女に危害を加えられないか不安だと?」

「…………いえ、そういうわけではないですが」


 というか隣にリーフがいるのに頷けるわけがない。別に哉嗚はリーフを信用してないわけではないが、これはそういう問題ではないだろう。


「彼女について私はもう信用していいと考えている…………何せ私がこうして無事でいるからな。その時点で君や同居人に危険が及ぶ可能性は限りなく低いと考えるが?」


 この国で最も権力のある彼を殺さなかったのだから、今更ただのパイロットである哉嗚や晴香を殺す可能性は確かに低い…………だが、そういう問題ではないのだ。


「同居人…………家族?」


 そこに横からリーフが口を挟む。


「哉嗚の家族なら…………挨拶、したい」

「いやなんでそんな話に?」


 なぜリーフが哉嗚の家族に挨拶を望むのか…………そもそも同居人の彼女はまだ家族ではない。


「出来れば私は彼女の希望を叶えてやりたいと考えているのだが」

「…………」


 いやあなたアパートのこと知ってるなら同居人が晴香だってことも知ってますよね、そう哉嗚はツッコミたかったがさすがに元帥相手にその勇気はない。


「ふむ、流石に今回は話が急すぎたようだ」


 しかし不意に辻はそんなことを言い出す。


「彼女にはホテルに滞在して貰うこととしよう、しかしその間の面倒は君に見てもらいたい」

「…………承知しました」


 それならば、と哉嗚は受け入れる。


「リーフ嬢もそれでよろしいな?」

「問題ない」


 満足げな表情でリーフが頷く。


「ではそのように手配しよう」


 より大きな要求をすることで敷居を下げて本来の要求を通す。


 それは使い古された手法ではあるが…………だからこそ有効な手段でもあった。

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