三話 新旧

 そこに玉座があった。金や宝石のあしらわれた豪勢な玉座だ。何もかもが溶けるか焼き焦げた様相を見せるその場所で、ただその玉座だけが正常な状態で鎮座し主をその上に乗せていた。


 グエン・ソール。炎の魔王と称されるムスペルの王。かつて長老会が集ってスヴァルトを運営していた城を文字通り蒸発させ、焼き焦げた荒野に変えた男。彼はそこに新しく城を建てさせるでもなく、その惨状はそのままに自身の鎮座する玉座だけを置かせた。


「で、状況はどうなってる」


 玉座の上かグエンは見下ろす。さほど高くないその玉座から彼が見下ろせるのは、その視界の中にいる者達の大半が伏して彼にこうべれているからだ。そうでない者達はグエンに敬意を払うように、また伏した者たちを見張るように視線を向けている。


「は、反射と底無しの二人が率いていた部隊が……スヴァルトの部隊と交戦して壊滅したとの情報が入りました」


 伏した者たちの中でもグエンに近い十人ほどの集団、さらにその中の男が一人顔を上げないまま口を開く。震えるようなその声色が見るまでもなくその顔色を表していた。


「で?」


 それでは足りないというようにグエンが促す。


「ア、アスガルドの残党に送り込んだ氷炎率いる中位魔攻士三〇名も壊滅し…………下位魔攻士の半数は向こう側に寝返ったようです」

「で?」


 グエンは威圧を込めて繰り返す。


「…………」

「そんなことはお前から聞かされるまでもなく知っている」


 押し黙る男にグエンは苛立たし気に顔を歪ませる。


「俺が聞きたいのはそれでお前達がどうするかだ」

「!?」


 続けられた言葉に男がびくりと震える。彼だけではなく他の九人もそれは同様だった。


「俺はお前達にアスガルドの残党の始末を命じたよな?」

「…………はい」

「余計な邪魔の入らないようにスヴァルトの牽制も命じた」

「…………」

「そのどちらもまだお前達は達成していない」


 それだけが事実であるというようにグエンは断じる。


「俺が聞きたいのは失敗の報告じゃない。成功か、それに繋がるための行動だけを求めている」

「で、ですがっ!?」


 慌てたように男が叫ぶ。


「や、やつらは…………スヴァルトは新たな巨人機を投入したという噂もあります! そうでなければ反射と底無しの二人が逃げ帰ることすらできないはずがないのです!」


 反射と底無しの異名を持つ二人の魔攻士は彼らの中でも屈指の実力者だった。特にスヴァルトの主力である巨人機との相性が良く、相手がどれだけの多勢であってもことごとく術中におちいらせて壊滅させてきたのだ。


 それが逃げて情報を持ち帰ることすらできなかったことは噂の真実味を強くしていた。


「ア、アスガルドの残党に至ってはあのリーフ・ラシルが出て来たと確認されています!」


 戦略魔攻士第三位。グエンによる反乱の際に第二位が粛正されていることを考えれば、彼女は今現在の二位でもある…………つまり、目の前の一位以外に彼女を上回る魔攻士は存在しないのだ。


「で?」


 しかしそれに返すグエンの言葉は変わらない。


「我々だけでは戦力が不足しているのです!」


 思わずといったように男は顔を上げて懇願する。平時であれば端正であろうその容姿は恐怖と焦燥によっていくつも歳を重ねたように歪んでしまっていた…………けれどその顔を見てもグエンは表情一つ変えない。


「それで、お前は戦力を増やせと? その辺りの裁量権は与えてあるだろうが」

「下位の魔攻士が、ましてやそれ以下の者がどれだけ増えたところで意味などないのです!」


 確かに男はある程度の徴兵が行える権利を与えられていた…………だが実際には下位魔攻士を徴兵できればマシな方で、その大半はそれよりもさらに力の無い者たちばかりだった。


アスガルドの治世においては貧民として最低限の扱いを受けていた者達。彼らは下位魔攻士になれるほどの魔力もなく、概ねのことが魔法によって片付くアスガルドにおいてあえて肉体労働を強いられていた…………それをグエンは戦力として前線に送り出しているのだ。


「つまりお前はこう言いたいのか…………俺か、もしくは幹部の誰かが出撃しろと」

「そ、それは…………いえ、その通りです!」


 躊躇いつつも男はもはや他に方法はないと肯定する。詳細のわからぬスヴァルト側はともかくアスガルドはリーフ・ラシルがいるのだとはっきりわかっている。


 ならばそちらはグエン本人か彼が認める実力者に当たって貰うしかない…………男たちが再度攻めたところで全滅する以外の可能性はないのだから。


「お前、何か勘違いしてないか?」


 だがグエンは不機嫌そうに片目を釣り上げて男を見る。


「そりゃ俺が行けばスヴァルトの新型機だろうが第三位だろうが全部焼き尽くせる」


 当然の事実であるようにグエンは口にする。


「でしたら!」

「俺がやれば一番早いのにあえてやらないのはお前らへの慈悲だ」


 被せて続けられた言葉に男は思わずまじまじとグエンを見る。


「そ、それはどういう…………」

「そこで無様に地べたを張っているお前らとそうでない連中の違いはなんだ」


 質問に答えずグエンは問いかける。


「…………長老会の打倒に手を貸した者と貸していない者たちです」


 立っているのは反乱が起こる前にグエンの仲間になった者達、それと反乱が起きた際にいち早く彼らの元へと寝返った極僅かな連中だ。


 そして男を含めて伏してるのは反乱が起こった際に何もできなかった者達だ。長老会についてグエン達と戦うことこそしなかったが、彼らは混乱のままに状況を傍観しグエン達の側につく決断も出来なかった。


 そうしている間にアスガルドという国は崩壊しムスペルという新たな国が興った。そして絶対的な権力者となったグエンによって徴兵されたのが現状だ。


「そうだ、つまりお前達はまだ俺の味方であることを証明していない」

「そんなことはっ!?」

「忠誠は言葉でなく行動で示すものだぞ?」


 逆らう気などないと叫ぼうとした男をグエンは鼻で笑う。


「俺が簡単に片付けられることをお前達にやらせるのは俺の慈悲だ…………それが果たせればお前達は俺にとって有用であることを証明できるからな。幹部連中にやらせないのはあいつらがすでにそれを証明しているからだ」


 証明の必要がないのならグエンが行くのが一番簡単であり、幹部連中に無駄な危険を負わせる必要など全くない。


「そのチャンスが必要無いのならもちろん俺が行っても構わんさ…………つまりお前達は俺にとって必要ない存在となるがな」

「っ!?」


 その言葉に男は青ざめる。グエンの言葉を肯定したその瞬間に彼とその仲間たちは灰となり、この場に新たな焼き焦げた跡が増えるのは明らかだった。


「ぜ、全力を尽くして使命を成し遂げます!」

「それでいい」


 無駄な時間を使わせるなというようにグエンは冷たく男を見下ろす。


「ああ、そうだ」


 思い出したようにグエンは呟き、僅かに相好を崩す。


「どうしても無理だと思ったらあちら側に寝返るのも手だぞ? 長老会と違って俺の服従を強制するような呪いはない…………寝返るのもお前の自由だ」

「そ…………そのようなことは絶対にありえません」


 確かに呪いは存在しない。長老会と違ってグエンに逆らってもその場で死ぬことはない。

 だが、呪いよりも遥かに強力なものが男を縛っている。


 圧倒的な力という名の恐怖。


 それは呪いよりも遥かに強固にムスペルの人々を縛っていた。


                ◇


 リーフ・ラシルという人間によって大切なのは宮城哉嗚だけだ。戦場で彼の輝きに魅せられてから彼女にとってそれ以外のほとんどはくすんだ色の石ころでしかない…………とはいえまるで感情を寄せなかったわけではない。

 例えばたもとを分かつ前のグエンに対しては兄や父親に対するような感情を抱いていた。


 ただ、二者択一を迫られるような状況であれば躊躇いなくリーフは哉嗚選択するだろう。彼女の中の優先順位の最上位に哉嗚の名前があって、それ以下のものは例え二位であっても切り捨てることに躊躇いないくらいに開きがあるのだ。


「面倒」


 そんな彼女にとって今の状況はあまり好ましいとは言えなかった。グエンから逃げ出して当てもなかった彼女は適当にさ迷う内にアスガルドの残党達の拠点に辿り着いた。そこで彼女は戦力として大いに持て囃されたが、別にリーフはそんなものを求めていなかった。


「哉嗚に会いたい」


 そして不満の行きつく先はそこだった。彼に会えさえすれば今リーフの抱いているどんな負の感情だって吹き飛んでしまうことだろう…………そんな夢想をしながら木とその葉で形作られたソファに大きく体を沈める。


 その場の何もかもは彼女の魔法によって生み出された植物で形作られているが、胸に渦巻く不満はその全てを壊したくなるようにうずきを見せる。


「その願いを叶えてやれるかもしれないぞ」


 それに答えるように男が部屋に入って来た。大樹の洞のような入り口には扉なんて気の利いたものはない…………だが、リーフの機嫌を損ねることを恐れて無造作に踏み込んでくるような人間はいない。


「…………キゼルヌ」


 例外は目の前に居る長老会の生き残りくらいのものだろう。年齢は三十程度と聞いていたがここ最近の心労か幾分かその顔は老け、髪にも白髪が混じっているように見えた。


「私が彼に会いに行くことを止めたのはお前のはず」


 長老会の一員であろうがリーフに敬う気持ちはなく言葉はぞんざいだった。呪いを受けていた頃なら表面くらいは取り繕ったが今はその必要もない。


「状況が変わったのだ…………ようやく集団としてのまとまりが出来たとも言うな」


 ムスペルに対する反抗組織と言えば聞こえはいいが、実態はグエンによって蹴散らされた敗残兵の集まりだ。首都から遠く離れた大森林まで逃げびたはいいがその後の展望もなく、ただ未来を嘆くだけの集団だった…………それがリーフという強力な戦力の合流によって安定する。


 戦略魔攻士第三位という肩書は、圧倒的な力の前に敗北した彼らにとっては心を保つために寄りかかる大木だった…………例え当人が彼らのことを何とも思っていなかったとしてもだ。


「君の魔法で居住が安定したのもあるし、なによりもこの間の討伐軍の連中を返り討ちにしたのが大きい…………希望が見えれば人の心はまとまるものだ」

「あれは相手が雑魚だっただけ」

「私の目にはそれなりの実力者だったように見えたがね」


 キゼルヌは肩を竦める。実際にリーフが出撃するまで防衛に当たっていた魔攻士たちは防戦一方だった。しかしリーフが相手を一方的に一蹴したのも事実であり、彼女のとっては有象無象と変わらなかったということなのだろう。


「実力はともかく心が死んでた」


 それにリーフはそう付け加える。哉嗚が見せたような輝きの片鱗どころか、彼らにあったのはその対極にあるような絶望の色だけだった。


「まあ、投降者から聞き取った情報が確かなら心は折れているだろうさ」


 グエンという圧倒的な力を持った存在を前に心を保てる者は少ない。彼が得た情報によれば討伐軍はグエンによってその忠誠の証明をするために送り込まれた者たちだ…………死に物狂いではあってもそれは活力に満ちたものではないだろう。


「ともあれ、君にとって重要なのは使者としてスヴァルトへ向かう余裕ができたということだけだろう」

「それは間違いない」


 否定することなくリーフは頷く。彼女の望みも何もかも目の前の男にはすでに伝えてある。


「だけど私がいなくなってお前は大丈夫なの?」

「おやおや、まさか心配してもらえるとは思わなかったよ」


 意外なものを見るようにキゼルヌがリーフを見る。呪いによる支配であったこともあり長老会の人間はアスガルドの国民からは嫌われていた。その恩恵を受けていた上位の魔攻士達にはそうでない者たちもいたが、その大半はグエンによって灰にされている。


 現状アスガルド残党の大半は所謂貧民たちだ。彼らは長老会を打倒したグエンに希望を抱いたが、より強い選民思想を彼が推し進めたことにより逃げ出すしかなくなった。先日派遣された討伐軍にも逃げ遅れた貧民たちが徴兵されており、その半数ほどは指揮官であった上位魔攻士がリーフに打倒されて時点で投降している。


 つまるところ長老会の一員であったキゼルヌは残党の大半から嫌悪されていた。共に逃げ延びた上位や中位の魔攻士達は彼に従っていたが、その中にも彼を見限ろうとする気配はあった…………それを解決したのが合流したリーフだ。


 戦略魔攻士第三位であるリーフを皆は集団のトップに推した。しかしそんな面倒なことをしたくない彼女は、彼に説得されたこともありキゼルヌを推挙したのだ。つまるところ彼が平穏無事でいられるのはリーフという強力な後見人のおかげでもある。


「心配はしてるけどお前のことじゃない…………戻って来て協力するはずの軍が残ってなかったら私が哉嗚に落胆される」


 リーフの全てはそれに尽きる。彼女が単独でスヴァルトを目指さず残党に合流したのもいきなり自分が亡命しようとしても受け入れてもらえないだろうと思ったからだ。キゼルヌを推挙したのも自分ならリーフの望む形で哉嗚に会わせることが出来ると説得されたからである。


「さっきも言ったように君のおかげでこの集団もまとまりが出来た…………君が離れても戻って来るまでくらいはもつだろう」

「本当に?」


 その疑問にはそもそもスヴァルトと同盟…………彼らに助けを求めることに対する皆の反発があるであろうことも含まれていた。


「どれだけ楽観的な人間でも我々だけでムスペルを打倒できるとは思っていないよ」


 それはリーフという大きな希望を得た現状であっても変わらない。それだけ炎の魔王と呼ばれるあの男の存在は隔絶しているのだから。


「もう一つ」

「なんだね」

「本当にスヴァルトに伝手があるの?」


 ただリーフがスヴァルトに踏み込んでも敵として排除されるだけだ…………しかしキゼルヌはスヴァルトに伝手があり交渉の場を整えられると彼女に説明していた。長い間戦争をしながらも一切の交渉をしていなかった間柄を思うと疑問に思える話だ。


「ある…………まあ、この状況で見限られていないとまでは保証できないがね」


 今や彼は国の指導部の一員ではなく敗残者の、それも不安定な立場の指導者でしかない。


「国の在り方に疑問を思っていたのはグエンだけではない…………私とて、アスガルドがあのままで良かったとは思っていなかったのだよ」


 けれど何もかもが遅すぎたのだと、大きく彼は溜息を吐いた。

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