二話 それぞれの今と現実
「ただいま」
アパートの扉を開けて中に入る。こじんまりとした玄関は汚れがほとんどなくまだ目新しさを感じる。哉嗚がここに足を踏み入れた回数はまだ十回に満たないし、晴香の性格を考えれば小まめに清掃しているのだろう。
「おかえり」
靴を脱ごうとしたところで奥から晴香が現れて出迎えの挨拶を返す。ちょうど料理をしていたのか、エプロンをしたままの彼女の姿は少しばかり新鮮だった。
「ご飯そろそろできるから先にお風呂入ってきたら?」
「そうする」
戦場返りで汗もしみついているし素直に従うことにする。巨人機のパイロットはかなり快適に作られているがさすがに風呂は付いていない。アパートの風呂場はそれほど大きくないがそれでも足を伸ばせる浴槽が置いてあるので不満はなかった。
哉嗚は玄関から上がると迷わずに風呂場へと足を運んで服を脱ぐ。
「ふう」
湯船に体を沈めて思わず息を吐いた。体の芯まで熱が届いてきて疲れがじんわりととれていくようだ。裸でお湯につかっているこの瞬間が一番何もかもから解放されたようでリラックスできる。
「着替えおいとくわよ」
「ありがとう」
風呂場の外から掛けられた声に感謝を返す。些細な気遣いだが今の哉嗚にとっては至れり尽くせりの気分だった。
「いいお湯だったよ」
「そう、よかったわ」
風呂から上がり晴香に声を掛けると、彼女はエプロンを外すところだった。
「ご飯、ちょうどできたところよ」
「おお、豪勢だな…………それに手が込んでる」
キッチンのテーブルには何種類もの料理が大皿で並んでいた。それも揚げ物から焼き物に煮物と調理法が違うのでそれぞれ手間がかかるものばかりだ。
「偶にだからね、自分のだけなら簡単に済ませてるわよ」
すました顔で晴香は答えるが、もっと褒めてもいいのだと言っているように哉嗚には見えた。
「愛してる」
「いきなり何よ」
突き放すように顔を背けつつもその頬は少し赤いのを哉嗚は見逃さなかった。
「今度は俺が作るよ」
「できるの?」
「割と得意だぞ?」
両親は亡くなっているので軍に入るまでは哉嗚も自炊していたのだ。
「ちょっと興味はあるけど…………疲れてないの?」
「それは晴香だって同じだろ」
確かに哉嗚はパイロットとして戦場に出て戻って来たばかりだ。しかし晴香も同様に自分の仕事を毎日こなしているはずなのだ。
「整備員の仕事は復帰してどうなんだ?」
「どうって、別に前と変わらないわよ」
改修前のY‐01が大破して以来晴香は整備員としての仕事を失っていた。もちろん他の機体の整備であれば問題なく担当できるのだが、特殊な立ち位置にある哉嗚と離ればなれになる可能性を嫌って晴香はそれを固辞していた。
しかしグエン・ソールの興したムスペルとの戦端が開かれると流石に晴香もニート状態に罪悪感を覚えたようで、見かねて哉嗚はアパートを借りることにした。
二人で暮らすことで自分と離れるかもという晴香の不安を払拭させたのだ…………まあ、これでいよいよ哉嗚も男としての責任を取るしかなくなったが。
「でもまあ、やっぱり私は整備の仕事は好きみたい」
「そりゃよかった」
小さく唇を釣り上げながら哉嗚は晴香と初めて会った時のことを思い出す。基地が襲撃され死が目の前に迫ってなお晴香は整備不良のY‐01を動かすことに反対した。それは整備員の仕事に誇りを持っていたからで、それが彼女の天職である証だろう。
「それでもユグドの整備を外されたのは悔しいけどね…………今の整備長には機体に関係なく外れるべきだって言われたけど」
「なんでだ?」
「哉嗚と私が恋人になったからよ」
整備員には家族や恋人の機体の整備は担当しないという暗黙の了解があるのだと晴香は説明した。医者などでも同じケースがあるが、仮に整備したパイロットが死ねば担当者はショックを受けるだろう…………それが家族や恋人であれば二度と整備をしたくないとまで考えるかもしれない。
そうなれば軍はパイロットだけではなくその担当の整備員まで失う結果になってしまう…………それを避けるための措置だ。
「ま、もう関係ない話よ」
深く話したい話題でもないと晴香は打ち切る。
「ところで哉嗚はいつまでいられるの?」
「明日の昼には出ないと駄目だな…………ユグドがまた五月蠅くなる」
「あの子は相変わらずのようで安心したわ…………納得はしないけど」
不満そうに晴香が呟く。二人で暮らすことになった今でも恋人との時間の大半をユグドに奪われている現状は変わっていない。ユグドが端末で動き回れるようになったせいで哉嗚が機体に乗っていない時も一緒にいることを彼女は要求するからだ。
おかげで哉嗚が前線から戻って来て休暇を貰っても一緒にいられる時間は少ない。機体の整備の為にユグドが停止させられるというおよそ一日だけが、晴香に与えられた哉嗚を独占できる時間だ。
「改修型の性能はどうなの?」
「基本的には前と変わらないな」
機体の装甲値が上がっただかで諸々の出力限界が向上したらしいが、今のところ限界出力が必要な相手とは遭遇していない。なので基本的には改修前と変わらない感覚で哉嗚は機体を操縦している。
「ただやっぱりミストルティンはすごい便利だ」
あのマルチプルウェポンは強力というより便利という言葉がしっくりくる。これまでは相手の魔法を把握して力押しできるところを狙うという戦術だったが、ミストルティンであれば相手の意識の裏を突いて最小効率で倒すことが可能だ。
「あれもブラックボックスなのよね」
しかし晴香は不満そうに口を尖らせる。
「いやあれはそういうのじゃないだろ?」
今のところミストルティンを装備しているのはY‐01改修型だけだ。その理由は肝心要の素材である金属が生産できず、遺跡から発掘された僅かな量しか存在しないかららしい。
Y‐01は開発局が直接整備しているので当然ミストルティンも普通の整備員が触れることはない…………晴香にはそれが不満なのだろう。
「遺跡のデータの解析が進めば生産可能かもって話だし」
「解析が間に合えばね」
あまり期待はできないというように晴香は息を吐く。
「前線はどんな感じなの?」
「ムスペルの方はまだ牽制って感じだな」
国を興したグエンはある程度混乱が落ち着くとスヴァルトへ魔攻士を侵攻させた。だがそれは本気の侵攻であるようには思えず、逃亡したアスガルドの残党を狩るのにスヴァルトから余計な横やりをさせないための牽制でないかと言われている。
「まだ当分はデータ取りの為の出撃が続くだろうからそこそこは帰ってこれる」
「そう」
晴香はそっけなく頷くがどこかほっとしたように見える。
「冷める前にご飯、食べよっか」
「そうだな」
頷いて哉嗚は席に着く。
今くらいは、戦いのことは忘れて時間を過ごそうと。
◇
「ユグドの改修型のデータはどうなっている?」
いつもと変わらぬ執務室のソファ、変わらぬ厳しい表情で辻は目の前に座る美亜に尋ねる。
「戦績くらい報告されてますよね?」
「私は技術的な見解が聞きたいのだ」
二重の報告は無駄、と言わんばかりの美亜の視線に辻は表情を変えず返す。
「技術的な見解も何も、あれはほとんどY‐01と変わらないのはご存じのはずでは?」
「変わった部分もあるだろう」
その最たるものがマルチプルウェポンであるミストルティンであるし、それに伴い設置されたパイロットの脳波を読み取り反映させる装置であるギャラルホルンは全体的な反応速度の向上に役立っているはずだ。
さらに新たな金属を用いてある程度の自己修復が可能な装甲など、革新的と言っていい技術であると兵士達からは見られている。
「それらに関してはそれこそ技術的な見解の述べようなんてありませんよ…………だってあれ、科学技術なんて関係ないですし」
つまらなそうに美亜は答える。
「マルチプルウェポンなんて謳っていても実際は金属の特性を持ったただの木材で、普通ならただのハリボテですよ。それがさも科学の極みみたいに見えるのは全部ユグドちゃんのおかげです…………ギャラルホルンに至っては魔攻士達が日常的に行っている魔力を介した念話ですしね」
始まりはユグドが完全に自身という存在を理解したことだった。それによって彼女はただのリアクターではなくなりオリジナルと同様の植物を生み出し操る力を身に付けた。それをうまく活用できないかと美亜が目を付けたのが、古代文明が遺伝子操作によって生み出した観賞用の金属樹だった。
金属樹は人工的に産みだされたものとはいえ植物としての生態は持っていた。試しにとユグドに一度接触させてみたら彼女は金属樹を操り生み出せるようになったのだ。後は簡単で装甲と武器に金属樹を利用すれば変形も修復もユグドの思うままとなった。
ギャラルホルンに関しても適当にそれっぽい装置を取り付けて、そういうものであると哉嗚に説明しただけだ。元々念話を使える素養が彼にはあったので、ほんの僅かな認識の変化で機械に意味はないと知らないまま彼は使いこなしている。
「そう言えば彼女の再生治療を行っているのだったか」
「ええ、少しずつですけどね」
思い出したかのような辻の呟きに美亜は頷く。
「それが協力の見返りですし、今の内に少しずつでも進めておかないと戦後に余裕がない可能性もありますからね」
辻とグエンの構想の元に戦争が片付いたら美亜は己の所業の全てを公開する予定だ。その時期次第ではユグドの再生治療など行っている余裕がない可能性もあり、そうならないためにも完治手前までは戦争が終わる前に進めておきたいのだ。
「戦後か…………その為にも改修型の戦力がどの程度向上したのか知りたいのだがね」
「なら最初からそういう聞き方をしてくださいよ」
相変わらず辻相手であっても美亜の口調は容赦ない。
「とはいえ現状の実戦データだとまだ限界値が見えてこないので何とも言えないとしか答えられませんね…………ぶっちゃけた話今彼が相手してる魔攻士って改修前の性能でも勝てる程度の相手ですし。もちろんミストルティンは役に立ってるようですが、それでより上の魔攻士と戦えるかどうかの参考にはならないです」
だが一応、と美亜は続ける。
「聞かれるだろうとは思って例の二位の彼に戦闘映像を見せて意見を求めておきました…………自分といい勝負をするかもしれない、だそうです。プライドは随分と高そうに見受けられましたからそれを加味すると彼に勝てる可能性は十分にあります」
「なるほど」
辻は頷く。
「三位に続き二位に届くか、順調に戦力は向上しているようだな」
「ですが巨人機の性能としてはここらが頭打ちですよ」
その事実をはっきりと美亜は言い切る。巨人機は元々古代文明の技術から作り出したものであり改良の余地はあまりない。それをYシリーズは半ば反則のような形で強化を行ったものであり、Y‐01ユグドはさらに特殊なケースだ。
そしてその反則による強化も今回の改修型で打ち止めだ。これ以上は本当に新しい技術を作り出すか、古代遺跡から発掘される運頼みのデータに頼る以外にはない。
「グエンに改修型で勝てるか?」
「無理に決まってるじゃないですか」
聞く必要があるのかと美亜は目を細める。
「改修型を量産出来たらどうだ」
「あの奇跡の産物をですか?」
奇跡、科学者としては使いたくない言葉だがあれを他に表現しようもない。
「それに仮に一万機くらい量産できたとしても焼き払われて終わりです」
数が力なのは時と場合による。例え一対一万であったとしても一万の力を集約して一にぶつけることができるわけではないのだ。個々の力で圧倒的に劣っているのだから適当に焼き払われて終わる未来が簡単に想像できる。
「それよりは二位とか…………それこそ当人のを使って機体に組み込んだ方が可能性はありますよ」
「残念だがそのリスクは高すぎるし、露見すれば彼はこの国を終わらせるだろう」
「面倒な話ですねー」
他人事のように美亜は首を振る。
「そんな化け物を殺す方法を最終決戦までに私に作れとか無茶ぶりが過ぎます」
「だが出来なければやはりこの国は滅ぶ」
なぜならグエンを打倒しようが出来なかろうが彼の目的は果たされる。故に例えこちらの準備が整わなかったとしても彼は攻めて来るだろう。
「手心とかないんですか?」
「この戦争は我々にとってはもはや茶番劇だが…………本気の茶番劇だ。それを周囲に悟られれば何の意味もなくなるのだから彼も妥協はしないだろう」
つまるところ本気で彼を打倒する必要があるのは以前と変わりないのだ。
「真面目過ぎるのも困ったものですね」
ふう、と溜息を吐いて美亜は天井を見上げる。
真っ白な天井には、やはりその答えは書かれていなかった。
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