プロローグ(三)

 高島が哉嗚の元を尋ねて来たのは早朝のことだった。その要件は彼にも想像できていたので朝食も兼ねて士官用の食堂に誘う。似たような要件の者が多かったのか食堂はいつもより賑わっていたが、二人は何とか席を確保して注文を済ませた。


「やはりもう噂になってるようですね」

「上の方も情報規制をかけてるわけじゃないみたいですから」


 運ばれてきた朝食に手を付けながら二人は口を開く。


「しかし私には信じられません…………アスガルドで内乱が勃発したなどと」


 高島が口にしたその言葉が今この場所を賑わせている原因だった。そもそも彼が前線から引き揚げられたのもその政変による影響だ。ひとまず様子を見るということでこちらから刺激しないよう前線を一段階下げたらしい。


「正直僕も信じられないですよ。向こうの内情も多少は知っていますし」


 アスガルドは長老会と呼ばれる指導部によって運営されている。魔法の強さがそのまま権力に繋がる国でありながら長老部の面々はしかし最強ではない…………それを成立させているのは国民全てにかけられている呪いによるものだという。


 その呪いは長老会に逆らった者の命を容易く奪える。それはあの戦略魔攻士第三位であったリーフ・ラシルですら逆らえないものであり…………それがある限りは反乱など起こせるはずもないのだ。


「でも、事実であると元帥から直接伝えられました」

「それは、認めざるを得ませんね」


 哉嗚は元帥の肝いりでユグドのパイロットになった人間だ。しかし元帥の目の確かさを証明するように彼は結果を出しており周囲からのやっかみは全くない。

 年下ながら高島も哉嗚を上官として尊敬しており、そんな彼が元帥から直接聞かされたというのならもはや信じる以外の選択肢は残されていなかった。


「ですが事実であるとするならこれからどうなるのでしょうか」


 敵が勝手に仲間割れしてくれたというならそれは喜ぶべきことだが、問題はその後こちらの国へどんな影響があるかだ。


「確か、内乱の主導者は戦略魔攻士第一位という話でしたが」

「ええ、あいつです」


 哉嗚の脳裏に金髪の青年の姿が浮かぶ。戦略魔攻士第三位であるリーフに勝利したその瞬間に現れた戦略魔攻士第一位…………なす術もなく敗れたことをあの時から哉嗚は一度も忘れたことはない。


「彼について知られていることはあまりにも少ない…………なにせ戦場に現れる頻度もそれほど多くない上に、彼が現れた戦場は必ず全滅していますからね」


 そこにあった何もかも完全焼失するため、姿を捉えた映像ですら僅かにあるだけだ。


「とはいえこれまで我々との戦争を主導してきた長老会に反旗を翻したのですから、彼が戦争に反対の立場である可能性もあります」


 これまでは戦争に参加しなければ自身の命が危うかったが、長老会を打倒することが出来たのならその心配もなくなっているはずだ。


「ただ権力を握りたいだけの可能性もありますけどね」

「重要なのはその権力で何をしたいか、ですな」


 しかしその為の人柄を知るような情報が一切ない。


「仮に、ですが和平が目的だとしたらそれは成立するでしょうか」

「…………無理じゃないですか?」


 哉嗚自身の心情は別としても難しそうに思える。哉嗚が物心つく遥か前から戦争は続いているし、そもそもスヴァルト自体がアスガルドからの難民によって生まれた国だ。


 国の始まりからアスガルドは敵国であり、それを証拠に開戦後どころか開戦前からお互い交渉すらしようとしていない。


「話し合いじゃ誰も納得しないでしょう」


 哉嗚としてもリーフと直接顔を合わせて呪いの話を聞いたことで同情の気持ちはある。だが家族や友人の命は逆らえないから仕方なかったで済ませられるほど軽いものはないだろう。


「やはり、そうなりますか」

「高島さんは和平を望んでるんですか?」

「もちろん私だって彼らは憎いですよ」


 言葉とは裏腹にその声には感情が込められていなかった…………だからこそ、高島のその心情がよく察せられた。


「ですがこの戦争は終わりにできるなら終わりにするべきです」


 そして次に続けられたその言葉は断固とした意思が感じられた。


「私は死んだ人間よりも、これから死ぬ人間が減ることの方が大事に思えます」

「それは…………そうですね」


 自分の目の前で死んだ人たちを哉嗚は忘れたことはない…………けれど、天音や目の前に居る高島がその仇と引き換えに死んで釣り合うとも思えない。


 失ったことがあるからこそ、これから失うものがどれだけ取り返しのつかないものなのかを理解できるのだ。


「でも、それで納得できる人は少ないはずですよ」


 多くの場合人を動かすのは理屈ではなく感情なのだから。


「仮に上層部が和平を決めたとしても…………下手をすればこちらでも反乱がおきるかもしれない」


 軍人は命令には絶対だ。国の為であれば自身の命も懸ける…………だが、軍人も人間であり人間は完璧ではない。いくら訓練で命令に忠実にあろうとしても感情がそれを妨げることはあり得る…………そしてそもそもスヴァルトには軍人以外の人間も大勢いるのだ。


 間近で戦争を体験していない彼らは殺し合いの現実を知らず、ただただ身内を奪われた怒りだけがある。


「それは向こうだって一緒でしょう」


 仮にグエン・ソールが和平を決めたとしてそれに従う人間が多いとは思えない。


「ままならない話ですね」

「それに向こうが和平を望むかも仮定の話ですし」

「結局は、様子を見るしかないということですか」


 溜息を吐くように高島が呟く。


「まだ内乱がどう決着つくかもわかりませんしね」


 趨勢すうせいは決しているようだがアスガルドの内乱はまだ終わっていない。首都はグエン率いる反乱軍が抑えたが、長老会の生き残りによってグエンに従わないものが集められ犯行の機会を伺っているらしい。


「いずれにせよ状況は大きく変わります…………僕らは最悪の想定に備えておくべきだと思います」

「戦い、ですか」

「ええ」


 和平が叶うならそれで何も問題はないが、そうでないなら起こるのは戦争の再開…………それもこれまで以上の過酷な戦争だ。

 公には隠されていたが、スヴァルトにとって長老会は絶対に勝ち目のない存在を戦場から遠ざける枷でもあった。その枷が無くなった今、ある日突然にグエンが首都へと現れて何もかもを焼き払う可能性はゼロではない。


 哉嗚はグエンと間近で遭遇した…………だからこそわかる。現状いくら戦力を集めてもあの男を止める手段はこの国にはない。


「…………新型機」


 その浮かんだ不安を止めるように哉嗚は呟く。


「早く完成しないかな」

 

 今は何よりも、あの狭いコクピットに腰を落ち着かせたい気分だった。


                ◇


 リーフ・ラシルにとって少し前までは希望に満ち溢れた日々だった。戦場にグエンが現れて彼に気絶させられ、その後哉嗚もろともスヴァルトの軍勢を焼き払ったと聞いた時は絶望と共に怒りに震えた。


 けれどそれも必要な事であり哉嗚が生き残るように調整はしたと説明され、実際に哉嗚の生存を証明されたことで一応は矛を収めた…………なによりも近々計画を実行するという話にリーフは希望を抱いたのだ。


 そもそもリーフがグエンに従っていたのは彼がやがて長老会に反旗を翻し、アスガルドではなくスヴァルト主導の世界となるようにするという理想に同意したからだ。


 彼女にとってどちらの文明が残ったほうが人類の将来性があるかとかはどうでもよかったが、それで哉嗚が生き残ることが出来るというのが大事だった。



「どういう、ことなの?」


 けれど今、リーフは険しい顔でグエンと向かい合っていた。いつかと同じリーフの私室。けれど二人の置かれている状況はあの頃とまるで違ってしまっている。


「どうもこうも今話した通りだ」


 それにグエンはいつも通りの涼しい顔で答える。


「スヴァルトは滅ぼす」

「なんでっ!」


 生き残るべきはスヴァルトだと先に口にしたのはグエンの方なのに。


「状況は常に変わるもんだ。確かに俺は前にスヴァルトが勝つべきだと言ったがな、今は滅ぼすべきだと思ってるだけのことだよ。知識って奴はある意味で俺たちの力以上に害悪だ…………あの国の知識は全て抹消する」

「…………」


 一体スヴァルトの何を知ったのかとはリーフは尋ねなかった。そんなことは彼女にとってどうでもよかったからだ。


「私を、裏切るの」

「ちゃんとその辺りは考えてある」


 睨むリーフにグエンは肩を竦める。


「どのみち労働力としてスヴァルトの国民は連れてくるつもりだしな、事前に捕虜の一人や二人攫ってきたところで問題はない…………俺がいらないものを全て焼き払う前に保護してきてやるんだな」

「なにを…………言っているの?」


 リーフにはグエンの言葉の意味が理解できなかった。


「あなたはスヴァルトを滅ぼすつもりなんでしょう?」

「俺が滅ぼすのはあいつらの知識と技術だ…………もちろん指導者や軍人にも容赦はしないが一般の人間は残す」

「なんでわざわざそんな…………」


 リーフには無駄に禍根を残すような行為にしか思えない。なぜなら労働力自体は今のアスガルドでも充分足りている。彼が残す国をアスガルドと選びスヴァルトの知識と技術を危険視するなら…………全て焼き払う方がリスクは少ないはずだ。


「それはな、アスガルドの労働力になりうる人間は全員燃やすからだ」

「!?」


 今度こそ完全に理解できないというようにリーフがグエンを見る。


「どういう、つもり……なの?」


 気でも狂ったとしかリーフには思えない。


「簡単な理屈だ」


 しかし当人は正気だと言わんばかりに淡々と言葉を紡ぐ。


「最初俺がスヴァルトを勝たせようとしたのはアスガルドの…………俺たち魔法使いという存在が文明にとってリスクでしかなかったからだ」


 魔法という力は生まれの才能が全てであるゆえに、ある日突然グエンのような強大な魔法使いが生まれるだけで文明が滅ぶ可能性がある。


「だが俺はスヴァルトを見限った」


 つまりはアスガルドを存続させるしかなく、それには強大な魔法使いが生まれるリスクを抑える必要がある。


「つまりはな、国を滅ぼしかねない魔法使いが生まれる可能性は排除できないならその管理を適切に行うしかない…………簡単に言えば危険の芽は事前に摘むようにするってことだ」


 いかに大きな才能を秘めていようが赤子の内であれば間引くのは簡単だ。


「その為には生まれる魔法使いの数を管理できる数に抑える必要がある…………ゆえに支配者層として一部の魔法使いを残し国としての労働力はスヴァルトの国民を連れてきて賄う」


 もちろんスヴァルトとの戦争は続いているから今すぐに全員を粛正するわけではない。しかし理由をつけて減らしてはいくし…………最終的には全て粛正する。


「もちろんお前もその支配者層に入って貰う…………後はその思い人のパイロットとやらと好きに暮らしたらいい。そいつももうお前に媚びを売る以外には生きる道がないんだ、存分に愛でてやればいい」

「…………そう」


 小さく呟き、リーフは力を込めてグエンを見る。


「そんなものを、私は望まない」

「ならどうする」

「こうするに…………決まっている!」


 言葉と共に床から伸び上がった樹木がグエンに絡みつく。それはそのまま全身を覆い尽くして彼の身体を握り潰す…………前に炭化して床へと崩れていく。


「こんなもので俺が殺せるとでも?」


 体に付いた灰をはたきながらグエンはリーフを見やる。


「残念だ」

「っ!?」


 その言葉と同時に今度はリーフ自身が床から伸びた樹木によって覆われる。その直後にグエンから放たれた炎がそれを焼き尽した…………その灰が崩れた後に残されたのは床に空いた大きな穴。

 樹木で姿が隠れると同時にリーフは床下に逃げたのだろう。彼女の力であれば今頃塔の一階を通り越して地中を移動していてもおかしくはない。


「ふむ、焼こうと思えば焼けるが」


 それをすれば今いる魔攻士の宿舎である塔はもちろん周囲一帯が壊滅する。いずれ粛正するにせよ今は戦力として必要な人間も多いし、何よりも支配者層として残すべき人材も混ざっている。


「これなら逃しても充分言い訳はできるな」


 やれやれとグエンは肩を竦める。


「後は自分でうまいことやれよ」


 暗い穴の向こうに、グエンは小さく笑って声を掛けた。

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