二十六話 前へ
ユグドは元に戻ったが状況が変わったわけでもない。機体は魔力障壁に食い込んだままだしその右腕は使い物にならなかった。流石にリーフ・ラシルも今はユグドを障壁で食い止める事に尽力しているようだが、攻めるか引くかは早急に決める必要があるだろう。
「ユグドは…………なんでリーフ・ラシルが憎いんだ?」
かつてはわからないと答えられた問いを哉嗚はまた口にする。少なくとも何かが分かったからこその暴走だったのは彼にだってわかるから。
「ごめんなさい哉嗚…………言えません、それだけは」
けれど帰って来たのは頑なな拒否。
「それじゃあ質問を変える」
だが無理に聞き出すつもりは哉嗚にもなかった。
「ユグドは、リーフ・ラシルを倒したら幸せになれるのか?」
それは哉嗚が晴香にされたのと同質の質問だった。戦争に勝った後にどうするのか、哉嗚はそれに最初答えることができなかった…………多分、ユグドもそうだろうと思ったのだ。彼女は憎しみだけが先行し過ぎていてその先が無いように感じられた。
「…………なれません」
しばらくしてユグドは答えた。
「私はリーフ・ラシルが憎い…………でもそれは八つ当たりです。彼女が悪いわけではないのは理解しているのです」
だから彼女を殺しても幸せになれるはずもない…………ユグドの現状は何も解決しないのだから。ただ、理性でわかっていても我慢ができなかった。他にやりきれない感情を処理する方法がユグドにはなかったから。
「俺は、リーフ・ラシルが憎いわけじゃない」
そんなユグドに哉嗚は心情を明かす。
「だけど彼女を倒さないとこの戦争は終わらない…………だから戦うんだ」
憎しみではなく、それが必要であるから戦う。
「俺は平和になった未来に生きたい」
「でも、私には…………」
その未来がないのだというようにユグドは言い淀む。
「俺がいる」
そんな彼女に哉嗚は言う。
「ユグドがなにを抱えているのかは無理には聞かない…………でも、俺は側にいる。少なくともこの戦争が終わったその先でも俺はユグドから離れたりはしない」
二人の関係は兵器とパイロットでしかない。戦争が終われば軍事機密の塊であるユグドの扱いがどうなるかは哉嗚にもわからない…………それでも離れ離れにならないよう努力する。命を供にした相棒を見捨てるつもりは彼になかった。
「だから、ユグドもその先を考えてくれないか?」
リーフ・ラシルを殺して終わりではなく、その先を。
「了解です、哉嗚」
いつものような口調でユグドはそれに答えた。
「私はこの感情を晴らすよりも…………あなたとの未来の為にリーフ・ラシルを倒します」
だから、とユグドは続け
「責任、取ってくださいね」
感情溢れる少女のような声色で、彼女は言った。
「あ、うん、もちろん」
巨人機丸々と言われれば困るが、AIだけならばコンパクトに収めることも不可能ではないはずだ。
現実は哉嗚の考えとは大きく異なるわけだが、それを今の彼が知る由もない。
「えーっと、それでこれからどうするかだ」
リーフ・ラシルの魔力障壁に食い込んでいるものの機体は半壊状態。モニターには警告が無数に表示されたままだし右腕は使用不可、メイン兵装であるレーザーライフルも破損して放棄した…………衝撃を突き抜けても戦えるかは怪しい。
「俺は退くべきだと思う」
ユグドが落ち着いてくれたから出来る提案だ。無事であれば味方が逃げる時間は充分稼いだだろうし、これがリーフ・ラシルと戦える唯一の機会というわけではない。機体が持ちさえすれば戦えるという実証は得られたのだから、ここは退いてより機体をリアクターの出力に耐えられるよう強化してもらうのがベストに思える。
「いいえ哉嗚、戦いましょう」
けれどユグドはそれに否定の答えを返した。
「でも機体が持たないだろ?」
「それは問題ありません」
本当に問題はないというようにユグドは答えた。
「損傷した個所は修復が可能です」
「修復って…………そんな機能あったか?」
「…………使うのは初めてですが、お手本は充分に見ましたから」
「それってどういう…………?」
「修復します」
哉嗚の疑問には答えずユグドは修復を実行する。加工されたモニター上の映像では破損した右腕の罅が斥力障壁で閉じられ、残る隙間から溢れ出した液体が固まって破損を埋めていく。その他の破損部分も同様の手順で修復されていくのがモニターに表示された。
「すごいな」
モニターからは次々と警告表示が消えていく。流石に放棄したレーザーライフルまでは修復されなかったが、ほとんど万全に近い状態にまで機体は戻っていた。
「詳しい理由は説明できませんから、ブラックボックスに関連する機能だと思っておいてください」
当然浮かぶであろう疑問に先行してユグドが釘を刺す。
「わかった」
とはいえ哉嗚は晴香のようにブラックボックスに
「修復しながらになりますが今なら最大出力で戦闘が可能です。それならリーフ・ラシルにも届きます…………いえ、それで彼女と互角です」
互角、という部分だけ言葉を強めてユグドが言った。
「ですが」
「だけど」
二人は口を合わせた。
「俺たちは二人だ」
「私たちは二人です」
それぞれの言葉で、同じ意味を形にする。
◇
「なに?」
ずっと感じていた気持ち悪い感覚が急に消え去った。それは異常なまでの力で魔力障壁に食い込んでいた力が弱まったのとほぼ同時だった…………あれには流石にリーフも少しばかり焦った。障壁を貫通するほどの力と同時にとてつもない不快感が溢れてきたからだ。
それに耐えながら障壁を維持したせいで彼女のも冷や汗をかいていた。
「なんだかわからないけどムカつく」
そしてそれが消えても別の不快感は残った。先ほどまでのは気持ち悪い不快感だったが、今はイラっとする不快感だった。相変わらずなんでそんなことを感じるのかわらないので、それもまたストレスとして不快感が増す。
「それにあれ…………木?」
破損した機体の右腕を補修するように木が覆っていた。よく観察すればそれ以外の部位も補強するように木製になっているのが見えた。それにどこか既視感を覚えて思い返してみると、樹木を組み合わせて造形した偽巨人機が浮かんだ。
「もしかして私と、同じ?」
思わず呟くがすぐに否定する。確かに同種の魔法を扱える相手がいることは珍しくないが、植物の成長を促進するだけではなく植物そのものを創造するリーフの魔法は結構なレアだ。それにそもそも相手は科学技術からなる文明であり魔法は使えない…………あれは新型機に搭載されていた機能なのだと考えるのが妥当だ。
だが修復機能も備えているとなると一気に破壊する必要がある。それもどこまで壊せば修復不可能になるのかわかっておらず…………少年を殺さないようにと考えると結構な制限だ。
「ううう」
また考えることが増えてリーフは呻く。思考の遅れは判断の遅れ。先ほどもそのせいで接近を許して魔力障壁に食い込まれている。しかしこれまでただ力を行使するだけで戦いを終わらせてきた彼女には即座に状況を分析して答えを出す能力はない。
故にまた、彼女は一手遅れた。
◇
これまでの抵抗が嘘だったようにユグドは魔力障壁を突破した。両手には残る唯一の武装であるレーザーガン。これが紙のように魔力障壁を切り裂いて機体をその内側へと導いた。ユグドに言わせればそれでもまだ最大出力ではないらしい。
「一気に接近する」
「了解です、哉嗚」
ユグドが答えると同時に機体が加速する。それから僅かに遅れて樹海が蠢き始めた。これまでの戦いで気づいたがリーフ・ラシルは魔力障壁と魔法の併用ができていない。恐らくは出来ないこともないのだろうが、ユグドの攻撃を捌きながらでは難しいのだろう…………これまでの彼女の魔法から見てもその技術は
「長距離射撃」
押し潰すように迫る木々に哉嗚は取り外した操縦桿を構える。レーザーガンは近接戦を想定したものだが長距離射撃ができないわけではない。単純に長距離では威力が減衰して意味がないだけだ…………だが今のユグドの出力であれば問題ない。
真っ直ぐにリーフへと向けて放たれたレーザーは魔力障壁によって弾かれる…………だが、樹海の動きは明らかに鈍った。その隙にユグドはその距離をどんどんと詰めていく。
「前方弾幕」
「撥ね飛ばせ」
「了解です、哉嗚」
横並びに並んだ瓜状の植物が一斉に巨大な種子を飛ばしてくるが、止まる事無くユグドは斥力障壁で撥ね飛ばす。大きかろうが固かろうが一つ一つの威力はたかが知れている。以前の状態でも防げたのだから今のユグドの足止めになるはずもない。
「前方で巨人機模倣体を形成」
「またあれか!」
植物が絡み合って生み出した偽巨人機。だが哉嗚にしてみれば予測しづらい植物群ではなく同じ巨人機の範疇で戦ってくれるのでやりやすい相手だ。即座に接敵してレーザーガンで斬り捨てる。もちろん元は木々の集合体なのですぐ再形成するが、その頃には通り過ぎている。
「さらに形成」
「意味が分からない」
先ほどよりさらに巨大な偽巨人機を見て思わず哉嗚は呟く。こちらがその処理を苦にしていないことくらいすぐにわかるはずだろうに。
「哉嗚、恐らく彼女には他に力を集中させる術がないのです」
「力を集中…………そういうことか」
リーフ・ラシルの魔法は樹海を生み出して相手を蹂躙するものだ。それは大軍を薙ぎ払うには適しているがユグド一機を攻撃するには無駄が多すぎる。全体で見れば使われている力は膨大だが、ユグドに向けられる攻撃はその一部でしかないのだ。
もちろんその一部の力でさえほとんどの相手は耐えることができなかったはずだ…………けれど今のユグドはそれを上回る。それが彼女にもわかるからこそ力を集中してぶつけようと試行錯誤しているのだろう。
「なら、方法を見つける前に終わらせないとな」
「はい、哉嗚」
操縦桿を倒して巨大な偽巨人機へと突っ込んだ。偽巨人機はこちらを叩き落そうと手を振り上げるが、大きくなったぶん明らかに動きが鈍っている。その腕が降り押されるよりも前に接近して胴体をレーザーガンで切り裂き、生まれた隙間に機体を突っ込ませて斥力障壁を展開…………内側から偽巨人機弾けさせて後方へと突き抜けた。
「目標視認距離」
「見えた!」
ズーム無しで哉嗚の目にリーフ・ラシルが映る…………けれどすぐにその姿が樹木によって隠される。そのまま彼女を覆うように次々と木々が寄り集まって瞬時に樹木のドームが形成された。
「撃ち抜きますか?」
「いや」
ただ守りを固めるなら魔力障壁の方が力を集中できる。それをあえて樹木で行ったのは理由がある…………二つの違いはこちらから視認ができるか否かだ。一度こちらの視界から逃れてしまえばこの樹海の中を隠れて移動するのは容易いだろう。
「哉嗚、生体センサーを起動しますか?」
「あっちだ」
答えるより先に勘に従って哉嗚は機体を方向転換する。そちらではまた偽巨人機が組み上げられていた…………その中だと彼の勘が告げていた。
「これで終わらせる」
両腕のレーザーガンを振り上げて、哉嗚は機体を突っ込ませた。
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