夜間飛行

水原麻以

夜間飛行、彼の場合



書きたいけど、書けなくて……

   

 書けない。けど、書かねばならぬ

 ネタもアイデアもないわけではない。モヤモヤとした文章の雲が頭にある。

 しかし、書けない。

 無理やりに文章をひねり出そうとしても言葉にできない。

 だが、何が何でも更新しないと、廃用症候群になってしまいそうだ。

 そんな強迫観念に突き動かされて、強引に数行書いてみると、あら不思議。

 弾みがついたようにスラスラと言葉が出てくる。

 そんな経験をしているのは私だけだろうか。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「人間はそもそも怠惰な動物として設計されているから、勤勉さが欠けた途端に堕落していく」

 これは私が好きな小説、サンテグジュペリの「夜間飛行」に登場するブラック企業主リヴィエールの趣旨だ。


 刹那的な生き方をしていた若いころ、見かねた私にとある人物が薦めてくれた作品だ。

 主人公のリヴィエールは生き馬の目を抜く航空郵便業界で同業他社を蹴落とさんがため、ブラック運送会社も真っ青の戦略を打つ。


 レーダーがまだ発明されていなかった時代。鉄道郵便や無電に圧倒的優位をつける通信手段として航空郵便があった。


 伝達速度、一度に送信できるデータ量。航空機は前者のいずれよりも抜きんでていた。


 しかし、航空郵便は致命的な弱点があった。有視界飛行に頼るため、天候に左右されるうえ、暗い夜は危なくて飛べない。

 そこでリヴィエールは、ライバルを出し抜くために、危険な夜間飛行に参入する。


 と、言っても操縦桿を握るのは彼の部下たちだ。


 一歩間違えれば命を落としかねないリスクからパイロットを守るために、彼は容赦なきリストラを敢行する。


 勤続数十年のベテラン整備士を呼びつけ、ネジ一本のゆるみを指摘する。整備士にしていれば経験則に基づく許容範囲であったが、リヴィエールは許さない。


 家族が路頭に迷ってしまうと懇願する老人に彼は「荷役係としてなら雇ってやる」と配転命令を出す。


 この豪胆冷血ぶりに私は惚れた。リヴィエールを突き動かすものは何かというと単純な上昇志向ではなくて、狂気じみた強迫観念である。


 彼は自分の存在理由を会社の永続性に見出していた。歴史に自分の名を刻みたい。そうすることで死に対する本能的な恐怖をごまかすことが出来る。

 では、事業を存続させるために何が出来るかと彼は思い悩んだ。精神的にボロボロになるまで自分を追い詰めた結果、夢遊病者のように教会へたどり着く。


 そこで彼が見たのは巡礼者であった。キリスト教は千年以上の時を経て、いまだに風化していない。

 儀式や祈りはルーチンワーク化され、厳しい戒律に支配されている。


 これだ!とリヴィエールは閃いた。


 信仰を継続させている要因は恐怖心だ。滅びを忌避したいと願う感情が祈りに繋がっている。


 そこで彼はパワハラもいとわぬ鬼の経営方針でパイロットたちを追い詰め、墜死者を出すものの、夜間飛行の先駆者となる。

 私は考えた。作家が恐れるものは何か。

 断筆と締切である。アマチュア作家に締め切りはない。

 そこで自主的に締切を課すことにした。

 もちろん、間に合わなかったとして罰を受けることはない。

 代わりにやってくるのは「書けなくなる」ことへの恐怖心だ。

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