離宮

「ここが、クリスティーヌ様の育った離宮よ」

「うわあ……すごい宮殿……」


 マリィお姉さまの案内で、王宮の奥にやってきた私たちは、白くそびえる離宮を思わずまじまじと見つめてしまった。

 その建物がひときわ異様なつくりをしていたからだ。王宮の敷地内のはずの宮殿の周囲には深い堀があり、細い橋一本で外界とつながっている。宮殿そのものが美しい見た目をしているから一瞬だまされそうになるけど、構造は砦に近かった。それも籠城戦用の。


「ここから先はあなたたちで行ってちょうだい。私はまだ、やることがあるから」


 マリィお姉さまだけが、集団から一歩離れる。次期女宰相として、災害対応の仕事があるのだろう。忙しい中、私たちのためにここまで動いてくれたことに感謝しかない。


「マリィお姉さま、ありがとうございます」


 私たちはそろって頭をさげる。お姉さまはいつものように優雅にほほえんだ。


「国と、外交と、何より未来の妹のためだもの。これくらいさせてちょうだい。フラン、あとは頼んだわよ」

「かしこまりました」

「みなさん、ごきげんよう」

「……ツヴァイ、姉上を送ってさしあげろ。しばらく護衛につくように」


 どこでどう控えていたのか。物陰からゆらりと人影が現れた。深くフードを被った黒装束の男は、そのまま物音ひとつたてずにマリィお姉さまの後をついていく。

 ビジュアルだけ見たら、まるっきり都市伝説に出てくる幽霊である。

 しかし、彼に命令した人物が人物だったので、誰もツっこまなかった。フランは信用できない相手に家族をまかせたりしない。


「さあこちらへ。橋を渡れば、安全地帯ですよ」


 この建物を知り尽くしている乳母は、慣れた様子でさっさと進んでいく。私たちも彼女のあとについて橋を渡った。


「中は思ったより普通なんだな」


 宮殿に足を踏み入れたクリスが、物珍しそうに周囲を見回す。

 こらこら、初めて来たような反応をするんじゃありません。君はここで生まれ育ったって設定でしょうが。

 このメンバーでは今更な話だけど。


「それはそうですよ、ここで姫様とイルマ様と私が暮らしていたんですから」


 来客を罠にかけるために作られた王妃の客間と違って、離宮のインテリアには確かな人間の生活感があった。壁には目に優しいタペストリーが飾られ、床には肌触りのいいカーペットが敷かれている。

 全体的に柔らかなデザインが多いのは、クリスティーヌの母イルマさんの趣味だろう。

 部屋に入っただけで、ほっと落ち着くような雰囲気がある。

 でも振り返った先にあるのは堅牢な造りのドアと細い橋だ。


「外部とつながる道が橋だけなんて、不便ですね。これも、王妃の嫌がらせだったり……?」


 私がたずねると、姫君の乳母は苦笑した。


「いいえ、イルマ様が望んでこのつくりにしたのですよ。クリスティーヌ様は、お小さいころ、他人に肌を見せられない事情がありましたから。出入口を橋ひとつとすることで、人の流れを制限していたのです」

「ここは、クリスティーヌを守る砦だったんですね」

「ええ、ですから、クリスティーヌ様もシルヴァン様ものびのびと暮らせる今が、とてもうれしいのです」


 ほほえみながら語る、その言葉は本音だろう。

 孤立し、砦に閉じこもるようにして暮らす王宮生活は、とても息苦しかったに違いない。実際、私たちが十三歳の時に出会った『クリスティーヌ姫』は、性別を隠すために、かなり無理をしていたようだ。ゲーム版に至っては、男としての成長を妨げる薬を飲んで、体を作り替えさえしている。

 そこまでしても、彼らの先に待つ未来は『性別がばれて断罪される』か『性別を隠して同性に嫁ぐ』かの二択だ。幸せになれないまま、ただ生きるだけの人生を歩むのは不幸でしかない。


「もう誰にも、この幸せを奪わせたりしません。皆さまは、私がお守りします」


 決意を口にするタニアの瞳には、強い光が宿っている。

 彼女もまた本物の忠誠心を持つ者なのだ。


「ありがとう、よろしく頼む」


 彼女が育てた少年の伴侶として、クリスがその言葉を受け取る。彼のためにも、私たちは元気で過ごさなくちゃ。


「まずは食事ですね。少々お待ちください。リッキネンのお嬢様が用意した食材で、何かお腹が温まるものを作りましょう」

「お手伝いします」

「あなたはいいわ」


 一歩前に出たフィーアを乳母は止める。


「こちらの厨房も、ユーザ登録がなければ使えないのですか?」

「いいえ、ここが使われていたのはずいぶん前ですからね。細かい登録が必要な魔道具も、武器を検知するゲートも取り付けられてないの」


 そういえばクリスたちが婚約したのは四年前だ。魔力式給湯器は今ほど普及してないし、武器探知機は開発もされてない。住人のいなくなった建物に、わざわざ新技術を設置する意味はない、ってことなんだろう。


「ではなぜ」


 タニアはフィーアのことを『かわいらしい侍女』と言っていた。王宮の女官たちみたいに獣人だからって差別するタイプには見えないけど。

 ネコミミ侍女を見てタニアが苦笑する。


「あなた、自分をよく見てみなさい。それは仕事のできる格好かしら?」


 フィーアはいまさら自分の姿を見下ろした。

 詳しいことはわからないけど、結構な無茶をして王妃派女官のところから逃げ出した彼女は、いまだにマント一枚の姿だ。


「あ……」

「まずは着替えね」


 私たちは全員で顔を見合わせた。



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書籍⑤巻発売まであと5日!

詳しい情報は近況ノートとXにて

@takaba_batake

https://kakuyomu.jp/users/takaba_batake/news/16817330668836632239

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