黒煙

 心優しいふっくら寮母、ミセス・メイプルは軽く腰に手をあてると、ぷんぷん、と擬音がつきそうなくらいコミカルな仕草で、私を叱りだした。


「淑女が、そんな格好で殿方の前に出てはいけませんよ」

「でも、着替えもありませんし」

「そう言うと思いましたよ。無事だった倉庫から予備の服を出してきましたから、着なさい」


 彼女は抱えていた包みのひとつを渡してくれる。中には女子制服が一式入っていた。

 着替えがあるのは正直ありがたいけど、今は非常事態だ。


「制服は、体の弱い子を優先してください。私はマントを羽織っていれば動けますから」

「……その格好は、動けるとは言わないでしょう」


 返そうとしたら、ドリーが複雑そうな視線を送ってきた。

 緊急事態だったから今まで口を挟まなかったけど、着替えられるならそうしてほしいっぽい。


「あなたはこの場で指揮官の立場にあります。目のやり場に困る姿では、人の前に立って指示を出しづらいと思いますよ」

「う……」

「そうよ。周りを助けたいなら、まずあなたが十分な格好じゃなくちゃ」


 ミセス・メイプルにまで言われてしまっては、抵抗できない。

 私は受け取った服を両手で抱きしめた。


「わかりました、有難く受け取ります。では護衛のフィーアにも制服を用意してもらえますか?」

「そっちはもう渡してあります。今着替えているところですよ」


 さすが寮母、私の行動はお見通しらしい。


「リリィが着替えてきたら、責任者で集合して細かい行動方針を決めるか」

「そうね。こういう時ってどこに助けを求めたらいいのかしら」

「通常は王都の正規軍を待つべきだが……」


 私たちに説明しながら、教師のひとりが王都方面を振り仰ぐ。と、同時に彼の顔がひきつった。


「おい……あれ……」


 彼の視線を追った私たちも、同じものを見て息をのんだ。

 王立学園を囲む城壁の先、王都方面の空は真っ黒だった。

 暗いとかそういうんじゃない。もうもうと大量の黒煙があがっているんだ。


「あ……」


 そこで私は思い出した。

 この地震は、王宮地下にある邪神の封印がほどけたのが原因だ。つまり、震源地は王宮。当然王都中心部が一番揺れたはずだ。

 王立学園があの揺れでこれ、ってことは、王都は……。


「リリィ様……あれって……」


 ふら、と女子生徒のひとりが黒煙を見上げながら、私のそばにやってきた。よれよれの制服を着こんだ明るいストロベリーブロンドの少女、セシリアだ。彼女の顔色は、真っ青を通り越して、紙のように白い。空を見上げる緑の瞳もうつろで、いまいち焦点があってなかった。


「あれは、その……」


 説明しようとして、私は言いよどむ。彼女の様子は普通じゃない。こんな状態の彼女にショッキングな現状をそのまま伝えていいものだろうか。


「……私、見てきます!」


 彼女はそう宣言するやいなや、門を開けて飛び出していった。

 やばい、ひとりで行かせるのは絶対マズい。


「待ちなさい!」


 追いかけようとしたら、ぐっと肩を掴まれて止められた。振り向くと、ドリーが眉間に皺を寄せたまま、心配そうにこっちを見ている。

 そういえば、まだ寝間着姿だったね!

 このままじゃ追いかけられませんね!

 私があせっていると、すぐにクリスが飛び出していく。


「私が行く! リリィたちは着替えてから来て!」

「お願い!」



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