幕間:愛し君(セシリア視点)

 女子寮から抜け出したアイリスさんは、すたすたと迷いなく歩きはじめた。

 私は慎重に彼女の後を追う。魔力を隠蔽して気配を消すのは初めてだけど、フィーアさんとジェイドさんの使っている方法だから、大丈夫なはず。

 アイリスさんは裏庭まで来ると、木陰に声をかけた。


「お待ちになった?」

「いいや、全然」


 制服を着た男子生徒がひとり、すぐに木陰から出てくる。顔は見えなかった。茂った木の葉が上半身を覆うように影を落としているからだ。

 アイリスさんは嬉しそうに笑う。


「あなたが贈ってくれたこの『姿隠しの護符』は効果絶大ね。寮母はおろか、あの汚らわしい猫女でも気づかないのよ」

「君たちのために、特別にあつらえたものだからね」


 男子生徒は笑う。

 フィーアさんが気にしていた女子寮の違和感は、彼女だったみたいだ。誰かが出入りしているのはわかってたけど、護符に遮られて正体が掴めなかったのだ。

 私は産まれて初めて聖女の才能に感謝する。

 異常に気づけたのは、ジェイドさんとフィーアさんのやり方を両方知っている私だからだ。


「そういえば、いつもの相棒の姿がないみたいだけど」


 男子生徒がアイリスさんに尋ねた。相棒、とは一緒に悪戯をしていたゾフィーさんのことだろう。

 ふん、とアイリスさんが鼻は鳴らす。


「あの子はもういいの。すっかり怖気づいちゃって、付き合い悪いのよ」

「計画の遂行に問題はないの?」

「ふふ、私を誰だと思ってるの。万事滞りなく進んでるわ」


 クスクスとアイリスさんが笑う。


「今日まで地道に布石を打って、準備は万端。学年演劇の大舞台であの女の評判を徹底的に落としてやるわ。オリヴァー様最愛の寵姫におさまるのは、私よ!」

「やっぱり君はすごいね」


 アイリスさんのとんでもない宣言を、男子生徒は笑って流す。


「そうだ、頑張る君にプレゼントをあげよう」


 男子生徒はポケットから何かを出した。ペンほどの大きさのそれを、アイリスさんに握らせる。


「これを使えば、ゾフィーだって君の言うことをきいてくれるはずだよ」

「まあ……感謝しますわ」

「君の計画が成功することを、祈ってる」

「ええ、きっとあの女を蹴落としてみせますわ」


 アイリスさんは優雅に淑女の礼をすると、女子寮に戻っていった。

 下手に鉢合わせしないよう、私はその場にじっと身を隠す。ふと男子生徒のほうを見ると、風がふいてきて、木の葉を揺らした。差し込んだ月光が男子生徒の顔を明るく照らす。


「……!」


 それを見て私は絶句した。

 彼は王立学園の生徒なんかじゃなかったからだ。

 この国では滅多に見ない象牙の肌、ほっそりとした輪郭に薄い唇。そして、光を全て吸い取ったような闇色の髪と瞳。

 直接会ったのは二年も前だけど、その記憶は強烈に焼き付いている。

 アギト国第六王子、ユラ・アギトだ。


 ぞわっと背筋に悪寒が走る。

 彼は危険だ。

 ハーティアを憎む厄災の王子は、常に悪意を持って行動する。

 彼がアイリスに手を貸しているのなら、ただの子供のイタズラじゃ終わらない。きっと、ひどく良くないことが起きる。


 戻って、リリィ様に知らせなくちゃ。

 それから……。


「臆病な君に何ができるの?」


 すぐそばで、囁かれた。

 振り向くと目の前にユラの顔がある。いつの間に移動したのか、ユラは身を隠す私の隣に立っていた。


「!」

「ああ、逃げないで」


 さがろうとした私の腰を、ユラの手が抱く。

 ただ腰に手を当てられただけだというのに、それ以上体が動かなかった。まるで蛇に睨まれた蛙だ。


「久しぶりだね、愛しい君」

「わ……私は……っ!」

「こんなに震えて、かわいい……ふふふっ」


 私を見つめるユラの黒い瞳には、何の光も見いだせない。ただ暗い穴があるだけだ。

 それが心底恐ろしい。


「君は、頑張らなくていいんだよ」

「……な、にを」

「女神のつくった歪な世界は僕が壊してあげる。君はただじっと、膝を抱えて震えていればいい」


 ユラはあいている手で私の髪をひと房すくいあげると、愛おしそうにキスした。


「弱くて脆くてかわいそうな君。どうか、ずうっとそのままでいて」


 底冷えするような声で囁いて、ユラは幻のように姿を消した。



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