悪役令嬢は、使用人の顔を知っている
「お嬢様? ミルクがお嫌なら紅茶はいかがでしょうか」
メイドが一歩私に歩み寄る。私もまた一歩後ずさった。
「それ以前の問題よ。私、あなたの顔を知らないわ」
「ああ……そのことですか。こちらのお屋敷に入ったのは、つい一週間ほど前ですから。覚えていただけてないのも、無理はありません」
「それはおかしいわね」
じり、と私たちは笑顔のまま距離を取り合う。
「ハルバードの使用人は、毎日私と一緒に体操することが義務付けられてるの。入ったばかりだろうが、古参だろうが、私の見覚えのない使用人は存在しないのよ」
「……っ」
すっとメイドの顔から表情が消えた。
間違いない、彼女は屋敷の使用人を装った不審者だ。
「誰だよ。でかい屋敷のお貴族様は、使用人の顔なんか覚えちゃいねえ、って言った奴は」
彼女の背後の闇の中から、ぬうっと男がふたり、姿を現す。メイドの他にも伏兵がいたのか。
「ハ、こんなガキが、何十人もいる使用人を全部把握してるなんておかしいだろ」
「もういい、まだるっこしいやり取りは終わりだ。小娘ひとり、ひっ捕まえちまえばどうとでもなる」
捕まえる、ということは……暗殺ではなく、誘拐目的なのか。
私は、必死に息を整える。
安全なはずの屋敷で遭遇した敵に、心臓はバクバクだ。
真っ白になりそうな頭をフル回転させて、取るべき行動を考える。
大丈夫。誘拐目的なら、すぐに危害を加えられたりはしない。いきなり死ぬことはないはずだ。不審者と会ってしまった場合の行動は何度も練習したでしょう?
「来ないで!」
私はパジャマのポケットに隠し持っていた小瓶を彼らに向けて放り投げた。それは彼らの顔近くで、パンと小さく音を立ててはじける。
ディッツお手製の目つぶし爆弾だ!
お前たちなんて、行動不能になってしまえ!!!
「なんだあ、こりゃあ?」
「目つぶしの薬かしらね」
しかし、私の思惑は思いっきり外れた。
ふっと風がふいて、何かが彼らの周りから流されていったのだ。風は不自然な動きで、危険物を彼らから遠ざける。
「残念、お嬢ちゃん。私は風の魔法が使えるんだ。ちょっとやそっとじゃ、触れることもできないよ」
メイドは嫌な顔で私に笑いかける。
さすが、ハルバード侯爵家に忍び込む賊だ。そこらへんの下っ端とは一味違うらしい。
「う……」
私はさらに一歩下がる。
「おとなしくしてな。暴れなけりゃあ、こっちだって何もしねえよ」
嘘つけ。絶対乱暴に扱う気だろうが!
不審者の言葉を信じるほどお人好しじゃないぞ!
と、思い切り怒鳴りつけたい。
しかし、言葉は喉の奥に張りついて、口から出てこない。
唇はブルブルとわななくばかりで、まともに動いてくれそうになかった。
ここは自分の家だ。何人もの兵士が警備のために詰めている。だから、大声を出せばすぐに助けが来るはず。
だけど、緊張してこわばってしまった私の喉から、声を出す機能は失われていた。
あれだけ練習したのに、体は思うように動かない。
本当に怖いときは、声も出ないって、本当だったんだ……。
正直、不審者対策をナメてた。
恐怖と緊張で、練習したことの1割も行動に移せない。自分がこんなにふがいないとは思わなかった。
何度命を狙われても、不屈の精神で足掻いていた聖女ヒロイン、実はめっちゃメンタル強かったんだね!
「さあ来い!」
男のひとりが私に向かって来た。
「嫌っ!」
私はとっさに『最後の手段』を投げつけた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます