12 正夢

(なんだ、すげえ簡単じゃねえかよ、こりゃ楽勝だ、ルギの野郎は必要なかったかもな)


 トーヤは心の中でルギに一つ舌打ちすると、水の中で少しばかり顔をしかめた。棺の下側に回り、支えるようにしながら自分も上を目指す。


 呼吸はまだまだ余裕があるが、冷たいのはたまったんもんじゃないなと思いながら、棺の状態に気をつけつつも、明るい方向を見て上がっていった。


 棺はするすると抵抗なくひきあげられていくように思われた、そう見えた。

 

 だが……

 

 ブツリ


 鈍い、嫌な音がした。

 水の中にいてはっきり耳に入ってきた。

 何かが引きちぎられるような、そんな音に思えた。


(何の音だ?)


 トーヤは周囲を警戒しながら、棺に添える手に力を入れる。周囲に何かいる気配はない。この冷たい水の中、存在するのはトーヤと黒い棺だけだ。


(なんだ?)


 そう思っていた時、目の前をするりと何かが滑り落ちた。


 一瞬何が起こったのか分からなかった。地上に向かって徐々に上がっていく棺とトーヤに逆らうように、その「何か」はするすると水底に向かって滑り落ちていく。


(な!)


 それが何であるかを理解すると、すぐにトーヤは方向を変え、棺を蹴って逆方向へそれを追った。


(嘘だろ!)

 

 シャンタルが、立ったようにして、足を下にしたまま、棺に寝かされていた時の姿のまま、胸に何かを抱いた姿勢のまま、すごいスピードで下へと沈む、いや、落ちていく。


(なんだあの早さは!)


 トーヤは必死で水をかくが追いつけない。まるで、誰かがシャンタルの体にロープをかけて引っ張っているかのように、するすると底へ向かって落ちていくのだ。


(シャンタル!)


 トーヤは必死に心の中でシャンタルを呼んだ。


 その途端、 


 ゴボリ


 シャンタルの口から一つ泡が生まれた。


(まずい!)


 シャンタルが意識を取り戻したのだと分かった。


 仮死状態のままでいてくれたら、まだ水を飲まないうちに追いつけるかも知れない。だが意識を取り戻して水の中だと気づいたら、慌てて息を吸おうとして水を飲む。

 

 あの夢、シャンタルが溺れる夢、あれが今まさに正夢になろうとしている!


 ゴボリ


 また一つ泡が出ると、


(苦しい!)


 その途端、シャンタルの意識がトーヤの頭の中に飛び込んできた。


(助けて! 助けて! 誰か、苦しい!)


 あの夢だ! あの共鳴した夢のままだ!


(くそ!)


 必死で水をかくが届く気配がない。水底の「誰か」が明確な意思を持ってシャンタルを自分の元へ取り込もうとしている、そう感じた。そうでもないとこの状況を説明できない。


(くそ、渡さねえぞ!)


 トーヤも強い意思を持ってシャンタルを求めて水底へと降りていく。だが、トーヤの息も徐々に尽きてきている。


(シャンタル!!)


 必死に心の中でシャンタルを呼ぶ。


(俺を呼べ!)


 シャンタルとトーヤの間には何かの繋がりがあるはずだ。


 これまでの3回の共鳴でトーヤはそう思っている。

 それが何かは分からない、だが何かの繋がりがあるのだ。

 現に、今もこうしてシャンタルの意識がトーヤの中に流れ込んできている。


(助けて!)


 またシャンタルの意識が飛び込んできた。


『助けてって言ってみろ。もしも言えたら、それこそ湖の底に沈んでいたとしても飛び込んで助けに行ってやるよ』


 トーヤは思い出していた。何があっても助けてやる、たとえ底に沈んでも、そう約束したんだ!


(助けて、誰か、誰か、助けて!)

(誰かじゃねえ!)


 俺を呼べ、俺のことを! トーヤだ! トーヤと呼ぶんだ!


 必死で心の中でそう呼びかける。


 だが、混乱の中にあるシャンタルには届かないのか、それともあちらには聞こえていないのか、一向に名前を呼ぶ気配がない。ただひたすら苦しい、助けてとばかり……


 やがて、シャンタルの意識が薄れていくのを感じた。


(シャンタル!)


 トーヤは自分も尽きつつある息の中で、苦しさの中で必死にシャンタルに呼びかけた。


(俺だ、トーヤだ! 俺を呼べ! 早く、トーヤだ!)


 白くなっていく意識の中、うっすらとシャンタルの意識が届いた。


(呼ぶ……誰、誰を……)

(俺だ!)

(誰……)

(俺だ! トーヤだ!)


 もう消えかけている意識の中、


(トーヤ、助けて、トーヤ……)

(シャンタル!)


 呼ばれた途端、シャンタルの落ちる速度がやや落ちた。だがまだまだ距離がある。


(息が……)


 トーヤの息も限界であった。


 ゴボリ


 トーヤの口からも最後の息が吐き出された。


(シャンタル……)

 

 それでもまだ諦めることなく、最後の力を振り絞ってトーヤはシャンタルに向かって必死に手を伸ばした。


 その時、


 ふわり


 今まで、ひたすら下へ下へと引っ張られていたシャンタルの体が、なぜか静かに浮き上がってきた。


(もう、少しだ……)

 

 必死にこちらも薄れつつある意識の中、伸ばした手がやっとシャンタルの髪に触れた。


 そして……

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