2 侍女頭
キリエはミーヤには「やることを終えたら休ませてもらう」と言ったが、この時期、侍女頭にはそれこそ山のようにやることがあった。それ以外にシャンタルに心を開かせ命を助けるという重い使命、正直、休むなどと考える時間すらないに等しい。
それでも、シャンタルの部屋から下がりながら、できるだけ手順よくやるべきことを片付けていく。
これもその役目の一つ、まずは奥宮の次代様を尋ねてご様子を見る。まだ生まれたばかりの次代様、数名の乳母と共に御誕生後、交代の日まで過ごされる部屋へと足を向ける。幸いにしてお健やかで何一つ問題はなかった。今度のシャンタルもまたお美しい方である。整ったお顔を見てほっと安心し、乳母たちと侍女たちに声をかけてから部屋を出る。
そこから渡り廊下を通って産室のある離宮へ向かう。今度は
次は一度前の宮を通り過ぎ、客殿へ足を伸ばす。ご滞在中のお父上に今朝の次代様、親御様のご様子を伝え、ご不便がないかなどを伺い、下がる。
それからもう一度奥宮へ戻り、侍女たちに色々と伝えなければならないことを伝える。
奥宮のごく前の部分、前の宮とつながるところに侍女たちが支度を整えたり待機したりする大きな部屋がある。その他の場所に個々に待機場所や支度部屋などはあるが、ここがそのための大元の部屋にあたる。そこでそれぞれの部所の責任者、その時必要な者に
それからこれは今回だけの、今だけのことではあるが、故あってマユリア、ラーラ様、シャンタル付き侍女のネイとタリアが少し場所を離れていることを伝える。侍女たちの間にざわめきが起こるが気に留めない。そしてその代わりにミーヤがしばらくの間シャンタル付きになることも伝える。一層のざわめきが起こるが「マユリアの勅命」と一括で黙らせ、残りの細かいことを申し伝えて伝達を終える。
他にもまだやらねばならぬことがあるが、今日はまず第一にやることがある。トーヤに黒い棺を見せなければならない。
いくら疲れていてもいくら時間がなくてもこれだけは自分でやらねばならない。自分以外にできる人間はいない。
時刻はもう昼前になっている。シャンタルの朝食に大層時間がかかったからだ。だがその分の実りはあった。ミーヤに簡単にとれる食事を持っていくように食事係に指示はしたが、自分は何も食べずに動いている。
前の宮に戻りトーヤに与えられている部屋へと足を向ける。
扉の前に立つと足が止まった。
キリエはトーヤを信じていた。
初めはどこの馬の骨とも分からぬならず者と心のどこかで忌み嫌っていた。そんな者がこの宮の中にいると思うだけで不愉快であった。
だが、監視を付け、警戒しながらも短からぬ時間を接していくうち、自分の偏見を超えて誠実な人間であると知り、自分自身も救われることとなり、気づけばそれなりに好感を抱き信頼するようになっていた。
そのトーヤにあのようなひどい言葉を吐かせてしまったこと、そのことがキリエの胸を痛める一因となっていた。
おそらくトーヤはシャンタルを助けたいと心の底では思っている。ミーヤも言っていたが自分もそう信じていた。それと同時に、やはりシャンタルが心を開かぬ時には見捨てる覚悟であるとも確信していた。その覚悟を貫くため、どれほどつらくてもあの男は目の前で沈んでいくシャンタルの棺をじっと静かに、自分も苦痛を感じながら見届けるであろうとそう確信していた。そういう人間だ。
(ある意味あの男は自分と似ている)
そう考えてキリエはため息をついた。
それだけに沈む棺を血の涙を流しながらもじっと見つめているだろう場面が想像できる。
(そんなことをさせてはいけない)
シャンタルの
キリエは一度大きく息を吸って吐くと、いつもの侍女頭の顔に戻って扉を叩いた。
中から弱く返事があり、扉を開けて中に入る。
トーヤはまだソファの上に仰向きに寝そべったままであった。
「どうしました?」
いつもの侍女頭の顔で聞く。
聞かれたトーヤは苦笑をした。
「あんたは変わんねえなあ、何があっても……だからまあ信用できるんだが」
「ほめられているのですかね?」
ソファに近寄るが動く気配がない。
「なあ、なんかあったか?」
「え?」
「あいつだよ、シャンタル」
キリエは答えずトーヤの言葉の続きを待つ。
「ちょっと変なことがあってな、そんでこのざまだ……体に力が入らねえ。なんかあっただろ?」
トーヤは確信しているようだった。
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