10 暦
「ですからラーラ様をこちらに、前の宮のどこかにお連れします」
「分かった」
「すぐにというわけにはいきません」
「分かった」
「準備ができたら連絡します。それまでは、あなたもあなたのなすべきことをやっておいてください」
「分かった、そうするよ」
トーヤは振り返って扉のところまで進むと、ふと振り返ってこう言った。
「あんた、きれいになったよ」
にっかりと笑って扉を出ていくトーヤを驚いて見送ってから、キリエは楽しそうに声を上げて笑った。
さて、いつラーラ様に会えるか。会えたとして連れ出してくれる可能性は低そうだが何もやらないよりはましだ、そう思いながらトーヤは自室へと戻った。
部屋はもう冬の早い日暮れを迎えて薄暗くなろうとしていた。
トーヤがこの国の海岸に打ち上げられたのは夏も半ばを過ぎた頃、それからすでに
しばらくするとミーヤが部屋の灯りをつけに入ってきた。
「おかえりなさい。もうすっかり暗くなってしまいますね。本当に冬の日が落ちるのは早いです」
「そうだな。そうか、もうすぐ今年も終わるか……」
トーヤは両手を頭の後ろに当てて椅子の背にもたれると、うーんと背筋を伸ばした。
「俺ももうすぐ18になっちまうか」
「お誕生日が近いんですか?」
「ああ、12月30日、一年の終わりの日だ」
「まあ、私は1月1日です」
「そうなのかよ、じゃあ2日違いだな」
暦にすると並びそうな日だが、この間には年が変わる「新年の日」が数字を持たずに存在する。
季節と季節の間、冬と春の変わり目の2月30日と3月1日の間に「春の日」、5月と6月の間に「夏の日」、8月と9月の間に「秋の日」、そして11月と12月の間に「冬の日」の4つの「季節の日」がある。それに「新年の日」を入れた5日と、各月30日の12ヶ月、合わせて365日で1年になる。4年に一度の閏年には「春の日」が2日になる。
各月はそれぞれ10日ずつ「上旬」「中旬」「下旬」の3つに分かれている。
例えば2月21日は「2月の下の1日」という言い方をしたりもする。働くものたちは各旬に1日仕事休みの日を設けるものが多い。「毎旬5日は定休日」のように店の休みを表したりする。
そして驚いたことに、アルディナの神域とシャンタルの神域では言葉や文字だけではなく暦まで一緒であった。言葉や文字だけではなく暦も神の世界のものを使っているのかも知れない。
「ミーヤが、あんたじゃなくあっちのミーヤな? それが言ってたんだよ、俺の母親が文句言ってたってな」
「文句ですか」
「うん。俺がそんな年末の忙しい日に生まれたってな」
「あら」
ミーヤがくすっと笑った。
「新年の日なんてお祝い気分で客がいっぱいの一年で一番の稼ぎ時に仕事をさせてくれなかった、この子は将来すごいヤキモチ焼きか、逆に女泣かせかのどっちかになるに違いない。そう言ってぼやいてたらしい」
「まあ、それはなんて言っていいのかしら……」
「笑ってくれていいんだよ」
トーヤがそう言ってミーヤも笑った。
この場合の仕事が何を意味しているかは分かる。それでもトーヤの母親はそうして精一杯生きてきたのだ。
「ミーヤはな、俺が2歳だったかな、そのぐらいの時に母親がいた店に売られてきたんだ。まだ10歳だったって」
「そんな幼いうちにそんな……」
「もちろんガキにそんな仕事すぐにやらせるわけにはいかねえ、しばらくはお姉さん方に付いて色々勉強するんだ。フェイがあんたに付いてたようにな。まあ仕事の内容は全然違うがそんな感じだ」
トーヤがそんな話をするのは初めてだった。今までは母親のこともあちらのミーヤのことも隠すようにしていたので話せなかったのだろう。
「店に売られてきた頃は泣いてばっかりいたって。そりゃそうだろう。親から引き離されてさびしい悲しい、そしてこれからの自分を思うと怖いつらい、そんな小さな子が泣くのは全然不思議じゃねえ。でもな、それまでの子もずっとそんな感じなんで誰も気にもとめない、そのうち慣れるとほっぽっとかれたらしい」
「まあ……」
ミーヤは言葉がなかった。
自分も宮に来てこれから先もう二度と故郷に戻ることはない、そう思うと辛くさびしく悲しかった。
だがそれは自分が望んでしたことだ。本当に叶うとは思ってもいなかったが、宮の侍女になるのは夢でもあった。だからこそ、そのさびしさにも耐えられたが、そのような商売に売られて来るなどどのような気持ちであるのか。
「そんな時にな、うちの母親が名前をつけてやるって言ってきたんだそうだ」
「名前って、どうして」
「
「そうなのですか」
「ああ。本当の名前は俺も知らない。今日からあんたの名前はミーヤだ、ほら、うちの息子と似てるだろう? おそろいだよ、そう言ってその日からあいつはミーヤになったらしい」
「そうだったのですね……」
「なんとなく言いにくかったんだ。そういう商売するための名前だったからな。あんたのは、多分あんたのおじいさんとか親とかそんな人が幸せになるように、そう思って考えてつけた名前なんだろうが、あっちのはまあ違うからな」
そう言ってトーヤが少しさびしそうに笑った。
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