サン

水原麻以

サン

これは青年サンの物語である。

我々の多くが平凡で同じ位置に固定され、社会の歯車にナビゲーションされ、絶対多数の幸福というメニューに含まれている。しかし、サンは少し違う人生を歩んだ。

ある日突然、彼は異世界から訪問者に対して自分のことを説明する羽目になった。

つまり、彼の日記に自己紹介ページを作成する必要が生じた。これは一般的ではない。たとえば以下のようなものだ。

はじめまして。昼間はバイク便のメッセンジャーとして働いていますが、俳優志望でもあります。これは僕の日記です。ロサンゼルスに住み、ジャックという名前のかわいい犬を飼っています。好きなものはピニャコラーダ (通り雨に濡れるのも) 。

ロサンゼルスの平凡な荷役サン・カルロはよくある不法移民の二世に生まれ、両親が強制送還される憂き目にあった。彼は米国語しか喋れなかったため救世軍の施設に収容され、貧しい少年時代を過ごした。

そして彼は爪に火を点すような苦労を重ねて運転免許証とバイクを手に入れた。これもまたよくある境遇だ。そして、つまらないチラシを積んで無限の可能性をくだらない大義へ堕落させるのだ。

彼が運ぶゴミくず一枚はこうだ。

XYZ 小道具株式会社は1971年の創立以来、高品質の小道具を皆様にご提供させていただいています。ゴッサム・シティに所在する当社では2,000名以上の社員が働いており、様々な形で地域のコミュニティへ貢献しています。

陳腐で何の面白みもない会社案内。デスクに山積され読まれずに裁断される。まったく資源の無駄というしかない。その滞貨にサン・カルロの生涯も含まれているのだ。

しかし、ここに新しい要素が加わった。異世界から来た闖入者が腐った人生のページを削除し、独自のコンテンツを含む新しいページを作成したのだ。

「人生を楽しんでいますか? サン・カルロ」

翼の生えた少女が赤信号で横断したと思いきや、彼のバイクに接触した。

とっさに車体を傾けたが、カルロは後続車に跳ね飛ばされてしまった。

薄れていく意識の中でカルロはジャックのことを気遣った。エサは誰がやるのだろう。ジャックは処分場から引き取った犬で人間不信が根深い。カルロ以外の誰に心を開くというのだろう。「僕は俳優になる夢がある。仕事がある。それで十分だ」

「サン、XYZ小道具株式会社はブラック企業です。過労死したいのですか。復讐したくないですか」

「むしろ君こそ社会常識を復習すべきだ」

「それでは、お楽しみください !」

翼の生えた少女はカルロの心配などお構いなしに転生の手続きをすすめた。

「僕は俳優を続けたい。復讐はエンジェル、貴女が勝手にやれ。いや僕がエンジェルに復讐してやる」

「そうですか ! では、お楽しみに ! 」

カルロは命じられていた仕事を終えた。

その日、カルロは夢をみた。

『“転生”を楽しむ者に夢を見せ』

彼はそう信じていた。

彼女の夢は物語のように思えた。XYZ 小道具株式会社は確かにペーパーレス社会に逆行する悪辣企業であろう。カーボンオフセットを声高に叫び不法移民に『正当な』地位を求める正義感は不遇な荷役に平凡な敵愾心を期待した。サン・カルロは刺客の必要十分条件を満たす。

――ところが彼はまっこと役者であった。軽やかな受け身で自動車をいなし無傷なままエンジェルの誘いにも乗ってみせた。サンにジャパニーズノベルの知識はないが輪廻の思想は過去に演じた主題にあった。これらの計算を素早く済ませ、着地と同時に作戦を実行した。

「あれっ…あれっ?」

手続き失敗を連発するエンジェルを背後から組み伏せ人差し指を骨折させた。サンに物理的作用を加えるべく仮初の肉体を顕現した少女はそのまま御用となった。取調室の除き穴からやつれ切った顔を垣間見た。面識がないかと刑事に何度も念を押されサンは否定した。容疑者は極遠紫外線ユーブイダブル社従業員という肩書があった。これもまた不本意に加筆された人生だろう。サンはLAPDから渡された押収品を紐解きながら理解した。

「無意味で無慈悲で無味乾燥な文芸ですね」

サンは関心なさそうに頁を閉じた。UWVが携行殺菌灯のダンピングを巡って小道具会社と係争している事実など全く興味の対象外だ。警察署の裏にはジャックを抱いた女が迎えに来ていた。ピニャコラーダは今日も路面を濡らす。

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サン 水原麻以 @maimizuhara

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