水の無い井戸で洗ったのなら




 ひと針、ひと針、心を込めて針を通してく。




 どうか、あの人が笑顔でこれからの道を進めますように。




 どうか、あの人が悔やむことなく選んだものに胸を張れますように。




 どうか、あの人が紡いできた思い出を零すことなく、きらきらとした色で彩ることができますように。




 たくさんの想いが夜空の星のように幾千と込められていく。




私の生まれた意味。それは抗うことの出来ない運命に囚われてしまったあの人を、僅かでも希望を掴めるように手助けをするため。あの人の運命は闘争と混沌の歯車。なぜあの人がそんな運命を背負わされてしまったのかはわからない。星の意思なのか、神様の意思なのか、私にそれを知る術はない。




私に出来ることは、襲い来る運命の波紋からあの人が呑み込まれることがないように全身全霊で守り通すこと。




 今、こうして人の形でいられるのは奇跡といえる。だけど、人の形ではあの人の傍にいることはできても、守ることは出来ない。




 もしもあの人の背負わされた運命が再び襲ってくる日が来たら、言葉を、想いを、思い出を、交差させることが出来なくなってしまうだろう。それはとても悲しいことだと思う。




 あの人が傷ついて私を置いていった日。




 守ってあげられなくてごめんなさいと謝りたかった。




 もう一度あの人の傍にいたいと願った。




 会いに行きたいと心が騒いだ。




 そして聖槍グリフィリーベは、『リフィ』という人格と人の形を得た。






×××××






 私は信じられなかった。




 自分の意思がある。手足がある。人の形がある。




 薄暗い石造りの部屋で目覚めた私は、背後にあるガラスケースに映る自分の姿を見た。金色のふわりとした柔らかい髪に、海の様な深い青色の瞳。丸裸の身体に深紅の布を肩からかけていた。




 「クラ、ロス……」




 クラロスに会いたい。会いに行かないと。




 天窓から差し込む月光を頼りに薄暗い建物の中を進んで行く。




 ―――くしゅんっ。




 裸に布1枚では少し寒い。何か着られそうなものはないだろうか。




 道は一本しかなく、ただ前を進むのみ。しばらく歩き続けると、上へとあがる階段を見つけた。その階段の先は栄皇教会の寝殿で、高い天井と壁に不思議な絵が描かれた大広間へと出た。




 人の気配は無く、大広間のあちこちにいくつか扉があった。一番大きな扉はきっと外へ繋がっている。




 ―――くしゅんっ。




 このままでは寒さで凍えてしまう。




 私は扉をしらみつぶしに開けて服を探した。3つ目の扉を開けると、衣装室だった。そこには儀礼用の衣装が保管されており、大小様々なサイズの服があった。その中で比較的装飾が地味な白色のワンピースと靴を借りることにした。




 ワンピースだけでは少し肌寒い。だけど他の衣装は少し派手だったので、深紅の布をマフラー代わりに巻くことにした。この格好なら外を歩いても怪しまれることはないだろう。




 寝殿を出ると大きな庭が広がっていた。よく整えられた大きな庭にいくつか聖堂らしき建物が配置されており、それぞれの入口前に警備の人間が立っていた。ここで見つかってしまえばクラロスに会うことが出来なくなってしまう。




 姿勢を低くして、草木の間から様子を伺いながら庭の隅へと急ぐ。出口に向かわないのは、ここからは見えないが、警備を配置してあるだろうと予測したからだ。




 庭の端は、身の丈の3倍くらいの高さの塀で囲われている。運よくその塀を超えれそうな木を見つけた。ちょっと怖いが低そうな木から登り、枝を渡って塀に近い木へと移る。




 「こ、怖い」




 いざ高いところに立ってみると地面に吸い込まれそうで怖かった。




 勇気を出して、塀へ跳ぶ。




 なんとか飛び移ることに成功した。胸の鼓動が早くなっている。




 どうにかして塀から降りられないか周囲を見渡すと、地面を照らす灯がついた柱が規則的に並んでいた。少しだけ塀の上を歩き、灯の柱を使って降りることが出来た。




 「クラロス―――っ」




 早く会いたい。気持ちだけが焦る。




 クラロスの居場所はなんとなくわかった。方角は南、教会からかなり離れた場所に気配を感じる。




 移動手段はいくつか心当たりがある。




 聖槍グリフィリーベとしてクラロスと旅をしていた中で、行商人という街から街へ荷物を運ぶ人間の荷車に乗せてもらったことがある。代金を払えば荷車に掲げてある荷物の行き先まで乗せてもらうことが出来た。街を移動する時は行商人に乗せてもらうのが移動手段の一つである。




 私は荷車の停留所に向かい、人がいない荷車の中を見ていった。




 『ルイン行 フレック酒問屋宛』




 クラロスとの旅を思い出して頭の中に地図を思い浮かべる。私が今いる町は帝都だ。そこから南に行くにはレイス、ニオリス、ルインのどれかがクラロスの居場所だ。一か八か、ルイン行の荷車に忍び込んだ。




 「クラロス……早く会いに行きたい……」




 私は荷物と荷物の間に挟まり、朝を待つうちに眠り込んでいた。










 目を覚ますと体が揺れていた。無事帝都から抜け出すことができたようだ。クラロスの気配がかなり近い。どうやらこの荷車の行き先で正しかった。




 ほっ、と安堵の息をつく。




 違う街に行ってしまったら、また荷車に忍びこまなければならない。今回はたまたま運よく見つからなかったものの、見つかってしまえば警戒されて忍び込むこと自体ができなくなってしまう。




 ―――とても心細い。




 聖槍グリフィリーベが生まれたその日から、クラロスとは片時も離れたことが無かった。離れたとしても精々数メートル。いつでもクラロスを守ることのできる距離。いつでもクラロスが私を使ってくれる距離。




 その距離がとても遠い。




 どうしてクラロスは私を置いて、離れて行ってしまったのだろう。




 守れなかったから?


 嫌いになってしまったから?




 私は人の形を得た。槍ではない姿でクラロスに会ってどうするつもりだ。きっと私であることをクラロスは気付かない。




 そう考えると、とても怖くなった。


 また拒絶されたらどうしよう。要らないって言われたらどうしよう。




 クラロスはそんな人ではないと理解している。だけど、一度手放された事実が私の胸を締め付ける。




 会いたい……。




 「会いたいよ……クラロス……」




 涙が溢れだした。人の形というのは心の揺れ方ひとつで体に現れる。涙を止めたいのに私の意志では止まってくれない。私の静かな哀哭は車輪が転がる音と共に消える。










 ひとしきり泣いて落ち着きを取り戻した。




 荷車の揺れ方が穏やかになったのを感じた。外を覗いてみると地面は土から石畳に変わっており、人の声があちこちから聞こえる。




 恐らくルインに着いたのだろう。クラロスの気配がとても近くに感じられる。




 荷車が停止するタイミングを見計らう。素早く降りなければ行商人に見つかってしまう。緊張が走る。降りることも、降りた後のことも、考えると胸が張り裂けそうだった。




 ―――止まった!




 荷車から飛び降り、すぐ近くの建物の陰に身を隠す。




 少し待ってから隠れるのをやめて、石畳の街路へ身を晒す。




 恐る恐る荷車の方を見てみると、行商人は特に気に留めることなく荷下ろしを始めている。どうやら無事に見つかることなく降りられたらしい。




 クラロスの気配がすぐ傍に感じる。




 ―――どこ……? どこにいるの……?




 気配は感じられても、細かい位置までは分からない。走って、走って、クラロスの姿を追い求める。




 誰かに呼び止められた気がした。だけどクラロスではない。




 クラロスに似た後ろ姿の人がいた。気配そのものが違った。




 石畳の舗装が欠けている部分に躓いて地面に倒れてしまう。軽く擦りむいたものの、血は出ていない。少し痛いけど、涙が滲んできたけれど、立ち上がってクラロスに会いたい一心で再び走る。




 走る、走る、走る。




 ―――見つけ、た。




 焼けた小麦のような茶色の髪、優しくも力強い気配。間違いなくクラロスだ。




 一人で歩くクラロスの後を見つからないように追う。腕に紙袋を抱えている。買い物の帰り道なのだろうか。




 会いたい人が手の届く距離にいる。嬉しいのと、愛おしいのと、悲しいのと、緊張と。人の形を得て、様々な感情がぐちゃぐちゃにかき混ぜられて全て吐き出してしまいたい。




 クラロスが扉の向こうへ消える。




 会いに行くなら今しかない。




 怖い。会いたい。




 小さな、ほんの一握りの勇気を。


 会いたい気持ちが全て勇気に変わる。勇気が一歩、また一歩と。




 ―――コンコンコン。






×××××






 「―――できた……!!」




 私の手には完成したカンブリック生地の1枚の白いシャツが握られている。サアラの店で作り方を教わって数日、初めての縫物で苦戦はしたがなかなか出来栄えのものが作れて大満足だ。




 「おおー! 完成まで結構早かったですね! おっとりしている割に器用ですから店に出しても問題ないクオリティで感動しましたよ」




 私の傍に立って見ていたサアラは完成したシャツを手に取り、不備が無いか確認するように裏返したり、軽く引っ張ったりする。一通り確認をして、「うん」と頷いてから私にシャツを返してくれた。




 「サアラの教え方が丁寧だったから。ありがとうサアラ」




 「いえいえ~! 恋する女の子の背中を押してあげるのもブティックの腕の見せどころですよ!」




 「これもお店の仕事?」




 「そうですよ~? と、言いたいところですがこれは特別サービスです! 他の人には内緒ですよ~?」




 人差し指を唇に当てて内緒の表情。活発なサアラによく似合っている。




 「どうしてそこまで私に良くしてくれるの?」




 座ったままサアラに尋ねる。




 支払った代金は生地と必要な裁縫道具の分だけだ。サービスと言ってもかかった時間と労力に見合った対価ではないのは私でも分かる。




 そんな疑問にサアラは私の頭をくしゃくしゃと撫でて、




 「んもう~リフィちゃんは可愛いなぁ~! 理由なんてそれだけで十分ですよ~! 今からでもうちの子になりませんか~?」




 「むむむ、嬉しいけど私はクラロスと一緒がいい」




 「残念です、フラれちゃいました~。あ、ラッピングにも挑戦してみますか? しますよね!」




 物凄い剣幕でサアラが迫ってくる。なし崩し的に頷き、ラッピング台へと手を引かれる。




 「せっかく手作りのプレゼントなんですし、どうせならラッピングも自分でするほうが心のこもり具合が断然変わってきますよ? 使いたい色とかありますか?」




 いくつかの包装紙とリボンを見せてくれる。




 私は1枚1枚見比べて、一つの包装紙に目がとまった。




 「この焦げ茶色のがいい」




 「なかなか渋いチョイスですね。あー、でも、うん。さすがリフィちゃんですね、クラロスさんにピッタリな色です! この包装紙ならリボンは……これなんかどうですか?」




 サアラが包装紙に当てがったのは、レースの入った純白のリボン。うん。さすがサアラだ、よく分かってる。意図的ではないだろうが、焦げ茶色の紙はクラロス、白色のリボンはクラロスが背負う聖槍グリフィリーベをイメージさせる。




 「すごくいい。サアラはクラロスをよく見てる」




 そう言うとサアラは困ったような表情をみせて、




 「なはは~! そんなことないですよ~! ささ、ラッピングをやっちゃいますよ。私がお手本を見せるので、よく見ておいてくださいよ~」




 なにかを誤魔化すように空箱を用意してラッピングの準備をする。




 きっとこの人もソフィアと同じようにクラロスを想ってくれる人なのだと思った。それが恋なのか、別の感情なのかは私には分からない。ひとつ言えるのは、クラロスはたくさんの人に愛されているということだ。




 クラロスはリューレとカルムの死を誰も悲しんでいないと思っている。




 それは違う。もしクラロスが、死んでしまったら……、少なくともソフィアとサアラは悲しんでくれる。私だって悲しいし、絶対に嫌だ。でも、それと同じようにリューレやカルムにも思いを寄せている人がいたはずだ。




 全ての人がそうじゃなくても、絆を紡いだ人たちは想いを忘れたりはしない。人と人の絆はそういうものなのだと実感した。




 「こんな感じです。次はリフィちゃんがやってみましょう!」




 サアラは丁寧に包み方とリボンの結び方を教えてくれた。そのおかげで間違えることなくラッピングをすることができた。




 「まさかラッピングも一発で終わらせるとは……。うちの店に就職する気はないですか?」




 「お金に困ったら考える」




 「リフィちゃんを落とすには難攻不落ですね……。そのプレゼントをいつ渡すかは決まってるんですか?」




 「決めてない。早く渡したいと思ってるいからすぐに渡す」




 「リフィちゃんは行動派乙女ですね~」




 クルクル~とサアラが練習用に包装した箱を回して棚の奥へ投げる。バコンと埃と一緒に軽快な音が鳴る。




 「さてと! リフィちゃんの恋、成就するといいですね! 私は応援し―――」




 空気が変わった。


 クラロスほど鋭敏ではないが、敵意のある大きな塊がこちらに近づいてくるのを感じる。その気配を感じた後すぐに、店の外から警鐘が響く音が聞こえる。




 「警鐘2回……続いて3回……。確かこれって……!? リフィちゃん、急いでクラロスさんの家に帰ってください! 緊急退避の知らせです、ルインは危険になります」




 「でもサアラは?」




 「私は両親と逃げる準備をします。大丈夫です、クラロスさんなら何がなんでもリフィちゃんを守ってくれますよ」




 嫌な気配がとても近い。私が感じてしまうほどの気配。それはクラロスが戦ってボロボロになった奴とは桁違いの強さを表す。クラロスが気づかないはずがない。




 私はプレゼントを抱えて店を飛び出した。




 とても嫌な予感がする。




 戦えないと分かっていても、守りたいものの為に何をしてでも守ろうとする。クラロスは肩書なんて無くても勇者で在り続ける。




 強大な気配のせいでクラロスの居場所を感じ取ることが出来ない。今の私に出来るのは走って家に戻ること。そして、クラロスに戦わず一緒に逃げることを説得すること。




 もうクラロスは家を飛び出しているかもしれない。それでもまだ、家にいてくれていることを祈って私は走る。




 「リフィちゃんっ!!」




 あと少しで家に着こうとした時、正面からソフィアが大きな声で呼び止めた。




 「ソフィア! どうしてここに!?」




 「さっきまでクラロスくんの家に……。リフィちゃんを頼むって―――」




 「ごめんソフィア、これ持ってて」




 ソフィアの言葉を遮るように持っていたプレゼントを押し預けた。そして踵を返し、私は村の南出口へと走り出す。




 「リフィちゃんダメ!! 待って!!」




 私はソフィアの制止を振り切ってまっすぐ走る。




 (ごめんねソフィア……。でも、今はダメなの。この気配は、この気配だけはクラロス一人でどうにかすることはできない。私が行かないとダメなの)




 願うはクラロスの無事。聖槍の少女は決意を胸に主の元へ向かう。






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