過去の呪縛

べる

ナミダ

涙が止まらなかった。

「人は父親が死んだら泣くものだよ。」

太宰のその言葉の後から涙があふれて止まらない。だからといって、院長先生が僕にとって父親のような存在だったのかと訊かれると違うと答える。そもそも父親というものがどういうものなのか敦には分からなかった。しかし、さっきまで目の前にいた父子おやこ連れのように子を優しく見守り、導くのが父親なのだとしたらあの人は決して自分の父親などではない。父親などとは認めたくなかった。院長先生がどんな意図を持っていたとしてもあの時確かに辛かったのだ。苦しかったのだ。


ならこの涙は何だ。何故僕は泣いている。

ショック、懼れ、喜び、安堵、悲しみ。敦は自分の中に渦巻く感情の中に溺れかけていた。


 院長先生の想いを知り、あの地獄が僕を正しく育てたと言われて戸惑った。それでもあの時確かに苦しんでいた自分がいたのだ。過去の自分を無かったことになんてできない。

「許す必要などないよ」

太宰のその言葉に少し救われていた。何を知っても許せない、ずっと過去にとらわれ続ける自分を認めてもらえているようで。太宰の言うように許すことは出来ないし、辛く苦しかった過去は消えない。でも、その苦痛を知る人間として鏡花ちゃんやたくさんの人を救えたのなら。あの時苦しんでいた自分は無駄では無かったのだろうか。院長先生の想いを知ったことが良かったのかどうか分からない。善悪の区別無く、現実は押し寄せてくる。どちらにせよ、あの人はこれからも僕の中で呪いの言葉を吐き続けるだろう。


 顔を上げると、日が暮れかかっており、人はまばらになっていた。まだ少し混乱した感情を抱えたまましばらく海を見つめた。

「帰ろう。」

探偵社に。鏡花ちゃんの待つ家に。なんだかみんなに会いたくなった。


涙の意味は分からなかった。自分の感情が分からないのは不思議な感覚だった。しかし、それでいいのではないかと思えた。


父子おやこ連れのいなくなった広場に少し寂しさを感じたのは何故だったのだろうか。―

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

過去の呪縛 べる @bell_sasami

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ