やまいだれの争奪戦。「ち」という字に付いた方が平和なのかそれとも?

水原麻以

コロナ天国で自由を満喫!

「おいコラ、お前!」「お前とは何だ」

明治時代でもあるまいに街中で通行人が哲学を熱く語り合ってる。片方は相手のマスク非着用を指摘し、もう一方は相手の実存を問う。対話が破綻しているとみるや、彼らは理性を放棄し肉体言語による意思疎通を試みた。たちまち人だかりができ、警官が飛んでくる。

マスク警察、自粛警察、マスク警察の警察。日本の警官密度は世界一ではなかろうか。松戸菜園まつどさいえん博士はワイドショーを観ながら考えた。

常磐線の松戸駅からほど近い相模台の広大な敷地。そこに彼の研究所がある。

松戸菜園テスト研究所。何を研究しているか庶民には皆目わからない。しかし地味に暮らしを支える物凄い特許料パテントで儲けているようだ。敷地内には私有の戦闘機まで配備されている。NASAかよ。

その通用門に黒塗りの高級車が横付けした。屈強なSPが人垣を作り嗅覚鋭いネット記者を遠ざける。予め私服警官が松戸市民に扮して界隈から部外者を排除しているが念には念を入れようだ。応接室では例によって泣き言が始まっている。

「儂はドラえもんではないのだが」

平身低頭する政府高官を前に横柄な松戸節を鳴らす博士である。今回の要望はずばり例の伝染病で生じた亀裂の修復だ。他人の健康状態を気遣うどころか殺意を込めて責め立てる風潮が内戦の機運を醸造している。

「もはや融和などという良識に期待する処置はぬるい。分断の接着剤を」

内閣府汎用問題担当本部審議官こと小鞠幕太こまりまくたが懇願する。

「そうはいっても」

博士の推論によればナントカ警察とタダの風邪勢は数論的に別個の群を形成しており単純に二項演算できないというのだ。例えば前者は健康×予防、後者は経済×予防となる。

「ナントカ警察とタダの風邪は『ガン無視』⇔『アウトオブ眼中』という変換が出来ないというのですか?先生」

小鞠もしつこい。

「全単射でないから対称群とは言えないのだよ。ナントカ警察でも時短営業しなくてよい派がおると観測されている。逆写像の逆元を取ることが出来ん」


博士が匙を投げると秒で金の延べ棒が打ち返した。具体的には審議官が指を鳴らすと部下のジュラルミンケースが開いた。機密費の現物が輝いている。

「そういえば講堂のオーディオ端子を金メッキしなおさんといかんのう」

博士は他人事のように呟き、ひょいッと白衣の内懐にしまい込んだ。

「松戸先生!!」

小鞠の眼がしらが滝になる。

「え? いや。このままでは講演に支障を来すと言っておるのじゃ。業務連絡じゃ。で、修理業者でない君は何をしに来たのかね?」

博士は内閣の使者をさっさと追い出した。

「先生ェー」

公用車のシートが男涙で濡れていた。


● 松戸菜園交心技研株式会社マツリックスの新製品!

マツリックス【JASDAK 4989:松戸菜園社長】はパソコン、スマホから仮想現実まで端末に依存せず新生活様式ニューノーマルな日常会話をリモートで出来る「コロナ天国」の実証実験を開始した。それに伴い関連企業の松戸菜園テスト研究所では全従業員に「コロナ御免」を言い渡した。

つまり敷地内外を問わずマスク警察が感染予防に関して話したり逆に「コロナはタダの風邪」を禁句にしたのである。

新型コロナの話題を含めて会話は全てリモート端末でコロナ天国を経由せねばならない。

「博士、そんなことで新型コロナウィルスから人類を救えるんですか!」

オンライン記者に博士は怒りのフリップボードを書き殴った。

『コロナ天国からアクセスせぇ!』

そしてQRコードがどぉんと画面に被る。

「ついにマスク警察から解放されたぞ!」

「ほら見ろ。やっぱりただの風邪だった」

アレルギー持ちや眼鏡ユーザーは不織布マスクを次々と投げ捨てた。

そうだ、彼らはついに二文字警察の弾圧に打ち勝ったのだ。

しかし、どやどやっと天使のコスプレ集団に取り囲まれた。

「コロナ天国よぉ~ん」

全員がフリップボードを振りかざして迫りくる。寸足らずのスカートから三段フリルが見え隠れしている。その衣装の悪趣味さから松戸菜園のさしがねである事は間違いない。

「な、何なんだ?」

自由闊達な空気に暗雲が垂れ込めた。男たちはQRコードを突き付けられ専用アプリのインストールを強制された。

マスク警察もコロナ天使軍には勝てなかった。

『以後、コロナ対策に関する言動は禁止します』

マスクもせずに乱入してきた女子に男たちはざわつく。

「飛沫が飛ぶだろう!」「寄る!密になるな!」

警官たちは防護服姿、右手にアルコール噴射銃、左手に体温計ソードといった完全武装で対抗する。

しかし「はいはい~クラウドのコロナ天国に逝ってください~」とガラス張りの部屋に追い立てられてしまった。そこはカタカナのコの字型をした元禁煙スペースで専用端末が置いてあり、入り口に平仮名のこに斜線をあしらったシールが貼ってある。


壁の掲示にはこうある。


マスク警察だろうがコロナはただの風邪であろうがコロナ天国では本音で話すことができます。

布マスクは意味がないと思うならそう主張してかまいません。

自粛より経済を回せと叫ぶのも自由です。

新型コロナウイルスが人種や性別を忖度しないように、個人の衛生観念など本人のスキルや業務とは全く関係ないのです。

コロナのことはコロナ天国にお任せください。

ニューノーマルの平和な日常を!

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