第5話


 EP.4


 

 冷え込んだ夜が明けた。



 2021年 2月5日

 


 真乃は仕事を休んだ。

 


 今日の僕の目にうつる雲はゆっくりと時間をかけて一枚の窓を横断した。

 

 何度も体験しているはずの真乃のいない日は、

 どこか沸かしたての湯船から湯気が立っていないような不思議な感覚がある。

 

 昨日のことも相まって、少し落ち着かずとも、日々の雲の撮影・投稿を行い、

 私さんからのコメントを待った。

 

 届くかもわからない不確定なもので寂しさを埋めようとする自分がダサい。

 


 

 ――ピロンッ――

 

 通知音が鳴る。

 携帯の画面に目を向けた。


  

 「今日の雲はとても遅いですね。」

 


 私さんからのコメントだった。 


 僕は少しほっとして、すぐに返信を送る。

 

 

 「僕も遅いと思っていました。」

 

 

 インターバルもなく送られてきた返信は、

 二日続けてその日の雲の動向を話すだけの会話を一転させた。

 

 

 「私はもう、翔び立つことができません。」

 

 「どういうことですか?昨日の翼の話?」


 昨日届いた返信は、

 「翼があればどこへでも飛んでいけるのに。」

 どこか私さんからのメッセージ性を感じていた。

 

 「羽が無ければ、私は何もできないんです。」


 「やっぱり、鳥になりたいってことですか?」


 「あなたが雲を見ている目的はなんですか?」


 質問に質問で返される。

 まるで僕の話を聞いていない。

 

 いや。昨日と同じ質問をしてしまったからだと思い、僕は答えた。


 「正直、雲を見る目的は特にはないです。ただ、雲を見ることだけが

  僕が許される行動だからです。かね?」


 「なら、雲に感謝しているというのは?」


 「雲のおかげである人と話すことができるようになったので。」


 「雲はたぶん、何も返答してくれないと思います。」


 「それは現実的な話ですか?」


 少し不可解な内容に困惑しながらも、僕は私さんと話し続けた。

 そして僕の頭は次の返信で完全に混乱した。


 

 「羽がほしい――」


 

 ここまで話して、私さんが冗談を言ってるとは思えない。

 それでも、私さんの中にある何かを引き出すことはできなかった。


 僕は返信するのをやめて、画面を閉じた。


 




 午後、様子を見に来た相澤さんに相談した。

 

 「なにこれ。まぁ冗談で言ってるわけではなさそうだけどね。

  冗談にしては話長いし、真剣さがある。」


 「僕も冗談だとは思えなくて。」

 

 相澤さんは目を細め、眉間にしわを寄せて、自信がないような声色で口を開いた。

 

 「飛ぶと翔ぶにしても漢字が違うから、きっとこれも意味があるんだろうね。

  羽って小さい鳥とかについてるものってイメージがあるじゃない?

  だから、、、」

 

 と言ったまま、相澤さんは固まった。表情にも困惑の色が目立つ。

 そして小声で話しだした。



 「羽と翼って何が違うんだろ。大きさとか?

  まぁたしかにイメージとしては翼の方が大きそうではあるよね。

  でも、なんで二つに分けてんの。きっとこれも理由があるんだよね。

  羽。羽。羽ねぇ。私も欲しいわ。飛んでみたいもん。

  いやそういうことじゃないんよ。私の話じゃないから。」


 

 僕は、一人ブツブツ話す相澤さんに、また違う恐怖を覚えた。

 机を二回叩き、相澤さんを引き戻す。

 肩をビクッと震わせ、僕の方を向いた。

 

 「ごめんね。やっぱ私って怖いのかもしれないね。」


 と、また一人ケタケタと笑い始める。

 笑気から解放され、呼吸を落ち着かせ、話し始めた。


 「やっぱだめだわ。全然わかんない。

  数年先の私になら答え出せると思う。わかんないけど。」


 相澤さんの素の一面が見れて良かったと思いつつも、

 以前の真剣な姿が、無性に恋しくなる時が、早くも訪れた。

 

 結局のところ、相澤さんにも答えを紐解くことはできずに終わった。

 

 



 -----------

 

 光が差し込んだ病室は、雰囲気を変え、赤みがかかり始める。

 


 私さんへの返信に頭を悩ませ、時間はどんどんと過ぎた。

 


 昔の話。昔と言っても小学生の頃。

 国語のテストだけが異常に苦手だった。

 いつも自信満々に、答えを記しても、赤いペンはレ点をつけて手渡されていた。

 

 「羽とか翼は私さんにとって大事なものなんですね。

  私さんが飛んでいけないのは、今日の風が弱かったからですか?

  だから羽も翼も使えなかった。」

 

 


 自信満々ではなかったものの、僕は回答を示した。




 

 「考えてくれたんですね。でもごめんなさい。違います。」

 


 


 成人前につけられていたレ点は、成人後の今も、僕につけられた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る