チェーホフのツバメはどこへいきましたか

水原麻以

チェーホフのツバメはどこへいきましたか

「チェーホフのツバメはどこへいきましたか」「本部よりシェルウェイ…」

しつこく報告を求めてくる。いい加減に殺意が沸く。思わずトリガーに手をかけ思いとどまる。仕留める相手はジェット気流の向こう側にいる。それも手つかずの宝の山だ。俺は依頼内容をもう一度確認した。今回の任務は反政府軍の長距離輸送機。それも大編隊だ。ミリ波レーダーが捉えた機影は百個。雨雲で隠れている部分にはもっといるだろう。土壇場で停戦協定が発効した。それで連中は大慌てで増援を引き揚げている。だがそれはまやかしだろう。


「ねぇ…返事しなくていいの?」

後ろの列からリシアの声がする。隣は空いている。タンデム複座の四人乗り。操縦席がユニット式の戦闘爆撃機は今どき珍しい。もっとも武器商人のロレッタ婆さんによれば反政府あっち側には二束三文で投げ売りされているそうだが俺の知ったこっちゃない。一流の傭兵はどんな武器でもベストを尽くす。コクピットは直撃弾を受けてもユニットごと安全に分離できる。それほど俺達は大事にされているってわけだ。丸腰の相手に御大層なことだ。シェルウェイFB-1は離島を丸ごと吹き飛ばせるほどの武器弾薬を積んでいる。TNT火薬に換算して世界最初の水爆相当。ただし放射能は出ない。濃縮爆薬の突破的技術革新の成果だ。とりあえずロレッタ婆さんが仕入れてきた試作品。キャンセルロットが使い物になるかは神のみぞ知る。

「……そのまんま。今回だけの依頼だ。それより早くさっさと行こうぜ」

チェーホフのツバメはつがいだ。七面鳥撃ち作戦の二番手。ロマが控えている。「そう焦るな。標的の逃げ足よりお前のシェルウェイは速い」

「血が騒ぐんだよ」

彼女はどんどん俺と距離を詰めて来る。ロマの機体は魔改造だ。傭兵はそれぞれの思惑で動いてる。紳士協定なんてない。もうこのままでは負けを認めざるをえない。

「早くして」

リシアがロマ機を羨望する。

「悪いが俺はレンジ外へ出ている。そのまま行って帰ってくる」

一撃離脱が俺の作戦だ。ロマは格闘戦を仕掛けるようだが俺の趣味じゃない。

アウトレンジから長距離空対空ミサイルを斉射。それで十分だ。

俺はどんどん遠ざかる彼女から目をそらした。

レーダーには撤退中の敵機が星空のように瞬いてる。故買屋から聞いたネタでは西の隣国でなく北の王国へ逃げるという。山脈越えのコースだ。

「あの人たち、本当にこっち来るの? あの人たち本当に逃げるのよ」

リシアは俺のすぐそばまで来て腰を上げた。そのまま膝立ちになり、顔をあげる。俺は彼女が話しているのを聞きながらロレッタ婆さんの言葉が聞こえるような気がした。

「そういえば沈んだ島国の諺があるねえ。慌てる乞食は貰いが少ない」



俺は予定通りシェルウェイを最高峰に向けた。敵機はあえて気象変化の激しい谷間を抜ける。ロマは気流に合わせてドッグファイトを仕掛けるらしい。確かに相対時速が一致すれば静止状態で一騎当千できる。俺にいわせりゃ邪道だ。むしろ逃げ惑う残党に当たりをつける方がいい。ミサイルAIにモンテカルロ法を教えた。ランダムウォークで閾値内を点描すれば敵の退路は期待半径に収まる。平たく言えば群れの位置を予測して囲い込む。そして撃ちまくる。

ミサイルの半数を捨てるが半数は当たる。命中率報酬ともに五割だ。

「そんなの絶対無理よ。あの人たちって本当に何でも屋みたいなもんだって聞いたから」

リシアはロマの腕を過小評価するなと警告している。最高峰越しのミサイルすら迎撃する。つまり手柄を独り占めするというのだ。

俺はため息をついた。こんな時にこの仕事の話を持ってきた自分が腹立たしい。

「俺たちは誰からも信用されてないよ」

彼女はようやく自分の言葉を否定した。

「それもそうだ……と思ったわ」


作戦はつつがなく成功した。シェルウェイの火器管制装置は反乱軍輸送機部隊の半数を破壊した。ロマがこちらの長距離ミサイルを警戒すると考えミサイルの半分を最高峰から放ってやった。案の定、相手は輸送機狩りを中断してミサイルを迎撃しに来た。

そこで俺はシェルウェイを急加速してロマの狩り場に向かい、残党を頂いた。敵輸送機は故買屋の情報通り北の王国へ逃げようとした。しかしそれは陽動だった。政府軍の分析では停戦合意に反する武器を王国に退避させるという。だが考えてもみろ。乱気流でそんなリスクを冒すか。俺は西へ向かった。ロマは「当たりだ」と得意満面に報告して来た。

そうだろう。北行きの輸送機は禁止武器を満載していた。しかも無人だ。

俺は西の隣国へ向かう便をやっつけた。そっちには捕虜が乗っていた。

反政府軍は非難声明を発表した。政府軍が残虐行為を行った、と。

停戦合意は崩壊した。北の王国は山脈の墜落現場からフライトレコーダーを回収。政府のスパイが武器密輸を企てたと非難した。隣国は隣国で丸腰の輸送機撃墜を国際世論に訴えた。軍事介入やむなしの声があがり反政府軍は後ろ盾を得て勢いづいている。


リシアは傭兵を辞めると言い出した。

俺は彼女が何を思ってそういうことを決めたかは知らない。だがきっと決まっているならそれでいい。ここで見限ったらその後の人生は二度と変わらない。そういうことだろう。

「あんたはもうあの人たちのこと信用していないの?」

そう、この先の戦争にはこの飛行機が投入される。それは一つ一つの大編隊を相手に少数精鋭で立ち向かう。その未来で覆い尽くされているのだ。

「問題はパイロットの質だ。士気が傭兵と段違いだ」

「今も戦闘機に乗ってるやつらなら大丈夫。だから安心して」

「隣国と王国が反政府軍を全面支援している。政府軍は多勢に無勢だ」

彼女は笑った。

「私は信用出来ないの。あの人たちは何で自分が負けると分かってるみたいなことを私に言うのよ! そんなの耐えられないわ!」

俺は立ち上がって彼女をじっと見た。

「あの人たちは私から見れば全然信用されていないんだ。相手の戦力を見極められないのよ。例えばあんたとあんたじゃ、何も変わらないわ」

リシアは俺とロマの写真を見比べた。

「そうかもね」

俺はそう答えた。彼女は「あの人たちは本当に私の敵」と言った。そう言われては俺もついていくしかなかった。この女は相手の気持ちを全て分かっていると言っている。

この女を信じたいと俺は思った。


俺は走っていた。

俺はロマの言うことが正しいと思う。彼女と話していると、かつてリシアの前で俺に言った「あなたと話す方がもっと分かりやすい。だから今は黙っていて」と言う言葉が頭の中をよぎる。あれは単なる当てつけじゃなかった。

リシアが言う「これでどう思う?」は、俺に「どう思う」と問われて何かをやり遂げ、出来栄えの感想を教えて欲しいと言う意味だ。だが、俺が求める答えであり得ない。反政府軍が声明を出したあとロマは全世界の敵になった。無防備の輸送機を虐めたというその事実だけが喧伝された。ロマは仕方なく政府軍の教官になった。反政府軍のスパイ逃亡を未然に防いだ英雄に祭り上げられた。シェルウェイは優秀だ。そこにロマの魔改造が加われば無敵だ。単騎で小国と渡り合える。反政府軍はシェルウェイに手を焼いている。

俺はそんなロマに強い羨望を感じていた。魔改造のロマが今や国母ロマだ。ただ不平と反骨精神だけのリシアとは違う部分にあこがれる。


俺は走りながら考えた。傭兵を辞めたあと俺達はロレッタの下っ端になった。

他に行き場がない。この国は敵だらけだ。内外を安全に往来できる身分は武器商人しかない。金を貯めて闇でシェルウェイを手に入れる。それで国境を幾つも越えて落ち延びようと決めていた。だが口達者なだけの女を連れてどこまで無事でいられるだろうか。


この国から逃げろ。

シアはロマの言葉を正しいと思っている。政府軍が安泰でいられるのは武器商人の匙加減だ。昨日の夕方俺はロマに呼び出された。裏切りの清算をしたいという。「優先事項を知るべきだった、地位や成功や名誉よりも、過去の羨望や夢想よりも」

ああ、そうだろう。七面鳥撃ちの日、飛び去る機影が今でも俺に刺さってる。

「忍耐だと言うんだろ。お前には国母たる使命がある」

「ええ、もうすぐ政府は王都になる脚本」

「私は。そう主張したいんだろ?」

売国が静かに進んでる。ロマは巣の表札を架け替えて今度は隣国に往来する。

「私は傭兵じょゆうよ。筋書き通りに生きるって忍耐よ。でも私には信念があるから怖くないし使命に殉じるって光栄なこと」

エリートはいい。だが庶民の暮らしは無残になる。分譲される国の末路だ。

その事実を伝えなければ「あんたも言うことを聞け」とは言わない。

……いや待てよ。ロマの言うことは正しいのだろうか。俺はなぜこの女はリシアに勝っていると思ったのだろう。近代兵器を魔改造する技術は一朝一夕に習得不可能だ。耳学問と死地を切り抜けた経験の賜物だというが十七の娼婦が二十歳やそこらで業者顔負けの技師になれるだろうか。そうリシアがいう。

しかし彼女は戦力評価能力で負けているのはロマだけだと思っている。それを当然だと思ってるに違いない。その理由を聞いてみたい。だが、こんな状況ではどうしようもない。 

「お前、どうした? また泣いてる?」

彼女が言った。

理由も何も。煙る戦場ととめどない呵責と過去の追憶に決着をつけきれぬ不甲己の斐なさに落涙するのだ。軽機関銃でうら若き乙女を肉片に変えていく。

ロレッタ婆さんの隠し武器庫は凱旋将校どもの倶楽部にあった。

撃ち、脳漿を避け、戸惑う童顔に弾痕を穿ち、退く。狙撃兵に先手を打ち、断末魔を聞く。命乞いする性奴隷を撃ち、かばいあう瞳を砕き、走り、また撃つ。

彼女も走りながら考えているようだった。

その時、俺は彼女の手を掴めた。彼女と俺の手を、繋ごうとした。

「待って待って、今そんなこと言わないで」

その声は悲痛に感じられた。

彼女の身体が強張る。

「リシア…?」

水爆の直撃にも耐える防護扉。それを片手で押し開く、そんな女がどこにいる。

「あんたが私のことを裏切った。だからおばあさんは私の家族を裏切ったのよ……! あんたの考えで私に嘘をついたのに、それでも私はあんたの言ったことを続けた。私がどうすればいいのか分からないなら、それはあんたのためにならないわ」

リシアは俺に言った。俺は振り返らずに走った。

意味が分からない。ロマはただ「逃げろ」と言ったのだ。駆け落ちするなんて誤解も甚だしい。そして「家族」とは何だ。

まさか、そういうことか。実に陳腐で恐ろしいアイデアだがロマやリシアの非凡に説明がつく。

そして走った。

「ロマ…お前…娼婦の出だと言ったな」

彼女は立ち止まっていなかった。

俺が走っていた場所を走り抜ける。

「どうして……どうして?」

彼女はそれを後ろを向いて呟いた。

俺はその言葉には続け、

「ばあさんはこういったのさ…」

「やめてーーーー!」

ロマは頭を抱えてしゃがみ込む。

「チェーホフの”ツバメ”はどこへ行きましたか?」

問い詰めると彼女はさらに激しくかぶりをふる。

「いやいやいや…言わないで…」

俺をとことん騙し利用し尽くし、嵌め、侮辱した報いだ。

「俺も馬鹿じゃないから人が積み重ねた愚行のなかから、知恵の燃えかすを探し当てた」

故買屋に反乱軍の動きを尋ねたというのは嘘だ。もちろんその情報は大切だったが重要じゃない。俺の推測をファクトチェックして貰った。本命はロレッタ婆さんの身辺情報だ。そして貯めこんだ報酬の全額をはたいて「紙の本」というものを探させた。原始的なアナログ記録媒体だ。その経緯を俺は暴露した。

「ツバメじゃなくて、チェーホフのだろ。文字で読む人生訓だ。お前が演じてた人生は劣化したバージョンだ。そして」

「いやいやいや」

ロマは黒髪を振り乱し泣き叫ぶ。いいや、言ってやる。

の完成度を試した。七面鳥撃ちのミッションも、シェルウェイも、反政府軍の動向もだ。お前は娼婦の頃から女優を演ってた。いや俺もだ」

チェーホフのカモメは優柔不断な男女を取り巻く愛憎劇だ。カモメを自称する女優が狂言回しになる。

「そのとおりよ。貴方は男として

その通りだと俺は自嘲する。血だるまになった娼館の芸妓たちもだ。

「リシア、覚えているか。長距離AAMにモンテカルロ法を教え込んだことを」

俺はあえて聞いてみた。

瞳を潤ませつつ彼女は正直に吐いた。

「ええ、時期尚早だと思ったわ。北の王国に向かった輸送機は失敗作だったの。貴方が気づくんじゃないかとドキドキしたわ」

「なるほど。ショックを和らげるために俺を真実から遠ざけた」

だからリシアはあんなことを言ったのだ。心にもない嘘を。

「ええ、輸送機は

「やっぱりな。無人機じゃないだろ。人ならざる者がパイロットだったんだろ。いわば魔改造された…」

「みなまでいわないで!」

「いや、言うんだ!それで君の、君の人生にかけられた呪いが解ける」

俺は割れてない酒瓶を棚から取り注いだ。ロマを座らせどうにか落ち着かせる。リシアもグラスを氷なしで三杯あおりコロンと横になる。

アルコールがロマの口をこじ開けた。

「…ええ。娼館の正体は…言うまでもないでしょ。試験管も大掛かりな器具もいらない」

神の領域を侵さずとも人材は手に入る。そして人を弄る薬もだ。

「チェーホフのツバメが卒業試験の問題だったんだ。俺が気づいてコマを進めた。さてどうする。どういうわけかここに軽機関銃がある」

「カモメは一瞬で自由な空から墜とされたのよね」

ロマが原作を述懐する。

「ああ、たった一発の銃弾が奪った。それも剝製にされるためにな」

滑稽な話だ。穴をあけてまで鳥の贋作が欲しいか。

「…人生に絶望するなんて古典だけでじゅうぶんよ」

リシアが銃をロックした。ロマも右にならう。

俺はたまらず失笑した。だって本当に滑稽だったんだもの。

そして二人の女に肩を貸す。いや、逆だろう。いずれ借りは清算する。

俺たちは階段を一歩ずつ踏みしめて地下の格納庫へ向かった。整備済みのシェルウェイがフル爆装状態で暖機運転している。しかも紫一色に塗られた機体だ。

も家族か?」

俺はあえてリシアに尋ねた。

「ええ。のファミリーネームを名乗ってる」

やっぱり。なら、俺達の旅路は決まっている。いくつもの夜と国境を越えて生き延びる。そしてまだ見ぬ実母ロレッタに会いに行く。

「最高峰を抜けるんでしょ?」

ロマが挑発する。「当たり前だ。兄弟姉妹たちの無念を晴らす。まずは王国だ。次に隣国を血祀る」

シェルウェイ単騎では役不足だ。外国軍をまとめて灰にして日付変更線をまずは突破する。

機体がぐんぐん高度を上げる。やがて最高峰がそびえ、窓の下に沈み込んだ。

ロマ、リシア、俺そして空席だった右隣にはロレッタ・シェルウェイを名乗る最新型端末がちょこんと座っている。紫色のドレスに身を包んだおしゃれな少女だ。

そして教えてくれた。ロレッタとはチューリップの別名。紫の品種は永遠の愛が花言葉だ。俺達の戦いはこれからだが目的地は見えている。まだ見ぬ母のもとへ。

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チェーホフのツバメはどこへいきましたか 水原麻以 @maimizuhara

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