第7話

「キャァッ!」

 悲鳴があがるよりもわずかに早く気づき、とっさに身をよじる。

 必殺の一撃を叩き込もうと伸び上がった自分の身体を無理矢理にそらし、ねじる。

 無理な動きに背筋に痛みが走る。

 その甲斐あってか柄を叩き込まずには済んだ。

 しかし強引に剣を投げ捨てたせいで身体の自由が効かない。

 俺は不恰好にも身を投げ出すようになり……、ドスン!

 もつれあい、抱き合い、俺は女を床へと押し倒した。


「痛い、なんなのよ、もう」

 床に左肘を突いて支えた俺の目の前には、ギュッと顔をしかめる女が。

 とっさに手を差し込んだから、直接頭を叩きつけてはいないはずだが……

 扉の外からの光を受け、瞳の端ににじむ涙が輝いた。

 フッと息を吐いて見れば、それはジャニスと言ったか、昨日の小娘だった。

「死にたいのか! 来るなと言ったぞ!」

「耳元で叫ばないでよ! だいたいあなたに襲われそうになるなんて、なんで思うのよ。一人で山に入るなって、そういう意味じゃないでしょう」

「なぜだ? なぜドアを開ける前に、声をかけなかった?」

「……ウッド、それはあなたも同じよね。あなたから声をかけて尋ねることもできたんじゃなくて?」

「……」

『声をかけて、相手が追手だったらどうする?』

 とてもそんなことをジャニスには言えない。

 だがしかし、普通に考えるなら「誰かいるのか?」くらいの声かけはするだろう。

 それが当たり前のことだ、普通ならば。

 答える言葉がなく、俺は黙るしかなかった。

「でも驚いた。本当にひどい小屋ね。誰も住んでいない小屋って、この辺にはここくらいだけど。それにしたってひどいわ」

「……俺は、昨日の熊だとばかり」と、いまさらな言い訳を挟んでみる。

「あたしが熊ですって? あなた基本的に失礼よね。こんな理想的な体型のあたしの重さが、どれだけあると思っているの。昨日の熊ならとっくに床が抜けてるでしょうよ」

 ジャニスは抗議するように下から両手で俺の肩を突いた

 俺は押し倒して覆い被さったまだったことに気づき、身体を離して起き上がる。

 すると彼女は床に寝たまま、無言で両腕を真っ直ぐに伸ばし、俺を見た。

 引き起こせ、ということなのだろう。

 ジャニスの腕をつかんで引き上げる。

 床に転げた少女の背は汚れていた。

 少女の服をそのままにしておけず、肩や背中をはたいてほこりを落としてやる。

 親切心からであったが、途中、女に気安く触るべきでなかったかと手が止まる。

 しかしそれは無用な気遣いのようで、ジャニスは俺がほこりをはたき落としやすいように手を広げていた。

 もっときれいにしろ、ということらしい。

 要求通りにあらかたを払いのけてやると、汚れの様子を見ようと俺は少し離れる。

 娘のうなじから首筋は健康的に日焼けしており、滑らかなラインがチュニックに落ちて吸い込まれていく。

 山で活動する者らしく、動き易いぴったりめのサイズ感の装いは、体型を誤魔化すことなく見せていた。

 そこには無駄な肉も、必要以上の筋肉もついていない。

 自分で理想的な体型だと言うだけのことはある、と余計なことを考えてしまう。

 ついでに言うなら黒い毛もびっしり生えてはおらず、四つ足歩行もせず、もちろん怪物ではないようだ。 

 ジャニスは振り向き、「わざわざドアから入って来るなんて礼儀の行き届いた動物、いると思って?」と、終わった話を蒸し返してきた。

「……一人で歩くなと、言ったはずだ」

 俺はジャニスに、外へと続く扉に、背を向けた。

「ねえ、なにがそんなに怖いの? あたしからすれば、あなたは警戒し過ぎよ」

「本能だ。自分の身を守る、当たり前だろう」

「そう。まあいいわ、言いたくないことでもあるんでしょうよ。さ、行きましょう」

「行く? 何処へ? 村には行かないぞ」

「わかってるわよ。昨日の今日で忘れるわけないでしょうが。あたしバカにされてるの?」

「俺は行かない」

「いいから! いざ行かん、本能の命じるままに、よ」




「俺はジャックだ。よろしくな、ウッド」

 差し出された手を握ると上下に何度も振る、熊のような大男がそこにいた。

 挨拶の握手がやっと終わりかと思ったころ、唐突に力をこめて握りしめてきた。

 負けじと俺も握り返してやる。

 俺とてさんざ剣を振り回して来た男だ。

 握力には自信がある方だと思っていたが、この男には敵わない。

 俺が痛みに顔をしかめると、自分の優位に満足したのか、ウッドと名乗った男はパッと握る手を放した。

「妹が世話になった。家族として、礼を言わせてもらう。ありがとう」


 ジャニスに連れ出されて小屋を出ると、すぐにジャニスは大声をあげて呼びかけた。

『大声を出すな』と言いかけたが、叫んだあとにそれを言ってもなんの意味もない。

 あたりに視線を走らせて警戒だけしておく。

 しばらくすると森の向こう、獣道のような小径から、下草を薙ぎ倒すように男が歩いてきた。

 がっしりとして横幅のある体型で、肉の付きもいい。

 酒樽のような男だ。

 いかにも山での重労働がつくりあげた身体といった雰囲気。

 木こりか、狩人だろうか?

「なぜ家まで連れて来ないのかと妹を叱ったんだが、あんたは礼を受けない変わり者らしいな。それならそれでもいい。ただ、挨拶くらいはするべきだと思ってな。それでこうして今日、出向いたわけだ。

 さて、ちょうどいいか。ジャニス! ここでメシにしよう。どうだ、あんたも喰うだろ? いらなくてもこれは礼だからな、腹におさめてもらおうか」

 豪快に笑うと、俺の肩口をバンバン叩いてくる。

 さんざ飢えた俺に、この誘いを断れる道理などなかった。

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