巫たちの舞台裏

檪木 惺

第1話 酌量する主神と、神子の帰還

 インターホンを押そうと手を伸ばすと、静かに玄関の扉が開く。

 眼の前に立っていたことに驚いた様子もなく、朱莉あかりれいに笑顔を見せた。

 おおよその訪問時間は告げていたものの、到着と同時に迎えられたことに思わず苦笑する。


「いらっしゃい、黎くん」

「こんにちは、朱莉さん。織羽おとはさまはご在宅ですか?」

「黎くんが来るって連絡くれたからね、何だか嬉しそうに待っているよ」

「……光栄です」


 朱莉と共に居間へと進むと、苦笑した織羽が待っていた。

 玄関先での会話が聞こえていたのだろう。

 蒼依あおいが珈琲を運びながら笑っている。

 挨拶を交わし、黎はソファーに座るように促された。


「今日はご報告に上がりました。うちの巫女と織羽さまのお孫さんたちは今、おそらく因縁を断ち切るための闘いに向かっています」

「因縁、ですか?」

「はい。自分の予想ですが、相手はこれまで采希の力を執拗に狙っていた怨霊です。予想通りであれば、今後はお孫さんたちの安全はかなり確保されるかと存じます」

「……その、相手とは?」

「江戸時代より前の武将だと思われます。一度は滅したと思ったのですが、どうやら身代わりの影武者だったようですね」


 困ったように告げる黎に、織羽は悪戯っぽい笑顔をみせる。

 その笑顔は、黎が説明するまでもなく状況を把握しているように感じられた。


「おや、朔の当主が思わぬ失策ですね」

「全くです。最後の詰めで相棒に確認させればよかったのですが。生憎と彼に確認させる前に別件の方に向かわせてしまったもので」


 織羽はゆっくりと頷く。

 凱斗以外の全員が霊障を受けて意識を失った事件の話は、以前に采希から聞いている。

 ただ一人残された凱斗が黎に助けを求め、黎の相棒である柊耶がカイと一緒に駆け付けてくれたとの事だった。

 采希たちのために相棒を派遣してくれた黎に、確実に仕留めなかったと責めるつもりは毛頭なかった。

 どう考えても自分の孫たちの油断のせいで、黎たちに迷惑を掛けている。


「本当にご迷惑をお掛けして――」

「いえ、そんなつもりではありません。采希から三郎を借りてまで仕留められなかったのは俺のミスです」


 少し慌てて、黎は思わず顔の前で手を振る。つい『俺』と言ってしまった事に気付き、頬が引き攣った。


「それで、孫たちはうまくやれそうですか?」


 織羽の言葉に黎は口角を引いてみせる。


「うちの巫女と警備担当のトップが同行しています。問題はないと思われます。凱斗は何やら不安に思っているようでしたが」

「凱斗が?」

「はい。自分の力がうまく制御できないと思い込んでいるようですね」

「黎くん、思い込んでいるって言うのはどういうことなの?」


 蒼依が堪らず不安そうな声を上げる。

 その蒼依に向かって黎は小さく首を振ってみせた。


「凱斗の力は常人よりはるかに強く、その内包量はおそらく俺よりも上です。大きすぎるがゆえに、凱斗が無意識にその出力を抑えている。采希ほどではないですが、あれだけの力を操るには相当の訓練と力量が必要になります。自分の力をきちんと把握していないせいもあるでしょうね。だから自分は役に立たないんじゃないかと不安になっているんだと思います」

「あの子はすぐ近くにやたらと器用な従兄弟がいたからね。采希を基準にするなって、何度も言ったんだけど」

「それは、采希が毎回無茶を繰り返していることも原因かもね。凱斗はあの子たちの中でも、いざという時には一番慎重だから。決断したら即行だけど」


 蒼依の溜息まじりの言葉に、朱莉がそう言って笑う。黎もその言葉に頷いた。

 凱斗は人当たりがよく、いつも軽い対応であまり真剣そうには見えない。

 大人しそうに見えて何をしでかすか分からない采希や、身内や弱い者が傷付く事に過剰に反応する琉斗、頭が良すぎるために考えすぎて動けなくなる那岐、一番冷静に状況が見えているが決断力に欠ける榛冴。

 そんな中で、凱斗はいつも慎重だった。自分以外の全員が霊障を受けても、カイと柊耶が到着するまで兄弟たちの身体に一切触れずに現状保存をしていたと聞いている。

 正直、黎が単独で何か依頼するとすれば、一番安心して任せられるのが凱斗だった。


「采希の能力は確かに凄いんだろうけど、だからって采希を目標にすることはないと思うのに、あの子はどうしても采希の背中を追い掛けたいのかな」

「あー、小さい頃はそうだったね」


 蒼依と朱莉の会話に、黎は興味深げに視線を向ける。

 確かに最初に会った頃は、凱斗は采希のような力を欲していた。


『どうして俺に、采希みたいな力がないんですかね』


 よくカイにそう話していたと聞いている。

 カイ自身は特筆すべき霊能力を持たないので、凱斗の愚痴に思わず首を傾げたと言っていた。


『……お前の能力は凄く希少だって黎に聞いてるぞ』

『それは……でも、俺は采希みたいに一瞬で防護壁を展開したり、邪気に意識を向けただけで消滅させたり、瞬間移動とか――』

『お前なぁ、何の力も無い俺にそれを愚痴るのか?』


 笑いながら言ったカイに、凱斗は口を噤んで俯いたらしい。




「凱斗は采希の力に憧れていたようですが、采希は采希で凱斗のような力を望んでいたようですよ」

「……は? どうして?」


 蒼依がおかしな声を上げる隣で、朱莉と織羽は同時に頷く。


「邪気を引き寄せて那岐たちを危険に晒すことを常に危惧していたからね」

「采希が力の事を忘れる前は――」


 織羽の言葉に黎が硬直する。

 幼い采希が自分の力の記憶を失ったのは、自分の相棒の仕業。そして力を封じたのは自分の姪だ。


「凱斗と並んで歩くと邪気がいなくなるって、うちの氏神様の宮司が言ってたね」

「……そうだった。だからちょくちょく顔を出してくれって言われてたんだった」


 急に思い出したように、朱莉が遠い目になる。

 采希の暗示は織羽以外の全員に効いていたらしい、と最近になって織羽から聞かされていた。


 そんな娘に微笑んでみせながら、織羽は黎を正面から見つめる。


「黎さん、これは私の想像ですが、凱斗たちの能力は采希の能力を皆で分けたように思えませんか?」

「……え」


 黎は少し呆けたように織羽を見返した。

 確かに、それは黎も気付いていた。

 凱斗たちの持つ能力は、封印を解除された采希には全て使えていたようだ。

 織羽が唐突に言い出した意図を測れず、黎は黙ったまま俯いた。


「――凱斗たちは、采希の予備ではないかと」


 織羽からぽつりと投げかけられた言葉に、朱莉と蒼依が表情を強張らせる。

 固く口元を引き結んだ織羽と双子の娘たちを見渡し、黎はゆっくりと息を吐いた。


「予備、ではなく、采希を補助するために配剤されたように、俺には感じられました」


 黎の言葉に、三人は先を促すように見つめる。


「采希は初夏に生まれたと聞いています。凱斗と琉斗は?」

「冬、ですね」

「うちの巫女、あきらは春です。采希は、あきらに先見の力が顕現すると分かって、神霊たちが力を上乗せしたらしいです。そのために器である身体が耐え切れない程の力が与えられたと聞いています。大神さまは采希の身体がもたないであろう事を憂いていたようですので、凱斗たちには采希が力を使い過ぎないよう、それぞれが持つ力を開花させたのではないでしょうか」

「采希のために、力を与えられた?」


 眉間に深い皺を寄せて朱莉が聞き返す。

 自分の息子のために妹の子まで巻き込まれたのかと不安が湧き上がってくる。

 凱斗と琉斗は別にして、榛冴が能力者であることを忌避しているのは朱莉も知っていた。

 黎は軽く首を振り、朱莉に答える。


「元々持っている力を引き出しただけのようですよ。だから自分が持っている以上の力を与えられた采希は規格外の力を使うことが出来る。那岐クラスはそうそう居ませんが、実は珍しくはないんです。きちんと修行や訓練をこなせば、ですが」


 少し考え込むように顔を伏せた朱莉をちらりと見て、織羽が黎に向かって言った。


「采希は一人で凱斗たちを護ろうとした。本来であれば分散されるはずの力の行使が、采希に集中してしまった、と?」

「そうだと思います。そもそも、自分のような家系でなければ力を扱うために修行したりはしない。その事を失念していたと、大神さまが仰っていました」

「ええ、私の夢にもおいで下さったようです」

「先代当主は気付いていたようで、凱斗たちを保護しようと考えていたと、最近になって記録が見つかりました。先代は急に倒れて逝ってしまいましたので……」

「そうですね、一度だけお会いした時に、そのような話を琴音さまから伺っています。こちらも立て込んでおり、当主が代替わりしたと知ったのも数年後でした」


 遠くを見るように眼を細めた織羽が、何かに気付いたように窓の外に視線を移す。

 釣られるように全員の視線がそれを追うが、陽射しの降り注ぐ庭には何の異変も見られなかった。


 ふと、黎は自分の中の八咫烏がするりと抜け出すのを感じた。

 太陽神の遣いである八咫烏に、太陽神の神子である自分の意思に沿わない行動をさせられる者は主神である大神さまだけだった。


(何だ? 一体何が――)


 怪訝に思っていると、黎の頭に声が響いた。


《黎さん!》


 その声に黎の身体が意図せず硬直する。

 聞き慣れたその声は、自分の眼の前で消えたあの日から、自分の姪が待ち続けた声。

 夢なのか、または聞き間違いでは、との思いが頭を過る。

 だが、自分の前に座る織羽も黎と同じように呆然としていた。


「……織羽さま、聞こえましたか?」

「ええ。黎さんにも?」

「はい」


《ごめん、黎さん、そっちに戻る道が分からないんだ。ちょっと八咫烏を借ります》


 再び聞こえた声に、黎と織羽が破顔する。


 間もなく、八咫烏の羽音が窓の外から聞こえてきた。

 黎が自分の中に八咫烏が戻る気配を確認すると同時に、窓の前に采希の姿が現れた。


 息を飲む朱莉と蒼依に笑いかけ、采希はほんの少し頭を傾ける。


「婆ちゃん、母さん、蒼依さん、ただいま。黎さん、心配掛けてすみませんでした」


 黙ったまま采希に駆け寄った朱莉が、采希の身体を抱き締める。口元を両手で覆った蒼依の眼からは、ぼろぼろと涙が零れた。

 黎は邪魔にならないよう、織羽に視線を送って居間を出る。そのままスマホを取り出してカイの名前をタップする。


「カイ、俺だ。采希が戻った」

『……は? 戻っ……た? どういう事だ?』

「分からん。幽体ではなく、実体を持って戻ったみたいだ。――カイ、あきらから連絡は?」

『無い。定時連絡も忘れているようだな。まあ、平常運転いつものことだが』

「そうか。じゃあこっちから本人に聞いてみる。出港準備は大丈夫そうか?」

『何とか間に合いそうだ。榛冴がかなり正確な座標を知らせてくれたからな』



 黎がカイと打ち合わせている間、織羽は朱莉と蒼依にばしばしと叩かれている采希を気の毒そうに見ていた。


「采希、お前の身体は失われたんじゃなかったのかい?」

「そうだよ、婆ちゃん。俺の身体は力に耐え切れずに消えた。この身体は、大神さまたちが作り直してくれたんだ」

「作り直す?」

「うん。前の身体はこの次元じゃない気で満たされていた。だから身体を保つために常時力を放出しているような状態だったんだよ。だからもう限界だった」

「肉体を再構築してくださったという事?」

「そう」


 采希の説明に、織羽はほっとしたように僅かに目を伏せる。

 遺体も残さず消えた孫が、どんな事情であれ生きた肉体をもって戻って来てくれた。それだけで嬉しいと思った。


「そうか、蘇らせてくださった大神さまに感謝しないとね」

「うん……」


 ちょっと考えるように首を傾げる采希に、織羽も思わず同じ仕草になる。

 何故言い澱むのだろう、と思っていると、采希が困ったような表情のまま織羽の向かいに座った。


「俺は大神さまに、あきらの代わりに俺の力を使って欲しいって願い出た。大神さまは快く承諾して下さって、『代わりに何を望むか?』って聞かれた」

「代わりに?」

「そう。でもさ、大神さまに何かを求めるとか、ちょっとどうかと思って……。だから『出来ればでいいです。この先、また現世に生を受けられるなら、いつかあきらに逢わせてください』って言ったんだ」

「…………」

「もう力は必要ない。だけど、二度とあきらに逢えないのは嫌だと思った。もう一度、あきらの笑顔が見たいって、そう思ったんだ。最後に見れたのは泣き顔だったし」


 そんなささやかな願い事をしたのか、と朱莉と蒼依は視線を合わせる。

 一度は消滅した身体が再生されたのは、大神さまが采希を不憫に思ったためなのではないか。

 そう考えた朱莉だったが、霊能力ちからを持たない朱莉には、大神さまの真意は図れない。


「だけど、次の生では巫女さまの姿も変わっているかもしれないよ。男性になっているかもしれないし、今の姿のように美しくもないかもしれない」


 悪戯っぽく笑う織羽に、朱莉と蒼依も思わず頷いた。

 織羽の言うように男性になっている可能性は半々だし、そもそも生まれ変わった巫女を特定することすら困難だろうと思ってしまった。


「それでもいい。俺はあきらがどんな姿でも構わないんだ。もし男だったら……それでも、もう一度逢えるなら、絶対見つけ出す。そう思った。でも大神さまは俺の身体をこの世に戻して下さった。だから……」


 采希は真っすぐに織羽の眼を見た。


「婆ちゃん、俺は大神さまに何を返せばいい? どんなことなら、この御恩の対価になる?」


 真顔で言う孫に、織羽は心から笑顔になった。

 だから、この子は神霊に好まれるのだろう。そう思った。

 ぐすっと鼻を啜った蒼依の肩に、朱莉がそっと手を乗せる。


「蒼依、あきらちゃんが嫁に来てくれるなら、この家の跡取りは采希に譲ってくれる?」

「姉さん、そしたら宮守の跡取りが居なくなっちゃうよ。ここは采希が婿入りするべきじゃない?」

「ちょ……母さんたち、何の話を……」


 そこに黎がカイとの通話を終えて戻って来る。

 慌てる采希とはしゃぐ双子の母たち、そして嬉しそうな織羽に何があったのかと片眉をぴくりと動かした。


「……何があったのかは知らんが、采希、俺はこのままあいつらの所に向かう。お前はどうする?」

「行きます! 俺はそのために戻ってきたんだ」


 大きく頷く母親たちに複雑そうな視線を送り、采希は黎の方へと歩み寄る。


「場所は分かっているんですか?」

「八咫烏に探させる。――いや、あきらに直接聞いた方が早いか」

「それ、戦闘中だったらヤバくないですか?」

「あきらなら問題ない。いざとなれば鳳凰が出張って来るだろうしな」

「鳳凰……俺、会った事ないですね」


 黎自身も数度しか見ていない。あきらですら、数える程度しか現れていないと言っていた。


「吉兆を運ぶ風の神だ。そうそうは会えん。――そうだな、あきらに子供でも生まれたら、祝福しに来るんじゃないか?」


 一瞬呆けたように黎を見た采希は、意味あり気に笑う黎に笑顔を返す。

 一緒に玄関を出ながら黎の後に続いて外に出る。


「黎さん、一つ、お願いがあるんです」

「あきらを嫁にもらってくれるのか?」

「その前に、宮守本家の蔵の扉を――試させてください」


 予想外の申し出に戸惑いながら、黎は采希の肩に手を乗せる。

 一瞬で周囲の景色が変わり、采希は目の前に建つ蔵を見上げた。

 その眼の中の覚悟を確認し、黎は心から嬉しそうに破顔した。


「朔の当主の座と宮守本家の跡取り、それと巫女も全て手に入れるか。意外と強欲だな」

「大神さまの指示なんですよ」

「あー……」

「それと、出来ればですが、せめて俺があきらと並んで立てるようになりたいと思って」


 微笑んだ黎の両眼が金色に変わる。

 遠く南の空を見るように視線が逸らされた。


「あきら、そっちの様子はどうなっている?」

《降霊が行われていた場所は潰した。今から親玉が居ると思われる施設に突入する》

「了解。一分後に合流する」


 八咫烏の眼を通して巫女の居場所を把握した黎は、采希に向き直る。その眼はいつもの色に戻っていた。


「三十秒だ。試してみろ」

「十秒でいいです。これで駄目ならもっと精進します。もしも、蔵の扉を開けられたら――」

「うん」

「あきらは、俺に任せてもらえますか?」


 返事を待たず、采希は蔵の扉の前に進む。


 黎が見守る中、当主を選ぶ蔵の扉は音もなく開いていった。

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