カタログ1:山田彦一

「もう来ないで下さい!」

物凄い形相で睨みつけられた。そんな目をしなくてもいいじゃないか。親を殺したわけじゃなし。

「あの…ちょっと!」

小心者の私はそんな威勢のいい台詞を吐けるわけでもなく、ただ戸惑うばかりであった。

どうしよう。今日のために半年も不安に耐えたのだ。

大人げない。あんなことをしなけりゃ良かったという慚愧。それとは裏腹に爽快な達成感が共存している。

「はい。24番の方。体温計はこちらへ」

淡々と来診者をさばく様子が漏れ伝わってくる。それを漫然と聞き流すうちに私は恐怖を取り戻した。

「しまった! 私は何という愚かな事をしでかしたのだ」

頭を抱えたが、時すでに遅し。

インターホンを連打し、ピシャリと扉が閉ざされた裏口に向かって謝罪を述べるが、届かない。


ああ、何という事だ。

そもそもの始まりは半年前の定期健診で精密検査を勧められたことだ。


そこで主治医の紹介状を携えて大きな病院をいくつも回ったが、どこでも「暫く様子を見ましょう」の一点張りだ。


何が経過観察だ。人の命を何だとおもってやがる。のんびりと構えている間に事態が悪化して取り返しがつかなくなったら誰が責任を取ってくれる。

いてもたってもいられなくなった私はキーワードを片っ端から打ち込んだ。検索結果から合致する病状を絞り込み、自己負担で検査してくれる病院を探した。

どこも重症者の待機数が多いらしく、オンライン窓口で断られた。私は諦めず、老後資金を解約してありとあらゆる伝手に頼った。

それでも「ナントカ外来」「カントカ相談」の多いこと。門前払いする意図がありありだ。


ウンザリするような問診票や膨大な基礎検査とやらをえんえんと積み重ねた。

その間に生活習慣指導だのメンタルカウンセリングだの、生産性のない問答を挟む。


よく眠れているか。

カロリー摂取量はどうか。

塩分は控えめにしているか。

よく眠れているか。


ポジティブに物事をとらえているか。

趣味やスポーツを楽しんでいるか。


人生に悲観していないか。

人間関係は良好か。

親兄弟に感謝しているか、



「うるせーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」


下らない質問事項の連発に私はブチ切れた。書類をテーブルごとちゃぶ台返して席を蹴る事、20と3回。


ようやく、私の相性とシンクロ率100%の病院に巡り合えた。

医者先生や看護師と患者の関係も良好だ。ネットのランキングサイトでも★が満ち溢れている。

そう、わが心の闇にも満天の星が輝いた。

検査の予約は半年待ち。


しかたない。超絶一番人気の病院だもんな。


待とう。


そしてカレンダーに×印をつけ、指折り数えてその日を待ちわびた。


「それではまず、既往症などお気づきの点をご記入ください」


受付でボールペンと紙の束を渡された。

また通過儀礼かよ。

うんざりしながら体温計を脇に挟みつつ、空欄を埋めた。


冷たい感触がシャツの中をすべる。



待合室あるあるだな。

だが、こんな小さなトラブルもイベントの一部として楽しむ余裕がある。


検査結果はどうあれ、悶々としたループから今日で解放される。


私の不安は次第に高揚感で打ち消されていった。


遂に名前が呼ばれた。


「山田さん、ヤマダヒコイチさん。黄色い花びらマークの扉前でおまちください」


おい。


耶麻山車やまだし 宏一です。難読氏名ですみません」


私は看護師の持つタブレットに正しい読みを入力した。

「たいへんしつれシマシタ」

彼女はたどたどしい日本語で謝罪した。近ごろはこうした多言語化に配慮してローマ字が併記されている。

「いえいえ。ここSが抜けてますね。YAMADASHI KOICHIです」


心の底ですこしムッとしつつ、彼女の笑顔に免じて許してやった。名前のことで子供の頃からさんざん嫌な思いをしてきたのだ。

大半の人に悪気はないのだろう。日本ではレアな苗字だ。間違えるなという方がおかしい。

それでも、からかいや虐めで受けたトラウマは今でも疼く。



「やまだしこういちさん!」


扉が開いた。

レントゲン医は大柄でフランクな男だった。

「ガハハ。まぁまぁ。気を楽にして」

屈託のない笑顔を振りまいて和ませようとしている。それも意図的ではなく自然体だ。

きっといい所のお坊ちゃんで順風満帆な人生を送って来たのだろう。気さくで人柄もよく、誰からも愛されるタイプだ。


ただ、私には気になる点があった。


彼のヘアスタイルだ。マッシュルームカットというか、辞書を開いて伏せたような髪型だった。

ポマードでも練りつけてあるのだろうか。ざっくりと中央で左右にわけられていた。


「…それでは大きく息を吸って!」


あまりに見事な造形に私はすっかり心を奪われていた。


「さん? ヤマダさん?! 聞こえていますか?」


スピーカー越しの声が少し険悪になる。


やばいぞ。それにしても枝毛ひとつない。風呂上りや毎朝のセッティングはどうしているのだろう。

気になって仕方ない。


「ヤマダさん! 聞いていますか?」


いわれるままに深く息を吸った。


「はい。そのまま息を止めて」


うーむ。パラマウント映画のシンボルをそのまま被ってるといえるほど見事な造形だ。

もはや芸術とさえいえる。


いったい、彼の頭は…。


「ヤマダさん! ヤマダ ヒコイチさん!!」


うるせえ!


その時、私は叫んだ。


言ってはならぬ言葉を。


理性が攻撃本能に負けてしまったのだ。




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