小さなまちの本屋さん

水原麻以

小さな町の本屋さん

小さな町の本屋さん


 昔々、あるところに小さな本屋さんがありました。その店は小学校のすぐ近くにあり、本だけでなく文房具や駄菓子を売っていました。終業のチャイムが鳴ると下校途中の子供たちが大勢やってきて、いつも賑わっていました。本屋さんは朝早くから夜遅くまでやっていて、勤めを終えた会社員や学校帰りの学生さん達もたくさん本を買っていきます。

 その時代に日がな一日営業している書店はありませんでした。しかも小さな田舎町ではとても貴重な存在です。

 娯楽の少ない町の人々は本屋さんをとても大切にしていました。

 映画館も遊園地も百貨店もなくて、急行列車も停まらない過疎の町ですから、本屋さんはレジャー施設の役割をしていました。

 あまり本を読まない人も、ついつい暇つぶしに本屋さんに立ち寄ってしまいます。そして、面白そうな雑誌や本を見つけて、ニコニコしながらレジに行くのです。

 一度、経営者の夫婦が病気になって、閉店の危機に見舞われました。

 それで町の人達は一人十冊本を買おうという運動を起こしました。

 営業が続けられるようにボランティアで店を手伝ってもいいという人もあらわれました。

 本屋のおじさんとおばさんが元気になるといいね。

 小学校の子供たちも病気の回復を祈りました。

 町の人々の願いが通じたのか、本屋さんは無事に営業を続けました。

 そして、田舎の本屋さんはいつまでもいつまでも繁盛するかとみんなが思っていました。

 ■

 本屋さんの入り口には雑誌の売り場があって、毎日入れ替わり立ち代わり、カラフルな雑誌が配達されます。それはページをめくらずとも表紙を見るだけでとても楽しくなってきます。

 子供向けの特撮ヒーローから美人のアイドルまでお店を華やかに彩ってくれます。雑誌たちは入荷したその日に飛ぶように売れていきました。

 それだけでなく難しい政治の話題を扱う雑誌や釣りや囲碁など趣味の月刊紙も揃っています。

 雑誌だけではありません。専門書も売っています。ある日、ドライブで町に来た若者が困った顔で店に飛び込んできました。

「困ったなぁ。彼女とドライブしていたんだけど、デートコースとか考えてなくて。どこかこの近くに素敵な場所はありませんか?」

 すると、店主のおじさんは奥の棚から大きな地図を取り出しました。

「これにはあまり知られていない穴場スポットがいっぱい載っていますよ。きっと役に立つでしょう」

 若者はパラパラとページをめくって「おおっ」と声をあげました。

「ありがとうございます」

 財布からお金を取り出すと、一目散に帰っていきました。それからしばらくして、新郎新婦が店にあいさつに来たそうです。

    

 おじさんとおばさんはとても嬉しそうでした。本棚の本たちもこぞって若いカップルに祝福を贈りました。

「僕たちはこの店に配本されて幸せだね」

「ええ、町の人達も喜んでくれるわ。こんなに素敵なことはないわ」

「そうだね。いつまでもいつまでもこのお店が繁盛するといいなあ」

 雑誌たちも楽しそうです。

 ところが、そんな様子を苦々しく思っている者たちがいました。

 店の奥にある薄暗い棚にある本たちです。分厚くて小さな字がぎっしりと詰まった本たちは「専門書せんもんしょ」と呼ばれ、敬遠されていました。

 お客が手に取ることもめったにありません。たまに、どう考えても読書とは関係なさそうなパンチパーマの男がやってきて、本に顔を埋めるふりをしながら、若い女性客を覗き見しています。

 すると、いち早く気づいたおばさんが、はたきを振り回して覗き魔を追い払うのです。

「あーあ。俺たちは与太者の小道具かよ」

「そうね。こんな店、早く潰れないしら」

 専門書たちは毎日朝から夕方までお客と店主の悪口ばかり繰り返していました。

「君たち、みっともないよ。仮にも高尚な学問の本だろう。だったら、もっとそれらしくふるまおうよ。明けない夜はないって諺があるじゃないか」

 去年の暮れに入荷した国語辞典が諫めました。

    

 専門書たちは若造の癖に生意気な辞典が許せません。

「うるせえ!」

 国語辞典と同じ列に並んでいる本が一斉に崩れました。すると、国語辞典はページを大きく開いたまま床に覆いかぶさってしまいました。

「あらあら、まあたいへん!」

 大きな音がしたので、おばさんが慌ててやってきました。

 気の毒な事に国語辞典はページが破れ、埃だらけになってしまいました。

「こまったわね。これじゃあ商品にならないわ。かわいそうだけど引き取ってもらおうかしらね」

 おばさんは問屋に電話をかけて国語辞典を返品してしまいました。

「ざまあみろ。俺たちに逆らうとこうなるんだ!」

「いいきみよ!!」

 専門書の民度と内容はどんどんかけ離れていきました。

 そんな険悪な棚割りをなんとかしようと頑張っている本たちもいました。

 文庫本たちです。

 彼らも雑誌ほど売れるわけではありませんが、夏から秋に出番がやってきます。小学校の夏休みには読書感想文の宿題が出されます。秋になると読書の秋ということで、まとまった数が出ていきます。

「どうしたらいいだろうね」

 純文学がいいました。

 すると、恋愛小説がこんな妙案を出しました。

    

「活字をもっとすきになってもらえばいいのよ。わたし、週刊誌さんから聞いたの。都会ではヒロポンというくすりがでまわっているんですって。それをいったん服用すると、癖になって、やめられなくなってしまうそうよ。お客さんを中毒にしてしまえばいいのよ」

「活字中毒ったってなぁ」

 探偵小説が困った顔をしました。

「俺たちに手足があればどうにか行動できるかもしれないが、せいぜい専門書のワルどもみたいな嫌がらせが関の山だぜ。それに、あまり中毒ってのは感心しないなぁ」

 恋愛小説は負けじといいました。

「愛よ! 愛さえあればこの世はなんでも解決できるの。愛は人生を変えるのよ! 女の子は一生けん命愛嬌をふりまけば、お嫁に貰らえるの!!」、

 探偵小説があきれ果てていると、哲学書が言いました。

「うん。それは一理あるかもしれないな。どうだろう。お客さんに手に取ってもらうように愛をふりまくんだ」

「愛読書という言葉もあるしな」

 漢和辞典も同意します。

「でも、どうやってお客さんにアピールするんだい。非科学的だ」

 空想科学小説が異議を唱えました。

「あなたねぇ。エスエフのせいにロマンもかけらもないのね。この見かけ倒し」

 恋愛小説もなかなか嫌な女です。普段からバカにしている心の隅をさらけ出しました。

「君たち。喧嘩は良くないよ。わしらは同じ書物じゃないか。わしにはお嬢さんの提案はナイスアイディアだとおもうぞ」

 難解なインド密教の本が仲裁に入りました。

    

「あんた、考えすぎてどうにかしちまったんじゃないか」

 空想科学小説が噛みつきました。すると、密教の本は不思議な力で空想科学小説を床に落としました。

「うわああ」

 幸いなことに空想科学小説は床に軟着陸しました。無傷で汚れもありません。

「若いの。エスエフを気取るならサイキックパワーを知っておろうが。別名、オーラともいう。ものみなすべてオーラが備わっておる。わしらにもある。それを放つのじゃ。愛のオーラじゃ」

 あまりの超展開に純文学はついていけません。しかし、百聞は一見にしかず、と漢字字典がとりなしました。

 密教本の力を目の当たりしたばかりでは、とても否定できません。

 難しい本たちは、一致団結して読書愛のオーラを放つことにしました。そのかいもあって、町の人々は小説や哲学書の棚にも足を運ぶようになりました。

 ただ、小説は売れても、専門書はなかなか買ってもらえません。一回だけ、睡眠不足の解消にちょうどいいと言って、相対性理論の本が一冊売れました。

「やっぱり、地図クンの奇跡はおきないものだな」

 密教本は複雑な思いでベストセラー小説たちを見送りました。そうこうするうちに、彼もレジに運ばれるチャンスが来ました。

    

 裏山のお寺を継いだ若い住職が、何かの研究の為だといって購入していったのです。

 やがて、オカルトブームが到来しました。UFOや宇宙人の話題がテレビで取り上げられるようになって、密教本や専門書が日の目をみるようになりました。

 空想科学小説もそのあおりで好事家こうずかの元へ旅立ちました。

 ■

「いいんだ。どうせ僕なんか」

 A3サイズの原色大図鑑がひとりいじけています。とりわけ大きな彼は鳥や花でなく物騒なピストルや刀の図解がびっしりと載せられています。

「いったいどういう需要があるってよ」

 彼は店主に憎悪を募らせました。こんな平和な田舎で武器の本を誰が読むというのでしょう。見込み違いにもほどがあります。

「僕はもっと都会の本屋さんにいくべきだったんだ。人がたくさんいるし、きっと僕を買ってくれるような変わり者もいるだろう」

 大図鑑は生まれの不幸を毎日呪っていました。

「あんちゃん。そう自分を卑下するなよ」

 専門書が慰めてくれます。そのころには密教本の影響もあって、専門書たちは大図鑑のよき相談相手に成長していました。

「武器の本は売れるかもしれないわ。都会ではハリウッドのアクション映画というのが流行っているらしいもの。わたし、週刊誌さんに聞いたの」

「そうよ。可能性はゼロではないの。自分をもっと信じなくちゃ」

 12冊揃いの美術書が励ましてくれました。

 彼女たちは一冊一万円もする豪華本で、バラ売りが出来ない約束になっています。

「わたしなんか図鑑君よりも需要がないわ。だって、町はずれに美術館ができるものねぇ」

 美術書の一人が悲し気にいいました。彼女たちの内容は展示物ともろに被っているのです。

「図鑑君。下には下がいるわ。だから、希望を捨てないで。わたし、信じてる」

「そうよ。わたしたちなんか」

「ずえーーーたい売れないんだから」

 12冊の本たちは大図鑑をしっかりと支えてくれました。

「ありがとう。僕はけっしてあきらめないよ」


 ■

「どんな資料でもいいから譲ってくれ、たのむ。うわーー」

 その太った男は、札束を握りしめてドタドタと店内を走り回っています。そろそろシャッターを閉めようとしていた店主はあっけにとられました。

「どうなさいました?」

 おそるおそるたずねてみると、男は息も絶え絶えにいいました。

「盗まれたんだよ。資料がごっそり入った鞄を。あれがなくっちゃ商売あがったりだ。明日の朝が締め切りなんだー。この世のおしまいだー」

 男は頭をかかえてうずくまります。

「本の事でお困りでしたら、当店がお役に立てるかもしれません。落ち着きなさい」

 店主はパニック状態の男に水を与えました。

 男はコップをぐいっと飲み干して、窮状を訴えました。

「僕は週刊少年マジカヨの売れっ子漫画家なんです。駅前の旅館で缶詰めになっています。資料がなくちゃ原稿がかけない」

 すると店主は奥から原色大図鑑を取り出しました。

「お探しの本はこれですか?」

 漫画家は半信半疑でページをめくり、「おおっ」と素っ頓狂な声をあげました。

「こ、これだ。僕は格闘漫画を描いています。僕の読者は本物志向でちょっとしたミスも見逃しません。この資料は僕がさがしていたものだ」

「でも、定価6万5000円ですよ。私どももギリギリの商売でやっておりますので、赤字はだせません。大丈夫ですか」

 店主が財布の中身を心配すると、漫画家は手持ちのお札を数えました。少し足りないようです。

 そのやりとりを大図鑑はハラハラひやひやしながら見守っていました。

「だいじょうぶよ」

「信じて」

「奇跡がおきるわ」

 美術本がエールを贈ります。

「電話を貸してください!」

 漫画家は店主の了承を得て、旅館に電話しました。すぐさま、編集者となのる女性がタクシーで駆けつけました。

「先生。原稿がいただけるのでしたら、背に腹は代えられません」

 彼女は、支払いを終えると、大事そうに原色大図鑑を抱えました。

「あなた、先生をしっかりサポートしてあげてね!」

 甘い言葉をかけられて、図鑑は幸せそうにお持ち帰りされました。


 ■ 

「あーあ。図鑑君、いっちゃった」

「いいわねー。あたしたちはきっとこのまま売れ残るんだわ」

「あの図鑑、どうせ連載が終わったらお役御免よ。かさばるし、古本屋にたたき売られるといいわ」

「古本屋もいい迷惑よね」

 美術書たちは彼がいなくなったタイミングを見計らって毒を吐き始めました。

 どんなに優しくて綺麗な女性でもストレスは溜まります。彼女たちは定期的に心の闇をはいせつしないと死んでしまうのです。


 時はながれ、経営者夫婦も要介護認定される時がやってきました。夫に先立たれ、女店主一人で店を切り盛りしています。

 骨粗しょう症が進んで、店に立つのそろそろつらくなってきました。

 少子高齢化の流れで、小学校も廃止され、お客がこない日もあります。美術書の12姉妹は年老いていくおばあさんに自分を重ね、このまま店と運命を共にする覚悟を決めました。

 やがて、町を新幹線が通る計画が持ち上がり、お店が取り壊される日が近づいてきました。

「わたしゃ、本が心配で」

 おばあさんが特別養護老人ホームに入所する日、迎えに来たヘルパーは埃をかぶった本の処分をどうするか施設長に相談しました。

 狭い施設に在庫を置く場所はありません。おばあさんの家族も大きな災害で天にめされていて、身よりはどこにもありません。

「少しでも売れる財産があれば処分するように成年後見人に伝えてあります」

「かえって処分費がかかるそうですよ。どうせ取り壊されるんだから、放置しておけば?」

 ヘルパーの女性は冷たく言い放ちました。

「いやだー」

 じたばたするおばあさんを屈強な男性ヘルパーが車いすに固定しました。

「あっけない人生だったね」

 美術書たちは、諦めて寂しく朽ち果てることにしました。こんなことなら大図鑑の行く末を祝福しておけばよかった。きっと神様の罰があたったのでしょう。

 悔やんでみても始まりません。12冊の姉妹は心静かに無人の書店で明日の取り壊し作業を待ちました。


 ■

 体育館のようにだだっぴろい広い部屋に絨毯よりも大きな紙が敷かれていました。

 そこにジーンズ姿の若い女性が立っています。彼女は絵筆を持ったまま、じっと悩んでいます。

 部屋にはツンと甘いお酒のような独特の匂いが立ち込めています。

 すると、ぐらりと床がゆれました。

 ガラガラと派手に物が崩れ、ヒステリックな叫び声がしました。

「わたしに何を描けっていうの?!」

 女性が割れた瓶を蹴り転がしています。床には色とりどり塗料がぶちまけられ、ガラスが散乱しています。

 いったいどういうことでしょう。

 それらがビリビリと震え、ドーンと衝撃が突き上げました。

「いいかげんにして!」

 彼女は柱にしがみついて、泣き叫んでいます。

「先生。貴女が筆をとらないと、だれがとるって言うんですか?」

 アシスタントらしき男がお為ごかしに勇気づけます。

「るせー! テメーが描けよ、バッキャロー」

「しかし」

「しかしもクソもねーよ! 絵の具が駄目になっちまっただろうが!! どーすんだよ、コンチクショー!!」

 彼女はドロドロになった灰色の粘液を見つめ、わあわあと泣きはらしています。

 すると、コツンと彼女の頭に何かがぶつかりました。

    

 一冊の分厚い本です。さっきの余震で棚から落ちてきたのでしょう。

「いてえんだよ。ひっちゃぶくそ、コンチクショー!!」

 彼女は八つ当たりしようと本に手をのばしました。

 そして、ハッと表情が固まりました。

「――これよ! これだったのよ!!」

 彼女は何を思ったのか大きな本を物凄い勢いでめくり始めました。

「どうしたんですか? 大丈夫ですか?」

 アシスタントが女性の異常行動を心配して駆け寄りました。どうやら、地震のショックで気がふれたと判断したようです。

「斎藤! あれも持ってきて!!」

 女性は物凄い勢いで男を振り払うと、偉そうに命令を出しました。

「あれって?」

 キョトンとする彼に罵声が浴びせられます。

「はぁ? 腑抜けてんじゃねーよ。あれったら、あれだろ。あの本だよ」

「あ、あれですか?」

「あれったら、あれに決まってるじゃんよ。全部持ってこさせろ」

「しかし、まだ交通機関が……」

「はぁ? テメー。明日の除幕式。総理も来るんだろーが。おジャンにしてーのかよ!!」

「はぁ、しかし……」

「全部だ。全部、持って来たら一晩で完成させてやんよ」

 彼女は重要な任務を帯びているらしく、のっぴきならない状況に追い込まれてるようです。

「本当ですか? 本当に式典に間に合うのですか?」

    

 鬼気迫る表情にアシスタントは本気を感じ取ったようです。

「死んでも書きあげてやんよ!」

 女の背後からメラメラとやる気が燃え上がります。

「わかりました。週刊少年マジカヨ編集部の総力を挙げてお届けいたします」

 アシスタントは言い終えると、バタバタと部屋を出ていきました。

 その日の夜遅く。もうすぐ日付が変わろうかという時刻のことです。床の上には12人の美人画が並べてありました。どれも見事な水墨画です。

 絵師の女はそれを見ながら、一心不乱に灰色の絵の具を白い紙に塗り付けていきます。

 それをじっと見守る老人がいました。週刊少年マジカヨの現編集長です。彼は言いました。

「あの店が閉まると聞いた時に、手を打っておいてよかったよ。僕は今こそ恩返しができる」

 彼は原色大図鑑を愛おしそうに抱えて、つぶやきました。

 女性は黙々と大きな紙に魂を吹き込んでいきます。

 そこには、あの小さな町の本屋さんと12人の女の子が描かれていました。

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小さなまちの本屋さん 水原麻以 @maimizuhara

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