企画参加エッセイ。ウサギと温暖化とチキンレース
水原麻以
歯医者にて
目の前にニンジン、ならぬ無影灯がぶら下がっている。
歯医者だ。三か月に一度の定期健診と歯石取りのために来ているのである。
そして正面モニターに田園風景が流れている。
わたしは180度リクライニングできる椅子に腰をかけ、それを複雑な気持ちで眺めている。
正直言って歯科は嫌いである。あの脊髄をえぐるような切削音が耐え難い。脳髄や魂だけでなく、わたしという人間の存在理由そのものが削り取られる気がする。だって、拒否権が一切認められないのだ。身震いすら許されない。微動は死を意味する。
意思表明はできる。しかし、片手をあげたところで「はーい。もう少し頑張ってくださいね~」という甘い女声が返ってくるだけだ。
施術室の席上において、歯医者の絶対王権が君臨する。
そういうアンシャンレジームが歯がゆい。王政復古の時は刻々と迫っている。
高潮する緊張感を牧歌的な映像がぶち壊しにしている。
なんとも場違いなドタバタ劇。
農夫が逃げ出したウサギとニワトリを追っているのだ。両者は飼い主に追い詰められ背水の陣である。 しかし、ニワトリは羽ばたいて逃げ、ウサギが草花にしがみついて足をバタバタしている。
彼の境遇にわたしはとても共感した。
世の中は閉塞感に満ちあふれている。聞いた話であるが、助け合いや平等を十代二十代の前で唱えると「ジジイババアの老害ファンタジー」だと一笑に付されるという。
資源や食料がどんどん細っていく地球で全員が幸福を賄うことはできない。人類は兄弟姉妹といっても格差は解消不可能だし、平等を徹底しようとすると血で血を洗う争奪戦争が起きる。
つまり、ジジイババアが唱える「福祉公平の実現」は人類を戦争へ駆り立てるというのだ。
ある親が嘆いていた。彼は団塊世代である。人類愛や助け合いを子供に教えようとすると「学校で習ったことと違う」と叱られる。
飢餓を救おうとすると地球が何個も必要になる。それをどうにかやりくりするのが持続可能な社会の模索である。
学校教育は思考を促すが、肝心の解答を教えてはくれない。
どうにかするって・・・・最悪、力による分配しかないじゃないか。
子供たちに厳しい現実をどうおしえればいいのか。
ウサギは持続可能な社会に生き残っているのか。
調べてみると温暖化はウサギの一部を直撃するようだ。
カンジキウサギは北米の山岳地帯に生息する雪のように白いウサギだ。普段は体毛がカムフラージュしている。
しかし雪解けの時期になると茶色い土や枯葉といった背景になじめなくなる。
ふつうは一週間ほどで換毛を迎えるが、その間は大型捕食動物の餌食になる、
幸いなことにウサギは、はん殖力がおう盛で絶滅を免れることができる。
カンジキウサギは毛が生え変わるタイミングを積雪量や気温ではなく日照時間で測っている。
ところが温暖化が進むと雪解けの季節が繰り上がるためにウサギの体内時計と齟齬が生じてしまう。
そのずれは21世紀の末で2カ月ほどにもなるという。
ウサギが絶滅を免れるためには進化学上で三つの必要条件を満足せねばならない。
一つは体内時計のズレが遺伝すること。もう一つはタイミングの補正に柔軟性があること。
最後は適応進化を促す要素があること。すなわち、喰われてしまうという強迫観念だ。
さて、カンジキウサギは進化のチキンレースに勝つことができるのだろうか。
そして、わたしたちも。
企画参加エッセイ。ウサギと温暖化とチキンレース 水原麻以 @maimizuhara
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