アタイはメイドで相撲取り

明日葉叶

第1話 山・先輩・千秋楽

「どすこーい!!!!!」

 今日一番の掛け声とともに、森の大木に三百二十一回目の鉄砲をするアタイ。

 いつもならこの時間は、バイト先のメイド喫茶「どすこい」でウェイターとして働いているけど、今日は分け合って休みをもらっているんだっ♪

「んどすこーい!!!!」

 揺れる大木から小鳥たちが慌てふためきながら散り散りになる。そんなに慌てて逃げなくても、今日のお昼ご飯は持ってきてあるから心配いらないのに……なんて思いもあるけれどやっぱり見ているとおなかが空いてくるから育ちざかりはしょうがない!

「おいおい三好道山。そんなに力んじゃ鉄砲柱がもたんだろぅ? もう三本もなぎ倒しているんだぞ? 大概にしないと、大きなところで大きな騒ぎが起きて面倒なことになるぞ」言いながら初夏の日差しに照りつく汗をぬぐう先輩はいつもより脂が乗っていて、輝いて見える。

 なんてアタイったらっ!

 どーーーーーーーーーーん!!!!!!

 三キロ先まで響くアタイのてっぽう稽古。こんな山奥だし、なんてったって先輩を目の前にして緊張してしまってそれを誤魔化すために一生懸命稽古に励んでいるつもりなのに、頑張れば頑張るほど間伐作業のおじさんたちの注目を浴びてしまう。あんまり見られちゃうと恥ずかしくって今日のお昼ご飯が進まなくなっちゃう。

 事の発端は毎日オリジナルちゃんこメニューの研究にいそしむ店長が「千秋楽だねぇ……。三好、あんた稽古の方はできてるんだろうね?!」なんて日が沈む街並みに険しい表情で口を開いたのが始まり。

 アタイは不覚にも内心あせっていた。だってここしばらく千秋楽の気配なんてなかったし、毎日出されるデザートちゃんこシリーズの試食に忙しくてお店の中にある鉄砲柱だってしばらく触れていないんだから……。

「呼んどいたよ。一番弟子」


 ……えっ!?


 アタイの心の打ち囃子は、秒を追うごとに早まって……。

 気が付いたころにはアタイは来店された親方様をそっちのけで鉄砲柱に向かっていた。

「お! 三好道山今日もやってるね。とりあえずちゃんこコーヒーもらえる?」

「……すいませんねぇ親方様。生憎三好は今日から千秋楽がやってきたみたいで」


 一番弟子の滝ノ海先輩。アタイの憧れの先輩であり、恋の……なんてアタイったら♪

 めりっと音を立てた杉の木は、大きな音を立てながらみるみる草むらの中に消えて行ってしまった。ちょっと力んじゃったかな?

 滝ノ海先輩は河原の大きな石の上で四股を踏みながら値を見つめている。そう想像するだけでご飯三杯は行けることをおなかが鳴った。虫なんて食べたことないのにどうして腹の虫だなんていうのだろう。いくら成長期のアタイだって虫までは食べない。見ていておなかが空くのは近所に住む野良猫くらい。

「お、もうこんな時間か」滝ノ海先輩は自前の日時計で時間を感知する。

 アタイの腹時計からしてすでに正午は過ぎているに違いない。

 家からすり足で二時間のこの森の奥深くで、もちろんおいしい牛丼屋なんてあるわけない。だからといって先輩の目の前でウサギを捕まえて捌くなんて蛮行もできるわけもない。そもそも、アタイはこういう時のために店長の指導の下新作ちゃんこについて研究を重ねてきたのだ。むしろこの日のためだけにといっても過言ではない。

 アタイはついでにディスカバっている。夜中、どうにも野生の血が騒ぐときはエドが捌く野生動物の血の滴りをみてはその高鳴りを抑えている。その真骨頂を今ここで試さなきゃ。

 先ほど倒した杉の木から少し枯れている葉っぱをもらう。ついでに木の枝を一本。

……先輩見ていてください。

「んなぁぁぁぁぁぁぁろうぅぅぅぅぅっぅぅぅぅぅぅ!!!!!!!!!!」

 超高速で回転させる小指の太さにも満たない杉の枝は、アタイの渾身の力により先端が赤々と熱を発した。そう思った瞬間には火が付いた。

 アタイの心にも、先輩という名の火がついちまったよ。


 店長非公認のアタイの新作ティラミス風ちゃんこ。

 女子の小腹を満たす至高の存在と、アタイら力士界隈の命の水とも言えるちゃんこの究極の形。アタイの発想を追い抜けるものなどこの世にはいないのだ。

 煮えたぎる肉汁の中に、黒いチョコが融けている。匂いは正直そうでもないけど、しょっぱいちゃんこにチョコの甘さが加わって、至高に至高を掛け合わせるみたいにその領域はすでに朝青龍クラスになっているはず。

 ……先輩は一度だけその中身を凝視した後黙って箸をつけた。

 あぁ、そうか。先輩はきっと……。

 アタイの中でチョコのような妄想がはじける。

 先輩はきっと、アタイの初めての手料理に緊張のあまりうまくしゃべれないのだ。なんてったってアタイの愛情が籠っている一品。何度も味見を繰り返して、チョコの量の調整。肉の脂身の増量。塩加減。すべてにおいてアタイの好みに合わせた料理。なんならアタイがそのまま料理になったといってもいい。

 ん? アタイが料理?

 ならばアタイはいま先輩に……。

「なんだかこの料理はとてもよくちゃんこに似ているなぁ……。見た目はともかく、俺はこの料理が好きだ」

 好き……。アタイの両の耳は明らかにその褒美の言葉をキャッチした。(通称三好ear:三好にとっての都合の悪い情報を遮断し、都合のいいように聞き入れる能力を持つ)

 アタイの作った料理が好き、ならばアタイが好きといっても過言ではない。いや、むしろそうに決まっているに違いない……。

 アタイの恋の千秋楽は終盤を見せている。

 アタイの心の高鳴りとは裏腹に、滝ノ海先輩は川でアタイらの使った食器を軽く洗っていた。どういうわけか川の水は先輩を境に茶色く濁り、その先で魚が数匹浮かんでいるけど先輩ったらもしかしたらアタイの夕飯のために魚を調達してくれてるのかしら……。だとしたらこれは未来の花嫁たるアタイもこの二人の初めての共同作業に参加しないわけにはいかないじゃないか……!

「……先輩、その狩りアタイも付き合います」

「いや、三好道山は休んでおけ。これ以上自然環境を破壊させるわけにはいかない。自然がかわいそうだ」

 そんなこと言いながら先輩は未来の伴侶になるアタイにやさしい気遣いを見せてくれているのに、アタイったら何にもできずにただ立ったままで四股を踏むことすら出来ない……。

「そう気に病むな三好道山。命あるものいつかなくなる。でもな、無下に命を脅かすものを作るべきじゃない。俺はそう思う。別にお前の作ったものに対して難癖をつけているわけじゃない。ただ、作るものの組み合わせを少し考えたほうが……」

 三好。こういう時こそガッツが必要なんじゃないの?

 三好。アンタこういう時のために修練してきたんじゃないの?

 三好。アンタ恋の千秋楽なんて甘いものばかりなじゃいの。そんな常識も知らないでアンタ、結局先輩をどうしたいの?

「先輩、こういう時くらいしこ名で呼ぶのはやめてください……」

 アタイはもう我慢の限界だった。

 相撲と出会って早数年。アタイはアタイなりのすり足のスピードで、先輩の背中を追ってきた。苦行に心が折れそうになった時、先輩はアタイに使用済みのふんどしをくれたじゃないか。これを見てお前もがんばれって言ってくれたじゃないか……。

 悲しいときもうれしいときも、いつも先輩はアタイに使用済みのふんどしをくれたじゃないか……。

「三好、いい加減後輩なんだから俺の身の回りの世話もしてくれないと」

 身の回りの世話……やはり先輩もアタイとの将来のことも考えてくれていて……!

 一歩、先輩に歩みを寄せる。

 対岸の木々から鳥たちが恐れおののき一斉に散り散りになる。アタイの決死の覚悟に。アタイを食べた先輩を今度はアタイが……。

 そう考えた瞬間、アタイの記憶は朱く染まった。

 アタイ……………。

 

 気が付くとアタイは塀の向こうにいた。

 看守さんがアタイと目が合うなり、おびえるような視線を伏せる。

 聞けばアタイは公務執行妨害並びに殺人未遂の容疑で取り調べを受けているらしい。

 なんてこったい。これじゃ夕飯の鶏のから揚げが食べれないじゃないか。

 かつ丼くらいはちゃんと出してくれよ看守さん。アタイの腹は既に……。


 ……はっ!先輩……!?

「あんた、親方様がいらっしゃってるってのに挨拶の一つもしないで……。時給(主に食事)下げるよ!?」

 塀の向こうにいたというのは夢……。

 でも、先輩は。あの後どうなったのだろう……。

「次のニュースです。先日クマに襲われたとみられる男性の遺体が山中から見つかり、警察の方で身柄の確認を急いでいます。近くにたき火の後があったことから、男性は付近にキャンプに来て迷ったと身らえれており、警察は引き続き調査をするとしています」

 あぁ、先輩よ何処に……。

 考えれば考えるほど、それと同じくらいにおなかが空くアタイは店長に文句を言われながら親方様にご注文の品を持っていくのであった。

 ついでにつまみ食いをするのであった。


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