世界はあなたを大切としない

しん

第1話 生まれた日 

「ふぅ……」


 最近はため息ばかりだ。社会人になってからというもの、仕事をして帰って眠りにつくだけの日々。これが後何十年も続くと考えると苦しくなる。


 思い返せば流されるままに生きてきた。生まれた家がお金持ち、とまでは言えずとも毎日食事を満足に取れて、学校にも通わせてくれた。そんな恵まれた環境に生まれながら、学校での勉強はそこそこ。特に何かに打ち込むわけでもなくずるずると過ごし、国境周りの警備兵として就職した。


 社会に出ると今まで通りとはいかなくなった。自分一人で背負う責任が圧倒的に大きくなった。自分のミスはすなわち国家の不利益となる。3か月ほど前には不法入国者たった一人に対して入国を許してしまった。焦ってしまい、単独で捕縛しようとして軽くあしらわれてしまった。見つけた時点ですぐに応援を呼ぶなり、設置魔法を起動して拘束するなりやりようはいくらでもあったのに。


 結局、国防兵が出動する羽目になった。事態はすぐに解決したが、自分自身のミスひとつでここまで大ごとになったという事実はかなり精神的に響いた。先輩方が本件に関してフォローをしてくれて、僕に優しい言葉をかけてくれたが、その優しさが傷口に沁みた。


 毎日特別やりたくもない仕事を必死で行って、帰宅後は疲れて寝る。休日は平日の疲れをとるために休養の時間となる。ここまでしてを続ける意味はあるだろうか。

 と、毎晩こんなことを考えては特に現状を変えようと行動するわけでもなく終えていく。


「あぁ……、もう寝よ」


 瞬間、けたたましい音に意識が戻される。緊急連絡エマージェンシーコールだ。これは警備兵だけでなく、国防兵までに知らせる緊急事態だ。


「なんだこいつ?」


 仕事用端末に映し出された映像は魔装単車まそうたんしゃから逃げる男の姿だった。

 魔装単車まそうたんしゃは最高時速300キロの乗り物だ。運転は単車に積まれた魔力演算機が行うから使用者は対象の処理に注力できる優れもの。そんなのを相手取って軽々と逃げ続けているこいつは何者なんだろうか。魔法を使ってるようには見えないが……。


「ひとまず本部へ急ごう」


 本部へ着いた頃にはすでに男は捕まっており、留置所に連行されているところだった。結局、高位の拘束魔法を使う羽目になったらしい。


「だからぁ! 星を見に行ってただけだって!」


 と、男は訴えながらも無慈悲に留置所へ入れられた。


「詳しくは明日話を聞くから、じゃあ後はよろしく」


 ということで僕がこの男の監視に選ばれた。本部によればこの男は魔法が使えないから危険は無いと判断されたらしい。


「えっと……、大丈夫?」


 思わず話しかけてしまった。捕まっている人と私語なんて、見られたら怒られるですむかどうか……。


「まあ、体は問題ねぇな。でも退屈なのは大問題だ。なあ、話し相手になってくれよ。俺はイダン、お前は?」


「末端の警備兵、ケノスだよ」


「ケノスぅ~、こっから出してくれないか?」


「僕にそんな権限ないよ……」


 仮にも捕まっている身なのにもかかわらず、どこか楽しそうだ……、変な奴。だが、彼に対する興味は大きくなるばかり。


「イダン、何個か質問していい?」


「取り調べは明日じゃなかったのか?」


「個人的な疑問だよ、聞いたところ魔法が使えないそうじゃないか。それなのに魔装単車まそうたんしゃから走って逃げることができてたのはなんで?」


「ああ、俺は確かに魔法は使えない。医者によれば魔法回路はあるけど出力端子がないらしい」


 学校で学んだっけな。人は常に空間を漂う魔素を取り込み、古くなった魔素を体から排出していると。健康の維持や運動するためのエネルギー、そして魔法を使うために魔素は使われる。しかし、魔素が持つすべてのエネルギーが使われるわけではない。必ず魔素を何かに使う場合、魔力損失が生じる。その際に残る魔素の搾りカスみたいなものは出力端子から体外に放出しないと体に悪影響があるらしい。でもそれなら……。


「なんで生きていられるんだ?」


「俺もよくわかんないけどよ、俺の体は魔素をエネルギーに変換する効率がありえないくら良いらしいだと」


「だから、魔力損失でできる不純物の影響はなく、凄まじい身体能力を手にしていると?」


「そうだ、だがまったく悪影響がないわけじゃないぞ。ときどき人為的に魔素抜きをしなきゃいけないし。魔素を出力できないから魔法は使えないし」


 理屈はわかったがそれにしたって凄い運動能力だった。本当にこの男を危険でないとして処理してもいいのだろうか。


「もう一つ聞いていいか?」


「もちろん! いいね、退屈しなくて」


 今更だがしゃべりすぎだな……。だがもっとも聞きたいのは次だ。


「すでにイダン、君の情報は上が調べている。君はこの国、ティフィロス出身だそうじゃないか。てっきり敵国のスパイかなんかかと思ったが」


「だから言ってんじゃんか、星を見に行っただけだって」


「外は敵国の人だったり怪魔物かいまものがいて危険なのにわざわざ星を見るためだけに……」


「知ってるかケノス。この国から5キロくらい離れたところにあるアステリの丘で見える星々の美しさを」


「見たことはないけど……。街の中より標高が高くて明かりも少ないから綺麗に見えるだろうね」


「見たことないんなら知らないのと大差ないぜ、ケノス。俺はさ、もっと知りたいんだよ」


 そう言ってイダンは語りだした。美しい碧眼の双眸を輝かせながら。


「俺らはさ、知らないことだらけなんだよ。それってさ、すげーもったいないと思うんだよな。例えば、さっきの星の話。昨日街を歩いていたら国境警備隊の人が言ってたんだよ。アステリの丘で見る星は戦火を忘れ去れるほどに美しかったって。


俺はケノスみたいに学がないからよ、高くて明かりが少ないほうが星が綺麗に見えるなんて知らなかったからさ、あんまり信じられなかったよ。でも気になって仕方がなかった。んでこっそり警備の目を抜けて見てきたときに思わず泣いちまったんだよ。煌々と輝く星はそれぞれ少し、あるいは大きく異なっていて、力強く輝いてるやつ、弱々しくも綺麗な色を持っているやつ。仲よく遊んでる子供達みたいに集まって輝いてるのもいて……。俺なんかとは関係なく星々は存在しているんだろうけど、俺の世界じゃあさ、知ったことで初めてこの星々が誕生したんだよ。


俺はずっと思ってきた。俺の知らないところには美しいものとか、面白いものとか、醜いものとか、数えきれないくらいあるはずで、でもそれらはまだ俺の世界じゃ生まれていないんじゃないかって。想像だけじゃ不完全なんだ。ただ光景を思い浮かべてもそいつは全く味がしないんだ。実際に手に取って、噛みしめて、目を閉じて感じて初めて人は得ると思うんだ。この世界を」


「――」


 聞き入っていた。イダンが語る言葉を。彼の言葉はあたりまえのことを語っているようにも、誰も気づいていないことを語っているようにも思えた。


「――イダンは、これからどうするの」


「世界を歩こうと思う。幸い足には自信があるしな」


 冗談のような、決してそうではない言葉に僕は惹かれていた。最初に彼を見たときに気になった理由がわかった気がする。彼は下を向いていない。前を、あたり一面を見て、そこに映るすべてを嬉しそうに受け入れている。僕が生まれる途方もなく昔から続く戦争が世界を支配しているこの時代に、彼はこの世界を生きようとしている。その姿はあまりにも理想的で……。


「イダン、僕も一緒に連れてってくれないか」


「ケノスも知りたいことがあるのか?」


「どうだろ……。でも、イダンの言葉を受けて少し気になっていたことを思い出したんだ。」


「聞かせてくれ」


 イダンの真剣な眼差しが、ずっと蓋をしていた想いを吐き出す緊張を和らげてくれた。


「僕は生まれて以来、ということをしてこなかった。与えられた環境で、与えられたものを享受するだけ。この国では非暴力を掲げて戦火から遠ざかっているから正直戦争も現実味がなくて……。何も考えなくても生きていけると思ってた。それでも少し思ったことがあるんだ。もし何をしても咎められることがないとしたら僕は何をするのだろうと。


何も出てこなかった。今まであらゆるものに対して意識を向けずに過ごしてきたから自分が魅力的に感じることに関してピンと来なかった。そのとき急に怖くなったのをよく覚えているんだ。自分は虚無だ、と。自分は本当に存在しているのか、今感じている様々な刺激は僕のものなのか。すごく、すごく怖ろしくなってすぐに考えるのをやめちゃった。それ以来、この問題に対しては触れないようにしてきたんだけど、――イダン、君を見て思ったんだ。僕はただ世界を目に映していただけなんじゃないかって。網膜を通してただ映像を受け取っていただけで、そこに意味や価値が伴っていなかったんだと思う。だから、僕も世界を見て回りたい。本来、僕らに平等に与えられているこの世界を正しく受け取るために」


 思わず熱が入り、長く話してしまった。言葉にしてみると驚く。自分はこんなにも現状を変えたいと願っていたのか。イダンがいなければこの想いと向き合うことはなかったのだろうか。


「――ケノス、よろしくな」


「……ああ!」


 彼は僕の想いをただ静かに聴いてくれた。今日初めて会って、鉄格子一枚隔てた僕と彼。こんなにも明日が楽しみなのはいつぶりだろうか。












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