その最強の記憶はわりと頻繁に飛ぶ
名無しの夜
第1話 エルフ
「あの悪魔を倒す? 人間の貴方が? そのようなことができるわけがないでしょう。貴方は馬鹿なのですか?」
俺様が素晴らしくお得な提案をしてやったというのに、どうしたことか、目の前にある非の打ちどころのない美貌が怒りに歪んでしまったではないか。
「一体何を怒ることがあるのだ? エルフというのは存外短気なのだな」
エルフ。白く透き通った肌に、ツンと尖った耳。そして神が設計したかのように一切の狂いを許さぬその美貌。なるほど、見るのは初めてとなるが、最美の種族などと謳われるのも納得の美しさだ。
「貴方が愚かなことを言うからです」
「愚か? 俺様が貴様らを救ってやろうという提案の、一体どこが愚かだと言うのだ」
エルフの隠れ里が悪魔に襲われている。そんな噂を頼りにわざわざこんな山の中まで足を運んでやったというのに。怒る前に感謝の一言でも口にできないものだろうか?
「悪魔に包囲されているこの里に入れるくらいです。多少は腕が立つのでしょうけれど、たった一人の、それもエルフでもない人間に何ができるというのですか。さぁ愚かなことを口にするのはやめて、訪れた時と同じように去りなさい。それが貴方のためなのです」
「俺を知らぬ女が何をもって俺の為だと抜かすのか。もしも嫌だと言えば、さて、貴様は一体どうするというのだ?」
「どうして嫌だと言うのですか。貴方は何か私達に望むことでもあるのですか? よもや、そこいらの下賤な者のように男の欲望を叶える情婦が欲しいなどと言うつもりではないでしょうね」
そう言って、一人だけやたらと高そうな鎧を着たエルフは冷笑を浮かべた。美貌と相まったその威力は凄まじく、侮蔑に満ち満ちたあの笑みを向けられたのが俺様のような肝の座った男でなければ、思わずすくみ上がっていたに違いない。
もはや間違いないだろう。この女がリーダーなのだ。どう見ても二十代にしか見えぬが、エルフは年を取らぬと聞くし、目の前の女も実はそれなりに歳のいった女なのやも知れぬ。また、他のエルフが金髪金眼であるのに対して、この女だけが銀髪銀眼であり、その美しさも際立っていた。
「クックック。そうだと言ったらなんだと言うのだ? 女、酒、金。それが俺様の求めるモノ。このまま放っておけば何もかもを奪われるだけの貴様らが、このうちのどれかを提供するだけで幸運にも生きながらえることが出来るというのだ。それともまさか貴様、無償で助けろというのではあるまいな。何の恩もない貴様らのために命をかけて。だとしたらこれは傑作だ。傲慢さもここに極まれだな」
「貴方に悪魔を退けるだけの力があるならば、無論そんなことはないと私達は知っていますが、その時は酒や金銭であれば喜んで提供いたしましょう。しかし女を差し出すことは致しません。命を力で脅かされはしても、決して暴力に我らは隷属しない。それがエルフの誇りだからです」
何と大袈裟なことを言う女であろうか。おおよそ全ての生物がやる営みを俺様に対して行うだけでこの窮地を抜け出せると言うのに、それを拒むとは。
お望み通りこのまま帰ってやろうか?
そんな考えが決して現実味を帯びないのは、ひとえに目の前の女の美しさが故だろう。
「……いいだろう。そこまで言うのならば、悪魔を倒した暁には酒と金を貰おう。そして極上の料理でもてなしてもらおうか。こんな森で細々と暮らす貴様らに美しさ以外の、一体どれだけの蓄えがあるのかは知らんがな」
「何をやる気になっているのですか。仮定の話を真に受けてしまったのですか。もう一度言います。人間の出る幕はないのです。貴方はもしかしたら何処かで首尾良く悪魔を打倒したのかもしれません。しかし違うのです。この里を襲っている悪魔は決定的にそのような者とは違うのです」
「ふん。侯爵級。俗に言う中位悪魔か」
悪魔が地上侵略に乗り出して三百年。
かつてこの星の隅々までを支配し、栄華を極めていた人類は悪魔達の超越的な能力の前になす術なく、今や滅亡の手前まで追い詰められている。そしてそれは遥かな昔、人類の守護者と呼ばれていたエルフも同様だった。
「知っていましたか。そうです。男爵級や伯爵級のような下位の悪魔とは違い、それでも人類の殆どは勝てませんが、中位悪魔はそもそも人の敵う相手ではないのです。エルフの私が敵わない相手に、人間の貴方がどうして敵いましょうか」
「良いか、エルフ」
「ユリナです」
「説教くさい女、ユリナよ。よく聞くがいい、悪魔だろうがなんだろうが、このラザーニア様に勝てる者など存在しないのだ。俺様こそが最強なのだ。だと言うのに、貴様はエルフであると言うだけでそんな最強な俺様に上から目線。即刻その態度を改めるがいい」
「なんという愚かな自信なのか。聞きなさい、ラザニアよ」
「ラザーニアだ」
「人の中で多少抜きん出てはいても、人には人の限界というものがあるのです。貴方がそれを解しない愚者だというのならば、このようなことは胸が痛むけれど、かつて人類の守護者と謳われたエルフの一員として、貴方に現実を教えてさしあげましょう」
ユリアの銀の瞳に陽光を浴びた刀剣のような光が浮かんだ。それが合図だったのかはさておき、俺様の背後で傍観者となっていたエルフの内、実に二人が襲いかかってきた。
「ふん、くだらん」
振り向くまでもない。
俺様は腕を組んだまま体からちょいっとばかしの魔力を放ってやった。するとどうだ、愚かな二人は愚かにも地面を転がるではないか。最強たる俺様が魔力を放てば、それだけでそこいらの魔法使い共の風よりも余程強力なのだ。
「なっ!? そ、そんな……こんなことが!?」
一体何を驚くことがあると言うのか。俺様からすれば順当すぎる結果に、しかしエルフの長は納得いかなかったようだ。
「月の恩恵を今ここに」
ユリアの掌から伸びた光が瞬く間に銀色の弓へと形を変えた。同様にして生み出した矢をエルフの卓越した技巧を持ってつがえると、ユリアは一息の内にそれを放とうとする。無論。そうはさせなかったが。
「遅いぞ。遅すぎるぞ」
「なっ!?」
俺様は人間とエルフの間にあった距離を瞬く間に詰めてやると、今まさに放たれた矢を掴んで止めてみせた。エルフの指から解き放たれた糸はそれでも矢を前に押し出そうと健気な努力を続けてはいたが、俺様にとってその努力を打ち破ることなど赤子の手を捻るのとなんら変わらなかった。
「そ、そんな?」
こと此処に至れば、この美しくも傲慢不遜なる女もどちらが正しかったのか理解したとみえる。俺様は片手を振るうことで、力の抜けた女の手から弓と矢を地面へと放らせた。銀の体を泥で穢された弓矢は、最早ここには居られるとばかりに光の粒となって消えた。
「……分かりました。貴方が悪魔を倒せるよう尽力致しましょう。また、倒した際にはお礼としてエルフの秘蔵酒と黄金をお渡しいたしましょう」
「それでいい。……とりあえずはな」
悪魔を倒し、酒でも飲み交わせば、俺様に抱かれても良いと言う女の一人や二人現れるやもしれぬ。無論、せっかくなので目の前の高慢な女の柔肌をこそ拝んでみたかったが、無理矢理女の衣服を剥ぎ取ると言うのはあまりに無粋で行う気にはなれず、さりとて女の方にその気がないのであれば、これは機会がなかったのだと、諦めざるを得ないだろう。
「とりあえずも何も、貴方にお渡しできるのは今言ったので全てです。そのことはお間違いなきように」
「クックック。分かった。分かった。さて、それでは早速くだんの悪魔を一捻りといくかな」
「今から行くと言うのですか?」
「早い方が良かろう?」
「それはそうですが、こちらにも準備というものがあります。それに悪魔はあまりにも多くの魔物を従えています。それらを掻い潜って悪魔の首を取るには作戦が必要なのです」
「教えてやろう頭の硬い女、ユリアよ」
「いえ、ただのユリアです、もしくはエルフの族長ユリアです」
「どのような策も圧倒的な力の前では無意味なのだ。そして俺様こそがその力なのだ」
ごちゃごちゃ考えるのは性に合わん。無論、目の前の美女があれやこれやと健気に考えた策であれば乗ってやりたい気持ちも多少はあるのだが、そういうわけにもいかんのだ。俺様には細々とした策に乗れない理由があるのだ。
「……分かりました。それほどの自信があるのでしたら、これ以上は何も言わないでおきましょう。その代わりその自信の根拠を存分に見させてもらうことにします」
「まさか貴様、ついて来るのか?」
「ついて来るも何も、これはもとよりエルフの戦争です。臆病風に吹かれている者など私達の中には一人もいないのです。そうでしょう、貴方達」
気炎を吐く長に応えるように、弓やら剣やらを掲げたエルフ達が雄叫びをあげる。
「クックック。良いだろう。最強たる俺様の力を特等席で見せてやろうではないか。だが俺様のあまりの凄さに惚れても知らんぞ?」
「強さを見せつければ女が皆貴方に惚れると思っているのですか? だとしたならば、呆れた楽観ぶりですね。ですが今はその楽観さに賭けるとしましょう。貴方がその大口に相応しい戦果を挙げることを願うとしましょう」
上から目線はそのままに、エルフはこちらに手を差し出してきた。
「クックック。面白くなってきたではないか」
考えてみれば簡単に手に入る女を抱くよりも、こちらの方が道のりがあって楽しいかも知れんな。なぁに、これから起こる戦いで親しくなる機会はいくらでもあるのだ。その為に最強の男の力を存分に見せつけてやろうではないか。
俺様はこれから戦友となり、そして愛人予定でもある女からの握手に応じた。すると邪なる思いが顔に出てしまったのか、エルフは少しだけ嫌そうに顔をしかめた。
「その冷たい眼差しが討伐後どう変化しているのか、実に楽しみだぞ」
「言っていなさい。あるいは戦士として貴方を尊敬することはあるやも知れません。しかし女として貴方を慕うことは絶対にありません。何故ならばーー」
「ちゅき🖤」
「む?」
気付けば俺様はベッドの上で横になっていた。先程まで自信たっぷりな様子で俺様の女にはならぬと公言していたエルフはどうしたことか、一矢纏わぬ姿で俺様の胸板を愛おしそうに撫でているではないか。
「ああ、何という逞しい体なのでしょうか。ねぇ、もっと私を愛してください。私は貴方の子供を産みたいのです。二人の子なら、きっと素晴らしい戦士になるに違いありませんから」
「これはまさか……」
俺様は慌てて体を起こした。……慌てて? おかしい。この程度のこと俺様にとっては日常茶飯事だというのに、一体どうしたことか、妙に落ち着かない気分ではないか。どうやら俺様は余程このエルフとの間に出来るであろう関係を楽しみにしていたようだ。
そしてそれは叶った。銀色の髪が汗ばみ上気した陶磁器のように白い肌へ絡み付ついている。エルフのこの姿こそがその証明ーーなのだが。俺様に達成感が訪れるはずもなく、その代わりに胸を穿つのは、深い、深すぎる損失感だった。
「どうしたのですか? 何故そのような無念そうな顔をなさるのですか?」
露わになった胸元を隠そうともせず、女は心配そうな顔で俺様に寄り添ってくる。この献身ぶりと来たらどうだ。まるで長年連れ添った夫婦のようではないか。一体俺様たちの間に何があったのか。一体どんな関係を築いたのか。そもそもの話、あの時からどれだけの時間が流れてしまったのか。
過去が消える。現実は途切れた記憶の孤島。それが史上最強たる俺様の唯一の弱点。ぶつ切りにされた世界に、今日も今日とて俺様は生きているのだ。
「貴様はこの俺様を愛しているのか? 戦士として尊敬しても、女として愛することはないと言っていたこの俺を?」
「意地悪なことを言わないでください。ごめんなさいをあれだけしたというのに、まだ足りませんか? 私、酷く恥ずかしかったのですよ」
そう言って頬を赤らめるエルフは知らないのだ。女と時間を共有した男は弾けた泡のように消えたのだと。今ここに居るのは初めてあったあの瞬間からタイムスリップを果たした別人なのだと。
「どうしたのですか? 先程から貴方、少し変ですよ。心配事があるならば、ねぇ愛しい人。お願いだから私に話してはくれませんか? 大好きな貴方の力になりたいのです」
愛の言葉が俺様の胸を抉る。どれだけ似たようなことを繰り返そうとも、この治りたての瘡蓋を剥ぐような痛みにだけは慣れることがない。
「なんでもない。ただ少し、記憶が飛んだだけだ」
狂おしいまでの損失感に促されて、俺様はエルフの白い、白すぎる体を抱きしめた。
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