ルカ~俺が嫁に殺される理由
水原麻以
ルカ
ドカン! いきなり爆発音に蹴り起こされた。ムッとした湿気の中に放り出され、壁に頭をぶつけた。
白い稲妻が脳裏を。
「なんだ、何だ、何事か?」と様子を伺うが、目脂が眼球にしみて痛い。
手探りで怪我の有無を確かめた。幸いなことに出血はない。それよりも心配なのは部屋の修繕費だ。
埃だらけの物置に探偵事務所の看板を掲げて三カ月が過ぎた。滞納した家賃と光熱費の請求がそろそろ故郷の親元に届くころだ。
どうしたものかと頭を抱えていると二度目の爆発音がした。いや、それは断続的な金属音だ。俺は床に積もった請求書から受話器を発掘した。
「ありがとうございます。
言い終わらぬうちにうめきが聞こえてきた。いたずら電話にない緊迫した事件性を感じた。電話の相手はがっしりとした体格で肺活量が多そうだ。
「もしもし! どうなさいました?!」
俺は聞き漏らすまいと受話器をしっかり握り締めた。
濃厚な息遣いが途切れがちに伝わってくる。
「落ち着いて。何があったんです? 通報しましょうか?!」
呼びかけると息も絶え絶えに返事があった。
「俺はもうすぐ死ぬ。だが理由はわからない。それを調べてくれ」
「もしもし! 今すぐ救急車を……」
呼ぼうとしたが暑苦しい声に遮られた。
「それはいい。金は振り込んだ。頼……」
ドサリと重い音がして通話が切れた。一方的に仕事を押し付けられても困る。相手の素性は皆目見当がつかないし、警察の助けを求めようがない。
それよりも振り込まれた金の出所が問題だ。
依頼人の身にもしもの事があればあらぬ疑いをかけられてしまう。どうしよう。正直に出頭して洗いざらい喋っちまおうか。
いや、日本の刑事裁判は起訴されたが最後、99.9%の確率で有罪判決が出る。俺は手の込んだ殺人鬼として投獄されるのか。
しかし、冷静に考えると手の込んだいたずら電話の可能性もある。銀行で通帳記入すればハッキリすることだ。だが、依頼の件が本当だとしたらATMに近づいたところを現行犯逮捕されるかも知れない。
俺は思い悩んだあげく一計を案じた。
大家を巻き込もう。滞納家賃を支払う旨を伝えて証拠提示の名目で入金確認に付き合わせるのだ。そうすれば共犯者が増える。
さっそく部屋を出ようとした矢先、俺は気絶した。
「早速で悪いが君はとっくに死んでる」
意識を取り戻した瞬間に死刑宣告された。見回すと白づくめの男たちが突っ立っていた。背後に半透明のガラスチューブがいくつも並んでいて、蒸気が漂っている。
そして俺の眼前には霜が降りていた。
「ふざけるな! 死んでいるだと? ここから出せ」
無駄な抵抗だと判っているが壁を叩いてみた。すると俺の拳のかわりに蹄鉄のような物が飛び出した。
「げっ?!」
まさかと思ってじたばたすると嫌な予感が的中した。
白衣の連中が言う通りだ。俺は死んでいる。
「キューブの開封は出来ない。ザルシア人の遺物は常温に脆いのでね」
彼らはそう言ってわざわざ大きな鏡を運んできた。
「おお、なんという事だ!」
俺は雑に組み立てたガンプラのようなロボットボディになっていた。
「裸の特異点とのニアミスによって大気が根こそぎ奪われたのだ。それで地球は一瞬で全球凍結した。フリーズドライだ」
にわかに信じられない話だが、連中は淡々と人類滅亡の経緯を語った。
「まるで他人事みたいじゃねえか!」
拳を振り上げて憤ってみた。しかし、コレジャナイ感あふれる腕が見た瞬間に気力を失わせる。
「そうか? 君が歴史の授業で文明の興亡を学ぶ時も似たような距離感を持ってたんじゃないか?」
なるほど。ぐうの音も出ない。それで俺は冷静に彼らの事情説明を聞く余裕を持てた。
ザルシア人は貪欲なミステリーハンターで考古学的価値の高い遺品を漁っていたらしい。
過去形だ。
地球外に逃れていた選民たちによって時間警察が設立され、歴史から一掃された。つまり、白衣の連中はエリア51だの、メンインブラックだの都市伝説扱いされた輩の末裔ってことだ。
「盗賊どものアジトから押収したオモチャに残留思念が宿ってた。つまり、今の君だ」
白衣の一人が鏡に俺を大写しした。
「わかったよ。しつけーな。それは片付けてくれ。で、俺からどんな情報を聞き出そうってんだ? 依頼人の事件を解決する前に滅んじまったんだからな」
俺は機械の肩をギーギーとすくめた。
「知ってる範囲で話してくれればいい。永久凍土から掘り出したサンプルはデリケートで深読みができなかった」
エリア51の技術もさほど進歩していないらしい。そこで丁重にお断りすることにした。俺は依頼人の秘密を厳守する主義だ。
すると彼らは残念そうにオーバーな表情をつくってみせた。
「君が正体不明の人物から死因究明の依頼を請けた事はわかっている。金の振り込みも記録もある。我々が知りたいのはたった一つの点だよ。それが判れば君を自由にしてやろう。何なら元の身体のクローニングしてやってもいい」
ずいぶんと大きな条件を出してきたもんだ。いったい彼らは何を知りたがっているのだ。そこで俺は駆け引きに出た。
「悪いが信用できない。まず、保証をいただこう。話はそれからだ」
「何が欲しい?」
白衣の連中はあっさり譲歩してきた。だが、焦りは禁物だ。ここでいきなりクローンボディなんか要求したら決裂しかねない。要求額は小幅にした。
「行動の自由だ」
「わかった」
というわけで、俺のガラスケースに小型の反重力ドローンが取り付けられた。こいつはちょっとした時空跳躍能力を備えた優れもので散歩程度のタイムトラベルが可能だ。
俺は時間警察を従えて依頼主の家に向かうことにした。まずは自殺なのか他殺なのかハッキリさせておきたい。それ以前に色々とツッコミどころがある。
「おかしな話じゃないか。時間機で現場を見てくればいい。どうして俺に頼る?」
俺が指摘すると彼らは困った顔をした。何でも、人類の滅亡規模のイベントになると時空間に及ぼす影響が半端じゃないらしく、容易には接近できない。計測機器に激しいノイズが生じて使い物にならない。
「当事者」の同伴が悪影響を薄めるのだという。それも気休め程度らしい。
「振り込みと通話記録から依頼人の個人情報は割れている。
時間警察官が俺のドローンに座標を転送した。
俺たちは時空の間からこっそりと覗き見した。
「もしもし! 今すぐ救急車を……」
ちょうど緊迫したやりとりが行われている。ところが驚いた事に当の本人はピンピンしてやがる。顔色は健康そのものだ。わざとらしく身体をくの字に曲げて、咳き込んでいる。
電話機の横にぼろいチラシが置いてある。俺が汗水たらしてポスティングしたものだ。千枚ほど配って足が棒になった。
「おい、あれを見ろ」
警官の一人がチラシの裏に注目した。俺の口座番号がメモってある。つまり、この時点で振り込みが完了していたという証拠だ。
「麻袋を拘束しろ。何か知ってるに違いない」
時間警察は彼を歴史犯罪者と見做して一斉に取り押さえた。
「それはいい。金は振り込んだ。頼」
言い終える間もなく虚空から飛び出した警官たちからお縄を頂戴する。
しかし、ドサリという物音は麻袋が立てたのではなかった。
「こっちだ。早く!」
白目を剥いた警官どもを踏み越えて、麻袋が手招きする。
「いったいどうなっているんだ?」
俺は彼に抱きかかえられて、現場を後にした。
「それを解明するのがあんたの仕事だ。言ったよな? 俺の死因。時間警察に捕まると永久に判らない」
「よくわからんが、それなりに罪が重いんじゃないのか? 死刑じゃなくとも保釈なしの無期懲役とか」
「最高刑は無期禁錮だ。身動き一つできないまま永久に生かされる。無人の荒野に放置され、隔靴?痒の思いで歴史を傍観させられるんだ」
なかなか辛い仕打ちだ。死ぬ以上の生き地獄だ。
「そもそも罪を犯さなきゃいいだろう。つか、あんたは何者なんだ? どうして犯罪に手を染める?」
「俺か? 俺は『これから死ぬ』人間だ。だが、死ぬ理由が必要だ」
「何を言っているのかわからないんですけど」
俺が矢継ぎ早に質問を浴びせようとした時、雑居ビルが音を立てて崩れ始めた。時間警察の援軍が上空を飛び交っている。
破壊捜査をやるとは聞いていたが、ここまで無遠慮だとは思わなかった。人類滅亡の大事件が些末な乱れを吸収してくれるということか。
「勘づいてると思うが、俺もザルシア人の遺物だ。ただ一つ違うのは死ぬ目的で製造されたという事だ」
彼はそういうと俺のドローンをいじり始めた。
「おいっ、勝手なことをするな!」
「あんたが
なるほど、俺はまんまと利用されたってわけか。それにしても情けない最期だ。遺物として破滅を生き延びるなんて。
「それで俺を何処へ連れていく気だ?!」
まだら色に染まった景色を見ながら俺は怒鳴った。西暦二千、三千、四千。システム日付がどんどん加速していく、おまけにXYZ座標もぶれはじめた。
地球の公転軌道から十万キロ単位で離れつつある。
「裸の特異点、つまり放浪性のマイクロブラックホールが地球を襲った。超重力で大気が根こそぎ奪われ、地軸が転倒した。それは判ってる」
「だが、あんたの死因じゃない」
「そうだな。俺は大滅亡の後に『造られた』」
なるほど。それである程度は謎が解けた。彼は厭世観に駆られて自殺ほう助の協力者を探し求めていた。
ザルシア人の技術水準や意図はともかく、死因を追求する道具が自殺するなんてナンセンスだ。それを防止する機構も仕様として組み込まれているだろう。だが、第三者が手を下すとなればどうだろう。
仕様通りの目的は達成されるわけだ。
それに俺は機械人形として生かされている。こんな形の不老不死は望まない。人間は誰でも死ぬからこそ人間でいられるのだ。
「わかった。地獄の一丁目までつきあってやんよ」
俺たちは西暦6000万年の地表に降り立った。ジュールベルヌ原作の「タイムマシン」で主人公が最後に向かった場所だ。
そこは赤茶けた世界にどす黒い波が逆巻く最果ての地だった。海岸線に不気味な節足動物がわだかまっている。おそらく人類の末裔だろう。
そう思った俺は間違いに気づかされる。水平線の向こうに金属製の丸屋根がいくつも聳えている。複雑な配管が絡み合い、あきらかに人工物だとわかる。
「こんな不毛の地にもエリア51は根を張っているんだ。やれやれだぜ」
麻袋は俺のドローンにしがみついたまま、自嘲した。
「瑠香、救世主は見つかったの?!」
ドームにつくなり美人に囲まれた。老若男女じゃない。若い女から女児まで平均年齢は十代半ば。男っ気は一切ない。
麻袋もゆったりとしたトーガに着替えていた。痩せた胸に鎖骨が色っぽい。
俺の複雑な心境を察していたずらっぽく言った。
「わたしを男だと思ったかい?」
彼女は子供を抱くように俺を運んだ。容器は広場の中央に安置され、大勢の嬌声で迎えられた。どうせなら五体満足のうちにチヤホヤされたかったぜ。
「つか、救世主ってどういうことだってばよ?!」
瑠香の話では俺が引導を渡す手はずだった。世界を救うヒーローとして呼ばれたのではない。
「ええ、文字通りよ。ここから先はすっごく重たいはなしになるのだけど」
女はとつとつと置かれている状況を語り始めた。それはある意味どうしようもないディストピアだ。
人類は6000万年を経る前に似ても似つかない形態へ二極化した。それは進化というより繁殖動物へ退化したと言える。
「ええっ?」
俺は耳を疑った。
「そうよ。あんまり言いたくないけど、海岸のあれ。あれは男よ。種としての機能だけが残った。
ネオテニーというのは動物が幼児の痕跡を残したまま成熟する生態だ。その顕著な例が人間だ。体毛のない生まれたての猿として進化した。
男は胎児以前の存在として進化を成し遂げ、瑠香たちは若くて美しい姿のまま生き延びた。
もちろん、6000万年を連綿と生き続けていたわけではなく、時間旅行者たちが遍歴を続ける間にそうなってしまったらしいのだが。
「それで忌まわしい系譜に終止符を打とうとして俺を招いた。ずいぶんと手の込んだやり口だな」
「ええ、時間警察の追及から逃れるためには仕方なかったの。ザルシア人の創造主はわたし達よ。時間警察を炙りだして一網打尽するために」
瑠香は悪びれもなく言った。これだから女は恐ろしい。
「もしかして、放浪性マイクロブラックホールを放ったのも?」
「もちろん、わたしたち。それで選民思想にかぶれたエリートたちが地球外で日の目をみることになった」
つまり、彼女たちは退化した男たちのパートナーから卒業したくて真綿で首を締めるように人類を追い込んだらしい。
「悪いが俺は降りさせてもらうわ。人殺しの動機を背負わされたんじゃ、洒落にならん」
俺はドローンに時空座標を打ち込んだ。行先は地球に一番近い恒星だ。そこで燃え尽きてしまえばいい。
「待って! もうあなたを離さない」
瑠香は俺のケースにしがみついた。ドローンは動き始めている。俺はキャンセル不可の指令を送信したばかりだ。もう後戻りできない。
「やめろ! 俺を殺人者にする気か?」
ダメもとで緊急停止のプロトコールを試す。主要パーツを破壊するコマンドを片っ端から入力してみた。機密保持の自爆機能も効かない。
ドームが足元からズシンと揺らいだ。天窓に眩い光がいくつも輝いている。
「今のは何だ?」
「紫院、わたしたちを滅ぼすためにありとあらゆる災いが降り注いでいるの。そのためにわたしは作られたんだもの。わたしは瑠香。愛する医者ルカ」
「エフェソス人への手紙か」
俺は彼女、瑠香の暴露で全てを察した。イエス・キリストの愛弟子ルカは生涯の伴侶として最期まで行動を共にした。
当時、エフェソス人は不道徳極まりない民族として悪名を馳せていた。そこでルカは彼らを調伏するために福音書を託した。エフェソス人への手紙である。
そしてルカは名医であった。
「そうよ。ローマ人たちは罪のない男に危険極まりない
狂っている。俺は瑠香を振り払おうともがいた。
「だから、今度は女全体が十字架に架かってバランスを取ろうってか? 何の解決にもなりゃしない!」
彼女の手はいつの間にか溶けて、ドローンのフレームと一体化している。どうなっているんだ。
「人間はイエスキリストという神を生み出したの。不老不死の万能生命体。でも、そんなの人間じゃない。人間が人間らしくあるためには『ちゃんと”死ななきゃ”』いけないのよ。
もう支離滅裂だ。どういう理由があれ無辜の人々を滅ぼしてはいけない。俺は瑠香を振り切ろうとドローンに無茶を強いた。急旋回、宙返り、錐もみダイブ。ありとあらゆる方法で時空間を彷徨った。
しかし、瑠香はびくともしない。
そうこうしているうちに、ドーム付近の海岸が白熱した。
ちくしょう。万事休すか。
俺は最後の賭けに出た。
ゴツン!
会心の一撃を食らって俺は呻いた。
「イテテテ!」
俺が埃を振り払うと、見知らぬ女がしがみ付いていた。
いや、正確に言うと昨日知り合ったばかりだ。
「瑠香! いい加減にべたつくのやめろ」
俺が叱り飛ばすと、彼女はペロッと舌を出した。
麻袋瑠香、いや今日から姓は紫院になる。成り行きで転がり込んだ秘書、もとい押しかけ女房だ。
あの時、俺は過去の自分自身にイチかバチかの体当たり攻撃をしかけたのだ。
ほら、よくあるだろう。親殺しのパラドックス。自分の親をタイムマシンで殺しに出かけるとどうなるか?
親が死ねば自分が生まれなかったことになり、そもそも殺人が成立せず、自分が死なないのならば、親を殺しに行く、という永久ループ問題。
それを自分自身に仕掛けてみたらどうなるか、試してみたのだ。
その結果、俺は死ななかった。そして。
「あなたねえ!」
瑠香に大しゅきポーズで絞め殺される日々が始まったというわけだ。
ルカ~俺が嫁に殺される理由 水原麻以 @maimizuhara
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