第9話 追跡者が、また来た

 声を聞いた。

 眠りの中で。

 暗闇の中に声が響く。


『居たか』

『いや、まだ』

『斥候は戻らなかった』

『この辺りだ』

『離れて個別に探す』


 この声でユウナは目が覚めた。

 実際には音声ではなく、テレパスによる精神感知だった。

 それで目が覚めた。


 深夜は人々が寝静まるので、心の声が良く響く。

 人の声は雑踏では聞えづらくとも、誰も居らず物音がしなければささやきが聞えるのと同じだった。


 ──あいつらがまた探している。


 窓から浅い月光が差し込んでいる。

 この角度だと──深夜二時をあたりかしら。

 そんなことを考えながら、声の距離を探る。

 まだ遠くで探している。


「コウ、起きて。ねえ、起きてってば」


 揺り起こされコウは、まだ白河夜船。夢の中に居た。

 三度目でようやく眠い目をこすって起き出したが、それでもまだ半ば夢の中だった。


「寝ぼけないで、また誰かがこっちに近づいているわよ。しかも何人も」


 その言葉で目が覚めた。

 彼が確認する。


「近いの?」

「ううん、まだ遠い」

「それじゃあ、急いでここを離れよう。進入路が多すぎるし、それに、また大事になったら、今度は周りの人に迷惑がかかるかも」

「わかった」


 二人は準備に取りかかった。

 といっても殆ど荷物はない。

 ユウナはワンピースを着て、それから髪を結い直したくらいだった。

 コウはブーツの紐をしっかりと結んだ。

 馬小屋を出ると、街は夜のとばりの中に居た。


「ユウナ、人家がなくて、どこか開けた場所に行きたい。あるかな」

 彼女は少し考えて、それから真剣な表情で、「あるわ、着いてきて」と言った。


 二人は連れだって歩き始めた。

 なるべく足音を立てずに、ひたひたと道を急ぐ。

 市中はしんと静まり、遠く、通夜営業のギルドと併設されているバー、そして少し離れた歓楽街の辺りだけが僅かに明かりを放っているだけだった。


 人家がどんどんまばらになって行く。

 ユウナは時折立ち止まっては、周囲を確認していく。

 そうやって相手の精神波を読んでいるのだ。

 その結果は、──まだかなり遠いけど、段々近づいている。というものだった。


 もう完全に市街地を抜け、小高い丘を登っていく。

 右手はうっそうとした森で、左手はガケだった。

 下は湖で、かすかに波の音がしている。

 二人はどんどん登っていく。

 ガケも高くなっていく。


 やがて開けた場所に出た。

 その先はもっと勾配の厳しい山道になっていて、軽装ではとても登れないほど険しかった。


 そこは一つ目の低い丘を越えて下がりきった所で、底部となっている。道のりとしては丘の頂上から数百メートルはあった。

 元は大きな邸宅跡で、たぶん貴族の屋敷があった場所だった。もう建物は完全に朽ちてない。坂の途中には大きな門柱があり、外壁の残骸が見て取れた。


「ここにしよう」

 コウが立ち止まっていった。


「もっと見晴らしがよいところ、高いところがいいんじゃないの。全体も見渡せるし」

 ユウナのその発言は、追跡者を監視するのならば、見晴らしの良い高台が良いと思ったからだった。


「ここでいい、ここで迎撃する」

 ユウナはコウを見た。


 ──いまなんて。

 そう思った。


 てっきり追跡者をやり過ごすものだと思っていた。

 だって普通はそう考える。

 夜間で人目が少ないから、夜が明けるまでやり過ごすのだと思っていた。

 だけどのこの少年は、「迎撃する」と言い切った。


 坂の底部、その一帯が朽ちた柵と低木がまばらに生えた茂み──ボカージュ──になっていた。

 二人はそこに隠れる。


 姿勢を低くすると、低木の梢がちょうど二人の頭が沈む高さだった。

 それでありながら、上空は開けている。まるですり鉢の底に居るような感覚で、夜空だけが見えていた。

 月が黄色い色を湛えて低い位置にあった。

 それは色が付いて揺らいで見える。つまり湿度が高い証拠だった。


「これ、着なよ」

 コウがジャケットを差し出す。

 ユウナは肩の出た薄手のワンピースしか身につけてはおらず、このままでは肌寒くなりそうだった。

「今日は湿度が高いから、夜露が降りてくる。身体を濡らさないようにしないと」と続けた。


「いいよ、大丈夫だよ。コウが着てなさいよ」

 そう拒否するのを、彼はユウナの肩にジャケットを掛けた。


「こんな山の斜面は夜露が集まりやすいんだよ。一晩経つとタオルから水がしたたり落ちるほどにもなるから。それに僕は、ほら、長袖のシャツを着ているから」

「うん、ありがとう」

 そういって掛けられたジャケットを、きゅっとつかんだ。

 コウの香りがした。

 好きな匂いになりつつあった。


「一つ確かめたいことがあるんだ」

 そう、コウが切り出した。


「こんな時に?」

「こんな時だから確認したくて」

 それを聞いてユウナがこくんと頷いた。


「この僕の能力の事だけど、この手から放射しているのは電波だ。それは確実なこと」

「やっぱり電波なんだ、なんか不思議」


 ユウナが見たところ、ただの普通の手だった。

 何か特別な所は一切なかった。


「電波は物体の探知に使える、だからそれを試そうと思って」

「一体どうやって?」

「ユウナは、昼間、僕が馬車に曳かれそうになったときのことを覚えている?」

「うん」


 それは忘れようもなかった。

 あの時、あの場所で、ユウナはコウを見つけた。

 心に刻み込んで、忘れようもなかった。


「僕が危険なときに手から発した衝撃、それが電波だって説明したよね。その電波にはね、高周波といって大気中を突き進む振幅する波動があって、その中に低周波という音声信号を入れることが出来る。それが通信なんかに使われる仕組みの元になっているんだ。ユウナが昼間に受け取ったという僕の信号は、それなんだと思う。つまりキミは、そのテレパスって能力は、電波を受信できるんじゃないかなって予想しているんだ」


「わたしが電波を受信?」


「そう。人間の思考って、微弱な電気信号で発生している。脳は一種の回路なんだ。機械じゃなくて生体の電気回路。そして電気があれば電場と磁場が発生し、電波となって放出する。人が考えるとき、その思考の電気信号が低周波となって一緒に搬送されているんじゃないかなって。それを受信検知できる能力、それが精神波感知テレパスの正体と思う。だから試したいんだ」


「うん、わかった。説明の半分以上も分からなかったけど、分かった」

 ユウナが元気よく答えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る