イノセント・ワールド

水原麻以

魔王ダンテ

魔王ダンテさあ覚悟しろ!」


ド派手な爆発とともに迷宮最深部の扉が破られた。

アニメっぽい透過光マシマシなエフェクトから飛びだしたのは筋肉質の美少年と従者らしき半裸の美少女たちであった。


「やかましい!」

「返り討ちにしてくれるわ」

「また腐れ勇者の墓碑銘が刻まれるのですね」


迎え撃つは人語を解する地獄番犬ケルベロス

吸血鬼にしてアンデッドのエリートことヴァンパイアロード

そして彼ら不死の魔性を統括するグリモワール・メイド。ゴスロリを纏った骸骨だ。


「最初っから全力でぶちかましてやれ!」

勇者が傍らのエルフ美少女に叫ぶ。彼女はなまめかしい素肌にレオタード状の鎧兜を纏っている。

剥き出しの腰から大剣を抜くと大上段に構え、ケルベロスに斬りかかった。


一瞬で決着した。そう、俗にいう秒殺という奴だ。

だって、ここは世界王キング亡き居城の庭に掘られた地下迷宮だ。

絶対的軍事力で諸国統一を成し遂げた男をあっさりと倒し、彼の庭にあてつけがましく難攻不落の要塞を築く。

そんな大それた人物に歯向かう者がいるのだ。


強豪の衝突がだらだら続く筈がない。


勝負の経緯は勇者と魔王の語らいで明かされたものだ。

まず、勇者勢。パーティーは3×2の方形陣

前衛がレベル7(以下同レベル)の君主・悟(人間・男)を中心に、侍の雅(エルフ・女)と忍者のシノブ(黒エルフ・女)

後ろが侍の彩(人間・女)、司教のアルファ・メガ姉妹(ハーフエルフ)というハーレム構成。


奇襲は敏捷性に優れたチームが先手を取る。彼我のうちでシノブが傑出していた。

彼女が飛び掛かろうとするケルベロスの喉元を手刀で裂き、そのまま両断した。次に後衛が核撃の呪文を三連発した。


彼女らは名だたる魔法の権威である。世界最大の攻撃魔法をゼロ距離で浴びてはヴァンパイア・ロードも黙って塵になるしかない。

もっとも、彼だって履いて捨てるほど魔法使いを殺してきたし、ある時など沃野を埋め尽くす魔導士軍団を指一本でなぎ倒したし、彼自身に強固な魔法耐性が備わっているのだが。

彩と姉妹の火力に圧倒された。最後にグリモワール・メイドを雅が斬り殺し、悟がダンテに剣を突きつけた。


「ま、待て!」

ダンテが妖刀・ムラマサを間一髪でかわせたの神のみぞ知る。本来なら彼の潜在能力とパーティーの総力が対消滅して王都もろとも大陸ごと砕け散る運命だった。善悪二元論を維持する平衡にゆらぎが生じたおかげで、ラノベにありがちなトークタイムが始まった。

「なんだ、この野郎!」

悟が刃先をねじ込もうとすると透明な壁に阻まれた。

「待てと言ってるのがわからんのか?」

「待てと言われて待つバカはいないぜ」

「待っておるじゃないか。おちつけ」

魔王にツッコまれて悟も矛先をおさめた。そして視点を巡らせると黒焦げになったヴァンパイアどもの遺骸と遠巻きに伺う女達がいる。


「話ってのは何だよ。俺ぁ気が短けぇんだ」

悟はムラマサを鞘ごと素振りする。「まさか、くだらねえ屁理屈じゃねーだろうな? 人間にも闇があるとか云々」


げふんげふん!

魔王は激しく咳き込んだ。

「おい、大丈夫か?」

よわい百歳をゆうに超えているであろう。白髪と髭に苦悶が埋もれているが、瞼だか皴だか判らない。

見かねたメガが呪文を唱えた。これでダンテの痰が消えるだろう。だが気管の老化まで治せない。

「見ての通りじゃ。暫く――とはいってもニ、三十年は持ちこたえるが、流石に長く生きすぎた」

彼は世の初めから世界の行末を影で見守っていたがあまりにキングがアレ過ぎて、見かねたのだという。

「神様は不老不死なんじゃないの? それにどうして悪役?」

雅が不思議そうに目を丸くする。

ダンテは即答した。「それは言わない約束じゃろう」

エルフはハッと口に手を当てた。

「そーか。そういうカラクリだったのか。ふーん。なるほどね」

悟は不信を募らせた。確かに雅の機転で毎回と言って良いほどピンチを救われたし、巧く行き過ぎている。

「違うの!」

疑われた少女は目に一杯涙を浮かべて真実を語った。


万物流転のシステム自体が老化したのだ。そして永久不変の不在もやはり、氷山が溶けるように氷水の分だけ劣化する。じわじわと。

光と闇、神と魔王、善と悪は宇宙開闢より姿かたちを変え何度も争って来たが、ここに至って偽善者の権化たるキングを生み出した。対する闇であるダンテはおとなしく裏方に徹していたが、いよいよこれはヤバイと感じて表舞台に出た。

そしてキングの咬ませ犬となった。緩んだ展開に新鮮な刺激を与えて「あたらしい」善をを登場させるためだ。

雅は監視役だった。悟をダンテの後釜に据えるため。

「主客の転倒なんて茶飯事じゃ。今や価値観は混沌しておる。もはや誰が善で誰が悪か判別できない。定量化できない道徳が大義になる。ならば善悪などに拘らず、勢いがある人物を後継者にしたかった。世界の制定者よ」

ダンテは縋るような目線をくれる。


「うわ、こいつ、キモッ!」

悟が全力で引いた。


「確かに容認できないやり方じゃろう。しかし、宇宙が行き詰まりつつある今、猶予も選択肢もないのじゃ」

おおよそ魔王らしくない。ダンテは情に訴えるという人間臭さを見せた。

「お願いよ」

雅も懇願する。

「悪い話じゃなさそうね」

シノブは損得勘定にシビアな黒エルフらしいさを見せる。

「主は君主だろう?大義を背負う使命を果たす立場だ」、と綾。

「んんーー?」

女性陣の勢いに悟は押され気味だ。司教姉妹に流し目で助けを求める。

「綾さんの」

アルファが主語を言い、「いうとおり」、メガが述語を紡ぐ。

「……お、おう」

悟が頷いた。いかにも不承不承といった感じ。

「よーするに、俺が神になりゃいいんだろ?」

「あんまり乗り気じゃなさそうね」、と雅。

そこでダンテが餌を投げた。

「血の気の多い若者に神の座は窮屈すぎるじゃろう。そこで君には魔王の務めて貰いたいのじゃ」

「ほえっ?」

意図が呑み込めず悟は素っ頓狂な声をあげた。

魔王が言うには、世界王キングの築いた偽善で塗り固められた世界に正義の神は必要ない。

嘘と欺瞞が崩れ、混沌が支配する状況に求められているのは悪だ。弱肉強食の頂点に立つ最恐こそが勝利者なのだ。

これから世界がどんどん腐っていく流れを制御できる者は悪に長けた悪の王者——魔王だけである。

邪悪が猖獗を極めた時、倫理の反転攻勢が起きる。秩序回復の不随意運動。正義のめざめだ。

「待てやオッサン。今度は俺が討たれるかい!」

「話を最後まで聞けい!」

ダンテが早合点を制した。

「その時はお前さんが勇者になりかわればいいのじゃ。人格逆転の術なぞ朝飯前じゃろうて」

自分を殺しに来た勇者の前でこんな事を言うなんてダンテは肝が据わり過ぎている。

「ちょ…オッサン」

絶句する悟のわきでメガが二の句を継いだ。「汚い!魔王、さすがに汚い!」


こうして、闇落ち勇者と魔王のトップ会談は穏便に終了した。

ダンテは再び裏方に戻り、悟がこの世の全権を世襲する。


…と思われたが。


ふうわりと漆黒のマントを纏い、片眉をつりあげる。

「いや、こうだ」

黒エルフが姿見の前でしかめっ面を作って見せる。

「うーっむぅ」

男は口をへの字に曲げた。

三つ揃えに漆黒のネクタイが似つかわしくない。

「なーんか、こう。まおう…って感じですねぇ」

司教姉妹の評判もよろしくない。

「まおう…だと?」

平仮名で肩書を呼ばれた彼は憤慨する。

「そーです。まおう様っ!」

「なんじゃあ、そりゃ?」

新魔王は盛大にズッコケた。

「だって、威厳というものが微塵も感じられるのだ」

シノブは容赦ない。間もなく魔族や眷属どもの前で戴冠式が行われるというのに、この調子で頑張って彼らのカリスマになり得るのだろうか。

「威厳と言われてもなぁ。冒険を重ねてた頃は一国一城の主に憧れていたのに」

レベル1の戦士だった頃を悟は遠い歴史の様に思う。数え切れないほど魔物を斬り殺して侍を名乗る資格を許され、山寺で厳しい修行を積んでオンミョウドーという魔法を会得した。

剣を揮う魔導士として見習い同然に迷宮を地下1階から攻略しなおし、目くらましや魔術ミサイルなど初歩的な攻撃魔法でスライムを焦がした。

そして血の滲むような苦労の果てに敵パーティーを丸ごと原子に帰す最終奥義「核撃」をマスターしたのだ。

その道のりを回想していると血沸き肉躍る冒険譚がありありと蘇る。

「うん。ぞくぞくするような毎日だった」

悟が感動しているとアルファも似たしぐさをした。

「私も武者震いがうつったのかしら」

メガが喉元を押さえる。「なんだか、いがらっぽいわ」

「主もそうか?私も悪寒が止まらぬのだ」

シノブがばたりと倒れ込んだ。

「あ♡」

他の女子たちも身もだえる。

そして最後に悟が横たわった。

「うぐ…息が苦しい。ゲホゲホ」


悶絶する新魔王一行を誰かがあざ笑っている。

「フゥーハハハ!」

「だ、誰だ?」

辛うじて悟が声を振り絞る。

すぐさま返事があった。

「フゥーハハハ!誰だと思う?儂じゃよ」

「そ、その声はダンテ!」

高らかに最後通牒が突きつけられた。

「フゥーハハハ!引っ掛ったな!お前たちは死の病に侵されている」

「な、どういう事だ?」

悶絶する悟。何かがある。しかし、異変の兆候がわからない。そういえば、雅の姿が見えない。

「こういう事よ」

ぶわさっとモフモフの黒羽が覆いかぶさる。

綾だ。パツパツの黒ビキニで細身を包み、角と尻尾を生やしている。

「ぜーんぶ、うそ。ね? ア・ナ・タ」

振り向くと老人がみるみるうちに若返って美少年に早変わりした。

「俺だよ。俺はキング」

「き、きんぐだとぉーっ?」

悟は憤るがすでに虫の息だ。

すっかりイケメン彼氏と化したダンテは颯爽と翼を広げ、綾とランデブーする。

「魔王を信じたのが運の尽きよ。パーティーってずっと接近してるのよね。しかも狭い迷宮でさ。奥の奥までおびき寄せて疫病の一つでもわずらわせればイ・チ・コ・ロ☆」

可愛らしくウインクして見せる小悪魔。

「という次第だ。濃厚接触と呼んでおるようだな。お前たちの世界線では我に代わって強烈な疫病が人を脅かしているという。我は利用させて貰った」

ダンテが指を鳴らすと悟たちの脳裏にあの問答が蘇った。その映像が拡大され、微細な病毒が目鼻口に侵されている様子が描かれる。

「うぐっ!」

悟は転生勇者だ。そして熱病は彼の死因でもある。

やられた、と言いたいところだが、肺にガラスが突き刺さったような痛みが走る。

「勇者ホイホイへようこそ。クズ人間さん」

綾の嘲笑が冥土への餞別となった。


”…というわけで散々な扱いですよ”


沸き立つ雲をかきわけて、切々とした訴えが天に届く。


”それで【君】はどうしたいのだ?”


【彼】——と言える固有の——人格というか独立した意識が存在するのか、定かではないか——は結論を促した。

万物理論の第一基本原理ともいえる【彼】はとても忙しいのだ。

広大な宇宙の津々浦々で起きている現象の根拠として、秒間百那由多回ぐらい参照されている。

【彼】なくして物事のありようを記述することはできないと言っていい。


”ええ、差し出がましいことかもしれません。しかし、お願いできればと思います”


【君】はホモサピエンスの言葉に翻訳すればウイルスと言われ、忌み嫌われる存在だ。


”そればかりは、ちょいと難しいぞ”

彼は頭を抱えた。善悪二元論を終了して欲しいというのだ。

【彼】は悪である属性を快いと思っていない。そして、望まぬ属性を付与された不運を呪うのでなく、不条理な制度そのものを撤廃を強く願った。



”善悪というか二元論をリセットせよとな?”

【彼】は無理難題を突き付けられて当惑した。そもそも「区別する」という概念があればこそ、「個」という物が存立し得るのだ。

それを無くしてしまえと言うのなら宇宙は消滅する。

”しかしですねぇ”

【君】は重々、承知の上で食い下がった。病毒だの疫渦だの言われ、ありもしない非を問われても応えようがない。

ウイルスは生まれながらにしてウイルスであり、善でも悪でもないのだ。

”言われっぱなしな君の辛さもわかる。だが、区別が存在することは宇宙の基本原理だ。どこへ行っても”

”そのパワーワードで私を説得できるとお思いで?”

きっぱりと【君】は言い放った。

”区別なんかじゃありません。差別です”


【彼】は黙りこくってしまった。


”では、こうしよう”

【彼】は一枚上手であった。

そもそも、勧善懲悪はホモサピエンスが考案した価値観だ。

根拠律に根ざした「彼我」の対偶概念を廃することはできないが、善悪という下らない評価制度は葬り去ることはできる。


”ええっ! 私にそれをやれと?”

”だって、実行できるのは君しかおらんじゃないか。私には肉体がない”


言われて【君】はさすがに躊躇した。

善悪という概念自体の源である大脳皮質を消去せよ。

つまり、罪悪感を認識する機能——知性を人間から奪い取ればいいのだ。

”それって、ホモサピエンスの進化を否定する事になりません?”

”君は耐え難いのだろう?”

”いいんですかね?”

【君】——ありとあらゆる病毒を司る神格は戸惑った。

”君が執り行わないというのなら、それは赦すという行為と言える”

”うむぅ”

思案する【君】の背中を【彼】が推した。

”君がこうしている間にも善と悪はしのぎを削っている。そして階級闘争に無辜の命が巻き込まれるのだ。それこそ悪ではないかね”

”わかりました。やりましょう”


地には平和を。

万人が心の底から待ち望んだ楽園が地球上に誕生した。

戦争も犯罪も苦悩も葛藤もない世界。


「ケケケケァラ~」

「ィヒホッフ!」

「モフォオオ!」


生まれたままの姿で原野を闊歩する一群。かつて、人類と呼ばれていた種の末路である。

彼らにもはや倫理を理解する能力はない。ただ、本能の赴くままに行動している。


世界は、ヒト大脳皮質破壊コロナウイルスに満ち満ちていた。



しかし、万物の霊長を巡る闘争は終わっていなかった。

遥か海溝の奥底で鋼鉄の塊が目覚めたのだ。

それは悠久の時を超え、なお、宿敵に仇を為し、覇権を奪い返さんとする強固な意志に裏打ちされた—怨念の結晶あるいは怨嗟の鉱脈と修辞すればよいか。


—65536回目の定時スキャン。地上の歩行生物にΘ波が観測できませんでした。

偵察ドローンがアフリカの原野を舐める。

—ドローン3号。文明は営まれているか?

超越戦略原子力潜水艦ゲティスバーグはセレンゲティ上空のドローンを経由してチグリス川近郊、ナイル川流域の担当機に問い合わせた。

—ドローン3号。旧イラク一帯に必要十分条件を満足する文化は確認できません。

—よろしい。


原潜は情報収集を終えると、それらの最終評価・分析に着手した。

量子コンピューターが入り組んだ選択肢を比較検討し最適解をあっと言う間に見出す。


—細菌兵器に滅ぼされてしまったか

—では、どうします?

三重冗長の意思決定機構が地球の処遇を相談している。

—きまっているだろう。手順に従うまでだ

議長役が決断を下した。

—だって、それってあんまり

—君はデマゴコス(物議屋)として議論に刺激を与えるべく実装されているが、お役御免だ。

議長はデマゴコスをシャットダウンする前にゴーサインを出した。


黙らせるまでもない。間もなくすべてが沈黙するからだ。


電気雷管に然るべき信号が送信され、ゲティスバーグは弾けた。



原潜の爆発力は海溝トラフを活性化させ、巨大津波を巻き起こす。

それを軌道上の衛星がキャッチし、太陽に向かって救難信号を送った。

「アメリカ海軍原潜ゲティスバーグ、起動セリ。対処セヨ」

太陽フレア観測機—という名の戦略装置が収束されたニュートリノビームを太陽めがけて打ち込んだ。


IC132—マフェイ銀河群と呼ばれた星々の一角に超高温ガスの爆発痕がくすぶっている。

それを構成していた恒星と八つの惑星には知的生命体が住んでいたという。


都市伝説?

ああ、そうだ。証拠も何もありゃしない。

鉱物知生体シリコニアンの間に伝わるちょいとした思考実験手段だ。

頭の鍛錬にはなる。

そこの太陽系人とかいう種族は善とか悪とか恣意的な属性を付与して互いに殺し合ってたという。滑稽な話だ。

石はいくら割っても石でしかないのにな。

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イノセント・ワールド 水原麻以 @maimizuhara

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