第44話 最もシンプルな作戦
——ニアは、夢を、見ていた。
いつも通りの暗闇。前の『いつも』がどうだったかなんて忘れてしまって、ただ、まどろみだけが救いで。
「今日も読むか」
「うん」
ベッドの脚にもたれかかって笑かけてくる『父』。彼はもう、四〇近い年のはずだが、皺ひとつなく年の陰りを見せない、少年のような笑顔だった。
「ねえ、どの登場人物が好き?」
『仮面の騎士』には、多くの登場人物がいる。
小心者の王様。嫌味ったらしいお妃様。不気味な宰相。流浪の剣士。自信家の狩人。知的な魔法使い。凄腕の将軍。ずる賢い参謀。残酷な亜人。
そして、道化の騎士と、乱暴なお姫様。
敵も味方もたくさん。一人一人の出番はそう多くないけれど、特徴的な人間ばかりである。
「好きな登場人物か……。そりゃあやっぱり主人公だな。ちょいと臆病なところはあるが、勇気ある『男』だ。かっこいいじゃねえか。ニアは、どうだ?」
「そんなの——」
もちろん、決まっている。
自分が憧れるのは、強く、心が強く、勇敢な。そんな。
幸福な時間が始まった。
『
仮面の騎士は、旅に出ます。
旅はつらく、長い道のりです。
だから仮面の騎士は仲間を探しました。
自分一人の力では何にもできないことを、知っていたからです。
最初に見つけたのは、流浪の剣士でした。
あてもなく剣の修行に励む剣士に、仮面の騎士は頼みます。
「帝国の将軍を倒したい。力を貸してくれないか」
剣士は初め、断りました。
「僕は修行中の身だし、とても将軍には敵わない。僕は、もっと強くなりたいんだ。まだ死にたくないよ」
仮面の騎士は言います。
「ならば、共に腕を高めよう。誰にも負けないように。そして目的が叶ったその時は、君のもう一つの腕になろう」
そして、自分が戦う本当の理由を話しました。
「そこまで言うか。よし、着いていこう」
こうして、剣士が仲間になりました。
次の仲間は、自信家の狩人でした。
森の中の獣を狩り尽くして退屈していた狩人に、仮面の騎士は頼みます。
「帝国の将軍を倒したい。力を貸してくれないか」
狩人は初め、断りました。
「無理だね。なんてたって、弓は将軍に通じない。なぜだかわかるだろう? 弓矢じゃ鎧は貫けない」
仮面の騎士は言います。
「ならば、鉛玉をぶつければいい。弓しか使っていけないことはない。そして目的が叶ったその時は、君のもう一つの足になろう」
そして、自分が戦う本当の理由を話しました。
「なるほどね。気に入ったよ。俺もついていく」
こうして、狩人が仲間になりました。
最後の仲間は、知的な魔法使いでした。
違法な実験に手を染めたために祖国を追われた魔法使いに、仮面の騎士は頼みます。
「帝国の将軍を倒したい。力を貸してくれないか」
魔法使いは初め、断りました。
「嫌よ。私は誰かの下に着くのが大嫌いなの。自分勝手に行きたいわ。付き従うのは、死んでもごめん」
仮面の騎士は言います。
「ならば、奴隷にすればいい。私の体と心を全て君のために尽くす。そして目的が叶ったその時は、君のもう一つの頭になろう」
そして、自分が戦う本当の理由を話しました。
「ふーん。言ったからね。じゃあ、ついていってあげる」
こうして、魔法使いが仲間になりました。
』
そして描かれるのは、胸躍る大冒険。
ニアの『幼い』心には、とても響いたのだけど、同時に、架空であることを強く意識した。
お話は続く。
『
四人はたくさんの冒険を経て、帝国のお城までたどり着きます。
お城の前には残酷で名高い亜人が立っていましたが、四人の敵ではありません。
鋼に斬られ、鉛に貫かれて、魔法の炎に焼かれた亜人は、あっさり倒れてしまいました。
それを、お姫様は眺めています。
将軍もその後ろで、眺めています。
「仮面の騎士様が……なんで」
お姫様にはわかりません。
なぜ彼が、助けに来たのかわかりません。
「お前は奴を知っているのか?」
明日にもお姫様を妻として迎えるつもりだった将軍は、少し面白く思っていました。
「知ってるわ。けど、一度会ってお話しただけ。ただ、それだけよ」
「そうなのか。わからんな」
「ええ。わからないわ」
でも、確かに、お姫様は嬉しかったのです。
』
好きな、登場人物は——、
決まっていた、はずなのに。
『お姫様も、いいなぁ』
***
雲間から覗く紅月の光が、夜の都市を照らしていた。
遥か高く感じていた第零都区を囲う壁の上に、仮面の男は立っている。
本来一般人が立っていていいような場所ではないのだが、数ヶ月とはいえ自分が過ごしていた街並みを、高所から眺めるというのは、なかなかどうして乙なものだ。
それぐらいしてリラックスしないとやってられないし、だいたい彼は、物見だけでここに留まっているわけではない。
「アッシュの奴、合図はまだかよ」
アイトスフィア歴六三五年五ノ月六日
クラムの屋敷は、三階層に分かれている第零都区、その下層にあった。
主城(王城)そびえる上層、それに連なる支城が建つ中層と比べれば、幾分か見劣りするものの、『外』とは比べるべくもない。
他の国でいう下級貴族に位置するクラム家は、しかしかつて、アドベントという国ができる以前から、名を連ねていた。今は形骸化しているものの、確かに栄華を極めていた。
かの家が落ちぶれたのは、とある『実験』に反発したが故のことであったが、今現在、その系譜を受け継いだプロジェクトの本拠地になっているというのは、皮肉なものだ。
もっとも、クラム家の一七代目当主、エドワード・クラムも、身分の鎧を砕いてみればくたびれた中年。妻子を守るのが精一杯で、『上』への命令に逆らう反骨芯などない。
屋敷の最上階フロアを丸々引き渡して、自らと妻子は離れの別館で穏やかに過ごしていた。
ただ、いくら何不自由ない生活を送っていたとしても、刺激のない生活は少々物寂しい。家族と関わろうにも、妻の日中の八割はティーパーティーで占められているし、夜の方は一〇年はご無沙汰。娘も一五の歳のためか反抗期真っ盛りで、商いの勉強をほったらかして男遊びだ。
故に彼は思う。
自分も遊んだって、いいのではないだろうか、と。
そうして彼は夜の街へ出かけることにした。
平民が赴くような、低俗な歓楽街ではない。高貴な身分の者を癒すにふさわしい、優雅さと淫靡さを併せ持った高級娼婦のいる街だ。
自由に使える手持ちは一〇〇万ヴェンほどだが、それだけあれば一晩は裕に遊べる。
裏門の前には、事前に呼んでおいた馬車が一台、鎮座していた。二人乗りの小ぶりな馬車だが、気の大きくない自分にはちょうどいい。
現れたエドワードに気づいた御者が、御者台から飛び降りて丁重に頭を下げる。
「ツァージ社をご利用いただきありがとうございます。本日は、カルティナの街まででよろしかったでしょうか」
随分と若い御者は、はきはきと弾けるように声を出す。
「う、うむ。しかし、君、あまり大きい声を出さないでくれたまえ」
カルティナの街は、第零都区中層において正式に認可されている性産業区画だ。後ろめたいことこそないものの、外聞の良い話でもない。
「失礼致しました。それではこちらへ」
「ああ」
エドワードは御者に荷物を預けて、馬車へ上がり込む。……別に不備はないし関係ないのだが、御者の妙にいちいち芝居かかった大仰な動きには、なんとも違和感があった。
(方針が変わったのか、落ち着かないな……。今度からツァージ社はやめておくか)
このエドワード。意外に操が固く、妻以外の女には手を出したことがない。つまり、娼館で女と夜を明かすことなど初めてで、大変緊張していたのである。
こうして、彼の繊細な心の動きを読み取れなかった御者のおかげで、ツァージ社は顧客を一人失ってしまったのだが……。
・部外者である・御者にとって、そんなことはどうでもいい。
「ま、だいたいわかりました」
精力剤を買っておくべきだったか……などと思案していたエドワードは、どこか小馬鹿にした感じの声を聞く。
「はぁ……何がかね。時間は有限だ。早く出発させないか」
「だいじょーぶですよ。夜はまだまだ、長いですから」
言って、振り返った御者の顔には……厳つい防毒マスクが付けられていた。
「……な」
いい加減にしないかと怒鳴りつけようとした、その時。エドワードの視界に霞がかかる。ことり、と意思に反して体勢が呆気なく崩れた。
「……っ、なん、だ。貴様……なにを」
「ゆっくりとお休みください、旦那様」
と……立ち上がった御者の体が、だんだんと変形していく。すらりとした細身が、段々と醜く——悲しきかな、自らの体と同じく肥え太っていく。
顔は、マスクでわからない。
けれど、間違えるはずもない。薄くなり出したために毎日気を配っているあの前頭部は——。
自分だ。
…………そこで、エドワードの意識は途切れた。
コンコン、と。
クラムの屋敷に勤めて間もないメイドは、先ほど自らが厳重に閉じた扉から、ノック音が響くのを聞いた。
「はい……」
素早く扉に近寄るや否や、「すまない、忘れ物をしてしまってね。開けてくれないか」と、低く若干しゃがれ気味の、男の声が聞こえた。
「これは旦那様! しばしお待ちを」
ギィ——。
メイドは慌てて錠を開けて、自らの主人を迎える。
「よ、よろしければ、わたくしがお忘れ物を持って参りますが」
「いや、重要な品だ。自分で取りに行くよ」
「出過ぎた真似を……失礼しました」
深々と頭を下げるウブなメイドは、「気にしなくていい」と、・普段より暖かい・言葉をかけられ、キョトンとする。
「それよりも君、この屋敷にはメイドが何人いたかな?」
「現在は、わたくしを含めて四人、働かせていただいております……」
なぜ、そんな今更なことを聞くのだろうか、とも思う。
「そうか。教えてくれてありがとう」
言って、おもむろに上着の衣嚢に手を入れた「エドワード」は、長方形の小道具を取り出した。それを手鏡のように開いた彼は、しばらく無言で、謎に発光し始めた小道具を見つめている。
「旦那様……?」
さすがに訝しんで声をかけた、その時。
『やっとか』
と、その小道具から何者かの声が溢れ出た。
「おう、見た感じ。まともな警備システムが働いてるわけじゃねえ。予定通り、裏門から入ってこい」
そして、いつものしかめっ面からは想像できないイタズラな笑顔で、若者言葉を話し出すエドワード。疑問符で頭がいっぱいになっていたメイドに、ぐりんと彼の視線が突き刺さる。
「悪いね。他にもいろいろ教えてほしいことがあるんだけど」
***
さらっと数十メートルの高さからロープアクションを敢行してきたオレは、おっかなびっくり風情のある扉を開ける。
その先には、でっぷりと飛び出ている腹を上品なコートに無理やり収めましたと、そういった感じの中年男性が、元気よく片手を上げるというあまりにも若い仕草で出迎えてくれた。
「お前の変身魔法、いつ見てもすごい再現度だな」
本当に、仕草でようやく判別できるかといった感じで。
「当然。近くでしっかり観察させてもらったし、これくらいは余裕ってな。……お前こそ、そのハーフマスク、イカしてるぜ?」
「……からかうなよ。オレは顔さえ隠せればいいって言ったんだぜ?」
「ダメダメ。相手がいけすかない男友達とはいえ、助けに行くなら一応はかっこつけにゃいかんだろ。いやー、あの男の娘くんはセンスあるよ。お前にぴったり似合ってる」
オレは今、かの「冒険者の墓場」の、女みたいな男の子、レンの指導のもと変装している。明らかに気取ったハーフマスクに、襟を逆立てたロングマントという、目立ちたいと思われても仕方がない要素が揃っているが、奇異性を演出した方が撹乱しやすいとのことだったので、しょうがなく受け入れた。
最悪、マントがなくなってもなんとかなるよう、内の服も黒く染めてある。
もっとも誰にも見つからないに越したことはなく、なるべく波風を立てないようこうして密かに潜入を敢行しているわけだ。
「『協力者』が新人だったのがついてねえが、なんとなくこの屋敷を取り巻いている状況が把握できた。目当ての彼は、やっぱ本館だ」
「詳しい場所はわかるのか?」
「最上階中央。怪しげな男が一ヶ月くらい前から居座ってるんだと。そいつが一連の誘拐事件の黒幕かもな」
「とりあえず目的地がわかるのはありがたい。さっそく向かうぞ」
さあ案内してくれ、と視線を中年男——もといアッシュに向けるが。
「悪い。——一旦は、別行動だ」
顔の前で片手を切って、アッシュはそう言った。
「案内してくれる手筈じゃなかったか?」
「そのつもりだったんだが……メイドちゃんから気になる話を聞いてな。例のさらわれた子供たちも、この屋敷にいるかもしれねえ」
「なんだと。事前の情報と違うじゃねえか」
たしか、ニアと思わしき少年以外は、目撃されていないという話だったが。
「いやなに。もののついでに、最近変なことがなかったか? って聞いたら、地下から子供の泣き声みたいなのが聞こえたらしい。・地下なんてないはずなのに・」
幽霊かもってブルってたぜ、とアッシュはククッと笑って、「怪しいし、放っておけねえだろ?」
「……だな」
エリートソルジャーを育成するという、その計画。年端もいかない子供たちに苦難を強いた先にある、悲鳴。十分にあり得る話だ。
「というわけで、俺は地下に行けないか探る。ついでにここの従業員を無力化する。お前はニアを助ける。それで、もし『
「逃げる」
「オーケー。くれぐれもまともに戦うなよ?」
そう。どれだけ対策を積んでいたとしても、力の差は歴然。無理に剣を交える必要はない。ただ……どうにも上手くいかないだろうなという気はしている。
「……トラップとかは、大丈夫なんだろうな?」
だから、重ねて聞く。
オレに正しい知識はないが、アドベントの金持ちの家には、遠隔から監視が可能な
「ない、らしい。クラム家も昔は大臣を務めてたくらいには上流だったみたいだが、今はそこまでの力も資産もねえ。……そう考えると、『協力者』が新人だったのは悪くないな。ペラペラと喋ってくれた」
「それこそ、ここで長話できたのが答えか。とはいえそろそろ動いた方がいいな。本館へは、どこから行ける?」
「この廊下をまっすぐ行くと、玄関と似たような扉がある。その先の通路を一〇メートルも進めば本館だ」
「了解。じゃあ健闘を祈る」
「死ぬなよ」
「当然」
コツン、と拳を突き合わせて。
オレはアッシュに背中を向けた。
頼れる相棒から指示された通りに進むと、あっさりと本館の床を踏むことができた。
どこか暗い色調だった別館と比べて、幾分と明るい色合いの空間となっている。窓から差し込む月光が綺麗に目を貫き、少し眩しい。
オレは足音を抑えつつ走り出す。普段のヒールなら絶対にできないななどと、どうでもいいことが頭をよぎり、余裕が生まれつつあることを悟る。さっきの長話のおかげだろうか。
順調に階段にたどり着き、二階へ向けた折り返しの階段を駆け上がるが……、ふと、正面右方からの声。
即座に手すりを飛び越えて階下側の階段へ飛び戻る。チラッと目だけ出すと、オーソドックスなメイド服を着込んだ妙齢の女性二人が、談笑しながら通り過ぎゆく。
「旦那様、こんな夜更けにどこへ出かけられたのかしらね」
「さあ……愛人の家にでも行ったんじゃないですか?」
「こら。自分の主人に向けた言葉じゃないでしょう」
「だって。奥様やお嬢様には愛想尽かされてるみたいですし?」
「まったくあんたって子は……」
とても慕われてるとは言い難い会話が否応なく耳に入ってきた。
女って怖え。つーかメイドにしては派手な髪色だったな。赤って。
実際はオレも、仕事さえこなしてくれたらなんでもいいと思ってしまうタイプなのだけれど。
……とりあえず、事なきは得れた。
そろりそろりと二階を突破し、三階へ。
ロクな障害もなく、警報すらならず、拍子抜けではあるが、作戦通り進んでいるのだから喜ぶべきではある。しかし、どうしても、不安は消えない。
頼む。
あと、もう少し。
三階の床を踏んで、視線を先に、上に向ける。
そうして。
フロアを区切る階段の踊り場に。
「奴」は、いた。
オレは、反射だけで剣を抜いた。
「——甘えよなぁ。それで気配を消したつもりだってんだからよぉ」
最悪にして、『当然』の、声がした。
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