第13話 想いは届く《Absolutely Bloom》



 一筋の光もない闇の中で、少女は泣いている。

 戦いたくないと。死ぬのは嫌だと。

 だけど、彼女の身に刻まれている呪いは容赦しない。少女を耐え難い激痛が襲ったのか、もがき苦しみながらのたうちまわる。


「しに、たく……ない」


 命乞いをする少女。だが、その声は誰にも届かない。

 刻一刻と、呪いが少女の体を蝕み続けているのがわかる。その場には、痛々しいうめき声だけが不気味に響いていた……。


 しかし、やがてそれも途絶えて——。


「——ッ‼︎」


 意識は唐突に覚醒した。目線の先には見慣れた天井がある。兵舎の自室のベッドの上だということを、ヒロはすぐに理解した。 

 夢、だった。紅い少女が殺される夢。

 ……最悪の目覚めだ。最悪の瞬間を、ただ眺めることしかできない。

 ——朝なんて、クソだ。

 全身、汗でびっしょり。いつの間にか、頬は流れ落ちる涙に濡れていた。

 何回言えばわかる? オレが泣いていいわけないだろうが。

 窓の外を見れば明け方。時計は五時を過ぎたあたり。いつも、あの広場へ出かけていた時間帯だった。

 ……最悪の気分だ。また眠る気にはならなかった。眠ると、再び悪夢を見てしまいそうで。


「クソッ!」


 同室の眠りこけているアッシュにも構わず、拳を思いっきり壁に叩きつけると、ベットの下の愛剣を掴みとり、オレは着の身着のままで部屋から飛び出した。



アイトスフィア歴六三四年七ノ月三〇日



 軍は先の戦闘による壊滅的被害のため、またしても再編中だ。いつまた、敵が攻勢を仕掛けてくるかわからないにもかかわらず、上層部の腰は重い。あの戦いから一週間が経った今でも、残り三人になったグレイス隊の人事は、だいぶと後ろに回されたのか、なんの進展もないままだ。

 オレは、練兵場に行く時間すら億劫と、自室を抜け出して兵舎の裏で剣を振っていた。

 考えるな。考えたら、ダメだ……。 

 だが、意識すればするほど、余計な情報が頭を駆け巡り続けていた。……そういえば、かつてレインが自分を訪ねてきたのもここだった。意図せぬ気づきに、またしても切ない感傷が込み上げてくる。


「オレは……強くなるんだ。誰よりも……レインのために……」


 誰にともなく呟きながら、剣を振り続ける。


「よう、やっぱりここにいたか」


 不意に——声が聞こえた。

 パッと振り返る視線の先。見慣れた薄い茶髪の男が、歩み寄ってくるところだった。あまりにも白々しい挨拶をするので、オレも仕方なく軽く手を挙げて応じる。


「ああ……珍しく早起きだな。いつもなら爆睡してる時間だろ」


「いつもなら、な。同室の野郎がいきなり跳ね起きたかと思うと、バタバタと部屋を飛び出していったら、嫌でも目が覚めるっての」


 皮肉に対して皮肉で返される。

 きまりが悪くなった。


「……わざわざ、なんの用だよ」


「用っていうか……ヒロ。お前は最近詰め込みすぎだぜ。たまには息抜きをした方がいいと思ってな」


 その声色で、自分を心配してくれていることが、ひしひしと伝わってくる。

 それがわかっていながらも、なお突き放すような口調で、


「オレは、大丈夫だ……。悪いけど今は構わないでくれ」


「なっ……おいおい、そりゃあねえだろ。心配して来てやってんのにさぁ」アッシュは表情を崩し、苦笑しながら、「奢ってやるからよ、とりあえず飲みにでもいこうぜ? な?」


「——お前に何がわかるんだよ!」


 その口調がどうしようなく癇に障って、思わず激昂してしまう。


「いつもいつも、立ち入ってほしくないところまでズカズカと上がってきやがって……!」


 オレの激情に、アッシュは少々驚いたようだが、その表情はすぐに苦々しいものに変わった。


「はっ、わかるわけねえだろ。俺にはなんにもわかんねえよ。……でも、お前が何か思い詰めてるってことぐらいはわかるぞ」


「ッ……だから! 構わないでくれって言ってるじゃねえか!」


 とっさの拒絶する言葉にアッシュは、はあ、と大きく息をつくと、


「しょうがねえ。やるしかねーか」


「……何をだよ?」


「歯ぁ食いしばれ、ヒロ」


「————ッ⁉︎」 


 次の瞬間——頬に衝撃が走った。


 いきなりのことに、持っていた愛剣をも手放してしまう。世界が一瞬だけ暗転すると、オレの体は勢いよく地面に叩き付けられた。

 焦点が定まらないものの視線を上に向けると、アッシュが拳を握ったまま振り抜いた形で止まっているのに気づく。舌に滲む血の味とともに顔を殴られたのだと、遅まきながらに理解した。

 無様に地べたに横たわったオレを、アッシュはその双眸に怒りを宿し、睨みつけてくる。彼がここまでの感情を露わにしたのは初めてだと思う。その表情には、普段の愛想の良さそうな雰囲気など微塵もなくなっていた。


「ちっとは、目が覚めたか?」 


 殴られた頬にはジンジンと鋭い痛みが響く。だがそれ以上に突然のアッシュの凶行への、ただ漠然とした怒りだけが広がっていく。

 オレはゆらりと立ち上がって、


「いったいなぁ……いきなり何すんだよ!」


「いや何、あまりにも周りが見えてねえみたいだったからな」


 あくまでも冷めた目で、アッシュは見やってくる。


「どういう意味だよ……」


「そのまんまだっての。何をウジウジと考えてんのか知らねえけどよ。飯もロクに食わずに、朝から晩まで剣を振る、剣を振る、だ」


「そんなの人の勝手だろうが」


「ったくよぉ……お前がそんな調子だと、酒もおちおち楽しめやしねえんだ」


「は……? わざわざ、そんなどうでもいいことを言いに来たってのか……?」


「ああ、どうでもいいな。だけど今のお前には、そんなどうでもいいことを考えるだけの余裕もないわけだ」


「クソが、何が言いたいのかわかんねえんだよ」



「——レインちゃんと、何があったんだ?」



「な……」


 アッシュとレインは戦場で少しの間だが、戦場で会話をしている。オレの反応を見ていれば、変化の理由や原因などがレインであることは、考えるまでもなく予測はつくだろう。

 そのことについて、特に言及してくることはなかったので、気を遣ってくれているのだと思い正直感謝していたが、なんで今になって掘り返すのだろうか。


「その反応はやっぱり図星か……。相変わらず、わかりやすい奴だな」


 神経を逆撫でするような言い草に、またしても声を荒げてしまう。


「それがわかってどうしたいんだよ! お前を頼れば何かしてくれるのか?」


「——そうだ。俺を頼ればいいじゃねぇか」


 アッシュはオレの目を見て、言う。

 あっさりとした声で。

 その言葉を聞いて、乾いた感情がオレの中で渦巻く。何を言うかと思えば……。そんな台詞を伝えられたところで、何がどうなるというのだ。


「……アッシュを頼ったとして、どうにかなる問題じゃない……。オレと、レインの問題だ」


「たしかに、俺にできることなんて限られてるさ。無力な、ただの一兵卒さ。でもよ、お前の話を聞いてやることぐらいはできるんだぜ」アッシュは懸命に呼びかけるように、「ヒロはさっき、お前に何がわかるんだ、って言ったよな。その通りだよ。わかってねえから聞いてんだ」


「…………っ」


 思わぬ話の転び方に、唇を噛みしめる。

 また、墓穴を掘ってしまっていた。どうして、こいつの前ではいつもこうなのだろうか。


「オレは…………オレが、やらならなくちゃいけないんだ……。アッシュには何もできない。話したところで何も変わらない……!」


 別に、アッシュのことを信頼していないわけじゃない。兵士になってレインに出会えたこと以外でよかったことがあるとすれば、それはきっとアッシュと友人になれたことだ。断言できる。

 だけど、レインのことでアッシュができることなんて、何もない……。

 その返答に対し、アッシュはまたしても大きなため息をつく。


「あのな、別にそんなんじゃねえんだよ。何ができるとか、変わる、変わらないじゃなくてだな。——悩みがあるなら、一人で抱え込まずに相談しろって言ってんだ」


「別に、悩んでなんかねえ……」


 オレは決めたのだから。どんなことがあろうとも、必ずレインを取り戻して見せると。

 それは信念だ。迷いなど、ないはずだ。

 だから他者を巻き込むわけには…………、


「嘘つけよ。悩んでねえなら、なんでお前はそんな苦しそうな顔してんだよ」


 しかし、それでもアッシュは、オレの言葉を否定する。

 ……オレは今、どんな表情をしてるんだ……? 本当は、どう思ってるんだ?

凄まじい葛藤を感じながらも、まだ抗う。もはや意地だ。


「……うる、さいな……。お前に話したってどうしようもねえんだよ……」


「あー、くそ! めんどくせぇな!」イライラするとばかりにアッシュは頭を搔きむしりながら声を荒げて、「どうしようもねえことで悩んでる暇があったら! とりあえずそのどうしようもねえ内容を話してみりゃいいだろ!」


「けど……! これはオレの決めた道なんだ……。一人で戦うって、誓ったことだから——」 


 ………………。

 違う、そうじゃない……。

 自分で言っておいて、ようやく気づく。


 本当はきっと——、

 

「んなことはどうだっていいんだよ!」


 アッシュは、勢いよくオレの胸に拳を叩きつけ、



「悩みがあるなら相談しろ、馬鹿! ——それが、『友達』ってもんだろうが……ッ‼︎」



 ——誰かに聞いてほしかったんだ。


「————」 


 気づけば、オレの中でごちゃ混ぜになっていた感情が、まるごと吹っ飛んでいた。

 まともな理論にもなっていない、はちゃめちゃな説得だ。ただの言葉の羅列だ。

 だけどその言葉は、自分が勝手に迷い込んでいた心の部屋を開けるには、十分だった。


 ——十二分だった。


「こんな……心配してくれてる友達に、八つ当たりするような奴の話だぞ……?」


「ああ、知ってるよ。とんでもねえ馬鹿野郎だな」


「今更だけど……聞いて、くれるか……?」


「いいから。さっさと話せ」


 強引に先を促す言葉に、背中を押されたような気がして。


「…………レインと、初めて会ったのはさ——」


 抱え込んでいた想いを、オレは、ゆっくりと吐き出していく。

 レインとの馴れ初めから、別れに至るまで……全部。

 全部、包み隠さず話した。

 あれほど話してやるもんか、と思っていた男に、全てのことを打ち明けた。

 これは、自分だけの問題だから。

 全部一人でしようと。他人を巻き込まないようにしようと。

 世界中の不幸を、自分一人で背負ったような気になっていて。


 つらかった、と。悔しかった、と。自分の大切な女性ひとを助けたいんだ、と、

 ずっと聞いてほしかった、と。


「——それで、レインはオレの前から去っていった」


 アッシュは眉をひそめながらも、黙って最後まで耳を傾けてくれていて。


「だから、あいつを国から守れるくらいにオレが強くなって、王を殺す。レインを助けるには、そうするしかないんだ」


 そうして、オレは話を締めくくる。

 話が終わってもしばらく黙りこんでいたアッシュだったが、やがて一息つくと口を開いた。


「……そう、か。王族だなんだとややこしいことになってるっつーのは予想してたが、まさかそんな胸糞悪いことになってるとはな……。とりあえずまあ、お前が抱え込んでたもんはわかった。さっきは偉そうなこと言ったけどよ。俺が具体的に何かできるってことは確かにねえな。すまん」


「わかってるよ」


そのことを理解しているはずのアッシュが、「それでも話せ」と言ったから、「話くらいなら聞いてやる」と言ったから、ヒロは話したのだ。


「……ま、あえて言わせてもらうなら、だ」アッシュは一呼吸置いて、「——ちょっと女に振られたぐらいで、絶望してんじゃねえよ」


「……へ?」


 途端、重苦しい雰囲気が消えていく。


「大体お前さぁ、俺がどんだけ女の子にアタックして振られたと思ってる⁉︎ 一〇人や二〇人じゃ済まねえぞ?」


「なっ、知るかよ……! そんなのアッシュに魅力がないからだろ!」


「うっ、地味に傷つくこと言うんじゃねえよ……! つーか、俺の恋愛遍歴みたいな、どうでもいい話は置いといてだなぁ」


 お前が言い出したんだろ! という発言はどうにかして飲み込む。

 ようやく落ち着いたのか、アッシュの口調が急に穏やかに戻り、


「真面目な話に戻ろうぜ」


「元から真面目な話のはずだったんだけどな……」


「わかってるっての。けど、だいぶと肩の力抜けただろ?」


「……わざとか?」


「おうよ。ふざけ倒すのはよくねえけど、固く縮こまっても困っちまうからな」


 アッシュは、実に晴れやかな顔で応じる。


「まったく……よくやる」


「お前と出会って二年くらいしか経っちゃいねえが、幸か不幸か、一緒にくぐり抜けた死線の数は多すぎる。命の瀬戸際が人の本音の部分をさらけ出すからな。そんな戦友の性格ぐらいはそれなりに理解してるわけよ」


「じゃあその戦友から見てだけど……やっぱり、オレの言ってることって馬鹿げてるか?」


「……いんや、お前の覚悟は伝わったぜ? 悪逆の王を殺す……か。たしかに話を聞いてて、ぶっ殺してやりてえくらいにはクズだわな」少し険しい顔色を浮かべるアッシュ。


 オレの激しい脚色もあったかもしれないが、それを考慮する必要がないくらいには、クラウド王が行ったことは悪魔の所業だ。


「別に俺は貴族ってわけでもないし、あくまで生まれた国の王様がアレだったって話だ。殺れるなら殺っちまえばいいんじゃねえか? 俺は昨晩はこいつと酒飲んでましたー、ってアリバイくらいは作ってやる」


 アッシュも堂々と、当たり前だと言わんばかりに、国家反逆罪そのものを口走っていく。


「それと、隷従刻印が必要ない契約魔法……だったか? 魔法のことはよくわかんねえけど、それはシーナさんに聞けばいい。あの人のことだ。最善の道を教えてくれるはずだぜ。さっきも言ったように、一人でなんでもする必要はないだろ?」


「……なんで、今までそうしなかったんだろうな。ちゃんと受け入れてくれる人がいたのに」


 自分の馬鹿さには呆れるしかない。

 覚悟を決めたまではいい。それは絶対に必要なものだ。

 だけど行き当たりばったりで、勝手に一人で悩んで、人に当たって——。

 ほんと、馬鹿だ……。


「お前は難しく考えすぎなんだよ。あとはレインちゃんをかっこよく助けに行ってさ。バチっと惚れ直させるだけだろ?」


「……はは」


 ……思わず、笑ってしまった。本当にアッシュらしい、馬鹿みたいな励ましだ。


「なに笑ってんだ、ヒロ。どこに笑う要素がある?」


オレが困っている時に、なんだかんだで助けてくれる。普段はとぼけているようだけど、変に鋭い奴で、細かいところでも気遣ってくれる。

 ——いつもそうだった。


「アッシュ」


 そんな友人の名前を、オレは呼んだ。


「なんだよ」


「……ありがとな」


 いつもは恥ずかしくって言えなかった言葉は、すんなりと口にできた。

 アッシュは一瞬ぽかんとした表情をして、


「お、おう……。なんか、改めて言われると照れるな……」


「やめてくれよ……こっちも恥ずかしくなる」 


 お互い、ちょっとばかり顔が赤い。


「うはは」


 アッシュは照れているのを誤魔化すように笑う。


「ははは」


 オレも久しぶりに心から笑う。


 二人して笑い続けた——。


 ——そして。


「あ、そうだヒロ。この前、可愛いメイドがいる店を見つけたって言っただろ、覚えてるか?」


「え、ああ……そういえば言ってたな。覚えてるけど」


「なら話は早い。そこで酒と飯でも奢ってくれよ。そしたらまあ、さっきのお前の情けない顔のことは、誰にも言わないでいてやる」


 アッシュはそんな安すぎる対価を口にした。

 ……いや、対価なんて大仰なものじゃない。きっとこいつは、本気で思ったことを言ってるだけなのだ。


「……わかった。約束する。けど、間違ってもそこのメイドに手は出すなよ」


「バーカ、ほっとけ」オレの言葉にアッシュはニカッと笑って、「……よし! そうと決まればさっさと行くぞ!」


「い、今からか? こんな朝っぱらに?」


「うるせえ! 善は急げだ! 腹一杯飲み食いして悩みなんて吹き飛ばすんだよ。とっとと着替えてこい!」


 威勢のいい声をあげたアッシュは、顔を出した朝日を背にして歩き出した。

 その背中を見て、思う。

 まったく、オレにはもったいないくらいの友達だぜ……。

 素直に自分の気持ちを話せるのだから。それを受け入れてくれるのだから。

 今まで一人で溜め込んでいたものを吐き出した、たったそれだけのことなのに。


 オレは救われていた。


 ……そういえば、父親が「腹が減っては剣が振れねえ」と言っていたことを思い出す。

 どんな時でも一日三食は欠かすな、と。

 あの雨の日からは、多忙さと心の余裕のなさが相まって、しっかりとした食事がおろそかになっていたが、ちゃんと腹を満たすということは、精神を落ち着かせるという意味合いもあるのかもしれない。

 ——まずは腹一杯、食うとするか。


 オレも、軽くなった身体で一歩を踏み出した。




 後方。

 かのオリエント——日ノ本でしか見られないと言われた樹が、桃色の華を芽吹かせていた——。




「…………なんで昼からしかやってねえんだよ」


「仕方ないだろ……。店にだって都合があるんだよ。ちゃんと調べてなかったお前が悪い」


 オレたちは今、食事中だ。ただし意気揚々と繰り出した例のメイドさんがいるお店ではなく、質素でこじんまりとした、王国軍兵舎の食堂だった。

 別に、店自体が休業していたわけではないのだ。ただ、開店時間まであと三時間ほどかかるようだっただけで。さらに、可愛いメイドさんはといえば、オーナーらしきおっさんから、目当ての子は休みだよと伝えられる始末。

 出向いた意味……全くなかったぜ。

 その店に執着せずに、他の朝に営業している適当な店に寄ればいい話なのだが、その気になっていたヒロたち(実はオレも結構その気になってた)はどうにもやりきれず、兵舎の食堂で我慢するかー、ってな感じでとんぼ返りしてきたというわけだ。


「あー、会いたかったなぁ……マリンちゃん……」


 この食堂の名物である焼き魚定食の魚骨を器用に解体しながら、対面に座ったアッシュは、今日一〇回は言ったであろう愚痴を零している。よっぽど「マリンちゃん」をお気に召していたらしい。

 あえて反応すると面倒なので、適当に頷きながら流していると……、


「何やら楽しそうね」


 背後からの甲高く変に甘ったるい声に、思わずオレが唸る反面、今までの落ち込みが嘘のようにアッシュが目を輝かせる。


「おお、シーナさん! なんでこんなとこに!」


「あたしがこんなとこに来る理由なんて決まってるじゃない。あんたたちを探しにきたのよ」


 その発言で、たしかにこんなところに来る理由なんてそれぐらいだよなと、渋々振り返る。

 汚れなき純白のドレスを羽織ったグラマラスで高身の女性が、蠱惑的なラインを描いた腰に、右手を当てて立っていた。

 オレの義姉的存在、シーナ・シルヴァレン。

 この場の食堂にいるのは大抵が男で、仮に女性でも地味な格好をしている者しかいないから、派手な装いの彼女は、より異彩を放っている。

 ともあれ、姐さんの要件とやらを先んじて予想していたオレは、彼女が多くを語り出す前に尋ねる。


「姐さんの用事って、オレたちが次に配属される部隊のことか?」


「あら……鋭いわねえ。その通りよ。あんたたち二人には、あたしの部隊に入ってもらうわ」


 ニヤリと笑いつつ、姐さんは肯定する。


「マジっすか! ……ってことはついにシーナさんが前線に出るってことッスよね? こりゃあいよいよ流れが変わるぜ……」


「当然のことよ。秘密兵器を舐めないで」


 秘密兵器。あるいは最終兵器と呼んでも差し支えないほど、彼女の「個」としての力は強大だ。

 おそらく……しかし近い内、王国軍は大攻勢を仕掛けるだろう。烈風の魔女ブラスト・ウィッチが部隊を編成し始めた事実が、それを示唆している。

 王国は、「次」で帝国に勝ちにいくことを決めたのだ。


「一応、この辺の部隊で使えそうな奴は探して回ったんだけど、大した人材はいなくてね」


 さすがに声は一段と落としたものの、なかなかにひどい戦力外通告を堂々と言ってのける。

 ……おいおい。近くの奴には普通に聞かれてるじゃねえか。ちょっとこっち睨んでるぞ……。


「選ばれたのは俺たち二人だけなんスか?」


「そうね、受け入れてくれたのは、と言った方が正しいかしら。あんたたちの隊長のヤムハ・グレイスには断られたわ」


「ヤムハさんも誘ったんだ……。まあ、あの人も結構強いし、不思議じゃないっスけど」


 先の戦場で一度きりしか見ていないが、王国騎士だけあってヤムハの実力は非常に高かった。自惚れるわけじゃないが、今のオレとまともに戦えるのは、元グレイス隊の中ではヤムハとアッシュだけだろう。


「……ていうか、あくまで軍主導による再編だったら断るも何もないんじゃないのか? 命令なんだし」ヒロがふと思い至った疑問を口にするが。


「あぁ、それ。命令なんて別にいらないわよ。あたしの部隊なんだから、やる気のない奴はお呼びじゃないの」バッサリとヤムハを一刀両断する姐さんは、「もちろん、アンタたちにも断る権利くらいはあるわよ?」


 不適に問うてくる彼女に、そんなの答えるまでもないですよ、とアッシュ。


「そう、ヒロは?」


「……入るよ。どこの部隊に行くにしろ、戦わなきゃならないことに変わりはねえからな。正直、姐さんが近くにいてくれた方が心強い」


 運命に絡め取られた少女を救うためには、少しでも中枢に近い立場にいたほうがいい。


「決まりね。やっぱり素直な子が好きだわ、あたし」答えのわかっている問題を解くのがたまらない、といった様子で彼女は微笑むと、「じゃ、行くとしましょう。そんなのさっさと食べちゃいなさい」


 時間が惜しいとばかりに颯爽と身体を翻す姐さん。


「もう移動するのか?」


「愚問ね。どのみちあんたたちが頷くことはわかってたから、わざわざあたしが迎えに来てあげたの。これ以上の時間をとらせないで」シーナは本当にめんどくさそうにして、「それに、他の隊士と顔合わせくらいはしておいた方がいいでしょ。歳が近いし、気は合うと思うわよ」


 言い、寄せられる注目をものともしないないで、兵舎食堂を彼女は去っていった……。

 ……オレの周りの女の人は、なんでこんな我が強いんだ?

 一度アッシュと顔を見合わせると、何気なくお互い頷いて、急いで残った定食を胃にかきこんだ。



 新しい宿舎に着き、姐さんに久々の稽古をつけてもらったり、諸々の話を聞いてもらった、その晩。

 アッシュとともに夕食をご馳走になった。他の隊員との顔合わせも兼ねて、ささやかな歓迎会が開かれたのだ。

 大人数で賑やかに食べる久々の食事は、忘れていた食の楽しみを思い出させてくれた。


 ——オレは、失っていた彩りを、取り戻せた。


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