第3話 いつも通りの挨拶
——…………あーあ。
男は放物線を描いて吹き飛び、ズシャア‼︎ とえげつない音を立てて地面に叩きつけられた。……ピクリとも動かない。
「なっ、なんだこいつは……調子に乗りやがって!」
男たちは一瞬だけ唖然としていたが、再びレインに飛びかかった。……そしてしばらく。人の肉を殴る蹴るの鈍い音が、聞いてて痛々しい悲鳴とともに鳴り響く。
結果……。
五人中二人を気絶させ、残りの三人も無傷の者はいなかった。
「くそ! 覚えてろよ!」
『口が無事だった』男が、ある種お約束の言葉を吐きながら逃げていく。残りの二人も這々の体で、仲間を引きずりながら去っていった……。
「すまない。妙なことに巻き込んで」
「それはいいんだけどよ。やりすぎじゃねえか?」
よっぽどレインが怖かったのか、剣を構えてるオレなんかには目も暮れずに逃げていった哀れな男たちには、ちょっと同情する。
「手加減はした」
「手加減してあれかよ」
レインが夜道の心配をすることは、絶対になさそうだった。
「…………男はみんな、ああなのか?」
ふと放たれた、疑問。
「人によるとしか言えねえだろ、あんなもん」
「一度断ったとはいえ、やはりお前も『したい』のだろうかと思って」
「聞いてどうすんだよ、それ」
「いやなに、急に劣情を抱いて飛び掛かられたらどうしようかと。さすがに自分も準備というものがある」
「あのなぁ、オレがあいつらみたいなところ構わず発情するような奴に見えるのかよ」
「まあ……そうだな。先の反応を見る限り、おまえに女性経験はなさそうだったし、要らない心配か。余計なことを聞いた」
「おい待て。なんでそうだと言い切れる?」
「なんとなくだ」
「…………っ」
「沈黙は肯定と捉えてもいいのか?」
「……そーだよ」
大人しく白状する。
悲しきかな、悔しいくらいに図星だった。
「なら最初からそう言えばいい。下手にごまかそうとするから恥をかく」
……オレは何を言ってんだ。
これは……このままでは終われない。せめてもの意趣返しに尋ねてみる。
「だったら……そういうレインこそどうなんだよ」
ほぼ初対面の相手にあんなぶっつけたお誘いするくらいだしな。
「……ヒロにはどう見える?」
「え、ええと……、やっぱり経験豊富だったり?」
「変態め」
レインはわざとらしく胸の前で腕を交差させ、自分の体を抱きかかえるようにして、ささっと後ずさる『フリ』をする。表情に変化はないからよりシュールだった。
なんつーか、もはやキャラ違うくないか?
「っ……何も見てねえ。だいたい何をどう考えればそういう考えになるんだよ」
「女にそんな悪趣味なことを聞くのは最低だからだ。撫で斬られたいなら素直にそう言えばいい」
「……じゃあ、男にはいいのかよ」
「冗談だ。本気にするな」
口喧嘩ですら、絶対に勝てないような気がした。
唖然としているオレをよそに、レインは広場の端にある瓦礫へ悠然と腰をかける。
……にしても、ここがお気に入りの場所?
改めて辺りを見渡すが、なんとも言えない場所だ。今にも崩れてしまいそうな家があるだけで、他には何もない。
「こっちだ」
レインはちょいちょいと手招きをする。この瓦礫の先に何か見えるのだろうか。訝しみながらも、オレはレインの方に近づき、彼女の視線の先を見る。
その先に…………、
「すげえ……」
なぜ、こんな辺鄙な場所に家が建てられたのか。
そんな疑念は一瞬にして吹き飛んだ。
視線の先には——ここノールエスト王国の王都、オルトリアの街並みが広がっていた。平民たちの住宅街や商人たちの商業街。さらに奥には、この国の王族たちが住む王宮までをも見渡せる。
なにも、特別に綺麗で美しいというわけじゃない。大自然には、もっと壮大な景観がいくらでもあることだろう。でもこの何気ない風景が、この戦時下において、かけがえのないもののような気がする。
初めて来たはずなのに、どこか懐かしいような——。
「——どうだ、いい場所だろう?」
街並みに目を奪われていたオレに、レインはそう問いかける。
「たしかに、最高の場所だ」
自然と、笑みがこぼれた。
初陣を経験し、死の恐怖を身をもって知って以来、初めて心から笑えた気がする。
ちらと横を見ると、レインも口元を緩ませていた。笑っているかと言われれば微妙だが、穏やかな表情だった。
——レインって、こんな表情もできるのか……。
その顔を見て、オレはまたしても可愛いと思ってしまった。
これこそ嫌味ったらしくない、純粋な。
まさに、年相応の女の子のようで。
……急に恥ずかしくなり、つい顔を背けてしまう。顔が真っ赤に染まっているんじゃないだろうかと内心ヒヤヒヤする。
不自然な挙動に、どうした? と疑問の声。
なんでもない、とオレは答えを返す。
そうか、と答えるレイン。
黙ってれば、結構可愛いのにな……と、改めて思う。女の子らしい服装をすれば、おそらくもっとだ。間違いねえ。
正直に口に出したら、斬るぞと皮肉のオンパレードだろうから言えないけれど。
……あー、でも見たところ感情がないわけじゃないし、案外恥ずかしがるかもしれねえな。
なんて。
くだらない想像をぼんやりとしながら、オレはまた口元を綻ばした——。
「…………そういえば連れ回しておいてなんだが……兵士が朝早くから、こんなところをうろついてもいいのか?」
と……しばらく雑談を交わした後、本当に今更ながらレインは尋ねてきた。
「ずっと戦ってるわけじゃないからな。戦いがなければ、特にやることも多くねえし……。それこそまだ朝方だから、集合までの時間くらいある」
軍はまだ全ての再編成を終え切れていないみたいだが、兵士が暇なのはいいことだと思う。これ以上ないくらいの平和の証だ。
「……王国兵士は、自分が思ったより大変な職業ではないようだな」
その一言は——オレの心をごっそりとえぐった。
「……そんなことねえよ。オレは、まだ何もできてない……」
否定する。否定するしかない。
人を殺すことを躊躇している。きっと人としては正しいことなのだろう。けど、兵士としてはただの足手まとい。
レインにもそのような葛藤があったのか聞いてみようかと思ったが、やめておいた。言ったところで何かが変わるわけでもないし、伝わるとも思えない。というかおそらく、彼女のそんな感性はもう存在していないはずだ。
レインは、自分とは違う……。言い方は悪いけど、彼女は人を殺すことをもう割り切っている。彼女だけじゃない。みんな、どこかで割り切っているのだ。
だから——戦える。
中には同じような者もいるかもしれない。でも、そんなことなんの慰めにはならない。
——変わらないと、な。
…………だがそこで、レインは言った。
「そうか? お前は兵士に向いてると思うぞ」
そのなんでもなさそうに放たれた言葉に、耳を疑う。
「まさか。レインも見てただろ。オレのどこが、勇敢な兵士に見えたんだよ?」
敵を前にして現実から目を逸らして、諦めていた男の、どこが。
「たしかに勇敢とは口が裂けても言えないし、敵を前にして逃げることは許されない。でも、臆病な気持ち自体は生き残るのには適している。怖さを知っている者は少なくとも慢心で死ぬことはない。
生存率の高い兵士は優秀な兵士——そう言えなくもないだろう?」
「褒めてるのか貶してるのか、どっちなんだよ?」
「別に、褒めたわけじゃない。……それとも、貶してほしかったのか?」
そのツンとした答えに、思わず乾いた笑いがこぼれた。
まさに、自嘲するかのように。
たしかに自分は、どうしようもない自分を誰かに糾弾してほしかったのかもしれない……。
「励まして、くれてたのか?」
「さあな。少しは己で考えたらどうだ?」
言って、ぷいっと横を向くレイン。
……そうか。臆病は生き残る術、か。そんな風に考えたことは一度もなかったな……。
圧倒的な強者たる彼女は、何を伝えたかったのか。
いったい——その真意は。
「……なあ、レイン。明日もここに来ていいか?」
「明日も……? いきなり、なぜだ」
突然の問いにレインは首をかしげる。
少し勇気を出しながら、オレは続けた。
「レインともっとなか…………話してみたいと思ったからだ」
仲良く、と言いそうなところをすんでで飲み込む。余計なことは口にすまい。
「自分で言うのもなんだが、あれだけ言われてまだ自分と話したいとは……もしかしてそういう趣味なのか?」
「んなわけねえだろ……っていうか、悪口言ってる自覚あったんだな」
「まあ、歴戦の傭兵と対等に話せるのがどれだけ貴重な経験か、やっとわかったということだな。それならば殊勝な心がけと言えなくもない」
「レインって、絶対友達少ないだろ……」
とっさに出てしまった一言。
それは、レインのどこかを震わせたようで。
「——別に、友達なんて一人いれば十分だ。なんのためにおまえに声をかけたと思っている」
……少ないどころじゃねえ。
レインのその言葉だけは、妙にはっきりと繰り出されていて。
「一人いればいいって……また極端だな。多すぎるのはオレもあれけど、気の合う奴とたまに騒ぐのは意外と悪くないぞ」
再びそっぽを向いたレインに、なだめるようにヒロは告げるが。
「よりにもよって……————、————————」
彼女は小さく、ボソボソと言葉を吐き出した。
「よりにもよって……なんだ?」
「別に、なんでもない。お前は結局なにが言いたいんだ? 話を逸らすな」
表情こそ変化がないものの、その口調にはふんだんに怒りがこもっているような気がした。
……人の過去にもいろいろあるんだろうけど……いったい、どういう生き方をしてきたんだ?
今のところ彼女が友人と呼べる間柄は、まさかのオレだけのようで。
だがまあしかし、実際のところ——。
否定しておいてなんだが、別にレインの毒舌はそこまで嫌いじゃなかった。本音をひた隠して自分を偽って生きているよりは……よっぽどいいと思えたから。
「えーと、つまりだな。今の自分を変えたいんだよ」
「どういうことだ? 答えになってないぞ?」
正直言って、自分自身もよくわかっていない。けど、なぜか共感を覚えたのだ。
性格なんて似通っていないくせに。
度胸も、肝も、何もかもが違うのに。
それなのに、どこかわからないが感じた。ついさっきまでは、レインの感性について否定的だったのにもかかわらずだ。
彼女といると何かを掴めるかもしれない、と。
そんな不思議な予感が、確かにあった。
「つまり……そうだな。オレたちは友達なんだろ? なら、もっといろんなことを話そうってことだ。友達は一人で十分って言ったレインの言葉を、オレも一緒に証明する、ってことでもあるかもな」
もっともらしく、オレは答える。
そして、彼女の反応は——、
「……自分は世情に疎い」
「え……?」
「自分は、戦うことしかしてこなかった。例えば、民がどのような暮らしをしているかなど……『知らないこと』が多すぎる。自分はそれらを知りたい」
その、淡々と紡がれる言葉は。
レインの本質を、ほんの一部だけでも表しているような気がして。
「——だから、いろいろと教えてほしい」
たしかに。
あの日、レインの方から言ってきたのだ。
また今度話そう、と。
「……いいぜ。オレでよければ。オレが知ってることなら、いくらでも教えてやるよ」
「そうか……。やはり自分の目に狂いはなかった。ヒロは優しい」
まったく。
すぐ人を馬鹿にするかと思えば、急に優しいって言ったり、忙しい奴だよな。
「優しくなんてねえよ。別に、普通だ」
口下手なオレには、これぐらいしか言えなかった。
そんな恥ずかしさを隠そうとした言葉に、レインは……、
「まあ、とにかく。朝の早いうちは暇だから……いつでも訪ねてくるといい。ここで待っている」
これでもかと遠慮ない視線を投げかけながら——そう、呟いたのだった。
アイトスフィア歴六三三年九ノ月一三日
再会を果たしたその翌日。
有言実行とばかりに訪れた丘には先客がいた。
なんでだか彼女は機嫌良さそうに鼻歌を口ずさんでいる。何の歌かはわからないが、廃墟という空間のせいか妙に幻想的で。
思わず見とれていたオレに気づいたレインは、時間が停止したかのように鼻歌をやめる。そして……当たり前のように話しかけてくる。
「遅かったな」
少し驚いたのは事実だが、余計な言葉は無粋だと思ったため口にはしなかった。彼女はちゃんと約束を果たしてくれただけなのだから。
「……よう」
オレもただ、当たり前のように挨拶を返したのだった。
それからレインとは、出会って数日とは思えないほどよく話した。
仲良く、というわけではなかったけれど。お互いの言葉を交わし合った。
それこそ——昔ながらの友達みたいに、毎日のように。
……そう、毎日だ。こうなった原因は恥ずかしながらオレにある。
レインの元に通った一日目、去り際に言ってしまったのだ。
「じゃあ、また明日」
それに対して、彼女はこう答えた。
「……ああ、また明日だ」
我ながら気恥ずかしい台詞を言ったと思う。次に会う時のことを考えれば、たしかに具体的に言う方が都合がいいだろうが、もうちょっと他にやり方があったんじゃないかと後に思った。
けど、慣れればそれも日常と化す。
結局のところ、各々の都合が悪い日以外は、毎日あの場所で会って言葉を交わすようになったというだけの話で。
どれだけの邂逅を重ねようとレインは相変わらずの毒舌だったが、それが悪意でないことは彼女の顔を見なくともわかるので、いちいち気にすることすら無くなっていった。
オレが泊まっている兵舎が、王都の端に近いことも本当に助かった。朝方に出かけても、通常業務や練兵場での訓練の前には戻れるからだ。
でも、どうしても気になることが一つ。
レインを訪ねる時間には結構な差があるが、不思議なことにどんな時間帯に訪れても、必ずと言っていいほど丘の広場にいるということだ。彼女はいつも、廃屋のそばにある瓦礫の上の定位置に座り、街並みを眺めていて。あらかじめ都合が悪いと聞いているとき以外では、レインと会えないことはなかった。
……理由はついぞ、聞けなかった。
そうして——嘘のように平和な三ヶ月が過ぎてゆく。
彼女が、風の噂で語られる『死神』なのかどうかなんて、どうでもよくなっていった。
だって、レインはレインなんだろ?
仮にそうであったとして、オレはきっと、それを否定したりはしない。
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