第18話 ちょうだい

 慌ててスマホにイヤホンを差し、耳につける。通話ボタンを押すと、イヤホンの奥からサーとノイズが聞こえた。


「あ、もしもし、ゆき姉……?」


『ヨナちゃん?すぐかけちゃってごめんね?大丈夫だった?』


 そう話すゆき姉の声はいつも配信で聞くそれとほとんど変わらない。明るくて優しい声が緊張している私を少し落ち着けてくれた。


「ううん、大丈夫。私もごめんね、急だったよね」


 いいよー、というゆき姉の言葉に後に沈黙が訪れる。彼女は私の言葉を待っていた。そりゃそうだ、私が話したいと言ったんだから。心臓がばくばくと音を立てている。そもそも私は人に相談するということが苦手だった。自分の胸の内を明かすのが恥ずかしくて、他人に悩み事を打ち明けられない。

 でもこれは自分の中だけではきっと解決できないことだから、と意を決して声を絞り出す。


「その、配信をやめてたの、さ。仕事が忙しかったのもあるんだけど、別の理由があって……」


『……うん、なーに?』


 私が話すのをためらっているところを見兼ねて、ゆき姉は私の言葉を促してくれる。


「あのね、配信をするのが、しんどくて」


 そうつぶやくと、涙が出そうになった。今まで自分の中だけで悩んでいたことを話そうとしているせいで、感情が上手く制御できない。ゆき姉は黙って次の言葉を待ってくれていた。


「私の勘違いかも、しれないんだけどさ。リスナーさんの、なんていうのかな、私へのあたりが強くて。それがちょっと、つらくて。

正直これくらいでつらいって言っていいのかわかんないけど、でも、私にとってはつらかったんだ」


 そうぽつぽつと話すうちに、自分が思ったよりこのことを気にしていて、思ったよりもつらく感じていたことに気が付く。最初は引退の相談だけしようと思っていたのに、口からはどんどん私がずっと抱えていたことがこぼれていった。


「しかも、そのきっかけが元々アンチの人みたいで、本当はわかんないんだけど、でも、私はそうだと思ってて、それが、どうしようもなく腹が立って……」


 言葉がどんどん支離滅裂になっていく。感情が先走り、唇が震えて上手く話せない。


「嫌なの、もう。配信をしたら心無い言葉をかけられるのも、笑われるのも、何やったって、私のことを否定されるのも……!」


 頬に一筋涙が流れる。それに気が付いて、一瞬冷静になった。ぐずっと鼻を鳴らし、息を吸い込む。焦って喋ったせいで酸素が足りなくなっていた。


「……ごめん、話が逸れちゃった。ていうか、情けないよね。これくらいで傷ついてるとか」


『そんなことないよ』


 私が自嘲気味に笑うと、ゆき姉はすぐさまそうやって否定してくれた。


『ヨナちゃんは、リスナーさんに否定されるのとか、つらく当たられるのが嫌なんでしょ?じゃあ、ヨナちゃん自身がそうやって、自分を否定しちゃだめだよ』


 ゆき姉の言葉を上手に理解できたかはわからないけれど、それでも私を気づかってくれた彼女の言葉が心にしみる。


「……うん、ごめん。ありがとう」


 そう言って、また沈黙が訪れる。そうだ、引退の相談をするんだった。一瞬忘れそうになってしまっていた。


「そう、あの、それで、相談はここからなんだけど……。やっぱりリスナーさんたちの言葉はまだ怖いし、正直配信をやる気にもなれなくてさ。引退、しようかなと思ってて」


『……そうなの?』


 電話の向こうのゆき姉の声は、今までに聞いたことのないくらい驚いているように思えた。


「うん、でもまだ迷ってて。こんな私の事情でさ、「月島ヨナ」のことやめるの、なんだか申し訳ないなって思って……。ちょっと、伝わるかわからないんだけど」


 普通、VTuberにとってキャラクターは自分だ。でも私にとっては違う。うまく言えないけれど、「月島ヨナ」は私であって、私じゃない。すごく近い他人だ。でもこの感覚をほかの人に伝えるのは難しかった。


『うーん、そっか、じゃあさ』


 ゆき姉は少し悩んでからそう切り出す。その次に聞こえた言葉に、私は耳を疑った。


『「月島ヨナ」のこと、私にちょうだい?』

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