第17話 久しぶりのログイン

 あの日の配信から、気が付けば一か月が経っていた。私が考案したメニューは幸い人気が出て、連日注文が絶えなかった。お客さんから注文を受けるたびに背中がそわそわする。けれど嬉しかった。結局私があのタルトを作ることはなかったけれど、店長の手で私が描いたメニュー案が現実になっただけで十分すぎるほどだ。


 梅雨が明け、七月に入った。まだ初夏だというのに、日中はじりじりと日差しが照り付け、夜になってもじとじととした暑さが残っている。べたつく肌を早く洗い流したいと思いながら、今日の仕事を終えた私は帰路についていた。


「ただいま……」


 誰もいない部屋にそう声をかけ、カバンをベッドに放り投げるとシャワーを浴びて部屋着に着替える。エアコンを入れてベッドに寝転がると、スマホに一件の通知が入っているのに気が付いた。メッセージアプリを開き、送られてきた内容を確認する。


『ヨナちゃん、元気?最近配信もないし、SNSにもいないから心配になりました。大丈夫?』


 送り主はゆき姉だった。そういえば私は「月島ヨナ」をやっていたな、なんて呑気に思う。ここ二週間は忙しすぎて、配信活動のことを考えることすらしていなかった。

 ゆき姉からのメッセージに返信する前に、PCを立ち上げる。そういえば最近はPCもつけていなかった。起動を待つ間にゆき姉へのメッセージを画面に打ち込む。


『心配かけてごめんね、大丈夫だよ~!お仕事忙しくて色々手が回らなかったの!』


 嘘は書いていない。きっかけこそ配信に対するやる気の消滅だったかもしれないけれど、仕事が忙しくて配信に戻る暇がなかったのは事実だ。送信を押して、ちょうど画面のついたPCの方へと目を向ける。


 ゆき姉からメッセージが送られてくるほどだから、よっぽど心配の声でも届いているのかと思ったらそうでもなかった。SNSを開いてみると、通知欄にぽつぽつとリプライがきているのと、それからDMが二件だけ。ほんの少し拍子抜けしてしまった。

 心配してもらえたのはありがたい。でもそのどれもこれもが見たことのある顔ばかりで、まあその程度だよな、と思った。内容も『元気?』だとか、『生きてる?』などまるで友達に送るような簡単な言葉が並んでいる。

 それを見ても、心配されてるからツイートをしなきゃ、とか配信をしなきゃ、という気持ちが湧かなかった。むしろこのリプライやDMに返信するのが面倒で、一度そんな声をかけられたらどれだけ長くいなくなっても一緒だと、またPCの電源を落とそうかとすら思っている。


 いや、それではだめだ。「私」はそれでいいかもしれないけれど、「月島ヨナ」をそんな存在にしたくない。けれど今更以前のように配信をする気にもならず、ツイート画面を開きながらも、何も打てないでいた。

 私の脳裏に引退の二文字が浮かぶ。もう、潮時だろうか。これだけリスナーから心配の声をもらっておいて、何かしようと思えないのは限界がきている証拠だ。


 正直今は現実世界が満たされている。以前までの私は仕事にもやりがいを感じられず、推しであるテンシちゃんも引退し、ただひたすらに何か夢中になれることを求めていた。でも、仕事を頑張る理由ができた今、私が認められる場所はここじゃなくていい。ここに縋り付かなくてもいいんだと思い始めた。

 でもこれは、今まで応援してきてくれたリスナーたちへの裏切りにならないだろうか。いや、こんな気分のままだらだらと続けた方が、リスナーや「月島ヨナ」にとっても良くないと思う。そんな考えが頭の中にいくつも浮かんでは消えていく。


 ピロン、という通知音が鳴って、スマホが私にメッセージが送られてきたことを知らせてくれた。ゆき姉からの返信だ。


『元気ならよかった!もし何か悩み事でもあるなら、いつでも聞くからね。』


 ゆき姉なら、私の悩みの答えを教えてくれるかもしれない。そんな気持ちでメッセージ欄に文字を打ち込む。


『ちょっとだけ相談があるんだけど、今少し話せる?』


 ゆき姉に迷惑だと思われたらどうしよう、と少し迷ってから、えいや、と送信ボタンを押した。彼女も配信があって忙しいだろうから返信はこないかもしれないと思ったが、すぐに既読がつき、向こうから電話がかかってきた。

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