2 科学の子
よしのんを家まで送った翌日。
今日は『わかとめいを巡る迷推理……?』の投稿日のはずだが、よしのんからの投稿はない。ツイートもない。メッセージは、昨日の夜に何通も来たが、今朝はまだ来ていない。
いまごろ、何をしているのだろう。
「どうしたの? なんか朝から元気ないけど」
「あ、いや、なんでもない」
教室でぼうっとスマホを見ていると、石沢さんが心配そうにのぞきこんできた。
「んー。西原君って、なんか抱えている時は、すぐわかるのよね。何に悩んでるのかはわからないけど。チーム西原なんだから、悩んでることがあれば聞くよ」
どうしたらいいのか全然わからないし。答えがあるとも思えないけれど、聞くだけ聞いてもらったら気が楽になるかな。
「ありがとう。実は、友達がちょっと悩んでてさ」
「うん」
前の席の生徒が、まだ来ていなかったので、石沢さんは横向きにそこに座って、こちらを向いた。
話すにしても、石沢さんはよしのんに会ったことがあるから、誰のことかは知られないようにしないとな。
「その友達が、父親からお前は実の子供じゃないって、突然言われたんだって」
「えっ? なんで?」
「血液型が合わないんだって」
「どういうこと?」
目をぱちくりしている。俺だってよしのんから聞くまで、そんなことがあるとは知らなかった。
「父親がO型で、本人がAB型なんだけど、親がO型だと子供がAB型になる組み合わせは無いんだって」
「そうなの?」
「よくわからないけど、遺伝子がどうとかで、そういう組み合わせは無いらしい。ほら」
スマホで、親子の血液型の組み合わせを解説したサイトを見せる。
「ふーん。そうなんだ」
「本人は、ずっと本当の父親だって信じてたから、突然言われて混乱している」
「うーん……。お母さんは何て言ってるの? そんなことはないって、お母さんが言ってくれれば問題ないよね」
「母親は、ずっと前に離婚して家にいないらしい」
「離婚! それじゃ確認することもできないの?」
「どうしたらいいと思う?」
「うーん……」
そうだよな。答えなんてないよな。
黙ったまま、二人で腕組みをして向き合っていると、ふいに後ろから声がかかった。
「それ、遺伝子検査した結果?」
「えっ?」
振り向くと、山本さんがこちらを見ていた。
「ABO血液型だけで判断するのは古いし、危険だよ」
「どういうこと? このサイトに書いてあるのは嘘なのか?」
「嘘ではないよ。普通は、遺伝子の組み合わせで、O型の親からは、AO型のA、BO型のB、OO型のOしか生まれないから」
「う、うん」
「ただ、通常は二組ある遺伝子上のそれぞれに、A、BまたはOの遺伝子が一つずつ乗っているはずが、AとBの両方の遺伝子が同一染色体上に乗る人がごく稀にいて、シスAB型と呼ばれてる」
「う、うん?」
「わかりやすく言えば、AB型遺伝子を持っていると言ってもいい」
「ごめん、よくわからなくなってきた」
山本さんは、ノートを取り出して何本も線を引き、A、B、A+B、Oと記号を書いて説明し始めた。俺と石沢さんは山本さんの席に近づいて説明を聞く。
「ポイントになるのは、片方の親がシスAB型だと、もう一方の親がたとえO型であっても、子供はAB型遺伝子を引き継いで、シスAB型になる可能性があるということ。つまり、AB型とO型の親からAB型の子供が生まれる可能性はある」
「そんなことがあるんだ!」
「ごく稀ではあるけど、可能性としてはありうる」
「それって、どうすればわかる?」
「正確な判定には、DNA検査をする必要があるね。口の中の粘膜を取って検査をする方法で、99%以上の精度で判定できるから、裁判の証拠にもされている。実施している機関は、DNA検査で検索してみればすぐに出てくるはず」
「ちょっと待って」
スマホで検索してみると、いくつも検査機関が出てきた。
「本当だ。親子判定検査キットなんてのがある。二万円から七万円くらいか。ちょっと高いけど、できない金額じゃないな」
もしかして本当の親子かもしれないのなら、やってみる価値はある。
「ありがとう! やってみるように、友達に勧めてみるよ」
「山本さんて、すごいね。何でも知ってるんだ」
石沢さんが感心していると、無表情だった細い目が、ふっとゆるんで微笑んだ。
「何でも知っているわけではないけど。遺伝子工学に興味があるから、ちょっと本で読んだことがあっただけ」
「そう言えば修学旅行でも、遺伝子がなんとかって博物館に見に行ってたっけ」
「うん。すごく面白かったよ。遺跡から発掘された人骨のDNAを分析すると、現代人のDNA分析結果と付き合わせて、どこの国や地域に住んでいる人達とつながりがあるのかわかってくるとか。実際に縄文人のゲノムDNAの分析は随分進んでいて……」
石沢さんが辛抱強く、うんうん、と聞いてあげるので、山本さんは延々としゃべり続けていた。やっぱりリケジョってすごいけど、付き合うのは大変そうだな……
***
週が明けて月曜日の放課後。俺は教室の前の廊下で、成瀬さんが出てくるのを待っていた。
全国オンライン学生文芸コンテストは、先週の金曜日が応募締め切りだったが、成瀬さんからは何の連絡もないので、ちゃんと提出できたのかどうか気になっている。結局、今日一日、一度も話をする機会がなかったから、ここで待っていることにした。
廊下の先では、三組から美郷が出てきて、近くにいた女子に声をかけているのが見えた。
「今日、帰りにカラオケ行かないか?」
「ああ、ごめーん。今日は先約があるんだ。また今度誘ってー」
「そうなんだ。じゃ、また今度」
その女子が行ってしまうと、次は二組から出て来た別の子に声をかける。
「お、茜! 今日ヒマ?」
「あー、ちょっと今日はー」
「なんだよ、こないだもダメだったし、最近付き合い悪いな」
「あー、最近忙しいんだよねー」
この女子も、そそくさと行ってしまった。
「チッ! 最近、付き合いの悪いやつばっかりだな。あんなブサイクのくせに」
壁を蹴ってから、こちらに歩いて来た。なんか荒れてるな。
「なんだよ。なに見てんだよ」
「いや、別に見てないから」
「ふん。どいつもこいつも」
ふてくされたようすで横を通り過ぎ、階段を降りて行った。
入れ替わるように、ようやく成瀬さんが二組から出てきた。
「あ、成瀬さん、成瀬さん!」
「はい」
俺の前で立ち止まるが、少しうつむいている。
「全オン文の締め切り、間に合った?」
「はい。修正箇所も少なかったですし、問題なく提出できました」
「審査発表は来月か。緊張するな」
「用事はそれだけですか?」
「あ、うん」
「他に用事がなければ、部室に行きますので」
なんかすごい他人行儀な言い方。別人のようによそよそしい。
「あ、忙しかった? ごめん」
うつむきながら立ち去ろうとしていた成瀬さんは、二、三歩先で立ち止まって、振り向いた。
「あの……」
「うん」
初めて、しっかりと俺の目を見て続ける。
「西原さんとの取引は、もう条件を満たしたので完了です。水晶つばさのことは、今後も誰にも言いませんし、よしのんさんのことも言いません」
「あ、ありがとう」
「これから、文化祭に向けて部誌の制作で忙しくなるので、もう関わらないで下さい」
意外な言葉に、しばらく声が出なかった。成瀬さんは、じっと俺の目を見ているから本気なのだろう。
「……え、関わらないでって」
「では、忙しいので」
くるりと向こうを向くと、また、うつむいた姿勢で足早に行ってしまった。
美郷のこと笑えないな。俺も成瀬さんに振られちゃった。
いや、違うな。成瀬さんは、よしのんに邪魔するなと言われたのを気にしてるんだ。きっとそれで遠慮しているに違いない。俺がちゃんとしていなかったから、成瀬さんにも迷惑をかけてしまった。
がっくり落ち込みながら、階段を降りた。
***
「西原君」
「は、はい」
翌朝、教室の席に座っていると、石沢さんが声をかけてきた。ただし、ピンと張り詰めた怖い声。いつもの石沢さんらしくない。
「ちょっと、一緒に来てくれる?」
「え、何ごと?」
「いいから来て!」
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