12 スタートライン

 待ち合わせ時間によしのんさんが現れなかったので、諦めて帰ろうとした時、ピンクのバラを買って走ってくる女性に気が付いた。彼女はまっすぐツリーを目指して来たが、俺の手元のバラに気がつくと、少し離れたところで立ち止まる。


 その女性は、想像していたようなビジネスパーソンではなく、小柄な少女だった。それもピンクのバラが素晴らしく似合うショートカットの美少女。

 上品なコートを着て、うっすらとメイクはしているものの、どう見ても中学生か、せいぜい高校一年生ぐらいにしか見えない。少女は大きな目を見開いて、俺の顔と手元のバラの間で、何度も視線を往復させていた。


「もしかして、君が、よしのんさん?」

「まさか、あなたが水晶つばさ?」


 どちらからともなく、笑い始めた。俺は花束を差し出して、用意していたセリフを口にする。

「ピンクのバラの花言葉を知っていますか? 『恋の誓い』です。これをあなたに捧げます」

 小説「あおとあおい」で、碧が葵に告白した時のセリフだ。少女は、ぷっと吹き出しながら、花束を受け取った。


「はい。確かにあなたの誠を受け取りました。これは私の誓いです」

 少女が返してくれたのは葵のセリフ。セリフとともにお返しの花束を受け取ると、二人で爆笑した。

「小説なら読めるけど、リアルにやると小っ恥ずかしくて、バカみたいだな」

「まさか本当にここで言ってくるなんて。恥ずかしくて死にそう」


 少女は思い出したように、急にペコリと頭を下げた。

「ごめんなさい。JRが人身事故で遅れちゃって」

「なんで遅れるって連絡して来ないんだよ」

「ほんとごめんなさい。昼間、小説のコメントにずっと返信してたら、スマホの電池が切れちゃって」

 見せてきたのは。真っ黒なスマホの画面。

「しょうがないな」


 言いながら気がついた。

「JRって、なんで地下鉄で来ないんだ? 青山のデザイナー事務所で働いているんじゃないのか?」

 わかってて言っている俺の意地悪な質問に、少女はぺろっと舌を出して、悪びれずに答える。

「あれは、お姉ちゃんの写真。そっちこそ、丸の内でビジネスマンしてるんじゃなかったの?」

「ごめん。毎日高校に通ってる」

 また大笑いした。


 少女は、キラキラした目でこちらをのぞきこんできた。見た目は幼そうだが、その目には強い意思とイタズラっぽい輝きが見える。

「ね、水晶さん」

「あ、西原でいいよ。西原蓮」

「本名言っちゃうんだ」

「リアルで会ってるんだから、本名でいいだろ?」

「私のことは、よしのん、て呼んで」

 プライベートには踏み込ませないってことか。


「ね、蓮君。次に何を書くか相談しようよ」

 いきなりの名前呼びにドキっとした。

「大人をキュンキュンさせる話?」

「そうそう! 大人の二人が書く最高の胸キュンストーリーね」

 よしのんさんは、いたずらっぽく笑った。


 しかし、そのためには、やはり確認しておきたいことがある。

「ねえ、よしのんさんは本当は何歳なの?」

「……言わなきゃだめ?」

 眉をひそめて、ちょっと嫌そうな表情になった。

「コラボレーションするパートナーなんだから、ちゃんと知っておかないと。俺は高校二年」

「今まで、知らなくてもうまくいってたじゃない」

「もうバレたからダメ」

 嫌そうな顔のまま、渋々答える。

「中三。あ、でも先輩ヅラしたら即絶交だからね」

「わかってるよ。小説の人気ではよしのんさんの方が圧倒的だから、先輩面なんてしないよ」

 そう言うと、ちょっと安心したように笑顔に戻った。


「よしのんさんは、何で大人のふりをしているの?」

「最初はね、別なペンネームで、中学生ってこと隠さないで書いてたんだ」

 プッと口を尖らせた。

「そしたら、可愛がってくれる人も多かったんだけど、『これはこういう書き方をしないといけない。僕が一から教えてあげるよ』って、うるさいおっさんが湧いてきてさ」

「そうなんだ」

 若いというだけで、あれこれ説教めいたうるさいことを言ってくる奴もいる、という噂は本当だったんだ。

「だから、そっちのペンネームは捨てて、大人のよしのんで再出発したの」


「それで、なんで今日は正体を現すことにした?」

 これが一番聞きたかったこと。

「それはね、水晶つばさのツイートとかコメントを、ずっとさかのぼって見てみたら、相手によって態度を変えない人だなってわかったから」

「相手によって変えない?」

「そう。相手が学生でも大人でも、いつも丁寧で優しくて。この人なら信用できるって思ったから」

「そうなんだ」

 意外なところを見られてたんだな。

「まさか、根本的に大嘘つきだったなんて思わなかったけど」

 また大笑いした後で、付け加えた。

「今日はね、大人を騙してごめんなさいって謝るつもりで来たの」

「俺は、告白して振られるつもりで来た」

「大人のよしのんに? バカね」


 またキラキラした瞳で、こちらの顔をのぞきこんできた。

「それよりさ、今日のディナーって予約してあるの?」

「大人のよしのんさんにも満足してもらえるような店を、頑張って予約してありますよ。ライトアップされた東京駅が見下ろせる洋食レストラン。さっき電話して三十分遅刻するって言ってあるし」

 「あおとあおい」でデートシーンを書くために、クチコミサイトを検索しまくって見つけていた店だ。絶好のロケーションなのに、カツレツやビーフシチューのような洋食が、ライスとセットでも二千円ちょっとで食べられる。


「さすが丸の内ビジネスマン。じゃあさ、現地取材ってことで、登場人物になりきって行こう」

「いいね」

 答えるなり、さっと横に並んで腕を組まれた。

「えっ?!」

「登場人物になりきるんだから、当然こうでしょ?」

 ひじから伝わってくる、よしのんさんの体の柔らかい感触に心臓がドキドキしてくる。女の子と腕を組んで歩くなんて生まれて初めてだ。しかもこんな美少女と……

「こ、こ、このまま歩いてい、行くの?」

「ええ。早くお店に連れて行って!」

「わ、わかった」


 広場を出て、イルミネーションがきらめく街路樹の下を歩き始めた。周りの人も特に気にしている風もなく、自然に街に溶け込めているような気がする。

 俺、少しはイケてるかな?


 と思った途端、石畳につまづいて足を取られ、転びそうになった。腕を組んだままなので、思いっきり手を引っ張って、よしのんさんもよろけてしまう。

「んもー。蓮君、何やってるの! せっかくいい雰囲気なのに台無しじゃない!」

「ご、ごめん」

「これもネタにするからね」

 ふっ。さすがは、よしのん先生だ。


「ほら、行くよ!」

 片膝をついていたところから、手を引いて立ち上がらせてもらいながら、心から思った。


 コラボレーションって、最高だな。


―― 第1章 完 ――

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