8 ターニングポイント

 昼休みの教室で、いつものように売店で買って来たパンをかじりながら「あおとあおい」のコメントをチェックしている。今日は焼きそばパン。


小鳩さんのコメント「水晶さん。どうして葵がいるのに、あんな女が出てくるんですか? おかしいです」


さくらん坊さんのコメント「碧がつらそう。それに葵が可哀想すぎます」


えるさんのコメント「読むのがつらいです。今日仕事休みます」


 今朝の投稿から、例の女が登場して横恋慕したせいで、葵と碧が別れわかれになるシーンに入った。するとコメント欄が悲痛な文章であふれ、フォロワーの数もどんどん減り始めた。

 長編小説の書き方の教科書には、いいストーリーは必ず、後半で主人公が危機に陥って、それを頑張って克服するものだと書いてあった。よしのんさんの最初のプロットもそう。だが、現実の読者は、厳しい展開になるとすぐに嫌がって離れてしまうようだった。


よしのん> つらい展開になったとたん、フォロワーさんの評判もきつくなりましたね。コメントを読んでも、みなさんがっかりされているようで。

水晶> そうですね。読者さん達にはショックだったみたいですね。

よしのん> やっぱり、主人公が別れるようなプロットにしたのが、間違いだったんでしょうか。ランキングも九十番台まで落ちてしまっているし……


 恋愛ジャンルで十八位まで上がっていたのが、一気に下がったから、よしのんさんもショックを受けているようだった。励ましてあげないと。


水晶> 大丈夫ですよ。これは一時的なものです。必ず読者は戻ってきます。

よしのん> そうでしょうか?

水晶> これが噂に聞く『鬱展開になるとブクマが剥げる』という現象ですね。大丈夫。予定通りちゃんと碧が困難を克服して、また葵と結ばれれば元に戻りますよ。


 根拠の無い自信ではあるが、よしのんさんの筆力があれば、必ず取り戻せるはず。


よしのん> きっとそうですよね。ありがとうございます。やっぱり経験豊富な水晶さんに言われると、すごく安心します。


 全然、経験豊富なんかじゃない。俺のことを社会人の大人と信じているから、こんなメッセージを送ってくるのだと思うと、胸が痛んだ。俺は、よしのんさんを騙してるんだよな。

 もし本当のことを彼女が知ったら、すごく傷つくかもしれない。

 食べ終わったパンの袋を四つ折りにして持つと、教室の隅のゴミ箱に向かった。


***


 ゴミを捨ててそのまま廊下に出ると、ちょうど美郷が教室に戻ってくるところに鉢合わせした。こいつ、石沢さんにしたことを何とも思ってないのか、問いただしてやらないと気がすまない。手を出すと危なそうだが、話をするだけなら大丈夫だろう。


「美郷。ちょっといいかな」

「ん? 何か用か?」

「石沢さんのことだけど。なんであんなことしたんだ?」

「石沢さん? 何のことだ?」

 ゾッとするような冷たい目で見られる。


「この間、ひどいことを言って捨てただろ」

「知らないなあ」

「知らないって、とぼけるなよ」

 がっちりとした手で肩をつかまれた。

「僕は、コソコソのぞき見していたり、女の子のプライベートをペラペラしゃべるような悪趣味なことはしないから」

 言葉使いは優しいが、見られただけでビビりそうな鋭い目をしていた。でも、もうひとこと言ってやらないと気が済まない。

「女子をその気にさせて、ひどい振り方をして泣かせるのが、そんなに楽しいか」

 美郷はニヤッと笑った。


「お前、女の子とヤったことあるか?」

「えっ」

 思わぬ逆襲にたじろぐ。

「無いだろ。まず誰でもいいから女の子とヤってから、また出直してこい。話はそれからだ」

 美郷は、ぽんぽんと俺の肩をたたくと、教室の中に入って行った。悔しくて涙がこぼれてきたが、完敗だ。


「おい、蓮。どうした?」

 小坂がやって来た。

「なんでもない」

「なんだよ、最近一人で泣いてるのブームなのか?」

「ちげーよ」


 俺は、恋愛小説を書いて、たくさんのフォロワーさんに「きゅんきゅんする」と言われている。女性と思われるフォロワーさんも何人もいる。でも美郷のいう通り、女の子とは、キスもしたことがない。書いている内容は、他の小説やマンガを読んで仕入れた知識に、学校で観察している同級生達の会話を散りばめているだけで、何の実感も無かった。


 よしのんさんと、手をつないで歩いたら。

 よしのんさんと、キスしたら。

 よしのんさんと……


 会いたい、と切実に思った。

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