お盆の煩悩にご妖心?

水原麻以

第1話

立ち枯れた雑木林がユラユラと揺れている。真っ白な木肌を晒し、首のない骸骨がじっと群れている。

体感気温はすでに40度を超え、砂浜に生き物の影はない。

「ゾンビ消毒ミッションが終了しますた!感がパネェっすわ…いてっ!」

ひび割れた井戸の底にカラコロと乾いた音が響いた。ひんやりしている。

「気をつけろよ。俺たちにゃ足があるんだ」

ぶよぶよした節足動物のような物が壁を伝い降りてきた。

「ひいっ! 踏みつぶさないでくださいよ、旦那」

破片がビデオを撒き戻すように組みあがる。あっという間に人体骨格標本が完成した。

「てめえの躯より『店』の事を考えろ!」

旦那と呼ばれた物体はでっぷりとした腹節を底に横たえた。巨体が収まりきれず、井戸の壁にとぐろを巻いている。

「ええ、考えてますよ。無い脳味噌を振り絞って」

骸骨がカラカラとかぶりをふる。

「グズグズしてると夏が終わっちまうぞ。彼岸はウチのショバじゃねえからな。しかし、どうすりゃいいってんだ」

ぷしゅるるる、とガスが抜けるように旦那がしおれた。


彼の愚痴をまとめると、こうだ。

お化けは日本が世界に誇るキラーコンテンツである。暑気払いの定番としてこの時期になると彼らは台頭してきた。

厳密にいえば妖怪は生物でも霊的存在でもない。形而上的生物学によれば、集合無意識と唯物論を架橋する両棲類として分類される。

彼らは進化系統樹の延長線上に生きている。


分類学はともかく、れっきとした生き物である以上、衣食住を満たされる権利がある。しかるに、人間どもときたら絶滅の危機に瀕しているわれらの救いの手をさしのべるどころか、ますます排除の機運が高まている。


「演説、上手っすね。いっそ、共産党のマスコットに…」

「馬鹿っ! 無神論者に雇われてどうする」

「いてっ!」

旦那の触手が骸骨を打ち砕いた。

「とにかく、この暑さじゃ商売あがったりだ。お前も彼岸(あっち)に逝きたくないなら、必死で考えろ」

「そうは言ってもですねぇ」

頭蓋を尺骨をあてて考える。

「う~ん」

うだるような暑さのなかで旦那も頭を抱えていた。このまま人骨と旦那のアルデンテが完成するかと思われた。

まさにその時、「そうだ! この手があったか」

旦那は転がり出るように古井戸から砂浜に飛び出した。「待ってください!とうとう脳が茹で上がっちまったんで?」


骸骨が走り幅跳び選手のように砂を蹴散らす。すると、蜃気楼のむこうに黒い人影がみえた。

「骸骨、その調子だ、全力で駆けろ」

「へ?」

くるっと顔面が真後ろを向く。


「いいぞもっとやれ!なかなかアドリブが効くじゃねえか!!」


旦那はまっすぐ直撃コースを取るよう指示する。骸骨はわけのわからないまま、みるみる距離を縮めていく。

ズタ袋を引き裂くような茶色い悲鳴が聞こえてきた。


「ひぃい……お助けを」

息も絶え絶えの男の視界には、真夏の太陽を背にした骸骨が躍っいた。




ドップラー効果を残して、救急車が遠ざかっていく。

「ぃよっしゃああああ!!」

レールのように続く轍のうえで頭蓋骨が小躍りしていた。彼の手にはキラキラした氷塊がきらめいていた。大きさは縦横20センチほど。

「よくやった。上出来じゃねえか。こいつは高く売れるぜ」

旦那はヒョイと触手で氷を取り上げると、恋人をめでるように、ためつすすがめつした。

「それにしても臆病な男っすね。ガタイが大きくて彫りモンまで入れてるくせに」

骸骨がカラカラとあざ笑う。

「強がってる奴ほど心に恐怖を抱えている。ほらよ、大事な売り上げだ。しまっとけ」

旦那がいとおしそうに氷塊を手渡す。骸骨はどこからともなくアイスボックスを取り出した。

「旦那、天才っすね。この手で無尽蔵に稼げる」

「それほどでも……あるさ」

節足動物は真っ赤な触角をもぞもぞと動かした。その間にも骸骨は次なる獲物を見つけたらしく、一目散に駆けだした。

ほどなく、砂丘の向こうからきゃあきゃあという悲鳴があがる。水着姿の親子連れが川の字に伸びていた。

旦那が手早く恐怖の結晶をかき集め、骸骨がビーチバッグを漁る。探し当てたスマートフォンを緊急モードにして「119」を発信。

「もしもし! もしもし!?」

消防につながったことを確認して二体はその場を去った、


彼らはその後も同じ手口で海水浴客を襲い、熱中症の恐怖をかき集めた。



ひんやりした枯れ井戸の底。心地よい涼風が吹き、波の音が聞こえる。

「ひぃ、ふぃ、みぃ…大漁、大漁♪」

骸骨が満足そうにアイスボックスをあらためている。結局、日が沈むまでに大小、あわせて20個近い収穫があった。

はしゃいでいる彼とは裏腹に、旦那はさっきからじっと押し黙っている。

「旦那、お疲れのようですね?」

「いや、そういう問題じゃないんだ」

ねぎらおうとした骸骨は旦那に尋常ならざる雰囲気を感じ取った。七本ある触角が小刻みに震え、ガラス玉のような単眼が曇っている。でっぷり脂肪のついた腹筋も色つやを失っている。

こういう荒稼ぎしたあとの彼は腹部のまだら模様を躍らせて喜びを表すものだ。骸骨はそういう旦那の人間じみたところが好きだった。

「これは、もしや?」

ただならぬ旦那の様子に骸骨は行動を起こした。地獄冥府に上納する大切な売り上げであるが、背に腹は代えられない。アイスボックスから氷塊を取り出し、呪詛を呟いた。

ぱあっと赤紫色の炎が井戸を照らす。ふつふつと湧き上がる煩悩が旦那にわずかばかりの精気を与えた。

「ああ、暖かいな……」

うわごとのようにつぶやく。

「しっかりして下さいよ。すぐ助けを呼びます」

「お前……燃やしちまったのか」

苦悶の表情を浮かべる旦那。

「命には代えられませんよ! また荒稼ぎすりゃいいんです」

「そうか……」

旦那は目を細め、だらりと巨躯を横たえた。




「はっはっはっ。よくある霊中症ですなあ」

廃病院の廊下に能天気な笑いがこだまする。時刻は日付が変わった直後。崩れかけたMRI機器が青白く発光している。

「しかし――」

心配げな骸骨を三つ目の狸が失笑した。

「あんたも肝が小さいね。この病院で何十年と妖怪を診てきたけど、御宅の旦那ほど肝の据わった物の怪は珍しいよ」

医師はストレッチャーで大いびきをかく旦那を見やった。家畜の腸で作ったチューブに繋がれ、鬼火に照らされているが命に別条はなさそうだ。

北を向いた枕元にアイスボックスがぱっくりと口を開いている。

「いや、肝って元から無ぇっすけど。骸骨だけに。でも俺、割と度胸ある方だと思いません? 売上ぜんぶ燃やしちまったし」

「無い知恵を絞ってよく頑張った。霊中症の初期段階は煩悩をできるだけ遠ざける事だ」


妖狐はシミだらけの天井に旦那の霊視スキャン映像をいくつも重ね合わせた。

お盆前後の熱波は人間の消費行動を異常増進させる反面、マイナス感情も増大させる。それは潜在的な死への恐怖心を浮き彫りにする。

忘れていた祖先とのつながりを意識する事で、仮想的な生命の連鎖に自分を接続し、死を通過儀礼にしてしまう。


その精神行動によって希薄になった彼岸の境界線を越えて、多くの霊的存在が現世に舞い降りてくる。

こうしてお盆の時期は計り知れないサイキックエネルギーが渦巻くのであるが、その延長線上に妖怪が生息している。

彼らは冥府魔道に「おこぼれ」を上納する事で輪廻転生を免除されているのであるが、毎年きつくなる縛りに骸骨は不満を募らせていた。


「人生って何なんでしょうねぇ……もっとも俺っちは『死んで』ますが」

カラカラと空虚な自嘲が響く。

「おいおい、あんたも霊気にやられちまったか」

妖狐はきいっと椅子をきしませた。血のインクでカルテを綴る手を休め、骸骨の診察にかかる。

「俺には人生なんて無いっすよ。物心ついたら骸骨やってたんで」

彼の骨は彼のものであっても彼自身のものではない。白骨化した遺体に人知を越える力が宿り、自我に目覚めたのだ。

「んー?」

いつの間にか後から声がした。聴心器を背中にあてていた妖狐が何やら病変に気づいたようだ。

「先生、何か分かったんで?」

「うん、ちょっと痛いかもしれんが、我慢してくれよ」

ごきごきっと堅い棒が折れるような音が立て続けにした。

「ぐひゃあっ!」

思わず飛び上がりそうになった骸骨をぐいっと押さえつける。獣の怪とは思えない力だ、

澄んだ響きとともに足元で何かが砕け散った。もぞもぞと緑色の粘液がうごめいている。

「ほーら、これがお前さんの旦那を苦しめてした張本人だ。よーくご覧」

スイカほどはあろかと思われる巨大な虫眼鏡を渡される。拡大してもぼうっと輪郭がぼやけてよくわからない。

「何なんです? これは。先生」

「これはな……離岸龍と言ってな。まだ仔供だが」

と、その時、激震が走った。どん、という突き上げるような衝撃を感じた瞬間、天井が床になっていた。

「骸骨ッ! しっかりつかまってろ!!」

ふわっと宙に浮いた骸をがっしりした触手が捉える。ヒステリックな怒号と真っ赤な火球が輪舞を踊る。

とりどりの奔流が世界を交錯し、そこで骸骨の意識は途絶えた。



赤、オレンジ、青紫、黄色、カラフルな大輪が消えてはあらわれ、あらわれては消える。

漆黒を彩る輝きに、骸骨は心を洗われるような気がした。

ひんやりとした感覚が十重二重に取り巻いている。心地よい。

それが一転して、突き刺さるような痛みに変わる。気づいたとき、骸骨の眼前に堅いコンクリがあった。

「いつまでも呆けてんじゃねえよ。起きたなら起きましたと言え!」

「ひぃっ!」

触手で掃かれる前に骸骨は自身を組み上げた。

「いきなり酷いですぜ! 一体全体、どうなっちまったんで?」

骨盤にたまったプラスチックごみを描き出していると、旦那が護岸を滑り降りてきた。花火の打ち上げ地点から外れた場所に炎があがっている。

「あの野郎め! とんだ藪医者だ」

いまいましげに吐き捨てる旦那。単眼は出火地点に向いている。瞳に映るのは紅蓮に包まれた廃病院だ。サイレンがあちこちから集まってくる。

「偽って、あの妖狐ですかい?」

「当たり前だろうが! だいたい、お前は何年、妖怪をやってんだ。気づけよ、バカタレが!!」

旦那はいつになく鼻息を荒げる。すっかり元気を取り戻したようだ。粗暴で言葉遣いの荒い、頼りがいがある。いつもの彼が戻ってきた。

「見抜けって言われましてもねぇ。ちなみに旦那はいつから気付いてたんで?」

「最初っからだ!」

「と、いいますと?」

「お前が走り出した時からだよ!」

「はぁ?」



旦那が言うには、そもそも、お盆のこの時期に海水浴客で賑わう方がおかしい。骸骨たちが住む土地は5GだのWi-Fiだの情報文明から取り残された僻地で、携帯のアンテナが1本立つかどうかもあやしい。

地域医療すら逃げ出してしまうような僻地に人が群がる理由は二つしかない。物見遊山か非日常体験だ。おおむねインスタ映えかデジタルデトックスが目的だろう。

そんな消滅寸前の限界集落に若者が大挙すればどうなるか。

検索結果を簡単に信じてしまう未熟者は因習に耐性がない。心霊体験が自然発生し、怖いもの見たさの男女がさらに人を呼ぶ。おのずと滞在期間が延び、昼間のレジャーを持て余す者もあらわれる。

「あの野郎はな、罠を仕込んでたんだよ。向こう見ずなガキどもは恐怖心の欠片も持ち合わせちゃいねえ。その心の隙に死が忍び寄る」

骸骨が浜辺で見たのは既に「半分死んでいる人間」だ。妖狐は遭難者を廃病院の施設に囲い、ゾンビとして使役していた。

「それで、ゆらゆら気持ち悪い動きをしてやがったんですね」

「ああ、俺たちみたいな底辺をおびき出す釣り餌よ。救急車も俺を搬送した霊救車もグルだ」

「ゾンビって熱中症になるもんですかねえ?」

骸骨は半信半疑ながら、つづきをうながした。

「一部とはいえ、中枢神経系は生きているからな。正確には生前の熱中症を追体験してるわけだが」

「ちゅうと半端に未練がある分、煩悩の振り幅も大きいってわけですか」

「さすが俺の相棒だ。呑み込みが早いな」

旦那は触手を骸骨の肩に回した。


とにかく、妖狐は巧妙な手口で観光客から煩悩を収奪していた。だが、それを採取できるのは旦那のような回収業者だ。それも高純度の結晶として精製できるベテランは少ない。

「そういう太てぇ奴は妖怪の風上に置けないっすね」

骸骨がキリキリと歯ぎしりする。

「おうよ、だから俺はワザとお招きされてやったんだ。どのみち、俺の体にたっぷり溜まった煩悩がお目当てだろうからな!」

彼をくたびれた老害だと見くびったのが運の尽きだというわけだ。

「しかし、間一髪でしたね」

骸骨は緑色の蟲を思い出して身震いした。

「ああ、離岸龍まで持ち出して来やがるとは想定してなかったからな」

彼岸の生存ルールをガン無視してどんな生態系であろうと一気に冥界へ送り込む危険害虫だ。旦那を絞りつくしたあと、あの世へ放逐するつもりだったのだろう。

「で、これからどうするんで?」

骸骨が腰に手をあてて、消火作業を見守っている。

「あの野郎の悪事は洗いざらい地獄冥府に通報してやった。相応の報酬は要求する」

旦那は嬉しそうに触角を震わせた。

「その中に、あっしらの働き方改革も入れてもらえませんかね?」

骸骨がすり寄る。

「さぁ、それはどうかな? はっはっはっ」

旦那が意味深な含み笑いをする。彼らが苛烈な冥府魔道のノルマから解放されたか、どうかは別稿にゆずろう。




















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