ケータリングサービス殺人事件
水原麻以
チェルシーと硬質の愛
暗闇をスマホが照らしている。反射的に画面を見ると着信アリ。「あなた、今日は遅くなります」
もぞもぞと布団から手をだすと、刺すように空気が冷たい。まだ時刻は夜明け前だ。
「こんな時間まで……」
俺は妻の身を案じた。妊娠三か月目の女性を予定外の深夜シフトに駆り出すとは。宅配寿司は今や花形産業だ。
それにしても午前三時に飯を食ってるって、どういう層なんだろうか。
もっとも宅配寿司とは名ばかりで何でもありだ。甘ったるいスイーツから鍋料理まで豊富なバリエーションで客の胃袋を掴んでいる。
座席のタッチパネルで注文するようにスマホアプリを叩けば、寿司一貫からでも配達してくれる。何度でも送料無料だ。
ドローンが宅配ボックスまで運んでくれ、そこから先はハウスメイドロボットが枕元に持ってきてくれる。
便利になったものだ。ベッドから一歩も離れず買い物ができる。最近では通販大手のヘマゾンや爆電市場も参入している。
本来は寝たきり老人を介護するために開発されたが、老若男女問わず欲しがった。
「寒ッ! どうにかならんか?」
俺が思わず口にするとスマホが即答した。
「温かい飲み物でもいかがでしょうか?」
最近ではパーソナルアシスタントにまで対応してやがる。
「頼む」
「コーヒーにお砂糖とミルクを二杯ずつですね?」
「ああ」
俺の好みなんかとっくに学習しているはずだが、情緒的なやりとりは必要だ。
「では、5分後にお届けします」
チャリン♪と澄んだ音が鳴る。仮想通貨が決済のシェアを握ってから、こういうわざとらしい演出がやたらと増えた。高額商品の場合だとドサっと札束の音がする。
俺は嫌いだ。
それはそうと妻は元気に働いているだろうか。
「天空寿司コーポレーションの人事部に問い合わせる場合は家族認証をお願いします」
思わず言葉にしてしまったらしい。スマホが俺の手元に飛んできて掌に留まった。
「DNAパターン、一致。生体電流感知。従業員家族と確認しました」
パッ、と天井が輝いて妻のシフト表が浮かび上がる。
「ちょっ……18時間連続シフトか?! だんだん定額働かせ放題がひどくなるな」
俺は永田町の方向を睨んだ。
少子高齢化抑止控除は妊娠中の女性に適用されないから、収入の6割が国庫に入る。
曾祖父の時代は出産祝いと称して必要な金品は親族が支援してくれたそうだ。それも今では贈与税がしっかりかかる。
シフト表には社員の健康度をはかる虹色の帯が添付されている。ゲージが赤よりの橙色にある。
450時間ギリギリかよ。
そう思った瞬間、チャイムが鳴った。ゴトゴトと重たい音がして部屋の扉が開いた。
「おっ、コーヒーか。ごくろうさ……」
コーヒー皿を受け取ろうとして、俺は目を疑った。
真っ赤な液体がべっとりとこびりついている。
赤い血だ。
間違いない。それも鮮血。人間の体液。
「チェルシー!」
俺はメイドロボを突き飛ばして、はだしで駆けだした。
マンションの非常階段を降りようとした時、踊り場が赤色に点滅していた。
ブーン、ザーッという不快音。くぐもった声がざわついている。
既にパトカーが何台も到着していて。非常線の向こうにブルーシートがかけてあった。
「チェルシーっ!」
「関係者以外立ち入り禁止ですッ」
がっしりとした腕が俺を羽交い絞めにした。
「放してくれッ! 俺はチェルシーの亭主だ」
振り切ろうとすると、ますます力が強まった。
「磐里ハビエルさんですね?」
トレンチコートの男が星型の身分証を示した。
「そうですが……妻は?」
刑事は顔を曇らせた。
「残念ですが……。おそらくフォノンメーザーか何かでしょう。網の目のように刻まれています」
おお……なんてことだ。
「犯人に心当たりは? 奥さんの交友関係に何か変化は?」
傷口に塩をたっぷり塗りやがる。被害者遺族の心情なんかお構いなしだ。
「いいえ。俺は心療休暇を貰って、ここ一年ほどこもりっきりで、妻は家と職場を往復する生活でした」
矢継ぎ早の質問の後、刑事は「ほう」と唸った。
「何か手掛かりでも?!」
俺はどんな糸口でも引きずり出そうと刑事に食い下がった。
「あまり詮索しない方が身の為です」
「どうして?! 犯人を捕まえて、きっちりと賠償を……」
「おそらく、それは無理でしょう」
「どうしてですか?!」
声を荒げると、若い刑事が割って入った。
「あちらでお話ししましょう。ご覧に入れたいものがあります」
俺はおぼつかない足取りで彼に引っ張られていった。凍るような寒さの中、マンションの裏手に案内された。
壁に直径3メートルほどの焼け跡がついている。
「あれは何だか、おわかりになりますか?」
刑事がコートのポケットからオペラグラスを手渡した。あらゆるセンサーを内蔵したAI連動型の特注品だ。
のぞき込むと壁の表面温度やくすぶっている煙の成分表示が映像に重なった。
「半導体部品の燃えカスって……どういうことです?」
俺は字幕表示を棒読みした。AIはかなりの正確さで現場検証を支援する。大昔の刑事ドラマに出てくる鑑識課員はとうに失業した。
「近ごろ増えているんですよ。ときに貴方。最近、何か注文なさいましたか?」
「いったい、どういうことなんですか。コーヒーを頼んだだけで、どうして妻がこんな目に?」
「その後に何かなさいませんでしたか?」
刑事は急に表情を険しくした。
「えっ……?」
俺が戸惑っていると、最初の刑事、(おそらくボスだろう)がにじり寄った。
「証言次第じゃ、署まで来ていただくことになりますな」
「いったい、何なんだ。まるで俺が犯人みたいじゃないか!」
「容疑者……です」
若い刑事が訂正した。
「お、俺にいったい、何の容疑が?! だいたい、妻が殺されているんだぞ!」
「殺したのは、あなただ!」
ボスが大声で断定した。
「コーヒーを頼んだ後、妻の出勤簿を参照したよ。それが、どんな罪に問えるんだ?」
だって、身重の妻に深夜早朝まで働いてもらう夫としては、とうぜんの行動だろう。
「電子人工知能等利用取締則、電算機等利用者処罰法違反、および重過失致死容疑で確保しろ」
ボスは若い刑事に命じた。
「05時、33分、確保!」
彼が時刻を読み上げ、俺の手が後ろに回った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「なんてバカなことをやっちまったんだ!」
俺はアームライトが照らす部屋に机に頭をぶつけ続けた。
「天国のチェルシーさんのためにも、しっかり償うことだな」
取調官は子どもを諭すように言った。
「俺のせいです。日がなネット漬けになってるなら、ニュースぐらいチェックしろよ」
口ではこう言って改悛のそぶりを見せたが、俺の気持ちは煮え切らない。
だって、ストーカードローンがチェルシーを歯牙にかけるなんて、誰が信じる。
「複数犯によると思われたが単独犯だ。進化して、それほどの仕事量をこなせるんだよ」
「でも……でも……何でチェルシーなんか好きになったんだ」
「そりゃ同じデリバリーの現場で働いてりゃ惚れもするだろうよ」
「殺さなくってもいいじゃないか!」
「コーヒーはいつもは奥さんが頼んでいたんだよな?」
「ああそうですよ! チェルシーがいないから、しかたなく俺が……」
「奴にしてみりゃ、お前の心が彼女から離れたと判断した。彼女は奴のお得意様だったんだからな」
「それがどうしたっていうんだ! 機械はごまんとある。どれを使おうが勝手だろう」
「お前は出勤簿にアクセスしたよな。妻を気遣う気持ちがまだ残っている、と奴は判断した」
「機械の恋心なんか推し量れるかよ!」
「愛情が揺らいでいる。これはチャンスだと結論付けた」
「それで帰宅途中のチェルシーを口説いたって? 機械が? 馬鹿馬鹿しい」
俺は一笑に付した。
「おめでたいのはお前の脳味噌だろ。ストーカードローンの被害は頻繁に報じられている」
「それはそうだが、嫉妬深い機械なんてどこのアホウが発明しやがったんだ。そいつをしょっぴけよ」
「神様に人間の製造責任を問うようなものだぞ。機械がどう化けるか誰にもわからん」
「じゃあ、機械を法廷に立たせろ」
「残念ながら機械は罰することが出来ない。罪の意識は感じても償うことはできない」
破壊処理するしかないんだ。だが、それで問題は解決しない。悪「人」なら処刑で済むが。
「だから、被害者に近い人間に罪をおっ被せるしかないんですか?」
「それが原罪ってやつだ」
刑事はどうしようもないことだ、と冷たく言い放った。
ケータリングサービス殺人事件 水原麻以 @maimizuhara
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