錬金の商都のナノ

水原麻以

ナノとプリシラの就活

ころは夏の盛り。湿気を含んだ風が昼間の興奮を夜の国へ輸入する。


蠍曜日の宵は特別に饒舌だ。人々を勤労の呪縛から解き放ち、財布を緩ませる。

煌びやかな夜景を渡る風が熱心な物売りの呼び声を運んでくる。

それを冷ややかに見下ろす第三者視点があった。

満月に一矢報いんと突き出した尖塔の先。猫の額ほどの場所で一人の少女が物思いにふけっている。

紫色のロングヘアを夜風に梳かし、菫色の襟元に黄色いリボンを結んでいる。腰元から重ね着したワンピースドレスがふわりふわりと帆をはらんでいる。風はますます勢いを増している。

「危っぶないなぁ」

澄んだ声が降ってきた。

「それはあなたでしょ」

少女は臆することなく言い返した。すると燐光が凝縮した。手のひらサイズの妖精が仏頂面をしている。

「ナノ、友達だからズバリ言うけど、あなたのことよ」

言われた方はますます意固地になった。

「ふーんだ。余計なお世話よ。プリシラはひとのこと言えるの?」

すると妖精は余裕しゃくしゃくの笑みを浮かべた。

「よくぞ聞いてくださいました!」

「おめでとう。決まったのね」

ナノは友人の僥倖をわが春のように喜んだ。

「ありがとう。まだ内定の段階だけどね」

    

プリシラは照れくさそうに謙遜した。

「決まったも同然じゃない。錬金術業界の最大手だもの。安泰よ」

身体の小さな妖精が等身大に混じって働くことは大変なことだ。ましてや同等以上のノルマを果たそうとすれば体力がもたない。したがって生産活動でなく知識階級に活躍の場を探すしかない。この国において魔法や錬金術は公共事業だ。魚介類から水銀を絞り、金に変える作業は膨大な手間と費用がかかる。実力派の錬金術師は独立して大規模な自前の工房を構えているものの、入札競争に打ち勝つために福利厚生にしわ寄せがいく。

「安心してはいられないわ。ララーナ母さんは砂をかむような思いで働いていた。それで油断した」

プリシラは病床の義母を慮った。

「これはやりたい仕事じゃない。何でこんなことをしてるんだろう、ってぼやいてたわね」

ナノは子供のころからピクシー族の横丁に出入りしていた。母親同士が発注主と下請けの関係にあったのだ。ナノの実家はララーナから仕入れた卑金属を調合して町医者や薬局に卸していた。

「王立アカデミーの巨釜は夜も昼も休みなしよ。火が衰えただけで薬液が全部パー。地道でしんどいだけ。錬金術の派手なイメージはどこにもない」

少なくともプリシラが憧れる職業ではなかった。

    

「確かに寿命を削ってまで奉仕する意義は感じられないわね」

薬害で黄色くなったララーナの肌をナノは鮮明に覚えている。

「でも魔導士免許を取ってまで工房を立ち上げようとは思わないわ。わたし、人をこき使うタイプじゃないもの」

プリシラはかぶりを振った。

「エスティマの大工房は超優良企業だものね。お給料もちゃんと貰えるし身体を壊すこともない」

ナノの進路は決まっていた。チャレンジャーな王立アカデミーでなく、実利主義の魔法公社。しかし、その道のりは険しい。

やがて、涼みの季節が来て、二人は別々の暮らしを始めた。

プリシラはエスティマ大工房。ナノは血で血を洗う競争を勝ち抜いて見事に正職員の席を得た。採否結果発表の日。魔法公社の正門でうなだれる応募者の姿にナノは尋常ならざる気配を感じた。目は髑髏のように落ちくぼんで頬骨が浮いている。髪はぼさぼさで土気色だ。

しかし、ナノは自分が特別だと信じていた。彷徨っている人々は敗者だ。自分は並みいる強豪をなぎ倒したスペシャルだ。血のにじむ努力をした。努力しない人々に怯える必要はない。

そう自分に言い聞かせて入社式に臨んだ。

    

就職してからもプリシラとナノは連絡を密にした。ララーナは闘病生活の末に旅立った。ナノの実家も仕入れ先を失い連鎖倒産に巻き込まれた。母親は世をはかなんで息絶えた。

「それでね。今日は・・・」

朝に夕に二人は水晶玉で語り合った。仕事のことはもちろん、気になる同僚や上司の愚痴など包み隠さず打ち明けた。

しかし弱音を吐く割合はプリシラのほうが多かった。

「あなた、それは名うての工房だもの。仕方ないわよ」

ナノはいつしかお姉さん役として愚痴を聞いていた。

エスティマ大工房は独り勝ちを続けた結果、魔法商都キグナスの錬金術を一手に担う生活基盤に成長した。

中小の工房は肉食獣の餌のごとく貪りつくされ、専門性の高い個人工房だけが残った。

「いくら成果を積み上げても評価されないの。『過去の成績だ』ってさ」

プリシラは際限ない要求に青息吐息だった。錬金術徒弟(アプレンティス)として新しい調合法を幾つも発表している。自分専用の実験室やスタッフも与えられた。しかしそれ以上に販売ノルマも課せられた。錬金術はキグナス市民の生活になくてはならないものだ。それだけに多少は高くついても代償を払うしかない。

エスティマは高水準の福利厚生を維持するために経費を価格に転嫁していた。そうしないと魔法公社と互角以上に戦える人材をつなぎとめておけないのだ。

    

半面、エスティマの錬金術は高いという不満が目立ち始めた。

それでコストを押し下げる新技術の開発や今まで以上のプロモーションを求められた。

こんなはずじゃなかった、とプリシラがぼやく。最近の会話は露骨なエスティマ批判ばかりだ。ナノは交際が億劫になってきた。

「プリシラ、今のうちにいっとくけど、あなた永久に転職できないわよ」

ナノはお姉さん役としてプリシラに警告した。

「うっさいわねぇ! 上から目線のナノ嬢はさぞかし充実してらっしゃるんでしょうねえ」

不満は全くないのかとプリシラは切り込んだ。

魔法公社は阿漕な面は全くと言っていいほどない。待遇は民間企業と雲泥の差だし、ノルマの消化や重い責任を現場に転嫁することもない。それどころか決められた業務を真面目にこなしていれば老いるまで第一線で好きなだけ働ける。

しかし、一点の曇りもないといえばウソになる。待遇は典型的な年功序列で決まる。努力や成果が人事考課に入り込む余地はない。

すべて給与は出世コースに乗れるかどうかだ。手腕が評価されることもあるが、それは会社を動かす幹部の特権だ。

だから意識高い系の人材はどんどん流出していく。

    

「魔法公社もある意味では悪徳企業よ。公平じゃないもの。うちでスキルアップできる人はエスティマでもうまくやっていけるわよ」

プリシラはナノの指摘に驚いた。いいことづくめの国営企業に暗黒面があろうとは。

「ナノ、あなた、よく我慢できるわねぇ」

正直言ってこの子はドMだ、とプリシラは認識した。

「ああら、プリシラさんちの会社もどっこいどっこいですわよ」

ナノの言い分はこうだ。エスティマだって清廉とはいいがたい。

この世界に独禁法の概念はまだないから、錬金術の供給や報酬の設定は自由自在である。人々はパンの代わりにケーキを食するような選択肢を持てない。

そしてたっぷりと吸い上げた売り上げは福利厚生の維持や魔法公社と技術競争するために内部留保されるのである。

「あーあ。どこにも楽な仕事はないってことね」

プリシラはこの国の世知辛さというものを痛感した。

「そうよ。辛いことは仕事以外でパーッと発散するしかないの。今度の蟹曜日、空いてる?」

「ええ、特定のパートナーはいないの。ナノさえよければ?」

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錬金の商都のナノ 水原麻以 @maimizuhara

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