チェリームーン。君の思い出と踊り明かそう。桜の木の下で。絶望的な戦況の中、彼らはたった数名で敵陣に立ち向かう。生き残るために、かけがえのないものを失った彼らの運命やいかに?命知らずの決死行が今始まる!

水原麻以

チェリームーン

その日、太陽が沈む時刻に僕たちはかけがえのないものを失った。

「治療はいい。それより慣習に従ってくれ」

死線を潜り抜けた英雄は茜色の地平に呟いた。

「私達はどうなります? 早く万能治療器へ」

アラームが発情期の鳥のごとくさえずり、酸素濃度計がヒステリックに叫ぶ。

狼狽える看護婦を彼は諫めた。

「いつか誰も死ぬ。それに連中の狙いは俺だ。だから、ご先祖様のように葬ってくれ」

彼は息も絶え絶えに最後の指令を下した。

それは同時に僕たちに対する死の宣告でもあった。

ファナックG3開拓団による最初の反撃はたった数名で決行される。

他に生存者はない。勝ち目もない。

相手は圧倒的な科学力と物量を誇るEGR-G3。彼我の戦力差は雲泥だ。

とにかく僕たちは這ってでも彼の亡骸を既定の場所に運ばなけりゃならない。

みんなで血豆を幾つもつぶしながら棺を担いだ。量子冷却器が容赦なく排熱するうえ、ずっしりと重い。

あたりはとっぷりと暮れ、夜行性生物が短い夏を謳歌している。様々な営みは僕たちを優しく庇ってくれるけど、敵の目はいつまでも節穴じゃない。

遠赤外線、X線、ミリ波、可視光を含んだあらゆる波長域で睨んでいる。それでもまだ僕たちが生きていられる理由は奴らの索敵能力が未熟だからだ。

それもじき、克服されるだろう。EGR-G3に倫理や道徳は通じない。開拓団の大半は燃料爆弾で焼かれた。

「分隊長?」

マヤが何度も呼んでいる。看護師なら蘇生の可否ぐらい判るだろうに。

「ねぇ、起きてます?」

そうだ。僕が指揮を執っていたんだ。

「すまん。ルートを吟味していた。最短を行くか、丘を迂回するか」

「今のはアドリブでしょう。大尉が笑ってますよ」

マヤが棘のある言い方をした。防熱ガラスの向こうで凍り付いた顔がほころんでいる。しまった、予定より早すぎる。

「決まりだ。直線コースで行く。冷却器がもたない」

「底なし沼を突っ切るんですか? おまけに空から丸見えだ!」

斥候兵のアノンが猛抗議した。

「時間がない。メルドオール大尉が解けちまう。さぁ、担ぐぞ」

僕たちは地形を無視した強行軍を迫られた。森を抜けると星の海に手が届く。眩いばかりのアンドロメダ銀河。こんな時でなければ人生観が一変するだろう。

「いいんですか。いい的にされますよ」

ハヤテは部隊で一、二を争う狙撃手だ。がっしりとした体格とは裏腹に精密作業をこなすエンジニアでもある。

「それはお互い様だ」

    

僕は多帯域スコープでざっと湖を走査した。死にたての小動物が幾つか沈んでいる。それより下は探照波が届かない。まさに底なしだ。

「沈殿物が拡販された形跡はありません。死骸も細工された様子はない。風は凪いでいる。静かなもんです」

ハヤテが計測値を分析した。敵兵が潜んでいたり、何かを投げ込めば水が濁る。

「半径30キロ圏内に飛行物体は見当たりません」

マヤが対空レーダーを再確認した。わずかな乱気流も検知できる優れものだ。迫撃弾や攻撃ドローンのたぐいは未然に防げる。

「このまますんなりと通してくれると思いませんが? 俺が先行しましょうか?」

アノンが斥候を買って出るが、僕はそれを却下した。

「まとまっていよう。分断戦術かもしれない」

「隊長に命を預けますよ」

メルドオール大尉の棺にハヤテが軽く触れた。すると、蓋から光が溢れ出す。そして、あっという間に小型浮揚艇(アイオノクラフト)に変化した。

大気中の電位差を利用して飛行する乗り物だ。僕たちはこれで大尉を埋葬すべき丘に向かう。

アイオノクラフトは僕たちの体温や自身が発するさまざまなノイズを自然と調和してくれる。それが僕たちの隠密行動を支えてくれるはずだ。

全員が乗り込むと見えざる手がふわっと艇をつまみあげる。そして滑るように進み始めた。

    

鏡に映った夜空はきらきらと輝いてマヤを虜にしている。彼女は民間病院に勤める献身的な看護婦だった。心が洗われる貴重な機会を硝煙で汚してしまった。僕がいけないのだ。

いや、憎むべきはEGR-G3どもだ。


黄桃儀座ガンマ星に三個目の系外惑星(G3)が発見されて百年になる。アンドロメダを二分するファナックとEGRは所有権を主張しあったあげく共同探査チームを送ることで合意した。

貪欲なEGRが僕たちに先手を譲ったのは今にして思えば計算づくだったのだ。

僕たちはまずG3に金脈を見つけた。本物の純金だ。成果を横取りしようとEGRが難癖をつけてきたが、チャンスを手放したのは彼ら自身だ。

だが、ファナックの反論は聞き入れられず、惑星粉砕ミサイルまで持ち出して一触即発の事態に陥った。

彼らはまず、観測機器の細工を疑った。つづいて工作員による妨害を主張した。冤罪どれもが僕たちの丁寧な反証で覆されると、人材の偏りを不公平だとあげつらった。

それで僕たちは選りすぐりの技術者をERG側に派遣した。彼らの見立てによると金脈の下にレアメタルの大鉱床があるという。

採掘すれば莫大な利益を生むはずだ。金塊も霞んで見えるほどに。


しかし、彼らの目は欲で曇っていた。


「こんなガラクタを掴ませやがって!」

    

EGRの代表者は烈火のごとく激昂し、感情の赴くままにボタンを押した。僕たちはレアメタルの権益だけでなく、生成加工技術も提供すると提案したのだが。

雨あられと降り注ぐミサイルが鉱床をえぐり、採掘キャンプを灰にした。


「近視眼的なんだよ、EGRは・・・すべてにおいてだ・・・」

メルドオール大尉は逆上するというより、彼らを憐れんだ。際限ない欲望に駆られ目先の利益を最優先する。そんな彼らに長期的視点を期待する方が間違っている。

それでも大尉は希望を捨てなかった。

「俺の墓を立ててくれ。俺はそのために生まれたといって過言じゃない。それで、すべてが丸く収まるはずだ。最後まであきらめるな」


僕たちは彼の言葉を杖にして明日の道を歩む。



「おいおい、本気で湖を突っ切ろうってのか?」

ハヤテ技師が心配そうに聞いた。

アイオノクラフトは棺のオプション機能だ。葬儀を劇的に演出したり外の世界をもう一度見てみたいという終末期患者の願いをかなえるギミックに過ぎない。

また、墓地で最後の別れを告げる気力がない遺族のために棺を昇天させたりステルス機能で自然消滅するように見せかけるからくりだ。

そのためバッテリー容量も必要最小限に抑えられている。

僕は正直に答えた。「対岸まで辿り着けると思っちゃいないさ。どこかに降りるつもりだ。それでも回り道するよりはましさ」

    

「状況を理解しているのならいいんだが」

技師は煮え切らない表情で席に戻った。

「ステルス機能はどれくらい持ちそうだ? もちろん100%の性能を維持した状態でだ」

斥候兵が目を皿のようにして索敵している。僕は残量表示をちらと見た。

「せいぜい10分ってとこだ」

すると斥候はヘッドマウントディスプレイをもう一度かぶり直し、ぐるりと周囲を見渡した。

「5キロ先に猫の額ほどの浅瀬がある。くるぶしまで浸かる水深だ。そこから対岸まで砂洲が続いている」

「今の速度じゃ厳しいな。時間的制約もある。かといってここに降りるわけにもいかない」

僕は難しい選択を迫られた。そうこうしているうちに大尉の腐敗は進行している。

「隊長さんよ。ちゃんと考えているんだろ? まさか、行き当たりばったりで艇を出したんじゃないだろうな」

技師が冷ややかな態度をとる。僕は彼に対してあまりいい印象を持っていなかった。出来れば絞め殺してやりたいくらいだ。それも今すぐに。

「マヤ、気象予報機は扱えるかい?」

僕は彼女のスキルに頼ることにした。衛生兵ならば負傷者の生存率を左右する天候不順を把握することも任務だ。

マヤは快諾した。それで僕は機体を風に乗せて航続距離を稼ぐことにした。

    

「ハヤテ、バッテリーのオンオフでだましだまし飛ばせられないか?」

「まぁな。運を天に任せるとな。ニワカの隊長さんらしいや」

技師がやけくそ気味に嗤い、それで機内の緊張がほぐれた。

つかの間の安らぎ。その間に栄養や水分補給しておこうということになり、マヤが糧食を全員に配った。

「ファナックはこうなることがわかっていて大尉を送り込んできたのかしら?」

修羅場を潜り抜けてきたマヤは可愛い顔をしてキツイことをズバズバ言う。

「彼はカヌス族だ。チェリームーン作戦は覚悟のうえだろう。というか、どのみちEGRはこの惑星を丸ごと分捕る気だったのさ」

奴らを阻止する鍵を大尉が握っている。僕たちは命に代えても守ってみせる。

「埋葬の瞬間が勝負だな」

アノンが銃を握りしりめた。と、その時、艇がぐらりと傾いだ。マヤが悲鳴をあげ水平線に太陽が昇る。

「しまった。熱線攻撃か」

迂闊だった。湖面の乱反射で機体が炙られ、上昇気流が舵を奪う。「不時着するぞ」、とハヤテ。

機首が密林に突っ込む形で降りた。さいわい全員無事だ。だが大尉の損傷が激しい。

「もうここに埋めるしかないな」

ハヤテが大木の根元を掘り始めた。

「ああ、状況は厳しいがこの木でも問題ない」

    

目的地から大きく外れたが作戦遂行は可能だ。僕には予備手段がある。

僕たちは大急ぎで大尉に別れを告げ、極秘の薬剤をまき、祈る思いで土を被せた。すると、異変が起きた。

幹が黄金の輝きに包まれて雲を突き抜けるほどに成長する。

「対空レーダーに感あり」

アノンが銃を構える間もなく敵機がわんさかやってきた。

「さあ撃ってみろ」

僕は彼らの前に躍り出た。蜂の巣にされる覚悟だ。しかし、敵は聖なる光に心を奪われた。

大空を桜色に染める花吹雪。それはEGRの基地にも届くはずだ。じきに彼らは戦意喪失し降伏する。

メルドオールの遺した希望とは、彼のDNAが特定の樹木と融合しこの様な奇跡を呼ぶことだった。

だが、それは一瞬で砕かれた。

閃光が神木をなぎ倒したのだ。

「そんな」

マヤが言葉を失う。敵機は再び勢いを取り戻し、僕たちを囲い込んだ。

「爆破しよう。奴らの手に渡すな」

泣きじゃくるマヤを横目にハヤテはせっせと幹に爆薬を仕掛け始めた。アノンが対空ライフルを構え、敵機を威嚇する。

重爆撃機三個編隊を灰燼に帰す大出力粒子砲だ。波状攻撃に負けるが脅しくらいにはなる。

切り倒された樹は無残な姿を晒している。ざっと見たところ樹齢は千年を超えている。年輪は金色をしていて芯はピンクに近い。

    

まるで黄金の海に浮かぶ月のように美しい。これがカヌス族の墓碑チェリームーンだ。遺体の塩基配列が変化して死滅していく細胞を鞭打つ。そして特殊なウイルスが生成されある種の樹木に感染する。

するとチェリームーンが咲くという次第だ。この品種は根から強力な酵素を分泌し地中の資源を吸い上げる。見事な花は遺された者の心を和ませ、果実は子孫の生活を支える。

血で血を洗う貪欲なカヌス族に安定と繁栄をもたらすために祖先が自らの遺伝子を組み替えたのだ。

大尉はEGRの横暴に対する保険として準備されていた。それも犬死に終わってしまった。だからといって任務は終わりじゃない。

「隊長、ぼやぼやしていると大尉を奪われるぞ」

ハヤテが僕に爆薬を手渡した。とても足りない。チェリームーンは宝の山だ。誰にも渡せない。

「こんなことをして何になる。木っ端微塵。いや細胞一つ残さず隠滅しなくちゃいけないのに。おかしいじゃないか」

僕は素朴な疑問を彼にぶつけた。技師は背中をむけたまま忙しそうに作業を続けている。

あくまでもシラを切りとおすつもりか。そこで僕は行動に出た。

「EGR、聞こえるか? お前たちのご希望通り大尉をくれてやる。全面降伏する。アノン、銃を捨てろ」

不満げなアノンを僕はどやしつけて武装解除した。そして、声を張り上げて敵意のない旨を告げた。

するとハヤテが素っ頓狂な叫びをあげた。

「ちょっ、何を考えているんだ?!」

    

僕はアノンに足払いされ、地面に倒れたところを押さえつけられた。

「ずいぶんと手際がいいじゃないか。マヤ、さっさと僕を縛るんだ」

「えっ、何を?」

看護婦はキョトンと僕を見つめたままだ。

「いいから、僕を拘束しろ。それと伏兵のみなさん。ご苦労様でした」

僕が木々に向かって労うと、あちこちから舌打ちが聞こえてきた。そして、森の一角が揺らめいて完全武装のEGR隊員が姿を現した。

用心深く銃口をこちらに向けた近づいてくる。

「どうして判ったんだ?」

ハヤテは狸に化かされた様な顔をしているが、騙したのは僕の方だ。茶番に気づいていたからこそ、湖を横断した。

「君は二つのミスを犯した。最初は湖面の索敵だ。異常がないからこそ用心深く徹底的に走査すべきだった。そして君は結果を偽ることも出来る」

「あっ」

「二つ目は滑空を提案した時だ。君は僕に一任したな。冷静な技師ならば引き返してチェリームーンの候補を探すなど幾らでも現実的な助言をする。それをしなかった。誘い込むためだ」

「やれやれだぜ」

ハヤテは爆薬を地面に置いた。僕は追い打ちをかける。

「装備のなかに潜水ドローンがあっただろう。なぜ使わない? 艇に随伴して水面下の警戒に当たらせることもできた」

    

湖面を乱されると光学的な攻撃に支障をきたすからだ。ハヤテは無言のままだ。

「そして、マヤ」

僕は逃げ腰のマヤを喝破する。

「わ、私は関係ないんだからネッ」

「いや、大ありだ。看護婦がなぜ埋葬に立ち会う? 危険な湖でなく森に潜んで救助を待つこともできた」

「敵の真っただ中よ!」

「彼らの索敵能力は及ばない。君はハヤテとEGRで挙式するんだものな」

「人の心に土足であがるゲス男」

マヤは顔を真っ赤にして悪態をついた。

「どのみちお前の負けだ」

兵士が勝ち誇ったように言う。

「お前の賢さに免じて裁判を受けさせてやる。あとで嬲り殺すが」

「僕を縛ってくれ。マヤ。手柄は君のものだ」

看護婦が「ごめんね」と謝りつつロープをかけた。

僕は一瞬の隙を見逃さなかった。縄を手繰り、マヤを転倒させる。

「おいっ!」

アノンが銃を僕に向ける。

だが僕は毅然とした態度で言ってやった。

「撃てるものなら撃ってみろ」

アノンはあっけに取られて硬直する。

「撃てないだろう。今はホログラムの上演に忙しいものな」

僕は大口径レーザー銃の使い道を他に知っていた。迫真の映像で敵を惑わせる。

斥候は「何のことだ?」ととぼけていた。そこで僕は最寄りの兵士に飛び掛かった。

すると、EGR兵士たちがかき消すようにいなくなった。

    

ホログラム投射モードから銃撃に切り替えるまで、安全装置の解除など一連の流れに十数秒かかる。

僕には充分だった。マヤを拘束して幹の陰に隠れる。

「畜生!」

アノンが悪態をつく。僕らは湖が見えない位置に潜んだ。艇を撃った熱波も樹を倒した閃光もアノンの自演だ。

鏡面反射を悪用したのだ。

攻撃は直接でなく明後日の方角から飛んできた。全てお見通しだと判らせるため僕は手口を封じた。

「畜生は君たちだ。撃ってみろ。幹に誘爆する!」

僕が決死の覚悟で叫ぶと長い沈黙のあとに舌打ちが聞こえた。

「交換条件を言え」

断腸の思いがハヤテの声に滲んでいる。

「二人の安全保障とファナックの交渉人を呼ぶこと。EGRの勢力下だ。どうせ逃げられない。それに君たちは僕の身柄も売る予定だったのだろ?」

貴重な情報源だ。裏切者どもは大木の残骸込みで、いった幾ら貰うつもりだろう。

「いいだろう。あんたに脅しは効かない。交渉成立だ」

ハヤテがアノンを下がらせる様子が見えた。用心深い僕はもう一つ付け足した。

「不意打ちはナシだ。僕でも火ぐらいは起こせる」

「徹底してやがるな」

ハヤテが悔しそうに言った。

彼らがEGRに連絡する間、僕はマヤと何時間ぶりかに親睦を深めた。

「どうして私とハヤテの関係を知ったの?」

マヤが喘ぐ。僕は腰の位置を変えながら答えた。

    

「君と僕は周知の仲だ。狙う奴は多いが生き残りはあいつしかいない」

「貴方のそこが嫌なの」

マヤは僕を突き放した。

程なくしてEGRの大型艇が到着した。武装兵が金色の年輪に驚愕している。

ハヤテは手もみしながら敵将らしき人物と談話しているが、雲行きが怪しくなった。

僕は内心ほくそ笑んだ。満足を知らない連中だ。もっと寄こせとか無茶振りしているのだろう。

銃撃戦に発展するのは時間の問題だ。僕はこっそり火を起こした。

「こんなことをして無事に済むと思うの?」

嫌がるマヤを急き立てる。

「まだ奥の手がある」

僕はサバイバルナイフで幹を切り取った。培養に十分な量だ。

「おいっ!」

アノンが僕たちの逃避に気づいた。大口径砲を振り上げる。それが宣戦布告になった。

どこをどう逃げたがわからない。息を弾ませるマヤの眼下で湖岸が爆発炎上している。もうもうたる黒煙が森から吹き上がる。

「馬鹿な男。大人しくすれば命だけは助かったのに」

僕はマヤの涙に騙されない。

「いや、どのみち殺される」

「ハヤテは死なずにすんだわ!」

猛抗議する彼女に僕は告げた。

「君の手では・・・な」

マヤは一瞬ひきつったあと、作り笑顔で尋ねた。

「何を馬鹿なことを言い出すの?」

狼狽える彼女を僕はさらに追い詰めた。

    

「僕をここで始末するため一緒に逃げ延びた。だからアノンは僕らを見逃した。違うか?」

「あなた、男として腐り果ててる!」

「君も同根だ。ハヤテは派遣先で洗脳された。そこで儲け話を思いついて君を巻き込んだ。君は利益を独占しようと企んだ。おおむねそんなとこだろ」

「あなたも極悪人よ。仲間の過ちに気づいておきながら!」

マヤは怒りに震えながら銃を構えた。

「未遂に終わらせなかったのは病根を暴くためだった。さぁ、さっさと撃て」

僕は両手を挙げて崖っぷちに立った。だがマヤは平然としている。

「いい加減、飽きたわ。撃たれた瞬間に何かするんでしょ?」

そして彼女は自分の頭に銃口を当てた。

「馬鹿な真似はよせ」

僕は咄嗟に飛び掛かった。岩場を転がり、くんずほぐれつ、銃を奪い合う。

強烈な肘鉄を鳩尾に食らい、僕は倒れこんだ。マヤは素早くポケットを弄り、サンプルを抜き取った。

「これをばら撒く作戦だったのでしょう? 強欲を殺すワクチンを」

彼女はケースを地面にたたきつけ、射的にした。パンパンと乾いた音が木霊する。

「これでお終いよ」

マヤは狂ったように笑う。

「俺を殺さないのか?」

「ハヤテは死んだわ。だって、あの男ったら口が臭いんだもの」

何という掌返し。俺は彼女を心の底から軽蔑した。

    

「今さらよりを戻そうってか。俺を振り向かせる為に大芝居を打ったとでも?」

「そうよ。あなたを誰より愛してるんだもの」

彼女はあっけらかんと言い放つ。しばらく一人で失笑していたが、ケラケラ笑いが嗚咽に変わった。

がっくりと膝をつき、地面に横たわる。

「何なの? いったい」

それが彼女の遺言になった。力尽きた手からケースが崖下へ滑り落ちていった。

しばらくして森が金色にかあっと燃えたち、腰まで埋まるほどの桜吹雪が舞い降りてきた。

大尉のDNAは特定の温度と大気成分で飛躍的に変化するんだ。

欲望の免疫抗体。

尽きることのない欲望は人の性だ。

だが適度に抑制すればEGRもファナックも幸せになれる。

森林火災の猛煙で活性化したウイルスは惑星大気を循環し、満月を桜色に染めた。

そして今日。僕は開拓記念式典の演説を聞きながら、この丘に登ってきた。

見上げるとぽっかり浮かぶ。

チェリームーン。君の思い出と夜通し踊り明かそう。桜の木の下で。

    

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チェリームーン。君の思い出と踊り明かそう。桜の木の下で。絶望的な戦況の中、彼らはたった数名で敵陣に立ち向かう。生き残るために、かけがえのないものを失った彼らの運命やいかに?命知らずの決死行が今始まる! 水原麻以 @maimizuhara

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