01 B

 殴られたり、蹴られたりする。飲み物が飛んでくる。

 それが、この世界の常識。ただ、謝る。なるべく、相手の気が収まるぐらいの、適当なへこみ具合で。謝るしかない。

 仕事。サラリーマンの。世の中のほとんどの男性の、基本的な教養であり任務。最近は男女が共同で三角がどうこうとかいう四角い時代なので、普通に女性が殴ってくるし蹴ってくる。そしてその苦痛に耐えるのは、やはり男性。サラリーマンだから。サラリーウーマンじゃないから。これまで上司に殴られてきたのが、女にまで殴られるのだから。二倍増し。男女平等ではなく、上司女平等。サラリーマンに人道的ルールは適用されない。


「はい。もうしわけありませんでした」


 ここは、もうしわけありませんでした。すいませんでしただと殴られる。あぶない。

 こんなのが、あと40年ぐらい続く。殴られ、蹴られ、ぼこぼこの人生。それが、サラリーマン。

特に、良いこともない。最近はご時世がなんだとか言われて、呑み屋も酒を出さない。煙草なんか吸おうものなら、寄ってたかってぼこぼこのぼこにされる。どこにも安息はない。


最初は、昼めし屋だと思って入った。地下だったし。

そこに流れていた、音楽を。曲を聴いて。

すべてが、弾けた。

どうでもよくなった。

存在しない有給を申請して、いつもの3倍蹴り飛ばされて、それでもと、脚にしがみついて、ようやく得た半日の休み。

ギターを買った。

と、思ったら。

ベースだった。

なんでもよかった。

あの場に混ざりたい。

あの場所で。

何かしてみたい。

あの音の渦の中に。

自分も。

そう思ったら、止まらなかった。

半日経って、出勤した。上司からは3倍蹴られた。三角な社会枠の女からは、お茶を投げつけられた。いつもは温いお茶だけど、今日のはめちゃくちゃ熱くて。顔の半分が焼けた。

それでも。

頭の中は、あの、あの地下で聴いた、あの音のことでいっぱいだった。上司も。女も。どうでもいい。

同僚からは、同情された。有給なんか取るから、そうなる。俺達に人の権利はないんだから、縮こまるしかない。いつもの会話。

自分が、おかしくなったのだと、思った。

はやくベースをさわりたい。

音を鳴らしたい。

うずうずした。

どうでもいい。サラリーマンとしての人生。殴られ、蹴られ、ぼこぼこの人生。そのすべてが、ベースをさわるための前座のように思える。

呑み屋も。酒も。煙草も。どうでもいい。いらない。音。音が欲しい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る