第壱 その少年、落ちこぼれにつき。



 ――――この世には三種の人ならざる者がいる。


 一つ、人が人を恨んだ末の怨霊。生霊・死霊問わず恨んだ者を怨み続ける。または死してなお気付かない・或いは恨み以外で未練が残り彷徨う浮霊ふれい


 一つ、怨霊・浮霊が人を喰うと変化する《勿怪もっけ》と呼ばれた悪しき者。他にも言霊で生まれた者や自然が生み出した者もいる。姿形は千差万別で、人型や四足歩行、二足歩行をする者もいる。


 一つ、神代より神が神を喰ろうた古より生きし者――――貶神おとしがみ


 ……これは伝説上でしかなくほぼ記録が残されてはいないが、凡そ百年前に神の眷属が堕ちたと言われる金毛の九つの尾を持つ妖狐が現れたと言われている。


 名を《梓浦御前あずほのまえ》。


 妖狐は伝説上では、邪に堕ちようとも神のみが扱える神通力を保有していると言われている。

 もし、相対した場合は必ず一人で闘うな。援護要請の霊符を使い、必ず【安倍家】を呼ぶように。





 蔀戸しとみどの開け放たれた箇所から淡い日差しと春のそよ風にあてられ、意識が微睡みの中薄っすらと覚えのある気配を前方から感じる。

 しかし目の前に誰か立っているのは分かるのだが……はて、一体誰だろうか?


 何度も聞いた妖狐話に飽き飽きして、安倍雅相あべのまさすけは欠伸を噛み殺して目をこすった。



「またお主か……。そんなに私の教えはつまらぬか?ん?」


「いえ、そんなことは。ほんのちょっとしか思ってないです」



 視界が晴れやかになったと思えば、目の前には仁王立ちする直衣のうしをまとった壮年の男が立っていた。


 誰だっけと一瞬思ったが、そうだ。ここは陰陽寮おんみょうりょうの学生の学舎であった。

 つまり目の前で蟀谷を引くつかせ般若の如く見下ろす男は陰陽博士おんみょうのはくし、つまり師だ。



「お主はいつになればお主の立場を理解する?安倍の唯一の後継よ」


「えー僕が望んで手に入れた物じゃないんだけどなぁ」



 へらへらした顔で雅相が言えば、周りにいる少年たちが一斉に恨みがましげな鋭い目を向けてくる。


 この人口何万人といる華やかな都で知らぬ者がいない程に、陰陽道に精通した名の通った安倍家。

 古くからある名家の唯一の跡取りとして、安倍雅相は多方面から期待された少年だ。


(そんなもの、クソくらえ)



「その言葉をお主の祖父、陰陽頭おんみょうのかみにも言ってみなさい。卒倒されるぞ」


「じっさまなら生憎ながーいお散歩に出掛けられてますんで無理ですね」



 その言葉を聞いて、目の前にいる陰陽博士は頭を抱えて深いため息を吐く。

 その重苦しい息を吐き出して呟かれた「またなのか」は、きっと周りの少年たちの幼心でもわかる程に痛々しかった。



 ***



 どん、どん、どん、どん、どん、どん、どん、どん



 どこからともなく太鼓の音が8回学舎に鳴り響いた。

 つまりこの学舎での教えがここまでだという合図だ。


 陰陽博士が書を閉じて「ここまで。必ず次の教えを事前に把握しておくように」と言えば、雅相含む10人の少年たちが一斉に立ち上がり、「本日の教えも、感謝致します」と声を揃えて帰りの身支度に取り掛かり始めた。



「雅相!」


「ん?あぁなんだ行信ゆきみちか」



 支度の準備をしていると、忙しなく駆け寄ってきたのは――――雅相と同じくらいの年十三・十四頃の直衣に着られたような幼さの残る少年であった。


 全体的にほっそりして病的な意味で白い肌、赤みがかった瞳を穏やかに下げた目元が特に印象的だ。



「今日はどうするの?式探し?それともまたうちで書でも読む?」


「そうだなぁ。今の刻に邸に帰っても暇だし、行信の邸の書倉にでも入り浸るか」


「分かった。じゃあ共に行こう」



 こくりと頷いた行信のなんと嬉しそうな表情のことか。

 今行信は訳あって世話係用の家人数人とこの都に住んでいる。家族はみな大宰府にいて、離れ離れとなっているため雅相もそれなりに気にかけていた。


 因みに行信の邸は百年前に行信の先祖が使っていた邸に手を加えて住めるようにされた邸だ。


 そのため数人の共と暮らすにしてはだだっ広いだけの邸となってしまっている。

 書物などは当時のまま残されており、今は知りえない物もあったりと中々に興味深い書ばかりだ。


 二人で学舎を後にして、雑談しながら向かっていると「よぉ、落ちぶれ共」と前から聞き覚えのある面倒な声をかけられ、雅相と行信は同時に前へ視線を向けた。



「これはこれは誰かと思えば、安倍家の出来損ないと落ちぶれ貴族の菅原家のご子息殿じゃないか」


「なんだ*陰陽得業生おんみょうとくごうしょうにいながらなんの取り柄もない三善家のご子息じゃないか。僕に何か用向きでも?」


「まっ雅相!」



 隣であわあわと焦る行信を無視して、前方にいる雅相よりも頭2つ分高い長身の凶悪な目付きで睨んでくる青年――――三善斉経みよしなりつねに向けて、雅相は邪悪な笑みで応対する。


 斉経は何故か昔から何かと因縁をつけてこうして前触れもなく雅相の前によく現れる、雅相としては正直ちょっとよく分かんない人物に該当する男だ。


 初めてあった時も、よく分からない因縁をつけて雅相を虐めてきたおかしな男である。



「てめぇだけには言われたくないな。安倍家の恥野郎。お前、まだ式一つ従えてないって聞いたぜ?ぶはっ!」


「だったら何んだ?お前みたいにバカスカ式増やしたくないんでね。たった一つの最強の式さえ手に入れば僕は満足だから」



 ふんと鼻を鳴らして腕組みする雅相。その態度が気に入らないのか、斉経が凶悪な目付きをさらに吊り上げて歯を剥き出し「なんだとぉ?」と地響きでも起こしそうな低音な声で呟いた。


 それに負けじと雅相もキツく睨みつければ、二人の間にはまるで火花でも散っているような錯覚さえ覚えさせる。



「二人とも、路の真ん中で喧嘩をするものじゃない。往来の妨げになるだろう?」


「あ!保紀やすのり殿!」


「ひっお、驚かせんじゃねぇよ!」


陰陽助おんみょうのすけ殿、お久しぶりです、息災でしたか?」



 三人が一斉に声のした方へ振り向くと、斉経よりさらに高い長身の男である賀茂保紀かものやすのりがニコニコ笑いながらいつの間にか三人の背後に立っていた。


 その顔を見て、まるで化け物でも現れたみたいな顔で頬を引くつかせる斉経、目を輝かせて満面の笑みの雅相、穏やかに微笑んで礼儀正しく腰を折っていみなを避けて呼ぶ行信。


 三者三様の反応を見て、可笑しそうに笑いを喉の手前で押し殺してくつくつと漏らし保紀は肩をふるわせた。


 雅相や斉経たちとは違い、保紀は少年たちよりやや年が離れており、行信とはまた違った人好きする笑み、温和な声音と口調の正しく善人を常に顔面に張りつけたような人物だ。



「全く……雅相も斉経も相変わらず啀み合って。君たちはの子息だろう?少しはその背に負っている家門のことも考えなさい」


「う……善処、する。」


「保紀殿が言うなら……嫌だけど。い、や、だ、け、ど!」


「こら!斉経、雅相!」



 いつも温和な保紀から久々に雷が落ちてきて、二人は先程までいがみ合っていた勢いを無くし、年相応に叱られている子供のようにしょんぼりと項垂れた。


 それを傍目で見る行信が思わず吹き出してしまう。


 陰陽五大名家とは、その名の通り陰陽道に精通して数多くの陰陽師を輩出してきた名家のことである。

 古くは加茂、安倍と来て三善、蘆屋、菅原と名を連ねている。



「行信てめぇ……。そもそも菅原家はもう名家には数えられないだろ!保紀殿に異議申立てる!!」


「何を言っているんだい斉経。菅原家は確かに大宰府に左遷されたものの、これまでの実績とかの傑物を生み出した由緒ある家門だよ?」


「だから!その傑物のせいで俺ら名家がどれほど苦労させられたか!!」


「だがそれを差し引いてもかの傑物の貢献は見過ごせるものでは無いと思うのだが」


「でも!そんな貢献なんて本当か怪しいだろ!」


「それこそ彼の引き起こしたとされる事も記録上は残っていても改竄されている可能性も鑑みると怪しくなってしまうのだけれど」


「っ!!」


「ごっごめんなさい!」



 何の気なしの平然とした顔の保紀と歯痒そうにする斉経が言い争う中をピタリと止め、目を皿のようにして行信へと視線を注ぐ。


 一斉に目を向けられた行信がびくりと肩を跳ねさせると、顔を伏せて全身を戦慄かせ始めた。

 心做しか大量に汗をかき始めており、手が真っ白になるほどに拳を握り締めている。


 それを察した雅相が行信の傍へ寄ると、俯けられた頭に軽く手を置く。



「お前が謝ることじゃない。それにもう百年前の話だろ?気にすることないさ」


「……うん」


「済まない行信。私としたことが君の心情を推し量れなかった」


「けっ」



 保紀が三人よりも大きな体を曲げて行信に目線を合わせれば、行信も大丈夫だと首を左右に振って困った顔で微笑む。


 しかし斉経だけは謝る気がないようで、行信から視線を逸らしてブツブツと文句を垂れ流すのだった。



「……莫迦がよ」



 誰にも聞こえない声量で、斉経はぽつりと誰にともなく吐き捨てた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る