やおよろず百貨店の祝福

本葉かのこ/富士見L文庫

第一話 福本福子、神様の外商員になる!

 狩衣に、烏帽子という古めかしい出で立ちの男は、ようやく釣竿から目を離した。ちらりと、福本福子の手元を見やる。


「ああなるほど、江戸切子か。この前もってきた、陶器のぐい呑みより、ずぅぅぅと、ええなあ」


 齢七十を超えるだろう翁に微笑まれ、福子はつめていた息を吐き出した。


 今日こそ、お買い上げいただかなくては!


 五月の穏やかな日差しが降りそそぐ池のほとりでは、翁と福子の他に、作務衣の男がたたずみ、福子を胡乱なまなざしで眺めている。


 福子は今年、八百万百貨店に入社した二十三歳。

 そんな新米が、参拝者立ち入り禁止の聖域に入ることが許せないのかもしれない。


 きゅぅぅう、と痛む胃をおさえ、福子は笑顔で暗記した文句を唇に乗せる。


「こちらは、二百年前の江戸切子のお猪口になります。当時の名工、木下豊春が手がけた大変、稀少なお品で、マニア垂涎の一品となっております。銅を流し込み、青く染まったガラスに……」


「わては、夏場に冷酒が呑みとうて、器を頼んだなぁ」


「は、はい! 暑い夏を少しでも涼しい気分で過ごせるように、器も涼しい気分になれるものがいいと、仰られました!!」


 濃紺の色硝子に、レースを巻きつけたような、繊細な白い筋が刻まれた江戸切子。

 福子は翁の注文に応えるべく、百貨店の器全てを見て回った。江戸切り子にしようと決めた後は、バイヤーさんに相談し、本店から最上級品を取り寄せたのだ。


 これ以上のものを用意するのは、不可能だ。


 これでご満足いただかなければ、とても困る。とてもとても困るのだ。


 しかし翁は釣竿を持ったまま、江戸切子に手を伸ばすことはない。目尻に深い皺を刻んで、にっこりと笑った。


「いらんなぁ」


「――で、でも、これ以上の品はどこにも!」


「そうやなぁ。たしかに江戸切り子は、涼しげな器や。品もいい。がんばったことは認めるよ? ただなあ、わては恵比寿やで? 永きにわたり生き続けるわてには、江戸切り子なんて当たり前のもの、退屈や」


「た、退屈……」


 愕然とその場に崩れ落ちる福子の元に、作務衣の男がやってくる。


「御前さまは、そう仰られております。そちらをお持ちになってお帰りいただけますでしょうか?」


 福子が応えるより先に、彼は江戸切り子を桐箱に片づけ始めている。


「あ、あ、あのっ。恵比寿様! ぐ、具体的に、どのような器をご所望なのでしょうか?」


「言うたやろう? 夏を涼しく過ごせる器や!」


 絶句する福子の目に、傲慢で、魅力にあふれた神の笑みが広がる。


「なあおい、福本福子っ。福を呼び込む名をもつ人の子よ! 次はわてがビックリするような器、期待しとるで!!」


 翁は福子から目をそらし、釣りに戻る。作務衣の男が一つ咳払いをし、福子に圧力をかけてくる。


「…………っ!」


 福子は寝不足の目を一度きつく瞑り、深々と二人に一礼した。


「八百万百貨店は、お客様に必ずご満足いただけるお品をお持ちします! 今後とも、どうぞ、よろしくお願いいたしますっ……!」


 福子の震える声に、翁は応えず、作務衣の男は早く帰れという視線を送るのみ。


 ――どうして、こんなことになったのだろう。


 福子はよろけながら特別区域から脱出し、参拝者の波を掻き分けて境内を後にする。

 神社に向かって、深々と一礼。足早に、下町の狭い道をくねくねと歩み、誰もいないのを確認し、吠えた。


「あああぁぁぁぁ、もうっ! か、神さまは、な、なにをご所望なのぉぉぉ。転職したいっ!!!」


 ◇◆◇


 一つ、百貨店は素敵な商品を必ず提供できる場所でなければならない。

 一つ、百貨店は地域の人々を幸せにするためにある。

 一つ、百貨店は人々を守る御神のために、誠心誠意、尽くすことを喜びとする。


 八百万百貨店創業者、稲森十三の語りより。


 ◇◆◇


 一か月前。


 午前中に入社式を終え、新入社員一日目を終えた福子は、ほぉぉとため息を吐き出した。


「夢が叶っちゃった。すごかった……」


 ふわふわとした気持ちで、日に焼けた畳の上へと寝転がる。


 見慣れた天井。桜の匂いがする春風に、カレンダーが揺れている。


「お礼をしてこよう!」


 リクルートスーツから、ジーパンと白いブラウスに着替える。


 階段をぎしぎし唸らせて降りていると、この時間は仕込みをしているはずの父親に声をかけられた。


「お、出かけるのか?」


「うんっ。福禄寿様のところに行ってくる!」


「そうか。それなら、湧水をいただいてきてくれ」


「えー、重たい……わかった~」


 父の一睨みで、福子は唇を尖らせて了承する。自転車の籠に、空の容器を放り込み、商店街をゆっくり歩く。


 煎餅屋のお春おばあちゃん、最近お店を手伝っているコロッケ屋のおにいちゃん、漬物屋さんに、お肉屋さん。

 子供の頃からずっと知っている町の人たちに会釈しながら、ぼんやりと明日に思いを馳せる。


 ああ、明日も緊張しそう! どうしよう、本当にどうしよう~!!


 福子は今年二十三になる普通の女である。

 雨漏りのする古い家に生まれ、父、母、祖父、祖母、それに弟に囲まれて、特に贅沢ができるわけではないが、普通に暮らしている。


 地元の小学校、中学校、高校になんの疑問も感じず通い、家の手伝いがあったから部活はあまり活動のない郷戸史研究部を選んだ。


 福子が生まれた千年町は、きらびやかな都心の端っこ。自然保護指定されている森をバックに、扇のような形で開かれている。


 千年とまではいかぬとも昔から変わらぬ町並みで、福子の家は二百年続く豆腐屋『まめふく』を商っていた。近所の神社から湧き水をくみ、その水で作った豆腐は絶品だと、遠方からも人がやってくる。


『福本さんところのお豆腐を食べたら、他を食べられなくなっちゃったわ~』


 毎週土曜日の決まった時間にやってくるおばあちゃんに頭を撫でられ、福子は育った。だから、おばあちゃんの為にも、自分は豆腐屋を継ぐのだと思っていたが、それは弟の役目だと気づいたのは小学四年生の頃。


 男が家を継ぐ。


 その事実に福子は愕然とし、三日間泣いた。家族にはわからぬよう、こっそり誰もいないところで泣いていたのだが、祖母にはお見通しだったらしい。


『福ちゃん、みんなには内緒よ? おばあちゃんが楽しいところに連れていってあげるわ』


 戸惑う福子の手を握り、祖母は電車の切符を買った。


 福子は地元の小学校に通い、商店街の子供と遊んでいたから、電車に乗ることは非常に稀だった。その上、祖母が連れていってくれた場所は、これまで存在を知っていたけれど、一度も行ったことのない『お城』。


 真っ白な大理石の階段に、金色の手すりがついた回転扉。


 扉を開けば、広がる光の洪水。


 ピカピカの鏡、素敵なお洋服を着たマネキン、品よくお辞儀をする大人の人々。


『いらっしゃいませ~』


 同じ挨拶でも、商店街の人たちとは響きが違う、言の葉。


 近づいてきた女性の店員さんは、あまやかな、いい匂いがして、福子はあんぐりと口を開いた。



 八百万百貨店。



 それは幼い福子にとって、夢の世界だった。その夢の中の住人に、福子は今日なったのである。


「お礼をちゃんとしないと」


 境内の前に自転車をとめる。


 商店街の先、緩やかな坂の上にある七星神社は、福禄寿神をお祀りしている。福禄寿神とは、誰もが知っている七福神の神様の一柱だ。


 福子の家は昔からこの神社の湧水を使って、豆腐を作っている。


 豆腐は水が命である。


 福本家には昔からとても親しみのある神社なのだが、参拝者は少ないようだった。人よりも、真っ黒な野良猫と遭遇することのほうが多い。福子はなんとなくそのことを寂しく思いながら、手水舎で手を清める。


 ボロボロの本殿の前でお賽銭箱に五円玉を入れ、鈴を鳴らす。


 二礼二拍手一礼。


 いつも通り、二度頭を下げ、二度手を叩いて目を閉じる。


「今日は、ずっと憧れていた八百万百貨店の入社日でした。今日という日を無事に過ごさせてくださり、ありがとうございます。明日もがんばります」


 心からの感謝を口にし、最後に深々と一礼をする。


「お参りはおしまい! あとは湧水をいただいて、明日の準備をしなければっ。――あれ?」


 福子は眉をひそめる。無人であったはずの境内に、小さな女の子の姿を見つけたためであった。

 十歳くらいだろうか。色白で、つぶらな瞳が愛らしい。古めかしいことに、朱色の着物を着ている。


 いや、それはいいんだけど。あの子、なんてところにいるのっ!


 少女はこともあろうに、狛犬の台座に腰を掛けて、ゆらゆら足を揺らしていたのである。


「あなた、なにをやってるの? そんなところにいちゃ駄目じゃない!? 早く降りなさいっ!」


「……おや、福子。お主、我が視えるのか?」


 己の名前を呼ばれ、福子は目を見開く。


 この子、なんで私の名前を知ってるの?


 少女は楽しそうに瞳を輝かせて、狛犬から飛び降りる。おかっぱボブの頭を、二、三度、振ると、福子を面白そうに覗き込んだ。


「ほお。そうかそうか。八百万に入社したとは聞いておったが、そうであったか」


「あ、あなた、なんで私のことを知っているの?」


「あはは! 我は知っておるからじゃ!!」


 福子のことなら何でも知っておるぞ! と自信満々に言った少女は、にんまりと笑う。


「たとえば、福子が長いヒラヒラスカートで自転車にのったら、裾がタイヤに巻き込まれて、パンツ丸見えになって泣いたことも、我は知っておるのじゃ!!!」


「――な、なんでそんなこと知ってるのよ!?」


 福子は真っ赤になって、悲鳴をあげた。


 去年の夏、大学から急いで帰る最中に起きた出来事。柔らかな生地のスカートが車輪に巻き込まれ、その場でスカートを脱ぐしかなかった惨事。

 夜間だったし、周囲に誰もいなかったから見られてなかったと思っていたのに!


「言うたであろ? 我は福子のことなら、なんでも知っておるのじゃ~」


 福子は気味悪そうに口を歪めた。


「なんで知ってるのよ? 私はあなたを知らないわ」


「いや、そんなことはない。福子も我を知っておるよ?」


「知らないってば!」


「いーや、わからんだけじゃ」


「わかった! あなた、神主さんのお子さんか、なにかなんでしょう? 見かけない子だけど、私の名前や、八百万百貨店に入社したことを、お父さんに聞いた?」


 そう問うた途端、少女はぷっと吹き出して、口を開けて笑い出した。


 ころころと。ころころと。


 その笑い声は鈴を転がすように、柔らかで、朗らかで。


 見知らぬ子に笑われているというのに、福子はなぜか、嬉しいような温かな気持ちになった。


 ――この子、本当になんなのだろう。


 福子がすっかり困ってしまっていると、少女は着物の袖をひるがえし、福子に背中を向ける。


「またな、福子。これからは、前よりもよろしくすることもあるだろうてっ」


 そう言い残し、少女は走ってどこかに行ってしまう。残された福子は、首を傾げた。


「なんなの、あの子?」


 ◇◆◇


 八百万百貨店入社二日目。


 福子は誰よりも早く出社すべく、始業時間の一時間以上前に八百万百貨店の通用門をくぐった。通用門は、半地下にある『お客様専用自転車置き場』の目立たぬところにある。


「おはようございます!」


「元気だね~ おはようさんっ」


 白髪が目立つ守衛さんに頭を下げて、福子は与えられたデスクに向かう。

 今日もリクルートスーツだ。


 新入社員は二週間の研修を受けた後、適性を見て、配属先が決められる。福子は密かに、一階の婦人靴売り場を希望していた。


 お客様が八百万百貨店に入って、まずはじめに通るのが婦人靴売り場なのである。ピシッとした紺色の制服に身を包み、真っ先に、いらっしゃいませとお声をかける花形部署。福子が子供の頃に見た、憧れの光景。


 まあ、食料品売り場でも、おもちゃ売り場でも、ここで働けるなら、どこでも嬉しいんだけどね。


 まだ誰もいない部屋で福子が一人笑み崩れていると、騒々しい靴音が聞こえた。乱暴に扉が開かれる。


 入ってきたのは、四十代の男だった。

 髪は綺麗に整えられ、品の良いダブルボタンの紺色のスーツを着ている。デパートマンらしく清潔感のある身なりだが、ひどく汗をかいていて、目つきもどこかおかしかった。


「君が、福本福子くんっ?」


「は、はい!」


「すぐに来てください!!」


「え……」


 男はブランドもののハンカチで額の汗を拭いながら、福子に詰め寄ってくる。


「あのっ。私、なにかしましたか? い、一体、なんなんですか!?」


「そういうんじゃないんだっ。君はなにもしていない。しかし、た、大変なことになってしまって……」


 そう口走った男は、ハッとした顔になり、自分を落ち着かせるように深呼吸をした。


「す、すまない。僕は外商部の、松本智一です。責任者には連絡を入れておくから、ついてきてもらえますか?」


「はあ……」


「大事な、とても大事なお話があります」


 重々しく言われ、福子の顔に緊張が走る。


 な、なに!? き、昨日の入社式で、私、なにか粗相をした? なに、なに、なんなのよぉぉぉ!!!


 心の中で絶叫しながらも、福子はわかりましたと小声で返す。松本は足早に歩き出す。福子は慌ててついていく。


「あ、あのっ。どこに向かっているんですか?」


「外商部です」


「が、外商部? あの、それは、どんな部署なんですか? すみません、就職活動のときに企業研究はしたんですが聞いたことがなく……」


「外商部とは、お得意先のお客様のご自宅に訪問し、商品を売る部署になります」


「――そんな部署があるんですかっ。はじめて知りましたっ!?」


「福本くんが知らないのも無理はありません。外商部とはデパートの日の当たらぬ陰。しかし、デパートの売り上げを支えているのは、外商部といっても過言ではありません」


 松本は歩みを止めず、語り始める。


「お客様の仕事にあわせて、お子さまの成長やライフワークの変化にあわせて、お客様が『今』必要な商品をお持ちするのが外商の仕事です。たとえば、お仕事の忙しいお客様が、結婚記念日をお忘れでいたら、それとなくお伝えし、奥様が好む商品をご用意するのが外商です」


「……そんなことができるんですか?」


「それができるのが、外商員です。我が外商部はデパートの中でも営業成績が良い、つまり、質の高い接客技術、豊富な商品知識をそなえた、お客様のどんなご要望にも応えられる人材だけが集められた部署なのですが……」


 松本は困惑した顔で、福子を見やる。なぜこんな子がと、小さな呟きを拾い上げ、福子は不安な気持ちになる。


 ――私は、どうして、外商部に連れて行かれるのだろう?


 所属先はまだ決まっていない。しかし、そんな一流の販売員の一人としてスカウトを受けたなんて、とても思えなかった。

 悲しいけれど、自分は入社したばかりのペーペーだ。外商部でお茶くみでもするよう、命じられるのだろうか?


 それは嫌だ、と思った。


 福子はお客様に商品を売って、ご満足していただきたかった。喜ぶ顔が見たかった。そのために、デパートに入ったのだ。


 未熟なのは十分、承知している。それでもお茶くみ要員なんて嫌だっ!


 暗い想像に泣き出しそうになっていると、松本は業務用エレベーターに乗り込む。福子も、とぼとぼ続いた。


 ふと、福子は松本の指先に目が吸い寄せられる。


 男の人なのに、綺麗。


 手入れされた爪だった。外商員としての身だしなみなのかもしれない、と福子は己の荒れた両手を恥じて、擦り合わせる。

 その綺麗な五指が優雅に動き、エレベーターのコントロールパネルを開く。それは、暗証番号を押さないと開かないパネルのようであった。


 松本は、最上階、十五階のボタンを押す。


 落ちる沈黙。


 エレベーターのゴウンゴウン……という音が響いていた。


 妙に軽やかなベル音とともに開かれた先は、大理石が美しいフロアだった。

 お客様が目にするデパートの表側は明るくきらびやかだが、お客様の目が届かない裏側は事務的で、雑然としている。しかし、こちらのフロアは表側のようだった。

 松本はフロアの一番奥、『特別室』のプレートがかけられた一室の前で足を止める。


「福本くん、一つ、約束をしてください」


「……は、はい」


 松本は厳しい顔で、福子を振り返る。


「ここで見聞きしたことは、決して、人に漏らさぬこと。いいですね?」


「っ……わ、わかりました!」


 なぜと聞ける雰囲気ではなかった。あまりに真剣な目つきに、福子はこくこくと頷く。


 松本は一つため息をついて、扉をノックする。


「失礼いたします」


「……失礼、いたします」


 そこは上品な応接室だった。

 マホガニーの机に、ペルシャ絨毯。素人の福子の目から見ても、高級だとわかる家具が品よく置かれている。


 朝の光がたっぷりそそぐ窓のそばに、部屋の主は立っていた。

 チャコールグレーのスリーピースのスーツ、磨かれた焦げ茶の革靴。胸ポケットから覗く、青いハンカチーフが洒落ている。


 ステッキをもった老紳士は、ゆったりと微笑んで、福子たちを出迎えた。


「やあやあ、こんな朝早くに呼び出してしまってすまないね」


 朗らかに謝るその人を、福子は恐怖に近い感情で見つめる。すがるような目で、松本を見上げた。


「代表、彼女が福本福子くんです」


「ああ、あなたが、福本さん? 想像していたより、だいぶ、だいぶ……可愛らしい人ですね」


 いささか困惑げに首を傾げるその人を、福子は入社式で見ていた。ネット放送という形で、テレビ越しに。新入社員に向けた挨拶を拝聴させていただいた。


 全国に二十五店舗ある八百万百貨店のトップ。

 代表取締役、稲森千石氏である。


 その人がどうして、ここにいらっしゃって、なぜ、私を呼ばれるのか?


 激しく動揺する福子を置いて、稲森は白いものが交じった眉毛をいじりながら、松本を見やる。


「彼女に、説明しましたか?」


「……外商部とはなにかまでは話しましたが、それ以上のことは、とてもとても私の口からは」


 松本はぶるぶると首を振る。なにかを恐れているような様子に、福子は不安で胸が押しつぶされそうになる。


 ……私は、しゃ、社長に呼び出されるような、そんななにか、大変なことをしでかしたのだろうか。まさかっ! く、首とか!? せ、せっかく、憧れの職業につけたのにぃぃ。


 パニック状態となった福子の耳から、二人の話し声が遠のいていく。そのことがさらに彼女を慌てさせ、青ざめさせた。


「あ、あのっ!」


 福子は涙目になりながら、声をあげた。


「わ、私は、首なんでしょうかぁ!?」


「「え……」」


 きょとんと、呆気にとられた顔が二つ返ってくる。


「いや」


 先に我に返ったのは、松本だった。


「首って、君、不作法に話に割って入ってきたと思ったら、なにを血迷ったことを」


「いやいや、こんな呼び出しをかけた我々にも落ち度はある。彼女が怯えてしまっても無理はない。まあ、それだけ、僕らからしても、非常なことではあったのだけれど」


 稲森は二人にソファーをすすめた。


「失礼いたします……」


 革張りのソファーは座り心地は抜群でも、隣に松本、前に社長が座っているため、福子は居心地の悪さを感じずにはいられなかった。そんな福子の心情など素知らぬ様子で、稲森はうーんと唸っている。


「さて、新入社員のあなたに何からお話ししたら良いものか。――そうですね、一つ、昔話をいたしましょう。八百万百貨店、創業の経緯についてです」


「はあ……」


「八百万百貨店創業は、百五十年前に遡ります」


 明治時代、文明開化が花咲く中で、呉服店を商っていた稲森十三は、さらに取り扱う品物を増やし、百貨店を開業させた。


 現在はインターネットや小売店で、当然のように品質の高い商品が購入できる。しかし当時は、粗悪な品物が多く出回っていたため、高い品質の商品が並び、なおかつ様々なものが購入できる店は、百貨店より他になかった。


 品質の高い商品、商品知識豊富な従業員、流行の生まれる場所。


 それが百貨店だった。


 多少、値段は高くても、連日、百貨店には多くの者が押しかけた。


 稲森は誇らしげに、言葉を噛みしめるようにして語る。


「訪れたお客様を、必ず、笑顔にする。それが、十三の口癖だったそうです」


「素晴らしいです……」


 こんな状況だが、福子は感じ入って感嘆の吐息をついた。十三の言葉を我が胸に刻もうと、目を閉じる。

 純粋なその様子に、稲森は目を細める。意味深長に、なるほどと呟いた。


「……? あの?」


「なんでもありません。さて、話は本題に入ります」


「はい」


「店はたいそう繁盛し、毎日のようにお客様がやってきました。そんなある日、十三は、夢の中で神のお告げを聞いたそうです」


 稲森は福子をひたりと見つめる。


「我々、神々もまた、人の子と同じように、日々を楽しくする商品を求めている。心が温かくなるような商品を欲している。しかし、神である我々は、人の子の願いを聞き届けなければならないため、社から出ていくわけにはいかない。だから――」


 だから、我々のところまで、心を楽しくする商品を売りに来てはくれまいか? と。


「十三はその求めに応じました。神々が楽しく元気であることで、人々の祈りを聞き届けられる。神あってこその、人の平和な世であり、八百万百貨店は神々をもてなす百貨店を目指そうと」


 稲森はにこりと微笑む。


「福本さん、この話をどう思いますか?」


「……その、不思議なお話だなぁと。十三氏は、信心深い方だったんだなぁと思います」


「これは全て真実です」


「は?」


「我が八百万百貨店は、以来百五十年にわたり、神々のもとへご入用のものをうかがいに行き、商品をお売りするようになりました」


「あの、仰っている意味が」


「神様をお相手にした外商ですよ? 先ほど、松本くんから外商という商法を聞いたでしょう? いえ、元々は、神様のために行っていた商法を、裕福なお客様にもするようになったというのが正しいのですが」


「…………」


「福本さん、これが我が八百万百貨店最大の秘密となります」


 言葉を失った福子を、松本は気の毒そうな目で見つめている。


「福本くん、こんなことを言われても、にわかには信じられないかもしれません。しかし代表の仰ることは、全て真実です」


「ええ、戸惑ってしまうのは致し方ないでしょう。福本さんには、少しずつ状況に慣れていってもらって、ぜひ、仕事に励んでもらいたい」


 ひたすら絶句していた福子であったが、仕事の一言に目をしばたかせる。


「……あの、仕事って何なのでしょう? その、どうして私に、そんなお話を……なさるの、ですか?」


 稲森と松本が顔を見合わせる。稲森はうほんと、一つ咳払いをした。


「昨日、神様の一柱からご推薦が入りました。福本福子さんを、神様の外商員にするように、と」


「…………は?」


「新入社員の女性が、神様からご推薦をいただくなんて、八百万百貨店はじまって以来の出来事です。たいへん名誉なことです。神様のお求めに応えられるよう、誠心誠意、尽くしてください」


 呆気にとられる福子の肩を、松本が少し自棄になった様子で粗雑に叩く。


「君が、今日から配属される部署は、『七福神ご奉仕部』になります。名前の通り、七福神様をメインターゲットとした外商部となります。これから君には、メインで担当をする神様に、ご用聞きにいってもらいます。それが君の、このデパートに入ってはじめの、仕事です!」


 ◇◆◇


 ――どうしよう。


 外商部専用車の助手席で、福子はもう何度目になるか分からぬ、ため息を吐き出した。


 ハンドルを握りながら、松本は険しい顔をしている。


「シャンとなさい。このお役目につけることは、デパートマンとして非常に、誉れ高いことなのですよ?」


「……はい」


 そうは言っても、神様と言われても困るのだ。


 福子にとっての神様は、こちらの暮らしを見守ってくれる自然の一部のような、悩める人々が作った概念的なもの。神様が品物を欲すると言われても、意味が分からない。それなら、お稲荷様が油揚げを買いに実家の豆腐屋にきたというほうが、まだ現実味がある。


 なんで、私なの?


 自分には霊感もなければ、取り立てて優れたところもない。

 けれど、頑張ることはできるから、どうにか憧れの職業につけた。福子の望みはきらきらとしたデパートのフロアで、素敵な品物をおすすめし、素敵にラッピングして、お客様を笑顔にすることだったはず。


 知らず知らず、ため息がこぼれ落ちる。


 この車だって、私が乗るような車じゃないのに……


 振動の少ない、乗り心地の良い車。自宅のワンボックスカーとは雲泥の差だ。

 外商部専用の車は、車の知識に乏しい福子の目から見ても高そうだった。おそらく、一千万クラスだろう。


 しかし松本から、明日からは自分でこの車を運転し神様のもとを行きなさい、と言われている。福子は先月、運転免許をとったばかりなのだが、他の車ではダメらしい。


「あの、どうして、私が選ばれたんでしょう?」


「神々のお考えなど、私には知りようがありません」


 すがるような気持ちで投げた問いは、すげなく切って捨てられる。しかし、しばらくして、ただ、と松本は再び口を開いた。


「神様のお相手をする外商員は、人間を相手とする外商で、年間売り上げが一定レベルに到達していること、容姿端麗であること、なによりお客様に愛されていることが条件とされています。その厳しい条件に達してはじめて、我々は、大神様に神様の外商員として、出入りをしてよろしいかどうか、お伺いを立てるのです」


「でも、私は」


「代表も仰っていましたが、昨日突然、大神様のほうから要望があったそうです。福本福子を、外商員にしてみてはくれないか、と」


「…………」


「こんなことは前代未聞です」


 松本は頭が痛そうに眉間を揉んでいる。


 神様の気まぐれは福子にとっても災難だが、松本にも大きな心痛を与えているのかもしれない、と彼女は気づいた。


 ――なにも分からないけど、頑張らないといけないのかも。ううん、もうこうなったら、前向きに頑張らないと!


「私が担当する神様とはどのような方なのでしょう?」


 意気込んで聞いてくる福子をちらりと見てから、松本はハンドルを切る。


「福本くんが担当する神様は、この街の七福神様になります。七福神様とは、大黒天様、毘沙門天様、恵比寿天様、寿老人様、福禄寿様、弁財天様、布袋尊様の七柱です。福本くんはお若い方ですが、神様について何かご存じですか?」


「大したことは存じ上げません。実家が豆腐屋を商っている関係で、福禄寿様をお祀りになっている神社には、よく行きますが……」


「おや、奇遇ですね。これからお会いする神様は、福禄寿様ですよ」


「そうなんですか!?」


「まあ、七福神様はとてもメジャーな神様なので、多くの神社仏閣で祀られています。福本くんが通っている神社とは、別の神社かと思いますが」


 全国に神社は何万とある。一柱が一つの神社だけに、祀られているわけではない。あちこちの神社に、同じ神様が祀られている。


 特に、七福神はとてもメジャーな神なので、福禄寿と一口に言っても、実家のそばの神社がこれから向かう場所とは限らないと、松本は言う。


「とても小さなお社なので、福本くんは、知らないかと思います。しかし、とても由緒正しく、重要な神社でして。――七星神社と言うのですが」


 福子は、ぱっと表情を明るくした。


「そ、そこです! 私が通ってる神社は。子供の頃からずっと、ずっと通ってて。え、え、えええ! 私、七星神社の福禄寿様にこれから会うんですか!? ど、ど、どうしよう~」


 パタパタと自分の服装を見直す。

 私は、どんな顔で、どんなことを話せばいいのだろう。子供の頃から、親に言えない悩みを聞いてもらっていた神様だ。ある意味、自分の全てを知っている神様とも言える。


 一番、親しみのある神様の登場に、福子は激しく動揺していた。そんな彼女にとっては衝撃の事実を、松本は冷静に評する。


「ふむ、そのような偶然もあるのですね。都合がいいと考えるべきか。常日頃、通っている神社の神様でしたら、比較的、コミュニケーションも取りやすいでしょう。幸運ですね」


「あっ、そうですね!」


 少しだけ気持ちは軽くなっていた。

 神様の外商員と言われても意味が分からないが、七星神社の福禄寿様がお客様と考えると、わくわくしてくる。


「福禄寿様は、どのような方なのでしょう?」


 楽しそうな福子に、松本は一瞬だけ目をすがめた。その表情は険しく、なにかを案じる色があったが、有頂天となった福子は気づかない。


「……神々のことは、ただの人である僕からは、説明いたしかねます。ご自身の目で見たものが全てだと、思ってください」


 淡々とした返しに、福子は、はい!と元気に応える。


 それが受難の始まりだった。


 ◇◆◇


 七福神の中の一柱、福禄寿神は中国の聖徳人望の神様である。


 真っ白な長い髭をたくわえた、お爺さんの姿をしていて、鶴と亀をお供にしている。それが、一般的に知られている福禄寿神の姿だ。


 福子は今まで、近所の神社の神様の姿を想像したことはない。しかしなんとなく、穏やかな物言いで、優しい眼差しをした仙人のような神様を想像してみる。


「さて、参りましょう」


 松本はパーキングに車を止めると、きびきびとした足取りで七星神社に向かった。

 森に抱かれるように、古ぼけた神社はたたずんでいる。


 松本は神社に入る前に、ネクタイを直し、鏡で身だしなみをチェックする。福子も慌てて上司に倣う。

 親しみのある神社だが、これから神様と話すのである。失礼があってはいけないのだ。


 松本は鳥居の前で、深々と一礼した。


「八百万百貨店の松本です。失礼いたします」


 敬意のこもった声だった。福子は我知らず、背筋が伸びる。


 先頭を歩く男は鳥居をくぐると、極端に参道の右を歩く。


「福本くん。参道の中央は正中といい、神様がお通りになる道です。我々は、なるべく右端か左端を歩くことになっています」


「……そうなんですか。はじめて知りました」


「これは世間でも知られている、参拝のルールです」


 当然のように言われ、福子は今までなにも考えずに歩いていたことを恥じる。


「参拝のルール、覚えます……」


「そのように。くれぐれも失礼がないようにしてください」


 厳しい響きに、福子は首をすくめた。


 そこへ、ころころと笑い声が響き渡る。


「なあに。そこまで堅苦しゅうせんでも、我は怒ったりせんよ?」


 参道の先。おかっぱボブの少女がご本殿の賽銭箱に腰を掛けて、ぶらぶら足を揺らしている。


 福子が昨日会った、得体の知れぬ少女だった。今日もまた、なんてところに座っているのだろう。


「ちょ、ちょっと、あなた!」


 やめさせようと歩みだした福子だったが、松本に肩を掴まれる。


「福本くん、いいんだ」


「でも、あの子、あんなところに座ってっ」


 言いつのった福子の視界に、突然、真っ白なものが過ぎる。


 それは両の羽を大きく広げ、空から舞い降りてきた――鶴だった。


 千年町は東京でもずいぶん鄙びた下町だが、それでもとてもとてもお目にかかれない鳥である。近所の動物園から逃げ出したのだろうか?


 福子が驚いていると、彼女の足下を、何かが通り過ぎる。


「……っ!」


 慌てて見下ろせば、トロンとした眼と目があった。


 ぬぅぅぅと長く長く、首を甲羅から伸ばしている。


 見まごうことなく、亀だった。


 それも背中に人一人乗れそうな、浦島太郎の物語に出てくるような大亀である。これも一体どこから現れたのか。


「な、な、な、なんなの~!!」


「落ち着くのじゃ、福子」


 賽銭箱から飛び降りて、少女は恐慌状態の福子のもとへやってくる。


「うちの神使たちがすまぬなぁ。ほれ、お前たち、福子が目を白黒させておる。少しの間、あっちに行ってたもれ」


 まるで言葉の意味を理解したかのように、鶴と亀が離れていく。呆気にとられながら鶴亀を見送る福子の横から、松本が進み出た。小さな女の子に対して、深々と一礼する。


「福禄寿様、最後にご訪問させていただいたのは、晩秋の折だったでしょうか。たいへん、ご無沙汰しておりました」


「ああ、松本か。本当に、久しぶりじゃ。てっきり我は、忘れられたのかと思ったぞ?」


 子供が持ち得ぬ落ち着いた雰囲気。貫禄のある物言いに、福子はぎょっとする。


「あ、あのっ。この子は一体、なん……」


「福本くんっ」


 松本は福子の言葉を鋭く遮り、小声でささやいた。


「こちらが、福禄寿様です」


「っ……!」


 大きく目を見開く福子に、気持ちはわかるというように松本は目を閉じる。


 ――こ、この小さな女の子が、福禄寿様!? だ、だって、福禄寿ってお爺さんの神様でしょ? か、神様らしさがどこにもないよぉぉぉ。


 福子が内心で絶叫すると、女の子の姿をした福禄寿は、うむうむとうなずいた。


「相変わらず、元気な娘じゃ。そう、もともと我は老人の姿の神だが、いろいろあってのぅ。こんな女童のような姿形になってしもうた。ま、あまり気にするでない」


 心を読んだかのような言葉に、福子はパクパクと口を開閉する。


「こ、この子、私の心を」


「福本くん、福禄寿様だ。口を慎みなさい!」


 松本の厳しい叱責も、福子の耳には入らない。ただひたすら唖然としていると、福禄寿は子供らしくない艶やかな笑みを浮かべた。


「八百万よ。今日こそ、我の願いを叶えてくれるのかのう?」


「精一杯のことをさせていただきます。が、その前に、福禄寿様の新しい担当をつれて参りました。どうやら、ご存じのようでありますが」


 硬い口調の松本とは対照的に、福禄寿は鷹揚に腕を組んで、小首を傾げている。


「ああ、知っておる。まさかのぅ。あの小さかった福子が我の担当となるとは思わんかった。大神も、我の退屈を紛らわせてくれよる」


 福禄寿は一人ごちて、ふいに、福子を真っ直ぐ見つめた。


 黒目がちのつぶらな瞳。けれど、力強いその瞳に、福子は射すくめられる。


「のう、福子? 我には欲しいものがあって、ずっとずっと、八百万に頼んでおるのじゃ。しかし、みな、なかなか良き物を持ってこない。お主、我の願いを叶えてはくれまいか?」


「は、は、はいっ! なんなりとお申しつけください!!」


 福子がしゃっちょこばって応えると、福禄寿は桃色の唇を色鮮やかにほころばせて、それからずっと、福子を悩ませることになる要求を投げかけた。


「我は、『周辺周囲を明るくする灯り』を求めておる。良き物をみつくろっておくれ?」


 ◇◆◇


 灯りと一口に言っても、多種多様なものがある。

 懐中電灯、ローソク、蛍光灯。ランプにしても、ステンドガラスや和紙を使ったものと、様々だ。


「なにが、いいんだろう……」


 八百万百貨店八階、寝具売場。

 昼時のためか、周囲にお客様の姿はない。それを良いことに、福子は売り物のクィーンサイズのベッドに座り、両肘を膝に立てて頭を支え、唸っている。


 今日で出社四日目だった。福子が神様の外商人になるよう命じられて、二日が経った。

 とても福禄寿神に見えない少女の姿の神様の注文を受けてから、福子はそれこそデパート中の灯りを見て回っている。


 しかし、どれもこれもピンとこないし、神様相手になにを持っていったらご満足いただけるか分からない。致命的なのは、福子が福禄寿に具体的にどんな灯りがほしいのか聞きそびれてしまったことである。あのときは気が動転していて、とてもではないが冷静に対応などできなかったのだ。


「前途多難だ」


 福子と同期で入社した者たちは、入社二日目にオリエンテーションで交友を深め、本日は接客や商品知識の研修らしい。楽しそうに会話しているのを、福子は今朝、羨ましい気持ちで眺めていた。


 下町で育った福子は、実家の豆腐屋のお店番は慣れているが、きちんと接客を学んだわけではない。未熟な事この上ないだろうに、この大役。誰かに相談したいのに。


 ――外商部の人間とも顔合わせできずにいた。


 外商部、特に神様の外商員は、個人で動いているため忙しいらしい。松本ともあれっきり会えていない。


『フロアに話は通しておくから、君は、自分が良いと思う商品を探しなさい』


 そう言われて、ポンと放置されている。


 心細かった。


 福子は本日何度目か分からぬため息をつく。すると、後ろから声をかけられた。


「なぁぁぁに、若い子がそんな暗い顔してるのっ。ため息を一つつくと、幸せが芋づる式にどっさり逃げていくわよぉぉ!!」


「は、花枝さんっ!!」


 福子に活を入れたのは、寝具売場の主、寿花枝ことぶきはなえだった。

 ピンと背筋を伸ばした姿が美しい、勤続三十年の大ベテランに、福子はすがるような目を向ける。


「な、なんなの!? その、ポメラニアンの子犬が飼い主を見失って、通りすがりの人間に助けを求めるような目で、私を見ないでちょうだい!!」


「ポ、ポメラニアン!? なんですかっ? その変なたとえは!?」


「昨日、迷子のポメラニアンを保護したのよね~。ツイッターで飼い主探してるから、よかったら拡散してちょうだいよ!」


「え、え、あのっ。私、ツイッターやってないんで!」


「そうなの? 若いくせに、遅れてるわね」


 呆れたように目を細める花枝は、それで? と、話を戻した。


「エリート外商部に大抜擢されたというのに、どうして、そんなに暗い顔をしているの? 誰かに、いじめられた?」


「へ?」


「あら、やーだ。私の早とちり?」


 花枝は右手をパタパタさせる。


「だってね~、外商部なんてエリート中のエリートが集まる男社会じゃない? 入社二日目、それもこんな若い女の子が抜擢なんて、嫉妬でグルグルしちゃって剣突を食わせていく男性がいても、おかしくないかもって思って?」


「なんですか、それ!!」


「私の妄想? 昨日は、男の嫉妬渦巻く二時間ドラマをどっぷり観ていたから?」


「…………」


 福子は何も言えず、花枝を見つめる他なかった。

 御年五十六歳。福子より年上の子供を三人も育て上げた花枝は、チョコレートブラウンに染めた長い髪を、品よくまとめ上げている。


 ブラウスから覗くネックレスは、シェルカメオ。

 日本で一般的に流通しているカメオはギリシャ神話の神をモチーフにしていることが多いが、彼女のカメオは花をモチーフにしている。普通のカメオよりも立体的で、イタリアを旅行したときに買い求めたそうだ。


 外見は非常に上品なのに、流行に敏感で、テレビが大好きでバイタリティに溢れた人である。


 私のお母さんと、そんなに変わらない歳なのに。デパート販売員さんって、若々しい人が多いのかな。

 そんなことを考えていた福子は、茶目っ気のあるこげ茶の瞳に心配そうな色を見つける。


「……外商部の人たちは、忙しくて、私に構う余裕はないみたいです」


「ああ、そうかもねぇ。外商部の売り上げが落ちたら、うちのデパートも傾きかねないものねぇ」


「か、傾くって、そんな大袈裟な……!」


 花枝は静かに首を振る。


「外商部の顧客は、少なくとも年間で百万円以上を使われる上顧客です。少なくとも、よ? お客様によっては、何千万と買ってくださる方もいらっしゃいます。そもそも、取り扱っている品物が、宝石やブランド物のバックなんて可愛いもので、お客様が求めれば、家とかあるからね~」


「家!?」


「そうよ~ それに、今は昔と違うでしょう? 洋服一つ取っても、安価でそこそこ品質の保証された商品が、インターネットやアウトレットで買えてしまうから。一般のお客様の足がずいぶん遠のいてしまった。今日も、このフロアは閑古鳥が鳴いてるでしょう? 外商員がポカをしたら、デパートの存続に関わる状況なのよ~」


「…………デパートの存続」


 神妙な顔で固まる福子を、花枝はじぃっと見つめ、おかしそうに笑った。


「なーんてっ。脅かしすぎちゃったかしら。冗談よ、冗談!」


「え、ええええええぇぇ。嘘なんですかっ!?」


「入社して数日の女の子の肩に、デパートの存続なんて重い物がのっかってるわけないでしょう? そういうのは、外商部のすごい先輩たちが担ってくれるから、あなたは、少しずつ仕事を覚えていけばいいのよ!」


 ――そうは言うけれど、と福子は思う。


 花枝は知らない。福子が相手にしているお客様が神様だということを。

 神様の外商員のことは、八百万百貨店のトップシークレット。外商部の人間でさえ、神様を担当していない者には知らされないらしい。だから、福子は誰にも相談できず、一人、こう悩んでいた。


 上流層のお客様をお相手にするのも恐いけれど、同じ人間だ。しかし、神様相手に粗相をしたら、天罰が下ってしまうかもしれない、と。

 ずーん、と沈み込んでしまった福子に、花枝は気遣わしげな眼差しを向ける。


「ほーらっ、暗くならない! 今日はお客様も少ないし、私が商品の相談にのってあげるわ。特別よ?」


「ほ、本当ですか! 助かります!!」


「ええ。それで、お客様はどんな方で、どんなものをお求めなのかしら?」


「それは……」


 福子は目を泳がせ、しばし、考える。


「えーっと! わ、和風のお住まいに暮らしている、とても若く見えるんですが、えーと、ご年配の方で、灯りが欲しいと仰っています。で、でも、どんな灯りが欲しいかは具体的に知らされてないような感じです!! すみません!」


 曖昧なことしか言えない福子に、しかし、花枝は大らかな笑顔を返した。


「仕方ないわね~ でも大丈夫! お客様がびっくりするような、良い商品を探しましょう!!」


「はい!!!」


 その後、二人は就業時間いっぱいまで、百貨店中の灯りを見て回る。

 花枝はインテリアのカタログをたくさん福子に見せ、販売員としての知識を惜しげもなく与えてくれた。


 福子は午後八時過ぎに家に帰り、母親に急かされながら晩ご飯をすませる。

 晩ご飯は、豚の角煮と菜の花のからし和えだった。


 お腹がぺこぺこだったのと、角煮が美味しすぎてご飯を三杯もおかわりしてしまった。その後、大急ぎでお風呂に入る。和室のちゃぶ台で髪の毛を拭きながら、花枝に今日教わったことをノートに書き留める。


 疲れていたらしく、福子はいつの間にか眠ってしまっていた。


 ベッドには、弟の陸が運んでくれたらしい。朝起きると髪の毛が爆発していて、福子は悲鳴をあげたのだった。


 ◇◆◇


 福子は八百万百貨店に出社するなり、外商用の車の後ろに花枝と選んだ商品を積んだ。


「花枝さんっ。じゃあ、いってきます!!」


「はいはい。頑張ってらっしゃい~」


 午前九時。福子は花枝に見送られて、車を発進された。

 この車、運転したくないんだけど。


 傷一つないピカピカの高級車。正直、福子は電車で向かいたかったが、商品の量と質を考えて諦めた。


 下町の細い道をぐねぐねと、ぐねぐねと。車体をぶつけないようにして走らせる。途中ひやりとした場面もあったが、なんとか、七星神社についた。


「がんばろう!」


 運転ですでにぐったりしながらも、後部座席に鎮座する風呂敷包み四つを台車に載せる。


 と、ふいに。


「……福ちゃん?」


 名を呼ばれて顔をあげると、腰を曲げたエプロン姿のおばあさんと目があった。


「お春おばあちゃん!」


 福子の家の近所にある煎餅屋のお春おばあちゃんだった。


「こんな時間にどぉうしたのぉ。おやおやまぁ、そんな立派な服を着て。七星さんのお水をいただきにきたのぉ?」


 ゆったりとした、独特のテンポで話すお春おばあちゃんに、福子はなんと説明したものかと一瞬、悩む。


 まさか七星神社の福禄寿神様に、品物を売りに来たなどと言えるわけがない。


「えーとぉぉ。私、八百万百貨店に入社して、営業みたいな部署に配属されたの。それで宮司さんに会いに来たんだ。服は普通にリクルートスーツだよ?」


「うんうん。よぉわからんけど、えらいなあ。えらいえらい。――福ちゃん、今日は、どうしてこんなところに、いるのぉ?」


「…………えーと。だから」


「ああ。お父さんに頼まれてぇ、七星さんのお水をいただきにきたのぉ?」


「――うんそうなの! お水をもらいにきたんだっ。お春おばあちゃんは、お店あけてて大丈夫?」


 八十歳を超えているお春おばあちゃんは、少しボケている。けれど、毎日、お店にでてきて、お煎餅を焼いている。


 開店時間の十時を過ぎているのに、ここにいるのは少し変だった。

 福子の問いかけに、お春おばあちゃんは梅干しみたいに顔を歪めてから、晴れた空を見上げた。


「今日は、いいお天気だから、お散歩が気持ちよくてねぇぇ。でもぉ、帰るよ……」


「? はーい。お春おばあちゃん、またね」


 ゆらゆら、と。よちよち、と。


 帰っていくお春おばあちゃんの丸い背中を見送ると、福子は自分の洋服の乱れを整えた。


 これから神様に会うのだ。粗相がないようにしなければ!


 石畳の参道をなるべく音を立てないようにして台車を押す。突如、物陰から大亀がのそりと出てきた。


「こんにちは。福禄寿さまは、ご在宅、でしょうか?」


「…………」


「ご、ご在宅ではないのでしょうか?」


 トロンとした深緑の眼が、福子を無言で見ている。見ている。見ている。

 しばしそのまま見つめあっていると、バサバサと後ろで羽音がし、福子は飛び上がった。


 白鶴である。


 真っ昼間の境内に、大亀と白鶴と、デパート新入社員。

 こ、こんな光景を、近所の人に見られたら、なんて言おう。


 しかし悲しいかな。いや幸いとでもいうべきか。人気のない境内では、そんな心配はいらないとでもいうように、白鶴は優雅な足取りで歩み、福子のそばで一度止まる。


「クルゥッ、クルゥッ……」


「ひぃぃ! ごめんなさい!?」


「? クルゥッ、クカカカカ!」


 もしかすると、来い、と言っているのかもしれない。


 これぞ鶴の一声か、とよく分からないことを考えながら、福子は鶴の後についてゆく。二人の後に、大亀がゆったりのそのそと続く。


 鶴亀に挟まれて歩む福子は、逃げ帰りたいような気持ちになった。


「おお、福子っ。待っておったぞ!」


 だから、笑顔満開の福禄寿に出迎えられて、福子は大きく息を吐き出した。


「お邪魔しております。福禄寿さま!!」


「堅苦しゅうしなくて良い。我と福子の間柄ではないか」


 優しい言葉に涙が出そうだった。


 そうだ。この神社は生まれたときからずっと通っていた、私には家のようなところ。

 ……怖がらなくてもいいのだ。


「福禄寿さま、ありがとうございます! ご所望の灯りをお持ちしましたので、ご覧ください」


 気持ちはすっかり落ち着いていた。


 福子は、よく見知った本殿の階に、台車の風呂敷を移動させる。


 朱、黄緑、紫紺、桃色。


 色とりどりの風呂敷の結び目を、一つ、一つほどいてゆく。露わとなった箱から、福子は花枝と二人で選び抜いた灯りを取り出す。


 ――花枝さん、ありがとうございます。


 海外旅行が趣味のベテラン店員は、物を見る目も知識も確かだった。灯りを作った人の情熱や歴史を、彼女は福子に面白おかしく教授してくれたのだ。


 そのときのことを思い出しながら、福子は丁寧に、一点、一点、灯りを並べていく。そして、福禄寿に向き直った。


「お待たせしました。本日、お持ちしたのは、こちらの四点になります。気になる灯りがありましたら、ご説明させていただきま……」


 言葉が途切れた。


 そこで福子は初めて、見た目は少女の福禄寿が、非常に険しい顔をしていることに気づいたのである。


「福禄寿さま、どうかされましたか? すみません、私、なにか粗相をいたしましたでしょうか?」


「……粗相も、なにも」


 福禄寿は花弁のような小さな唇を一文字にして、ふーと、勢いよく鼻から息を吐き出した。四点の商品に近づく。


「これでは、ないのう。これも、違うっ。なんじゃこれは! ぜんぜん違うのじゃ~!!」


 福禄寿は、福子と花枝が時間をかけて選び抜いた品物をあっさりと拒絶した。福子の頬がひくりと動く。


「も、申し訳ありません、お気に召しませんでしたか」


「うむ、ぜんぜん違う。だめだめじゃ!!」


「し、しかしっ! その、こちらはとても良いお品ですよ? これなど、十八世紀の一点物でして、ステンドガラスが優しく光を……」


「知らんのじゃ」


「で、ではこちらはっ。人間国宝の紙すき職人による和紙が張られておりまして……」


「知らん。持って帰ってたも」


 ――こ、このわがまま娘っ! ちゃんと商品を見もしないで、神様なのに、なんて子供なの!?


 福子は心の中で、毒づいた。


 心の中で、だ。しかし……


「なんじゃ、福子! 神である我に意見するというのか!?」


 火がつかんばかりのまなざしで睨まれて福子は思わず自分の口を両手でふさいだ。


 そうだっ。この子は、人の心を読むんだった……!


「福子、想ったことは自分の口で言うが良い! 他にも言いたいことがあるのじゃろう? 不満と顔に書いておるぞ?」


「………………」


 福子は何も言えなかった。


 なぜならば、福禄寿のつぶらな瞳から涙が溢れてきたからである。


 ぽろぽろと、ぽろぽろと。大粒の涙が地面に落ちる。


「あの……も、申し訳……」


「っ……我は!」


 緋色の袖で涙を拭い、福禄寿は屹然と言った。


「我はこのような見た目でも、神で客じゃ。お主は、我を喜ばすことが仕事じゃ。我が気に入らぬと言ったら、気に入らぬのじゃ! 福子、持って帰ってたも!!」


 地団太を踏んで怒鳴る姿は、感情的で子供っぽい。しかし、福子は福禄寿の深い哀切のようなものを感じたのだった。



―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―



――この続きは本編で!


『やおよろず百貨店の祝福 神さまが求めた“灯り”の謎』(著:本葉かのこ/イラスト:山崎零)は、富士見L文庫より、6月15日発売予定です。


※この試し読みは制作中のものです。実際の刊行物では加筆修正される場合があります。

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やおよろず百貨店の祝福 本葉かのこ/富士見L文庫 @lbunko

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