第46話 Last Episode

「おはようございます」

「おはよう。今日はカットデビュー前日だからね! 明日に向けてがんばって」


 店長が意気揚々と話しかけてくる。


「はい」


 響子が来るまでは通常業務をこなし、いよいよ、21時が迫ってくる。20時で閉店なので店長は先に帰宅すると鍵を朱里に預けた。朱里は、緊張と高揚感で一人で鏡の前に立ち、あの鋏を磨きニタニタとした。


「こんばんは」


 響子が入口から笑顔で現れた。数ヶ月前と変わらず相変わらず黒髪のロングヘアー。


「こんばんは」


 朱里は、涎がたれそうになりながら笑顔を浮かべた。


「お待ちしておりました」


 閉店時間を超えているので朱里は入口のドアを閉め看板を閉店にした。荷物を預かるとすぐにシャンプー台に直行した。


「シャンプー良い香り〜!」


 響子は嬉しそうだ。


「美容院のシャンプーっていいもの使ってるものね」

「店頭で販売してるよ」


 シャンプーを終えるといよいよ席へと案内しドライヤーをかけた。


「どんな髪型にする?」

「今日は思い切ってボブで」

「えっ? 予想外に短いね!」

「たまには、いいかなと思って。今度はカラーとトリートメントもお願いします」


 朱里は満面の笑みで答えた。


「次回の御来店もお待ちしてます」


 髪をピンで留めていき、ウォータースプレーをかけると鋏を取り出した。昨日、血で汚れてしまったので、丁寧に磨いたこの鋏。


「へぇ……そんな可愛い鋏あるんだね」

「ステンレス製で切れ味が良くて錆びにくいって言うので新調したんだ。じゃあ、後ろの長さ……このくらい?」


 肩すれすれを指で押さえる。


「それだと跳ねないかな?」

「じゃあ、肩より少し下で」

「お願いします」


 チョキン。鋏が入った瞬間、朱里の意識は鋏に統一された。


「嬉しいなぁ。朱里、小学生のときから美容師になりたいって言ってたよね。夢を叶えるなんて……。すごい」

「ピアノの先生もすごいよ」

「私は、プロは諦めたから」

「そう……大学で頑張っていたらプロになれたかもしれなかったのにね」


 皮肉めいた口調に響子の顔が強張った。


「怒ってるの? 朱里の元カレのこと。」


 正面を向いたまま顔を上げない響子の顔を朱里は鏡越しで見つめた。


「怒ってないよ。本当に別れる直前だったしね」

「ろくでもない男だったしね……私も、騙されたわ」


 オコッテナイヨ。オコッテナイヨ。オコッテナイヨ。オコッテナイヨ。オコッテナイヨ。


 チョキチョキと美容院に鋏の音が響く。その時、響子が「痛っ!」と声を上げた。耳の後ろが少し切れて血が出ている。


「ごめんね! 大丈夫?」


 慌ててタオルで抑えた。


「痛い〜! これじゃ明日カットデビューなんて無理じゃない? 朱里、集中してた? ちゃんと髪を見ながら話さないと危ないよ! 聞いてる? 大丈夫? 気をつけてよ!」

「オコッテナイヨ」

「へ?」

「響子が私の元彼取ったことオコッテナイヨ」

「それは、もう聞いたよ!」

「響子のことオコッテナイヨ。オコッテナイヨ」

「は?」

「オコッテナイヨ。オコッテナイヨ」


 響子が青ざめた顔して立ち上がろうとした瞬間、頬に何かがズブリと突き刺さった。頬を貫通して口内に鋏が突き刺さった姿が鏡に映る。


「オコッテナイヨ。オコッテナイヨ」


 響子は痛みのあまり悲鳴もあげられず椅子の上でブルブルと震え、椅子から転がり落ちた。


「オコッテナイヨ。オコッテナイヨ」


 朱里は鋏を持ちニコニコと立っている。響子はよろけながらも四つん這いから立ち上がり、店舗の入口に駆け出した。


「オコッテナイヨ。オコッテナイヨ」


 入口は鍵が掛けられていた。響子に絶望が襲う。声を上げて、助けを求めたいが顔を切られた痛みと恐怖心のあまり声も出ない。振り返ると、鋏を持った朱里が笑いながら立っていた。響子は即座に鞄に向かって駆け出した。受付の奥の棚に自分のブランド物のバッグが掛けられている。


「オコッテナイヨ。オコッテナイヨ」


 朱里は、ゆっくりと響子に歩み寄る。響子がバッグからスマホを取り出した瞬間、手に鋏が貫通しスマホまで鋏の刃が当たった。


「は……ぁぁぁっ!」


 激痛のあまり腹の底から掠れた悲鳴が出た。スマホを手から落とし、響子は再び床に倒れ込んだ。恐怖と痛みとパニックで涙も出ない。上を見上げると朱里は笑顔で繰り返していた。


 オコッテナイヨ。オコッテナイヨ。オコッテナイヨ。オコッテナイヨ。オコッテナイヨ。オコッテナイヨ……オコッテナイ……ヨ……オコッテナ……イヨ……


* * * * * 


 翌日、全国ニュースで美容院での惨劇が報道された。


「えっ! この店知ってる! 宝生駅の近くの美容院じゃない?」

あおい洸希こうきに向かって興奮して話しかけた。


「あ……そうだね。橋の先にある美容院だ」

「鋏で殺人……? 怖っ。そういえば、先月もあったよね? 鋏の殺人事件」

「あぁ……奥さんがご主人を鋏で滅多刺しにした殺人事件だね」

「模倣犯かしら? でも、鋏でってねぇ……。怖すぎる」

「模倣犯じゃないだろ? 先月の事件は奥さんが鋏のコレクターだったから」

「鋏のコレクター?」

「鋏って、けっこうアンティーク物が重宝されてるし、コレクターもいるんだよ」

「詳しいのね」

「アンティークの鋏、店にもあるよ。新品の兎のアンティーク鋏。蒼には、絶対売らないけどね」




                了

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