心ノ在リ処ト拠リ処 ―ココロノアリカトヨリドコロ―
梓条凱斗
序章 激情
第1話 その炎の名は
暗がりを照らす炎が、辺りの光景を見せつけた――。
その光景を目の当たりにした少年の頬に涙が伝う。
安らぎを与えてくれるはずの家屋は轟々と燃え上がり、花々が咲き誇り美しかった村の様子は見る影もない。それらを作りあげ、守ってきた村の住民に兵士たちは倒れたまま起き上がる気配がない――そして、その中には少年の母親の姿もある。
まだ9歳だった少年が何もかもを一瞬で理解できるわけもなく、理解しようと必死に頭を働かせても、溢れる涙がその行為の邪魔をする。
そして少年も湧き上がる感情に抵抗しようとはせず、心の底から溢れ出る『悲しさ』に身を任せ、ただ泣いていた。
――だが、涙はやがて枯れる。
悲しさが治まったわけではなく、ただ涙が枯れ無くなった分だけ、少しだけだけれど落ち着きを取り戻した。
そして少年は思い出す。目の前に広がる惨状を生み出した『天使』が放った言葉を。
「この炎の名は"祝福"! 貴様らは、この世界に
少年の丸めた拳が握る力を強め、手のひらに血がにじむ。
ギシギシと音を立てるほどに食い縛った歯が――そしてその表情が、少年の怒りを物語っている。まだこの場に天使が残っていたのなら、すぐさま立ち上がり、無駄になろうとも自身の怒りをぶつけていただろう。
少年は少しだけ息を吐き全身の力を緩める。
「っふぅ…………っ!」
――次の瞬間、少年は顔を歪めていた。自身の胸の内に抱いた感情に気付き、理由を悟った。
それは安堵――――無駄に突撃して死ななくてよかった、自分は助かってよかった、そう思ってしまったのだ。
自分だけしか助かっていないのに――。
心の中でそう呟いた少年が次に抱いた想いは、後悔や自責の念などではなく、自身の存在に対する
少年は大好きだった、誇りに思っていた自分の母親の姿に目を向ける。
炎を浴び、ところどころ焼け焦げた肌、切り落とされ片腕がなくなっている――その無残な母親の姿を見て、また悲しさがこみ上げてくる。
少年はこみ上げる涙を堪え、母親に愛され守られた自分を『心』で見る。
臆病で貧弱な自分の姿。
まだ九歳なのだから当然といえば当然――だが少年は、それでよし、とはできなかった。
そうして見た自分の姿は、
その後も自身の否定を繰り返し行い――やがて行き着くその先は、自分という存在の拒絶。
少年は落ちている剣に手を伸ばす。その剣を拾い上げ、自身の心臓に刃を突き立て、自身の生を終わらせるために。
最愛の母が待つ場所へと辿り着くために――。
だが、最低の愚行とも呼べるその行動が最後まで行われることはなかった。
少年の手首を掴む一つの手。
冷たくとも暖かい、強くとも優しく握られた母の手が少年の動きを止めた。
「だめよ"アリア"。死んではだめ。強く生きなさい」
精一杯、力強く語りかけ、優しく微笑みその言葉を息子、『アリア』に投げかける。
アリアは泣いている。
枯れて止まっていたはずの涙が勢いを増して、また頬を伝い地に落ちる――アリアは胸の内の想いを母に向かって叫び、嘆き、精一杯伝えようとしている。
返事はない。
だが返事がないことなど構わなかった。吐き出せる想いを伝えられるのは今が最後――それを自然と悟ったアリアは構わず母に向かって話し続けた。
死なないで、ずっと一緒にいて――――お母さん、大好きだよ。
彼女はアリアの言葉を聞いて、涙を流す。その口元には悔しさを滲ませながら。
できることなら自身に投げ掛けられた言葉通り、息子といつまでも一緒にいてあげたい。
だけど、それができないということを彼女が一番理解できている。
死ぬのは怖い。
死にたくない。
なにより、アリア一人だけ残して旅立つことが、どうしよもないほどに胸を締め付ける。
だけど、その想いがアリアに伝わらないよう精一杯、微笑むと願った。
どうかアリアが笑っていられますように――と。
時間は進み、再度アリアの涙が止まる。
微笑む母の亡骸に、精一杯の笑みを返すとアリアはゆっくりと立ち上がった。
アリアは地面に落ちている、先ほどは拾えなかった剣に手を伸ばす。
柄を握り、鞘に納め、腰にかける――アリアの表情を含むその一連の動作には強い覚悟が宿っていた。
(なにが祝福……炎にくべられた薪の名は《僕たちのささやかな幸せ》、炎の名は《それを奪い去った邪悪》だ)
アリアの心に火が灯る。アリア自身すら気づかずに燃ゆるその火は、いずれ星ごと呑み込む
今はまだ小さく静かに燃えるその炎の名は――――。
「アリア起きてください、時間ですよ。アリア」
肩が揺すられ、声をかけられたアリアはゆっくりと意識を覚醒させていく。
――嫌な夢を見た。
はっきりしていく意識の中でアリアはそう思ったが、目の前にいる、つまりは自分を起こしてくれた少女に、無駄な心配をかけたくないと夢の記憶に蓋をした。
そして、空になった頭の中を別の記憶で補填するように、眠りにつく前に交わした彼女との約束を思い出す。とは言っても「一時間たったら起こしてくれ」というアリアからの一方的なお願いなのだが。
太陽が天辺の時に眠りについたが、今は少しだけ西へ傾いている。
空の様子を確認して、彼女に感謝の念を抱く。
どうやら、きっかり一時間で起こしてくれたようだ。
心地よく降り注ぐ太陽の光、寝床にしていた丘の上に訪れる
顔がほころんだことを確認して安心する。
これで彼女に嫌な夢を見ていたことを悟られずに済む、と。
「おはようございます。ずいぶんうなされていましたけど、大丈夫ですか?」
盲点――はたまた納得、でもあった。
嫌な夢を見ている人がうなされる、よくあることだ。起きて早々、冷静に対処したと思ってはいたが、こんな簡単なことに気付けなかったのだ。全然、冷静ではなかった、ということなのだろう。
そう考えながらアリアは彼女に目を向ける。
彼女は清浄な泉を思わせる透き通った水色の髪を、風で煽られないよう手で押さえながら、覗き込むようにしてアリアを見つめていた。
優しく微笑む彼女につられて、アリアも微笑みを浮かべる。
「おはよう、ウニ。少し昔の夢を見てただけだよ。大丈夫だ」
彼女の呼び名は『ウニ』、本名はウユニス・クリア・ウィンディーネ。
とは言っても彼女のことをウニと呼ぶのは現在、アリアを含めて二人しかいないのだが。
起こしてくれた礼を彼女に軽くしてから跳ねるようにして立ち上がると、座っている彼女に手を差し出す。
すぐさま理解を示したウニは嬉しそうにアリアの手を取り、引かれながら立ち上がる。
「おっ、と」
勢いよく引き上げすぎたのか、アリアはよろけて前に倒れそうになる彼女を抱きしめるようにして支える。
アリアは軽く謝罪の言葉を口にしながら彼女の肩を押し、離れようとしたが――――離れられなかった。
ウニの両手がアリアの背に回り、その背を掴んで離さなかったからだ。
自分の胸の中で嬉しそうにしている少女を無理やり引きはがすのは申し訳ないし、しない方がいいだろう、多少の気恥ずかしさはあるものの、そう結論付けたアリアは彼女の方から離れてくれるのを待つことにした。
それから五分、十分と経ったがウニはまだ離れていない。
それどころか背中を包み込むその腕は、抱きつく力を強めている。
「あの……ウニさん? そろそろ離れてほしいんだけど……」
「……もう少しだけ、だめでしょうか?」
「…………はぁ」
アリアはもう少しくらいなら良いかと軽くため息を吐いてウニの背中に手を回す。言葉の代わりに行動で返事をした、というだけなのだが。
不安げな表情を浮かべていたウニはすぐさま表情を、幸せ一杯の満面の笑みに変え、さらに抱きつく力を強めた。
先を急いではいるのだが五分、十分というスパンの話ではないし、彼女の過去を知るものとして彼女のすることに対して、できる限り否定的な態度はとりたくなかった。
そして何よりも可愛い、と思ってしまったのだ――別に悪いことではないのだが。
もしかすると理由はこちらだけで十分かもしれない。
そんなことを思い浮かべながら二人は昼間の屋外にて、身を寄せ合っていた。
「ははっ、お二人とも起きて早々に熱々なのは微笑ましい限りでござるが、時と場所を選んではいかがかな」
突然の声にアリアは驚き、体が跳ねる。
そしてアリアはすぐさま抱きしめていた両手を離した……が、依然ウニの両手はアリアを抱きしめたままだ。
ウニはアリアの両手が自分から離れたことを残念そうにした後、原因である声の主を睨みつけ、少し威圧を込めた口調で話す。
「ご忠告痛み入ります。ですが、時も場所も私のアリアに対する想いの前では些細な……いいえ、無いといってもいい問題ですのでお気になさらず。それに、アリアの許可は得ています」
邪魔をするな、という意思と彼女の怒りを向けられた彼は、その彼女の思いを正確に理解していた。
だが、その威圧を込めて送られた視線に怯むことはなく、逆に少し愉快に思いながら言葉を続ける。
「それは失礼なことを致した。ではウニ殿、アリア殿に進言する許可をいただけますかな?」
「…………それは私に聞く必要はありません。」
ウニは少し悔しそうな表情を浮かべながら、そう返事をして名残惜しむようにアリアから離れようとする。
アリアは気遣いのできる男だった。
一度は離した自身の両手でもう一度ウニを抱き寄せると、嬉しくも戸惑いをみせる彼女に笑いかける。
「この体勢でも話ならできる。このまま話して大丈夫か?」
「はい!」
喜びの開放、幸せいっぱいの笑顔がアリアに向かって放たれる。
言ってしまえばこの程度のことで、ここまで喜んでくれたのだから、甲斐はあったとアリアは素直にそう思った。
「はぁ……。相変わらずアリア殿はウニ殿に甘いでござるな。まあ気持ちは分かるでござるが……」
「分かってるなら言わなくていい。そっとしておいてくれ……」
正直恥ずかしい――見知った顔といえど第三者に見られている状況で抱き合うだけならともかく、その第三者である彼と話をしている。
自身に襲い来る恥ずかしさを必死に抑え込み、できる限り平静を装って続ける。
「と、とこ
全然だめだった。
「そんなに恥ずかしいなら、やめればいいと思うでござるが…」
もっともである。
ただ自分で招いた状況なのだ、ここでやめれば男が廃る――そんな気がしたアリアは深呼吸をして恥ずかしさの方を制しにかかった。
「そ、それでセキエン。進言ってなんだ?」
紅く染まる鎧、黄金色に輝く二本の角のような前立て、顔を覆い隠す漆黒の鬼面。
ヒテンという国の戦装束、甲冑を身に
「先ほど、南西の方角にて戦闘の気配を確認しました。いかがされますか?」
「……天使か?」
「いえ。正確にはわかりませんが、おそらく我々と同じく『魔族』によるものかと……」
アリアは少しだけ思案し、息を吐く。
「行こう。戦闘になる可能性を考慮して準備を。セキエン案内を頼む」
「御意」
アリアとウニは寄せていた身を互いに離し、ゆるんでいた表情を引き締め直す。
そして準備を済ませた三人はセキエンの案内の元、目的地に向かって歩き出した――――。
天使は天界より舞い降り地上に立ち、生きる悪魔を滅ぼさんと攻めたてる――もう一方の天使は天界より地上に堕とされ悪魔となり、生き抜くために自身の身を守った。
天上にて始まった争いが地上で生きるものを巻き込み、こうして百年前より始まった戦争は、今に至るまで続いている。
衰えることなく拡大を続けるその戦火は、やがて一部から全土へ。
人や犬、エルフやゴブリン、かつて種族を分けていた名称も今では残りはすれど大した意味はなく、天使の味方か、悪魔の味方か、その二つに一つであった。
天使の守護領域にて加護を受ける者は『
両者ともに、かつての平和な世界を憂うことはせず、使族は魔族の滅亡を、魔族は戦争の終結を願って、朝の目覚めを待つばかり――。
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