応援コメント

ファンタジー世界の宿屋を考える」への応援コメント

  • ローマ時代の制度など、とても勉強になりました! 情報量が凄い。

    ダンジョン近くの宿屋であっても、生き残る冒険者は、賃貸に移る・・・なるほど!

    なんか、宿屋に泊まるたびに、「◯日以内に生還しない場合、持ち物は・・・」みたいな書類にサインしていたら、ちょっと気が滅入ります。でも物語にリアリティを与えられて良いかもしれませんね。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。

     むしろ宿屋自身が客である冒険者の荷物を盗んで着服するというのもありうるでしょう。
     アジアでも欧州でも海賊は実は他所の国のカタギの農民や漁民であり、何らかの理由で食っていけなくなったから他所の土地を襲うというパターンがかなりみられますし、同じように旅人に宿を提供するとみせかけてそのまま・・・というパターンも多くみられます。後者のパターンは町や村といった人里から離れた一軒家に住んでいる住民がやりやすいようですね。
     そしてそうだからこそ人里から離れて暮らす人々は人里で暮らす人々から差別を受けやすくなったりもします。

     参考にしていただければ幸いです。
     これからもどうぞよろしくお願いします。

  • 全くご指摘の通りだと思います。
    旅行業の成り立ちや、そもそも領民として土地に縛られる立場を考慮するならば、宿屋はその存在の必然性を提示しなければいけないと思います。

    たとえナーロッパだろうと、その文化圏は半分以上自給自足をはみ出してないと仮定するならば、収容魔法と通信魔法は絶対に必要な条件ですね。

    あとは魔石という基軸通貨を考慮すれば、冒険者と宿屋の両立が可能かもしれません。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。

     おそらくゲームの都合であるのが普通になってしまった中世の宿屋ですが、現代のなろう系ラノベの中には宿屋が存在しないものもいくつかあります。
     旅する主人公が野宿を繰り返さざるを得なかったり、移り住んだ先の寒村で空いているボロ屋を融通してもらったり・・・そういうのは意外と考えられているなと感心させられたりもしますね。

     宿屋がある作品でも、「これなら宿屋があってもおかしくないか」と思えるような世界だったりもするので、ナーロッパと宿屋の存在が絶対に両立しないというわけではもちろんありません。

     要は、その社会の経済と文化がどうなっているかですからね。

     これからもどうぞよろしくお願いします。

  • 西洋風ファンタジーは多分東海道五十三次的な旅籠屋を連想しているのではないかと。
    旅人は草枕、馬糞臭い馬小屋、顔見知りなら玄関口などに寝泊まりもしたと、どこかで読んだような。
    あと江戸後期ならば、"|東講《あずまこう》"という寄り合い組織(商人ギルド)が安全な宿屋を教えてくれたそうです。日本は平和だなあ。
    木賃宿は、雑魚寝の宿泊施設ですね。
    安い反面、盗みなども横行しており、泊まるのやだなあと思わざるを得ない面も。
    拙作『きつねっこの恩返し』の中盤で、行商人のアレコレを書いたので、よろしければざっと目を通してもらえればと宣伝するものでありますごめんなさい。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。

     西洋は鉄道の普及によって旅行文化が生まれたのに比べ、ろくな公共交通機関も無いのに旅行文化が生まれた江戸時代の日本はかなり稀有な存在だったと言えます。
     その原因となった参勤交代って、調べれば調べるほどとてつもない影響を日本の発展に齎していますね。

     今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

  • ナーロッパ(なろう小説的ヨーロッパ)では「なぜだか分からないけれど」「市民や冒険者の方が力を持っていそうだけれど」総じて封建社会が成立しています。
    なぜかめっちゃ公爵大好きです。
    ノルマンディーの語呂は私も好きです(関係ない)
    だから、反乱一発で覆りそうだけど貴族による統治が多く見られます。

    あえてその拙さをスルーして考えられるなら、こういう仮説が私の中で生まれました。
    もしかしたら、ファンタジーの宿屋は、国もしくは貴族の運営している国営施設なのでは、と。営利目的外の。
    ナーロッパには狩っても狩ってもなぜか分からないけれど『魔物』が出現します。
    それに困った領主様は「ほとんど誰も来ないけど」「まぁ領民は反乱とかせずに何かよく分からない作物作っているけれど」「畑仕事しか知らないだろうけれど」取り敢えず、冒険者を誘致するための施設を作ろう。そう考えたのではないでしょうか。
    つまり、どこに行っても狙ったように宿屋が潰れず存在するのは、あれは宿屋ではなく『冒険者専用おもてなしの館』という理由であるという風に私は解釈します。

    それであれば、宿屋のおっちゃんの態度が悪いことが多いのも、“接客”という概念を知らないだけであり、とりあえず領主に言われた課題だからやっている。
    そしてその課題というのも、労働地代的な役割を持っていたのだと推察します。


    特に議論がしたいわけでもないですが、作者様の文を見て、自分の思ったことをそのまま書いておきたいな、という文でした。失礼。
    大変興味深い考察の数々。
    ネット小説ばかりを読んでいるとそこら辺の認識がフワフワとして来てしまうので,このように“理”を前面に出した作品は個人的にとてもありがたい。
    ただ、ファンタジックな空想だけで生きてきた人間は主張します。

    「え、でも、宇宙が違えば、理論も何もかも違うんだよ?知らないの?」と。
    (宇宙多元論大好き信者)
    実際私はこの確認することもできない、確かめ方も曖昧な理論に縋り付いて、今日も“理”をチロチロ見ながら、ネット小説を読んでいきます。
    ついでに耳も塞いで。

    総評『炎に水はあまり効かないが、幻想に理論は大ダメージ』

    これからも様々な“理”を展開していってください。
    その教えはきっとこれから文章を書いていく世代にきっと役立つ、私はそう思います。


    作者からの返信

    コメントありがとうございます。励みになります。

    私自身もファンタジー小説は書いてますし、他のファンタジー作品を取り立てて否定するつもりはありません。
    気を抜いて心を自由に遊ばせることこそ、ファンタジーの本質だと思っているので、現実や理屈というものは本来なら棚の上にでも置いておくのがあるべき姿なのでしょう。

    ただ、それだけだとだいたいみんな同じような似通った世界観の作品ばかりになってしまう。
    それはそれで面白くないので、他の作者各位が自分の世界を構築していくための一つのヒントを提供することが出来れば・・・あるいは、こうした理屈に触れることで現実の世界にも興味を持ってもらえれば・・・というつもりで書きました。

    今後ともお付き合いいただければ幸甚に存じます。
    どうぞよろしくお願いいたします。