第9話 事件は解決していない

「しゃべり過ぎだ。リュ俊英ジュンヨン

「すまないゼルダ。しかし、君としては都合がいいんじゃないかな。正蔵と例のアンドロイドをおびき寄せることができた」

「だからしゃべり過ぎだと言っている。黙っていろ」


 ややひょうきんな口調のリュウと、ドスの利いた低い声、恐らくリュウがゼルダと呼んだ男が言い合っていた。しかし、リュウの一人二役にしか見えない。彼は一人で喋っていたのだ。


「リュウ。お前、どうしたんだ?」

「いやね。スポンサーから少しクレームが……」

「だから黙ってろ。消すぞ」

「悪かった。謝るよ」

「撤退する」


 低い声のゼルダがつぶやく。リュウは窓を開けて外へ飛び降りた。


「馬鹿な。ここ、五階だぞ」


 俺は窓から体を乗り出し、リュウの姿を確認しようと下方向を見た。しかし、リュウの姿は何処にもなかった。彼が着地したであろう場所の、歩道のコンクリートがひび割れ、結構な窪みを作っていた。


「後を追いますよ」

「わかった」


 俺たちは部屋を出ようとドアへと向かったのだが、その時点で部屋の中に炎が噴き出した。俺は椿さんに抱きしめられたまま動けない。


「正蔵さま。動かないでください。証拠隠滅のためのフレアです」

「フレアって?」

「うーん。地球のナパーム弾みたいなものですね。数倍高性能なんですよ。瞬間的ですが、数万度に達する業火です。私の障壁で防ぐことはできるのですが、炎の中を移動する事は難しいのです」


 全くわからないことだらけだ。

 煉獄の炎とも言うべき凄まじい業火の中で、俺は椿さんと抱き合っていた。本当なら、一瞬で炭になってしまいそうな高熱の中で、椿さんの体の、柔らかい感触だけを感じている。特に、その豊かな胸元は暴力的と言っていい快楽を俺に与えた。

 もう考えるのは止めだ。俺は椿さんを強く抱きしめ、そして唇を重ねた。いつの間にか、お互いが舌を絡め合っていた。甘美な深い口づけに俺の理性は崩壊してしまっていた。俺の体の変化に気づいた椿さんが、小さな声で呟く。


「正蔵さま。椿の体で感じてくださっているんですね。ものすごく嬉しいです。でも、ここでは困ります。もうすぐ消防隊も来ますし……」


 椿さんはそう言って頬を赤らめ、下を向いた。俺が腕を緩めると、彼女はくるりと背を向けた。

 こんな場所で欲情するなんてどうかしている。しかし、彼女の体の感触や素振りは人間そのもので、とても作り物のアンドロイドだとは思えなかった。


 程なく消防車が到着し、放水を始めた。火災は一時間ほどで消し止められ、俺たちはビルから外へ出ることができた。


 四車線のパークロードは通行止めとなっていたのだが、黒いワゴン車が規制線を越えて侵入してきた。綾瀬重工警備部の車両だった。運転しているのは警備部の西村隊長だ。


「大変だったね。少しドライブしよう」


 隊長に声を掛けられるのだが、俺には自前のスクーターがある。


「いや。俺はスクーターがありますから??」


 周囲を見回すのだが、俺のスクーターは見当たらない。程なく焼け焦げた残骸を見つけた。火事はビルの五階で発生したわけだが、燃え落ちたアレコレがスクーターに落下したのだろう。我が愛車のディオは、無残な姿を晒していた。


「そりゃないだろう……」


 あのスクーターには愛着があった。ショックを隠せない俺の手を椿さんが握ってくる。


「正蔵さま。運が悪かったのです。残念ですけど諦めてください。代わりの車両は椿がお探ししますから」

「ありがとう」


 ツーサイクル車なんて見つかるのだろうか。いや、ガソリン車だったらいい。電動車でなければ。

 椿さんは落胆している俺をワゴン車の中へ押し込んで、自分も乗り込んでスライドドアを閉めた。


「今から彼の住まいを調査したいんだ。付き合ってくれるね」

「わかりました」


 車内で西村隊長と椿さんが話し合っていた。概要は既に報告されていたようだ。


「あの、義体を遠隔操作する技術は地球のものではありません」

「やはりそうか。逆探知は難しいんだね」

「はい。霊視できる人がいれば目視で確認できますが、そのような能力を持つ人は何人もいないと思います」

「だろうね。しかし、厄介な連中に絡まれたな」

「はい。恐らく私が原因です。ごめんなさい」

「椿さんが謝る事ではありませんよ」


 椿さんが西村隊長に頭を下げている。どんな事情があるのかさっぱり見当がつかないのだが、椿さんが単純な新型アンドロイドではない事だけは確かだと思った。


 ワゴン車は湯田温泉へと向かう。旅館街の外れにあるマンション前で停車した。そこには既に警察と自衛隊が到着していた。

 リュウの部屋は、八階建てマンションの最上階だった。とても高価な、学生が住むような物件ではなかった。エレベーターを降りた俺たちはリュウの部屋へと向かう。そこは既に警察が入っており、鑑識の係官が物証を探している最中だった。

 警察官に案内されリビングへと入ったのだが、そこに転がっていたのはリュウの死体だった。俺は両手で口を押え、目を背けてしまった。


「あちゃー。彼、始末されちゃったみたいですね」

「そのようです。顔面に穴が幾つもある。虫食いの穴のようだ」

「これは……多分、アレに寄生されてたのではないかと思います」

「アレですか?」

「はい。アレです」


 アレとは何なのだろうか。リュウが何かに寄生されていたというのか。さっぱりわからない。西村隊長も、警察関係の人には極秘だからとしか説明していなかった。


 変死体を直接見てしまった事に、俺は相当なショックを受けてしまった。その死体は顔見知りであり、一時間ほど前には直接話していた。


 あいつが何故死んだのかはわからない。しかし、あんな諜報の世界に足を突っ込んでいれば、いつかは命を落としてしまうだろう。しかし、死ぬにしても死に方が問題だ。虫に食われて死んでしまうなど、俺ならばまっぴら御免だ。


 戦闘のあった駐屯地には戻れず、泊まるホテルもない。俺と椿さんは、綾瀬重工警備部のワゴン車で一夜を過ごした。西村隊長は気を利かせてどこかへ行ってしまったが、もちろん椿さんと性的な交渉などしなかった。とてもそんな気分にはなれなかったからだ。


 今夜は眠れない。

 そう思っていた。しかし、椿さんに抱かれ毛布にくるまっているうちに眠ってしまった。


 目を開くと昼間になっていた。まだ明るい。

 何処かの公園だろうか。俺は芝生の上で寝転がっていた。椿さんの膝枕で。


 これは夢なのだろうか。しかし椿さんの、あの柔らかな体の感触は実物そのものだった。俺は起き上がって椿さん顔を見つめる。彼女の瞳は茶色で、虹彩の模様もはっきりと見えた。前に見た機械の部品などどこにもなかった。


「椿さん」

「はい、何でしょうか。正蔵さま」

「ここは? 公園のようですが、見覚えはないな」

「それは、椿の心の中だからです。夢の世界と言い換えてもよろしいかと」

「やっぱり夢なんですね」

「うーん。夢と言えば夢なのですが、実際に正蔵さまの魂が経験している事なのです」

「実際に経験してる?」

「そうです。肉体を通さずに、魂が直接経験してるんです」

「よくわからないんだけど、何かの実感はあります」


 それは、安らぎの空間で魂が優しく愛撫されているかのような感覚だった。何もかも忘れて癒されていく感覚がとても心地よかった。

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